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作品名:ねこまんま食堂 作者:真柴 文明

第9回   九.負け戦
 翌日の朝九時前、スーパー・トリイの店長を務める大黒 諭(おおぐろ さとし)は、催事台に置かれた大量の春キャベツを、腕を組んで満足げに眺めていた。
(うんっ、これだけあれば、お客様にも喜んでいただける)
 スーパー・トリイは、都下に十数店舗を構える、地域密着型の食品専門の中堅スーパー・マーケットである。その一店舗を任されている大黒はダメ男・福住の幼馴染で、二人の腐れ縁は小学校から今に至っている。
 その腐れ縁のおかげで福住はどうにか、スーパー・トリイにバイトとして潜り込むことができた。
 大黒は腕を組んだまま店の正面にある自動扉を振り返ると、すでに十数名ほどの客が今か今かと、開店を待っていた。
 その中に頭二つほど抜け出した福住の姿を目にした大黒は、少し前に張出した大きな目をしばたたかせた。
(あれ? まこっちゃん? 今日は休みのはずじゃ……?)
 大黒が怪しむと同時に、社員の一人が「お待たせしました! ただいまより、開店いたします!」と、元気な挨拶で自動扉を左右に開いた。
 外で待ちかねていた客達が、ドッと催事台にあるキャベツの山に突進してくると、大黒は慌てて脇に飛び退いた。
「いらっしいませ! 大丈夫ですよ、慌てなくても。キャベツはまだ、まだ、ありますから! あっ、お客様、お一人様二玉までです!」
 得意の営業スマイルで、キャベツに群がる客をあしらう大黒を尻目に、福住はカゴに大根一本、玉ねぎ一個、ジャガイモ一袋、ねぎ一束を入れると、目玉の春キャベツに目もくれずに、別の売り場へ向った。
 それを横目で見ていた大黒は首を傾げた。
(あれっ? どこに行くんだ? 今日は特売日で、いつもより一時間早く開けたら、惣菜はまだ準備中だし……?)
 鬼嫁から叩き出され、食堂に戻ってからの福住の食生活は、ぞんざいなものであった。どれくらい「ぞんざい」かと言うと、朝は抜くか、トーストと牛乳。昼はカップめんとおにぎり。夜は割引弁当か惣菜といった具合にかなり投げやりなものだった。
 福住の雑な食生活を熟知していた大黒は、好奇心がくすぐられ、仕事そっちのけで、その後をつけることにした。
 鮮魚売り場を抜け、精肉売り場も素通りした福住は、瓶や缶の詰めものがズラリと並んだ棚の前で止まると、迷わずに瓶詰めのなめたけを手に取り、無造作にカゴの中に入れた。
(――! なぜに、なめたけ?)
 眉間にシワを寄せ、棚の端から顔の右半分出しながら、疑問と共に一層好奇心を掻き立てられた大黒は、さらに福住の後をつけることにした。
 次に福住が向ったのはお菓子売り場の棚で、ここでは薄塩味のポテチをカゴに投げ入れた。
(……ポテチ? 滅多に食べないのに、訳が分からん)
 今度は「エンド」と呼ばれる棚の端にある特売コーナーの陰から、顔の上半分を出して凝視する大黒の謎は、さらに深まった。
 そして、冷蔵ショーケースから白菜の漬物と梅干をカゴに入れた福住は、指で中の品を指しながら確認していた。
(うんっ、直接聞こう! それが一番手っ取り早い!)
