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作品名:ねこまんま食堂 作者:真柴 文明

第21回   二十一.前へ
 五月も終わりに差し掛かり、晩春から初夏に移り変わろうとしていたある日の夕方。
 川沿いを寿野父子が仲良く手を繋ぎながら、あけぼの食堂を目指していた。
 この頃になると、寿野は夜間警備前の仮眠時間を削って、週に何度が宏充を連れて食堂を訪れるようになっていた。
 四十に手が掛かろうとするおっさんには肉体的にキツイものがあったが、我が子の喜ぶ姿は何ものにも代え難く、また不思議と寿野に活力を与えてくれた。
 父子が暖簾を潜って中に入ると、厨房には店主の福住、カウンターに常連の財部、小禄、大黒の他に、テーブル席に客が数名チラホラいた。
 福住が「いらっしゃい」と声を掛けると、常連の三人もそれぞれに声を掛けた。
「こんばんは」と挨拶を交した寿野は、息子と共にいつもの奥のテーブル席に着いた。
 寿野は週に何度か通っているうちに、福住に加えて、常連の三人とも顔見知りになり、徐々に親しくなっていた。
 宏充が気掛かりだった三人は、福住が「待つ!」と宣言するや、これをあっさりと切り捨て、自分達で打開策を模索することにした。
 そのためにも、まずは父子と親交を深めなければならない。
 青果店を営み、町内会長も勤める財部は、野菜や回覧板を片手に何かと寿野の世話を焼き、小禄は度々駄菓子を持って父子の住むアパートを訪れてた。
 また、大黒は販売前の特売品を店長権限を使って優先的に寿野に回し、部下達から白い目で見られていた。
 テーブル席にいた数名の客が帰ると、財部が「寿野さん、ちょっと」と手招きして呼び寄せた。
 寿野は何のことかと思いつつも、宏充に「ちょっと待ってて」と言い残し、カウンターにいる財部ら三人の元に向かった。
「なんですか? 財部さん」
「すまないね。今日も仕事かい?」
「いえっ、今日は休みです」
「そうか、それは丁度よかった」と財部は、自分達が座るカウンター席のすぐ脇にあるテーブル席に寿野を座らせた。
「いやっ、少し立ち入ったことを聞くんだが、寿野さんいったい何があったんだい?」
「えっ……」と言葉を詰まらせらせる寿野に、小禄は顔を曇らせて訊いた。
「あんないい子がいるのに、なんで夜の警備なんかやっているんだい?」
「それは……」と言葉が上手く出てこない寿野に、大黒も不安げに訊いた。
「寿野さん、私達は別に警備員の仕事のことを、とやかく言ってるんじゃないんです。こうなるまで何があったのか、聞かせてもらえませんか?」
 決して興味本位ではない、三人の熱い眼差しに気圧された寿野は俯いてしまった。
 しばらく、ヒザに置いた両手に目を落として寿野は、これまで誰にも話したことのない胸の裡を明かし始めた。
 会社の業績も自身の成績もそこそこ良かった。にも関わらず、クビを切られてしまった。再就職を志すも、ことごとく失敗。
 当然、これまでの生活を維持できなくなり、住宅ローンの支払も滞る。そして、家を手放してしまう羽目に。妻には見限られ離婚。
 幸い家はすぐに売れ、ローンの残りは元妻に半分持っていかれた退職金で何とか支払ことができた。
 寿野の手元に残ったのは、わずかな蓄えと息子だけだった。

 情けなかった。
 川面を漂う根無し草のように、流れに抗えない自分が情けなかった。
 自分だけならまだしも、自分の情けなさが息子にまで及ぶのは、耐えられない。
 そのためにも、何とか再起したい。
 しかし、縮み上がった心が言うことを聞いてくれない……

