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作品名:ねこまんま食堂 作者:真柴 文明

第8回   八.ねこまんま勝負
 店の中では、鬼武者の一撃から、ようやく立ち直った福住が腹を擦りながら、目を合さずにオドオドしながら幸と対面していた。
「なっ、なんの用だ……」
「はあ? なんの用? よくそんなことが言えるわね。どの口が言ってんのよ! あん!」
 鬼武者改め、鬼嫁の幸が腕を組んで与太者のように目を剥いていた。
「たくっ! 家から叩き出してから、金は払わないは、連絡も一切してこない! わざわざこちらから出向いてみれば、こんな古ぼけた食堂で、せっせっと何か作って、まともに働いている風でもない。あんた、本当に養育費、払う気あんの?」
「…………」
 まさに、ヘビに睨まれたカエルの如く、福住は俯いて黙り込んでしまった。
「こりゃ、勝負にならんな、ミィーちゃん。いかに負い目があるとはいえ、完全に呑まれとる」
「ミャ……」
 食堂の奥の部屋であぐらを掻いて呆れ返る福の神に、ミィーちゃんは悲しく答えるしかなかった。
「どうなのよ! 払う気あんの! 答えなさいよ!」
「…………」
「たくっ! どうして、こんな男と一緒になったんだろう。あんたとの結婚生活なんて、私にとって人生の汚点でしかないだからね!」
「…………」
 鬼嫁のあまりのディスりっぷりに、福の神は口を半分開いて、「うわぁ……、そこまで言うか……」と、天を仰いで嘆いた。
 ディスられ放っしで目を伏せたまま両手を固く握り緊め、沈黙を守る福住に、痺れを切らした鬼嫁が強く迫った。
「黙っていれば、その内、サジを投げて帰るとでも思ってんでしょう。違う?」
 鬼嫁が鼻で笑いながら、底意地の悪そうな目を福住に向けた。
「でもね、今日という今日は、そういう訳にはいかないから。もし、払えないなら、前から言ってた通り、この食堂、売りなさいよ」
 涼しい顔で、とんでもないことを言う鬼嫁に、思わず「えっ!」と顔を上げた福住に、幸はさらに追い討ちを掛けた。
「それができないなら、離婚して裁判沙汰にしてでも、この食堂を売り払ってやる!」
「やっ、やめてくれ! 金はなんとかするから……、それだけは、やめてくれ……」
 大きく目を見開いて、喉を絞るように哀願する福住に、鬼嫁は小馬鹿にするように訊ねた。
「ふんっ! どうやって?」
「ちょ、ちょっと、待っててくれ」
 そう言い残して、福住は急いで厨房の作業台に置き放っしにしていた「チャーハン風ねこまんま」と新しいレンゲを手にして戻って来ると、目を輝かせて、幸の目の前に差し出した。
「これ、食べてみてくれ」
「なっ、何? これ?」
 顔を顰める幸に、尚も福住は一揆を起こした百姓が訴状を、その土地を治める代官に託すように、頭を下げて「チャーハン風ねこまんま」とレンゲを高く差し出した。
「たっ、頼む! 一口でいいんだ、食べてみてくれ。決して、毒は入っていない!」
 幸は「ふっ……」と、軽い吐息を漏らしながら、そこまで言うならと「チャーハン風ねこまんま」とレンゲを受取り、一口食べてみた。
(んっ。なんて香ばしいの……。具材の刻み方も、それぞれの食感が残っていい感じに仕上がっている……)
「どっ、どうだった? なかなか、いけるだろう?」
 必死になって味の具合を訊く福住など目に映っていないように、幸は口をモグモグ動かしながら、改めて食堂の中を見回していた。
(へぇー。古ぼけているけど、ちゃんと掃除が行届いている。家では、掃除なんか一度もしたことがない人が……)
 最初は頭に血がのぼって気が付かなかった幸も、きっちと整理整頓されている厨房の調理器具や、きれいに拭き上げられたカウンター席とテーブル席を感心して眺めていた。
「おっ、気付きおったか? ミィーちゃん、こりゃ、ひょっとすると、良い芽が吹くかもしれんぞ」