 好奇心が抑えられなくなった大黒は、そう心の中で叫ぶと、ショーケースの端から飛び出し笑顔で声を掛けた。
「おはよう! まこっちゃん! どうしたの? こんなに朝早くから来るなんて」
 いきなり現れた出目の幼馴染に面食らった福住は、躊躇いがちに「おっ、おはよう」と短く答え、すぐに踵を返してレジに向かった。
 大黒は慌ててその後を追った。
「ちょ、ちょっと、待ってくれよ。まこっちゃん!」
「悪いが、先を急いでるんだ」
「なんで、そんなもん買ったの? いつも割引弁当なのに、教えてくれよ」
「お前には関係ない」
「えーーっ!、教えてくれもいいじゃん。幼馴染なんだから……」
 福住はその場を離れて足早にレジに向った。
 大黒は福住の右に左に体を入替えながら、しつこく訊き続けた。
 この男、自分の好奇心には、どこまでも素直だった。
 しかし、福住は目も合せずに一切何も答えなかった。
 引き摺るように大黒を従えた福住が、ようやくレジの前に着くと、突然、大黒が福住から離れ、腕を組んで目の前に立ちはだかった。
「まこっちゃん、どうしても教えてくれないんだね」
「さっきも言ったが、お前には関係ないことだ」
「仕方ないな……」
 大黒は少し俯いて、気が進まない顔をした。
「これだけは使いたくなかったんだが、仕方がない」
 そう言うと、大黒は出目をさらに剥いて言い放った。
「福住 誠! なぜそんなものを買ったのか、答えなさい。これは、業務命令である!」
 自信満々に言い放つ大黒に対して、福住は慌てることなく、落着いた口調で答えた。
「断る。まず――
 第一に、今は業務時間外なので、その命令に従う必要はない。
 第二に、私は一人の客として、この店に訪れいる。その客に対して命令するなど、言語道断。
 第三に、個人情報保護の観点からも、その発言は法に抵触する恐れがある。
――以上」
 聞き終えた大黒は石のように固まり、ガラガラと崩れていく自身の心の音が聞えるような気がした。
 大黒の心を粉砕した福住は、顔色一つ変えることなく、石に変わり果てた幼馴染の脇を抜けてレジに進んだ。
 福住がレジ台にカゴを置くと、我に返った大黒は尚も縋るように追いかけて来た。
「なっ、頼むよう。教えてくれよ〜〜」
「…………」
 このおっさん二人の異様な絡みに、目を丸くしたレジのおばちゃんが思わず手を止めて「てっ、店長、なにやってんですか?」と訊いたが、「あっ、気にしないで。仕事続けてください」と、大黒は得意の営業スマイルで答えた。
 レジを済ませ、半透明のレジ袋に買った品物を入れている最中でも、大黒は食い下がった。
「頼むよから、教えてくれよ〜〜」
 福住は無言のまま、レジ袋を下げて店の前にある駐輪場に向った。
 駐輪場に止めてある自転車の前カゴに荷物を入れると、さすがに、大黒も店の外まで追ってくることはないだろうと、福住は「ふーっ」と一息吐いた。
「教えてくれよ〜〜っ」
「えっ!」
 いきなり背後から聞こえる怨念めいた唸り声に、振り返った福住の目の前には、好奇心で目を爛々と輝かせた大黒がいた。
「なっ! 頼むからさ!」
 今度は手を合わせて拝む大黒に、福住は根負けすると共に深い吐息を漏らした。
「はぁ……、わかった。でもいいのか? 店をほったらかして?」
「あっ、それはご心配なく。私より優秀な部下達が揃っているから」
 大丈夫なのか、スーパー・トリイは。福住は心の底から、そう心配せずにはいられなかった。
「そんなことより、早く教えてくれよ。自炊でも始めたの?」
「いやっ、食堂を再開させるためだ」
「えっ! あけぼの食堂を?」
「そうだ。それもねこまんま専門の食堂として再開させる」
