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作品名:ねこまんま食堂 作者:真柴 文明

第24回   二十四.再起
 翌日のお昼。鬼嫁との決戦の日である。
 店の中では、福住は奥の部屋を、幸は出入り口を、それぞれ背にして腕を組んだままテーブル席側の狭い通路で睨み合っていた。
 そして恵比原が立会人ということで、一番奥のテーブル席に腰を降ろして二人に同席していた。
 ついでながら、ミィーちゃんは福住のすぐ脇にあるテーブルの下で主の骨を拾う覚悟で待機していた。
 外の出入り口付近には、財部、小禄、大黒はもちろん、田神や小布施、それに加宮も仲間と共に固唾を呑んで中を見守っていた。
「財部さん、なんであのお爺さんが立会人なんですか?」
 恵比原のことをあまりよく知らない大黒が不満を口にした。
「ああっ、なんでも、幸造さんと寿賀子さんの古くからの知り合いとかで、誠君も幸さんも立会人として了承している」
「じゃあ、僕はまこっちゃんの応援ということで」と、出入り口に手を掛けて中に入ろうとする大黒を、財部が慌てて止めた。
「バカッ、中をよく見ろ。二人とも、あんなにピリピリしてんだぞ」
 言われた大黒が出目を皿のようにして中を見入ると、確かに財部の言う通り、とても部外者は入れるような雰囲気ではない。無理に入れば、たちまち地雷を踏んでしまいそうな危険な香りを放っている。
「そうですね……。めっちゃ危ないですね……」
 大黒はおとなしく外から見守ることにした。
 そんな危険極まりない地雷地帯の中で、恵比原がのんびりとした牧歌的な声を上げた。
「では、二人とも心の準備ができたら、いつでも始めてくれ」
 二人が恵比原の声に頷くと、福住は歩を二歩、三歩と進めた。
 外で待つ財部が「ついに始まったな」と低く言うと、皆息を押し殺して成り行きを見守った。
 歩を止めて福住が、薄汚れたズボンの後ポケットから土地家屋の権利書を取り出し、しばらく見詰た。
(おじいちゃん、おばあちゃん。食堂は必ず再興してみせますから、この場は許してください……)
 心の中で再び亡き祖父母に詫びた福住が「ふっ」と息を吐いと、幸のすぐ脇のテーブルに権利書をバンッ!と叩き付けた。
「持って行け!」
 無念さを滲ませ血を吐くように叫ぶ福住の耳に、外から「ああっ……」と、皆が一斉に上げた落胆の声が漏れ聞こえてきた。
 そんなことなど一切お構いなしに、幸は何事もなかったように権利書を手にした。
「結局ダメだったてっことね。でっ、いくら稼いだの?」
 興味なさげに、手にした権利書を眺めながら幸が冷たい声で福住に訊いた。
「四十九万九千二五〇円……」
 肩を震わせ声を振絞って答える福住に、幸が「へえーっ、あなたにしては結構頑張った方ね」と鼻で笑うと、食堂の中を歩きながら見回した。
 そして福住に背を向けたまま、底意地の悪そうな声で訊いた。
「これでこの店は私の物ね。ということは、好きにしていい訳よね」
「ああっ、好きにしろ!」
 半ばヤケ気味に言い返す福住に、幸は上から目線で思いがけない一言を口にした。
「じゃ、続けなさいよ」
「へぇ?」
 耳を疑うような一言に、一瞬あっ気に取られた福住は確かめるように幸の背中に聞き返した。
「いいのか? 本当に続けてもいいのか?」
「ええっ、構わないわよ」と、幸が福住の方に向き直した。
「あんなにお客さんが付いているんだから、続けなさいよ。ただし、ねこまんま以外の料理もちゃんと勉強して、ここをもっと食堂らしくしなさい」
「ああっ、わかった。勉強する。でも、メインはねこまんまだ。これだけは譲れない!」
 思わぬ形で食堂の存続が決まっても、あくまでねこまんまにこだわる福住に、幸は額に手を当てて(たくっ。このひとったら……)と、小さく吐息を漏らした。