 片膝を立てて、アゴヒゲを撫でながら、ニンマリとする福の神に、ミィーちゃんは首を傾げて「神様、一体なに言ってんですか?」とでも言いだけに「ミャ?」と短く鳴いた。
「――と、言う手順で作ったのが『チャーハン風ねこまんま』なんだ。実に手早く、香ばしくできる。どのねこまんまも、そうなんだが――」
 熱くねこまんまを語る福住なんぞ、最初っから居ないように無視し続ける幸は、そっとカウンターに「チャーハン風ねこまんま」を置いて、カウンター席に固定された丸イスに腰掛けた。
 福住は額に汗を滲ませ、熱く語り続けていた。魂の叫びとも言えるその語り口は、舞台俳優にも引けを取らぬほど熱を帯びていた。
「――そもそも、その歴史は古く――」
「でっ、どうしたいの?」
「えっ! 今なんと?」
「だから、どうしたいかてっ、聞いてんの」
 スラリとした足を組み、片肘着いて、カウンターを指でトントン叩くきながら、幸はきつい眼差しを福住に浴びせていた。
 話の腰をボッキリ折られた福住は思わず、「やらかした?」と、自問自答した。
「早く答えなさいよ。さっきから熱苦しく話してる『ねこまんま』で、どうしたいのよ」
 福住は改めて、幸に向き直すと、ゴクリと生唾を飲み込んだ。
「ねこまんまで、やり直したいんだ。ここで、ねこまんま専門の食堂を開いて、やり直したいんだ」
 これを聞いた途端、幸は大きな瞳をさらに大きくして「ぷっ!」と、吹き出すと腹を抱えてコロコロ笑い出した。
 なぜ、幸がそんなに笑うのか分からないまま、しばらくの間、福住は間の抜けた顔を晒していた。
 ようやく笑いが収まった幸は、目尻を指で拭った。
「あ――っ、可笑しかった。久しぶりにお腹の底から笑えたわ。でっ、あんた、それ本気で言ってんの?」
「ほっ、本気だ」
「もし、本気なら、あんた、救いようのない、バカだわ!」
「うっ……」
「でも、そこまで言うなら、こうしましょうよ」
幸はそう言うと、丸イスから腰を上げ、福住に背を向けた。
「あんたの言う、そのねこまんまとやらで、この食堂を切り盛りしてみなさいよ。そうね……」
 幸は背を向けたまま少し考え込むと、突然、踵を返してきた。
「今、三月の半ばだから、四月にオープンさせるとしても、準備期間として二週間ほどあるわね。うんっ、うんっ」
 福住とは決して目を合さず、幸は腕を組んでアゴに手を当て頷きながら、一人で何かを思い描いていた。
 だが、福住にしてみれば、自分の都合も聞かず勝手に事を進める幸に、妙な不安を覚えるだけだった。
「おっ、おい、なに勝手にオープンの日取りを決め……」
「聞きなさい」
「はいっ……」
 冷静かつ、冷徹に、福住を抑えた幸は続けた。
「今から四月一日のオープンまでの半月を準備期間とするの。でっ、四月からの三ヶ月間の売上が、これから私が言う目標金額をクリアーすれば、売却の話はなし。もし、博樹がパパに会いたいてっ言うなら、会わせてあげてもいいわよ」
 これ聞いた途端、福住は顔をパッと明るくしたが、
「でも、クリアーできなければ、ここの権利書、渡してもらうわよ」
 この一言で、ぼんやりと無気力な顔になった。
「そうね、目標金額は――」
 まるで猫が狩った獲物を弄ぶように、幸は楽しんでいた。
「目標金額は、月一〇万円の養育費三ヵ月分、プラス遅延分の二〇万、計五〇万で、どう?」
「ほうっ、五〇とは、なかなか良心的な金額じゃな。ワシなら、一〇〇は吹っ掛けるがな」
 奥の部屋では、福の神はニヤニヤしながら二人の様子を眺めていたが、傍らにいるミィーちゃんはどこか不安げに見守っていた。
 端から見れば、なんとも「みみっちい話」ではあるが、今の福住にとっては途方もない金額だった。
(どっ、どうする……。俺にできるのか……。しかし、手放したくない! おじいちゃんとおばあちゃんの想いが詰った、この食堂は!)