 食堂で鬼嫁に語ったように、福住は再び熱く語った。ねこまんまの奥深さ、その由来、そして可能性を熱く、熱く語った。
 大黒は少し前に出た目を、さらに前に出してしばたたかせた。
「正気……、じゃなくって、本気なの?」
「ああっ、本気だ。それにこの再開は、食堂の存亡を賭けた戦いでもある」
 福住は熱い語り口のまま、鬼嫁との「ねこまんま勝負」のいきさつを話し始めた。
 そのあらましを聞くうちに、大黒は声を失うと共に顔からは表情が次第に消え、頭を大きく振った。
「もういい! もういいから! わかったから……」
 話を遮った大黒は、福住の両肩をガッシリ掴んで憐れむような悲しげな笑みを浮かべていた。
「かんばれよ、応援してるから……。僕はいつでも、まこっちゃんの味方だよ……」
 話の腰を折られた福住は少し不満だったが、やっとこんな面倒臭い奴から解放されると思い直し、自転車にまたがり「じゃな」と言い残すと、颯爽と自転車を駆って食堂に帰って行った。
 その後姿を見ていた大黒は誰に言うともなくポツリと呟いた。
「こりゃ、負け戦だな……」

 この日を境に、福住の「ねこまんま研究」が一層熱を帯び始めてくる。朝、昼、晩の三食すべてを「ねこまんま」で済ませることは、もちろん、揚げ玉やバターを使ったり、果ては瓶詰めや缶詰の類にも挑戦した。
 また、食材を買うためにトリイの他に、日銭が稼げるバイトも掛け持ち、空いた時間はすべて「ねこまんま」に注ぎ込んだ。
 食堂再開まであまり日がなかったが、福住は今自分にできることを一つ、一つ地道にこなしていた。
 今日も早朝からシャッターを開け、掃除を済ませた店内には、柔らかな早春の陽が差し込んでいた。
 その明るい厨房で、福住は今日のみそ汁の具になる玉ねぎを、繊維に沿って縦に細切りにしていた。
 トン、トン、トン、トン、トン、トン、トン、トン。
「ふむっ、だいぶ様になってきたようじゃな」
 カウンターから、福の神が満足気に声を掛けると、福住は顔を上げて苦笑いを浮かべながら、ペコッと頭を下げた。
 福住の手の至る所にバンドエイドが貼られていたが、その分だけ腕を上げたということだろう。
 福の神の傍らにいるミィーちゃんも、嬉しそうに主を見ていた。
 次に福住は、朝一番に取った出汁を鍋に入れて中火に掛け、煮立つの見計らって少し火を弱めて玉ねぎを加えた。
 玉ねぎが半透明になるまで煮る間、福住は今朝炊き上げたばかりのごはんを茶碗に盛ると、その上に一口サイズに切った白菜の漬物を乗せ、味の素を適量降った。
 最後に、たっぷりと削り節を振り掛け、醤油をほんの少し加えれば、「白菜漬けのおかかねこまんま」の完成である。
 福住は完成したねこまんまを手にするとホクホク顔で眺め、今日も上出来とばかりに大きく頷いた。
 ねこまんまを作業台に戻し、火に掛けていた鍋に目をやると、細切りした玉ねぎが薄っすらと透けて、味噌の投入を待ち兼ねていた。
 福住は味噌をお玉ですくて溶き始め、煮立たせずに火を止めた。みそ汁を器に盛って、仕上げに小口に刻んだネギを散らす。
 これで、玉ねぎの優しい甘みがたまらない「玉ねぎのみそ汁」も出来上がった。
 福住はねこまんまの横に玉ねぎのみそ汁を置き、丸イスに腰を降ろして「いただきます」と、静かに手を合わせた。
 まずは、玉ねぎの甘みが拡がるみそ汁を堪能すると、続いて本命の「白菜漬けのおかかねこまんま」を手に取り、おかかまみれの白菜の漬物であったかごはんを包んでパクリ。噛む度に漬物特有の旨味が口の中に広がって、ごはんが進む。
 そんなねこまんまを楽しむ福住の姿を、ミィーちゃんと一緒に眺めていた福の神がニヤニヤしながら声を掛けた。