 一方、外で皆と一緒に肩を落としていた大黒が「んっ?」と、中の空気が変わったことに気が付いた。
 顔を上げた大黒が出目を皿のようにして中を窺うと、ウキウキ・モードの福住が小鼻を膨らませて、何か自分に言い聞かせるように何度も頷いていた。
「うんっ、うんっ。また、ここでやれるんだ。うんっ、できるんだ」
 意味不明な福住の様子を見ながら大黒が、腕を組んで首を垂れる財部の肩を突っいた。
「財部さん、財部さん。ちょっと」
「なんだよ、店長。こっちが真剣に落ち込んでるときに!」
 口を尖らせて睨み付ける財部に、大黒が「あれっ」と、中にいる福住を指した。
「んっ? 何か嬉しそうだな。ちょっと、小禄さん」
 今度は財部が目を伏せている小禄の肩を突っいた。
「なんだい? ここはもうお終いなんだろう」
 目を赤くした小禄に、財部は大黒と同じように「あれっ」と中を指差した。
「んっ? ショックで気でも振れたのかねえ?」と、小禄は眉を寄せて怪しんだ。
 三人はもっとよく見ようと出入り口にへばり付いた。
 出入り口に背を向けていた福住が、腰に手を当て満足そうに店内を見渡していると、背中に妙な視線を感じた。
 振り返る福住の目と出入り口でへばり付く三人の目が合った。
 その途端、福住はニカッと歯を見せて身体を彼らに向けると、腰に左手を当てたまま右手をグィと前に突き出し、親指をピンッ!と突き立てた。
「たっ、助かったのか……?」と、思わず口から漏れる財部に、福住は誇らしげに親指を立てたまま、大きくグッとアゴを引いた。
「バンザーイ! バンザーイ! バンザーイ!」
 諸手を挙げて喜ぶ三人。
 いったいどんな手を使ってこの状況を引っくり返したのか。でも、そんなことはどうでもいい。とにかく、食堂が生き延びたのだ!
 ただ、ただ三人は喜びで弾けていた。
 何の脈絡もない突然の万歳三唱に、ヘコんでいた小布施、田神、加宮と仲間たちは、顔を上げて目を白黒させた。
「財部さん、どうしたんですか? 確か、奥さんに権利書を渡したはずでは?」
 狐につままれたような顔で小布施が訊くと、三人は手を降ろして満面の笑みを見せた。
「いやっ、小布施さん。私にもどういうカラクリか分からないんだが、誠君がああやってるってことは、ここの存続が決まったんだよ」
「えっ!」
 目を細める財部の言葉に驚く小布施らが食堂の中に目をやると、またしても福住は得意満面で親指をピンッ!と立てて見せた。
「マスター……。崖っぷちで踏み止まったんですね……」
 田神が感極まって目に熱いものを溜めていれば、加宮たちは「ヨッシャーー!」と歓喜の声を上げて食堂へなだれ込んだ。
 これを見て他の皆も若い加宮たちに続けとばかりに、食堂の中にどっと押しかけた。
 狭い食堂に大挙して押し寄せる人に、テーブルの下にいたミィーちゃんはびっくりして外へ飛び出してしまった。
 いつの間にか、福住を中心に人の輪が出来上がると、
「よかったな。誠君」
「ほんとヒヤヒヤさせて。まっ、終わり良ければ、すべて良しだよ」
「まこっちゃん、やったね!」
「マスター、また寄らせてもらいます」
「福住さん。また違ったツナ缶のねこまんま、教えてくださいよ」
「俺たち信じてました! 必ず乗り切ってくれると!」
 人の輪がこれまでの福住の労をねぎらった。
 福住も輪の中の笑顔一つ一つに「ありがとうございます」と丁寧に頭を下げた。
 輪の中からふっと大黒が福住に訊いた。
「でも、まこっちゃん。どうして生き返ったんだい? 一度は死んだんだろう?」
「ああっ、そのことなら――」
 福住は僅かに目標額に届かなかったものの、幸の寛大な処置を説明すると、その場にいた全員が「おーーっ」と感嘆の声を上げて納得した。