 福住は迷いに迷った。食堂を切り盛りしたこがない福住にとって、それほど「五〇」という数字は、遥か彼方にある想像もつかないものだった。
 例えるなら、「太平洋を、手漕ぎボートで横断しろ!」と言われているくらい想像できないものであった。
 福住は改めて、幸に訊いた。
「……ごっ、五〇?」
「そっ、五〇」
「マジで?」
「マジで」
「ガチで?」
「ガチで」
「どうあっても?」
「どうあっても」
「何が何でも?」
「何が何でも」
「あのーっ、少し……」
「まかりません。ビタ一文、まかりません」
 ダメ男の生態を知り尽くしている彼女は、福住の機先を制した。
 腕を組み目を閉じて天を仰ぐ福住に、幸は容赦なく畳み掛けた。
「さあ、どうすの! この勝負、乗るの、乗らないの!」
 仮に、今この勝負から逃げたとしても、離婚され、裁判を起こされたあげく、食堂は召し上げられる。
 かっと言って、やったことのない食堂の、しかも「ねこまんま専門」の食堂の切り盛りなど、どうなることか知れたものではない。
 奥の部屋では、片膝を立てた福の神がニヤ付きながら、(さあ、奴め、どう出る? クックックックッ……)と、笑い声を押し殺して眺め、傍らにいたミィーちゃんの不安は、より一層掻き立てられた。
 天を仰いでいた福住は、目を閉じたまま顔を元に戻した。
 もはや、己の進退は極まわった。座して死を待つなら、この食堂を枕に討って出る!
 カッ!と、目を見開いて福住は言い切った。
「乗った! その勝負、乗った!」
「ほうっ、乗りおった!」
 相好を崩して声を上げる福の神とは対照的に、ミィーちゃんは(あーあっ……)と、肩を落として俯いてしまった。
「ふんっ!」と、鼻で笑った幸は、上から目線で言い放った。
「よかった。また、逃げ出すんじゃないかって思ってたけど。離婚して裁判を起こす手間が省けて、よかったわ」
「しっ、勝負は下駄を履くまで判らないぞ……」
「あっ、そっ。後で返信用の封筒と一緒に誓約書送るから、ちゃんと、署名・捺印して送り返してね。じゃ、これで」
 ダメ男の精一杯の強がりなど、歯牙にも掛けず、テキパキと物事を処理する。そんな、どこまでも「デキる女」。それが福住 幸であった。
 用件を済ませた幸が厨房の勝手口から外へ出るために、奥の部屋の前を横切ぎると、そこには、すっかりしょげてしまったミィーちゃんの姿があった。
「あっ、ミィーちゃん! こんな所にいたの? 博樹がとても心配してたわよ。パパに付いてって、大丈夫なのかって。さあ、一緒に帰りましょう」
 先ほどまでの鬼っぷりとは、一八〇度変って、菩薩のような慈愛溢れる微笑みと共に両手を差し出すと、ミィーちゃんは低く身構え「フーーッ!」と、きつく唸ってこれを拒否。
 思いも寄らないミィーちゃんの反応に、幸は目を白黒させたが、少し悲しそうに笑いながら、「じゃあ、このダメ男のこと、頼んだわよ」と、言い残し食堂を後にした。
 ミィーちゃんのすぐ側で、このやり取りを見ていた福の神は、首を傾げて訊いた。
 ちなみに、福の神の姿はミーちゃんと福住にしか見えない。
「おい、ミィーちゃん。本当にいいのか? あの鬼嫁について行った方が、幸せに暮らせるのではないのか?」
「ミャ……」
「それに、なぜそれほど落ち込むんじゃ? 『ねこまんま』は、お前も最初、あれほど勧めていたではないか?」
「ミャ……」
ミィーちゃんは心の中で、自分の身の上を静かに語り出した。
―神様、私は幼い頃に、あのダメ主に助けていただいたのです。
 人に捨てられた私は、当所なく街を彷徨っておりました。