「おいっ、楽しむのもいいが、これまでに何か気付いたことはないのか?」
 口をモグモグ動かしながら、福住はきょとんとした。
 そして、ゴクリと飲込むと、腕を組んで考え出した。
 カウンターの福の神とミィーちゃんを前に口をへの字にして、あれこれと思案を巡らせる福住を、食堂の出入口から見詰る人影が二つあった。
 財部と小禄である。
 二人は「あいつ、何やってんだ?」と首を捻った。
 初めは、唐突に帰ってきたダメ男を、二人は訝しく遠めから見ていたが、朝早くから夜遅くまで「ねこまんま研究」とバイトに明け暮れる、そんな福住の姿を目にするうちに徐々に警戒心を解き始めていた。
「これまでに気付いたことですか?」と、福住は改めて福の神に訊き直した。
「そうじゃ。何かあるじゃろう」
 福の神が窺うように言うと、福住が「あっ」と声を上げてポンと手を打った。
「その竿で殴られると、死ぬほど痛いということに気付きました!」
 得意げに竿を指差す福住を見て、福の神は手で目を覆い吐息を漏らした。
「はぁ……。まあ、いきなり気付けという方が無理な話かもしれんな……」
 福の神は溜息交じりに、改めて福住を見据えた。
「今お前がやっていることは、掃除に飯作り、バイトと、まあ毎日これの繰り返しじゃな。違うか?」
「いえっ、その通りです」
「どれも日々の暮らしの中にある、ごくありふれたものばかりじゃ」
「ええっ、そうですね。別に目新しくとも何ともありません」
「じゃが、その中にこそ、学ぶべき多くのことがある」
「…………?」
 きょとんとした顔で聞く福住に、福の神は具体例を挙げた。
「例えば掃除はどうじゃ? やる前と後では違うじゃろう」
 福住は確かにそうだと思った。掃除をやる前は「さあ、今日もやるか……」と少し後向きなるが、掃除が終わった後は、晴々とした軽い心持になり、何事にも前向きに取組めた。
「それに包丁さばきもだ。そりゃ、初めは非道いもんじゃった。お前に刻まれる食材達が哀れで仕方なかったぞ」
 福住は恥ずかしそうに下を向いた。
「だが、さっきも言ったが、近頃はだいぶ様になっておる」
 思わず頭を上げた福住の顔が、パッと明るくなった。
「どれも、お前の身近にある些細なことだが、その積み重ねが今のお前を作り、明日のお前に繋げてゆくんじゃ。それはな、お前が今をしっかりと生きて切っているという証だ」
「…………?」
「まだ、解らんのか?」
「はぁ……」
 ポカンとする福住は、力なく答るしかなかった。
 福住にしてみれば、食堂の再開にしろ、鬼嫁とのねこまんま勝負にしろ、ほぼ地滑り的に起こったことだった。そこに福住の意思など、まったくと言っていいほど存在していなかった。
 それだけに、
(何を解れと言うんだ。大体いきなり現れて、あれこれ指図するわ、逆らえば、その竿で引っ叩くわ。あげくの果てには、あいつと勝負する羽目になったんだぞ。はっきり言って、福の神どころか、厄病神だ!)と、少々不満を溜めていた。
「何か言ったか?」
 福の神がニッコリ笑いながら訊いた。
「いっ、いえ! 何も言ってません。まだまだ、私の精進が足りないということですね」
「まあっ、そういうことじゃな」
 なんとかその場を取り直し、ほっと胸をなで下ろした福住が、再び箸を手に取ると、出入り口のガラス格子の引き戸がガラガラと大きな音を立てて開いた。
「ごめんよ。誠君、すまないね。朝早くから押しかけて」
 出入口の先には、でっぷりと腹が出た財部がダンボールを肩に抱えて立っていた。そして、その横には、ラップで包んだ小皿を持った小柄な小禄の姿もあった。
 この下町で生まれ育った二人は、福住のことを幼い頃から知っていた。