 納得した一同は改めて幸を見ると、正面を向いて一斉に深々と一礼した。
「あざーーーーーーーーーーーーーーーすっ!!」
「やっ、やめて下さい。別に私は何もしてませんから、どうか頭を上げて下さい!」
 古ぼけた食堂の存続を認めただけで、なぜこれほど感謝されるのか、手を前に出して困惑する幸の背中に、恵比原がのんびりと声を掛けた。
「なあ、幸さん。もう、そろそろ呼んでもいいかな?」
 幸が振り返って「ええっ、呼んでください」と答えると、恵比原は信玄巾着からスマホを取り出し電話を掛けた。
 二・三回の呼び出し音の後、?がると「あっ、私だ。連れて来てくれ」とだけ言って、さっさっとスマホを仕舞った。
 恵比原が電話を切って三分も経たないうちに、食堂の前に黒塗りの車がキッと止まった。
 福住と輪の皆が「んっ?」と、大きく開かれた出入り口に目をやると、運転席側から天城と大国がヌウッと現れ、二人は大股で後部座席に向かい大国がおもむろにドアを開けた。
 天城が中にいる小さな影に向かって「さあ、着きましたよ」と手を差し出した。
 小さな影がコクンと頷きながら差し出された手に掴まって車の外へ出ると、丁度、天城と大国の間にチョコンと挟まれる形になって出入り口の前に立った。
 食堂の中にいた人の輪は、突然の小さな来訪者にポカンとしていたが、輪の中心にいた福住だけは少し違った。
 その小さな来訪者の姿が目に入るや、福住は大きく目を剥いて唇を小刻みに震わせて叫んだ。
「ひっ、博樹ーーーーっ!」
「あっ、パパーーーーッ!」
 天城の手を振り解いて駆け出す博樹。
 人の輪を掻き分けて前に出る福住。
 二人はその勢いのまま狭い通路で対面すると、福住はヒザを折って宏充を抱き寄せた。
「すまなかった……。こんなパパで……」
「んんっ、パパが元気でよかった……」
 顔をクシャクシャして涙を浮かべる福住に、博樹も笑みを浮かべながら目に涙を溜めていた。
 三月ぶりに触れる我が子の温もりを、福住は噛み締めるようにグッと抱いた。
 涙声で謝る父に、気遣うように答える子の姿を見ていた財部も鼻をすすりながら、堪えていた。
「グスッ、いい息子さんじゃないか。あの子も会いたいのを我慢してたんだな」
「そうだねえ……」と、小禄さんも目尻を拭きながら堪えていたが、
「ウェ、ウェ、ウェ。ヒック。まごづぢゃん……」と、大黒は周囲を気にすることなく、出目から大粒の涙をこぼしていた。
 父子の姿に、輪にいた誰もが泣いた。お付の天城と大国も泣いた。
 食堂の存続だけでなく、息子・博樹とも再び会えた福住は、今まで当たり前だと思っていた日常がどれほど大切なものなのか、痛いほど感じていた。
(んっ。また、ここからだ)
 博樹の頭を撫でながら、決意を新たにする福住の横目に、髪を整え無精ヒゲを剃ったスーツを着た寿野の姿が入った。
「すいません」と、出入り口にいた天城と大国に手刀を切りながら寿野が食堂に入ると、撫でる手を止めて福住は腰を上げた。
 寿野が正面に立つ福住に窺うように訊いた。
「福住さん、どうでした?」
 福住がニヤリと口元を緩めて黙って頷くと、寿野は目を閉じてほっと一息ついた。
 安堵の色を滲ませる寿野に、今度は福住が訊いた。
「でっ、寿野さんの方は?」
「決まりました。正式な通知は後日ですが、その場で役員の方に来て下さいと、言っていただきました」
 スッキリとした顔で答える寿野に、思わず顔が綻ぶ福住が右手を前に出すと、寿野は迷うことなくガッシ!と力強く握った。
 出口が見えないドン底で喘いでいたおっさん二人に光が射した。


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