 子供でございましたから、とても心細く、それはもう風に吹かれる落ち葉のようでございました。
 その内に雨も降り出し、私は逃れるように、ある団地の集会場の軒先で雨宿りしておりました。
 しかし、その日も朝から水以外、碌な物も口にしていなかったせいか、腹は減るは、目はかすむは、身体も冷えて、とうとうその場でへたり込んだのでございます。
 次第に薄れていく意識の中で私は、なぜこの世に生れてきたのだ。
 なぜ誰も気付いてくれないのだ。
 こんなにも辛く寂しい思いをするくらいならと、私は生きることを投げ出しておりました……。
 そんな私を、あのダメ主は救ってくれたのです。
 家に私を引取ると、やれ身体を温めろ、やれ餌の用意だ、やれ病院だと、それはもう可笑しいくらい一生懸命、看てくださいました。
 その甲斐あって、なんとか私は生き長らえ、すくすくと育てていただきました。
 私も主がダメなことは、重々承知しております。
 ですが、例え身勝手極まりない痴れ者であっても、主は主!
 あの方がいるからこそ、今の私があるのです―
「今でも恩義に感じておるのじゃな」
福の神は苦笑いを浮かべながら、そう訊くとミィーちゃんはグイッとアゴを引いた。
「お前のような忠義者が側にいて、奴は果報者じゃな。しかし、あやつにもそんな仏心あったとはな。少し驚いたわい」
 突っ立ったまま、「チャーハン風ねこまんま」をしきりに頷きながら頬張る福住に目を移した福の神は、もう一つの疑問をミィーちゃんに投げ掛けた。
「そんなに不安なのか? 『ねこまんま』では?」
「ミャ……」
 ミィーちゃんは目を伏せがちに鳴いた。
 福の神はしばらくその様子をジッと見詰ていたが、やがて「ふむっ、ふむっ」と、相槌を打ちながらミィーちゃんの心の声に耳を傾け始めた。
「なになに、確かに、『ねこまんま』という選択は悪くない。だが、あまりも準備期間が短すぎる。果して、ちゃんと他人様の口に入るものができるのか」
 福の神はミィーちゃんの心を、なぞるように声にした。
「なるほど、確かに言われてみれば、そうじゃな。だが、安心せい」
「ミャ?」
「福の神である、ワシが付いとる!」
「ミャ!」
 胸を大きく反って、ドンと来い!とばかりに、その胸を力強く叩く福の神の姿に、思わずミィーちゃんは歓喜の鳴き声を上げていた。
 そんな神様と猫が心を通わせている頃、「チャーハン風ねこまんま」の後片付けを済ませ、ジャンバーを羽織った福住がその前を横切った。
「どこに行くんじゃ?」と、声を掛ける福の神に「バイトです」と、素っ気なく答えた福住が急に足を止めて、部屋の奥を食い入るように見入っていた。
 ほんの少しの間、目を凝らしていた福住は、やがて頭を小さく振り出した。
「んっ、ないな、あれはない。やはり、人の口に入れるものだしな」
 そう自分を納得させた福住は、厨房の勝手口から足早にバイトに向った。
「あやつ、なに見とったんじゃ?」
 怪訝に思った福の神とミィーちゃんが、振り返ったその先には、タンスの脇で鎮座する特売の猫缶の山があった。
「……まさか、奴め、あれを使う気じゃたのか? 『ねこまんま』と『猫缶』、ひょっとしたら猫絡みで使えるかもと?」
「ミャ……」
「ミィーちゃん、さっきは大口叩いたが、ワシャなんか自信がなくなってきた……」
「ミ……」
 突拍子もない福住の思い付きに色を失い、茫然と猫缶の山を見続ける福の神とミィーちゃんであった。
 二日後、「果たし状」と言う名の誓約書が、福住の元に送り付けられた。


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