 しかし、いきなり現れた見知らぬ訪問者にビックリしたミィーちゃんは、福の神をその場に残して、大急ぎで奥の部屋に逃げ込んだ。
「ほんと、ごめんよ。こんな早くから。でも、あんた大丈夫かい?」
 小禄が眉を寄せて心配そうに訊くと、財部も気遣うように伺った。
「さっきから見てたんだが、あの猫相手に急に腕を組んで考え込んだかと思うと、指差したり、俯いたり、パッと顔を上げ喜んだり、大丈夫か?」
「えっ! 見てたんですか?」
 慌てる福住に、二人は真顔で大きく頷いた。
 何度でも言うが、福の神はミィーちゃんと福住にしか見えない。
「だっ、大丈夫です! さっきのは……、えーっと、その……、首の運動です! 最新式の首の運動です!」
「本当か?」と怪しむ二人に、福住はあくまでも「最新式の首の運動です!」と言い張った。
「まあ、それだけ元気なら、大丈夫なんだろう。よかったら、これ使ってくれ」
 財部は肩に担いでいたダンボールをカウンターに置いて中を開けて見せると、中には様々な野菜の切れ端や、売り物にならない歪な形をしたものが詰め込まれていた。
「ありがとうございます。使わせていただきます」
「私はこれ」
 クズ野菜の山を目を細めて眺める福住に、小禄は自信たっぷりにラップに包まれた小皿をカウンターに置いた。
 福住が湯気で曇ったラップを取り外すと、中から黄金に輝くホッカホッカの厚焼き玉子がその姿を現した。
「どっ、どうして、こんなに良くしてくれんですか?」
 温かい湯気が上がる厚焼き玉子を前に、福住は泪声になっていた。
 財部は重そうな身体を、ゆっくりとカウンター席の丸椅子に預けると、昔を懐かしむように話始めた。
「ここの町内会長をやらせてもらってることもあるんだが、昔、幸造さんには野菜の下拵えや旬の野菜の調理法とかね、いろいろ教えてもらったんだ」
「へーっ、おじいちゃんがそんなことを」
「それがね、けっこう商売の役に立っててね、お客さんとの会話が弾んで、その場上手くまとまることがあるんだよ」
「私はあれよ」
 テーブル席に着いていた小禄は、まだ湯気の立つ厚焼き玉子を指差していた。
「その厚焼き玉子、寿賀子さんに教えてもらったの」
「へーっ、今度はおばあちゃんが」
 感心ながら厚焼き玉子を手にする福住に、小禄もまた在りし日の思い出を語った。
「わざわざ休みの日にね、奥の部屋の台所で教えてもらったの。不器用な私に、そりゃもう優しく丁寧にね」
「おじいちゃんは教えてくれなかったんですか?」
「普段は物分りのいい優しい爺様だったけど、料理のこととなると、鬼になるからね。恐くて聞けやしないよ。それに――」
 小禄はかつて寿賀子と過した奥の部屋へ目を移すと、「ぷっ」と思い出し笑いをした。
「それに寿賀子さん、亭主のやり方は一手間も二手間も掛かるから、よした方がいいって。普通の家でやるもんじゃないて」
 これを聞いた福住と財部も「ぷっ」と吹き出し、小禄は「さあ、冷めないうちに」とホッカホッカの厚焼き玉子を勧めた。
 しばし二人は昔話に花を咲かせた。
「よく幸造さんがぼやいていたよ。うちの孫は粘りが足りない」と、財部がからかうように言うと、小禄も「そうそう、寿賀子さんも、一体誰に似たんだか。すぐに腰が砕けて逃げちまうんだよてね」と、財部に輪を掛けて茶化した。
 若き日のダメっぷりをいじり回された福住は小さくなりながら、顔を赤らめて熱々の厚焼き玉子を頬張った。
 昔話が一区切り着くと、財部は優しい眼差しを福住に向けた。
「誠君、ここ何日か様子を見させてもらったんだが、ここをまた開けるのかい?」
 ゴックンと厚焼き玉子を飲込みながら、福住は頷いた。
 財部は見ていた。早朝、市場からの仕入れの帰りに、せっせと食堂の掃除に精を出す福住の姿を、軽トラから何度も目にしていた。
 小禄もまた、目の色を変えて一日も休むことなくバイトに励む福住を知っていた。
「そうか! やっぱりな! 小禄さん、聞いたかい。あけぼの食堂をまた開くてよ!」
「ええっ、あけぼの食堂が帰ってくるんだね!」
 相好を崩して喜び合う財部と小禄を前に、福住は意外な思いをしたが、食堂の再開に胸を弾ませる二人に、ありがたいと感謝した。
「でっ、どんな料理を出すんだい?」
 目尻が下がりっ放しの財部が訊くと、小禄も続いた。
「何を出すんだい? 楽しみだねえ」
「ねこまんまです」
「はあ?」
 素っ頓狂な声を上げた二人は、真剣な眼差しで「ねこまんまです」と言い放つ福住に目をしばたたかせた。
「俺は調理師免許はおろか、料理の経験もほぼゼロです。しかし、だからこその『ねこまんま』なんです!」
 様々な食材をあったかごはんに乗せるだけで、あるゆるジャンルの料理に化ける「ねこまんま」。しかも、手早く簡単に作れて、何より安い。
 日々「ねこまんま研究」に没頭していた福住は、自信を持ってこう断言した。
「ねこまんまこそ、地上最強の料理である」と。
 声を失う二人を置き去りにして、鼻を膨らませた福住は尚も言った。
「また、これは食堂の生き残りを賭けた戦いでもあるんです」
 福住は鬼嫁との「ねこまんま勝負」の顛末を語ると、キッと二人を見据えた。
「自分でもバカな勝負に乗ったと思ってます。でも、もう後には引けません。例えこの先、どんな結果が待ってても、今は前に進むしかないんです!」
 そう言い切る福住を「お前、正気か?」と言わんばかりに二人は目を瞠った。
 財部が躊躇いがちに訊ねた。
「でっ、いつ再開するんだ?」
「四月一日です」
 力強く答える福住の目を見た財部は「そうか、その日には必ず寄らせてもらうよ」と言い残すと、惚けている小禄を急き立てて食堂を後にした。
 二人が帰ると、奥の部屋からミィーちゃんが戻って来た。
 福の神は諸手を挙げて「おおっミィーちゃん、戻って来たか」と迎え入れた。
 カウンターにいる福の神の傍らに腰を降ろしたミィーちゃんを優しく撫でながら、福の神が嬉しそうな声を上げた。
「よし、よし。恐がることはないぞ。あれはな、お客さんじゃ。なあ、そうじゃろう?」
「えっ? まあっ……、たぶん……、そうだろうと思います」
「よかったのう。今日だけでお客さんが二人も付いてくれた。これも、お前が一日、一日をしっかりと生き切っているからじゃ」
 この言葉に福住は以前、福の神から聞かされた「今をしっかりと生き切る」ということが、ほんの少しだけ分かったような気がした。

 その頃、財部と小禄は川沿いの道を、何とも言えないような顔をして歩いていたが、小禄が堪らず財部を問い質した。
「財部さん、なんで止めてやらなかったんだい」
「小禄さんも見たろう、あの目。あれは本気だ」
 小禄が立ち止まってを財部を見据えるように言った。
「でも、どう考えても負け戦だよ。これは……」
「ああっ、小禄さんの言う通り、どう転んでも負け戦だ」
「じゃ、なんで?」
 尚も縋るように問い詰める小禄を、財部は頭を小さく振って制した。
「例え負け戦でも、あんなに頑張ってんだ」
「…………」
「俺達だけでも、応援してやろうよ。なっ、小禄さん」
「そうだね。応援しなくちゃね……」
「それに、これがあの食堂の見納めになるかもしれないしな……」
「だね……」
二人は振り返ると、孤城落日のあけぼの食堂を惜しむかのように見詰ていた。


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