 リストラ、家の売却、離婚、不発に終わる再就職と、絵に描いたような不幸に打ちのめされた寿野は、完全に自分を見失っていた。
 うな垂れた父親が三人に責められているように見えた宏充は、気が気でなかった。
「お父さん……」と思わず席を立った宏充の肩に、福住はそっと手を置いた。
「大丈夫だ。今、お父さんは前を向こうとしている」
 いつの間にか自分の傍らにいる福住に目を丸くしながら、宏充は席に戻った。
 奥の部屋で胡坐を掻いて寿野の話に聞入っていた福の神は(噂ほど、ダメ男のようには思えんな)と見ていたが、財部、小禄、大黒の三人もまた似たような印象を持っていた。
 話を聞き終えた三人は神妙な顔をしていた。
 眉を寄せて腕を組んでいた財部が、重苦しい空気を振り払うように切り出した。
「なあ、寿野さん、そうあんまり自分を責めなさんな。少しばかり巡り合わせが悪かっただけだ」
「えっ……?」と顔を上げた寿野に、小禄も優しく声を掛けた。
「そうだよ。あんたみたいに頑張ってる人間を簡単に捨てるような会社や女房なんか、さっさと忘れちまいな」
 財部と小禄は持てる言葉をフル動員して寿野を励まし続けたが、自信を無くした寿野には今ひとつ響かなかった。
「はぁ……」と溜息とも、返事とも、分からない曖昧な答えが寿野の口から漏れていた。
 そこに、ここまで沈黙を守っていた大黒が、突然ガシッ!と寿野の肩を掴むと、出目を一層剥いて見据えた。
「寿野さん、あなたは決してダメなんかじゃない。あなたがダメなら、あいつはどうなんですか?」
 思いがけず肩を掴まれて目をしばたたかせる寿野は、大黒が指差す方に目を移すと、そこには、つい先日自分の健康を気遣うねこまんまを出してくれた福住がいた。
「いいですか、寿野さん。今でこそ、この食堂の主に治まってますが、学生の頃のあいつはね、部活でもバイトでも、何かあるとすぐにムクれて辞めてしまう、そりゃもう、とんでもないヘタレだったんですよ!」
「えっ! 本当なんですか!」
 まさか、あの心優しい店主がそんなヘタレとは思いもしない寿野は、目を白黒させて大黒と福住を、それぞれに交互に目をやった。
 これまでにない寿野の食い付きの良さを見た財部と小禄は、さらに福住の若き日のダメッぷりを並び立てた。
「ああっ、そうだよ。こんな小さい頃から塾にしろ、習い事にしろ続いたためしがない。さっき店長も言ってたけど、学生の頃なんか非道いもんで、先輩に嫌味言われたとか、あの店は人使いが荒いとか言っちゃあ、あっちフラフラ、こっちフラフラしてね、ヘタレを通り越して、人としてどうかと思うほどだったよ」
 手をヒザの辺りにかざして、さらにコキ下す財部に、小禄も吐息を漏らして頷いた。
「うんっ、社会人になってからも、その辺はあまり変わらなかったねえ。ほんと、口だけは達者で……」
 言いたい放題の三人に、福住は腕を組んで奥歯をギリギリ軋ませながら耐えていた。
(クッ、クソッ……。事実だから、なんも言い返せん……)
 この時ほど、福住は若き日に己の仕出かしたことを悔やんだことはなかった。
「おじさん、大丈夫?」
 下から自分を気遣う声に目をやると、不安げに見詰る宏充がいた。
 かつて、何も訊かずにタダで飯を食わせてくれた福住の存在は、後光が射すほど、宏充にとってありがたいものだった。
 しかし、その後光もすっかり影を潜めた今の福住の姿は、ただのやつれたおっさんにしか宏充の目には映らなかった。
「おじさん、ほんとな――」
「訊くな! 宏充!」
「…………」
 真直ぐな目で見詰る宏充の言葉を遮り、思わず視線を逸らせて「武士の情け」とばかりに語気を強めて前を見る福住に、宏充はただ黙って頷いた。
 これまで嫌と言うほど大人の事情に振り回らせてきた宏充らしい心遣いである。
 一方、寿野の反応に確かな手応えを感じた大黒は、調子こいてとんでもないことを口にした。
「寿野さん、さっきあなたは、自分のことを川面に浮かぶ根無し草のようだと言ってましたが、あなたが根無し草なら、あいつは宇宙に漂うデブリですよ!」
―デブリ―
 それは「スペースデブリ」と呼ばれる、役目を終えた人工衛星や打ち上げ時に切り離されたロケットの残骸など、何ら意味のある活動を行うことなく、ただ地球の衛星軌道上を回り続けているゴミのことである。宇宙開発に伴ってその数は年々増え続け、近年その対策が急務となっている。
 ついに自分のダメっぷりが宇宙レベルになると、福住は怒りを通り越して沈黙した。
 そして、福住を一通り罵倒した三人は、店の存亡を賭けた「ねこまんま勝負」の経緯を話すと、寿野は目をしばたたせた。
「えっ、そんな勝負に? 本当に乗ったんですか?」
 信じられないといった顔をする寿野に、財部は困り顔を見せた。
「寿野さん、まあ、あんたがそう思うのも無理はない。どう見ても負け戦だ。こんな勝負に乗るんだから、馬鹿だよ」
 小禄は「うんっ」と呆れ顔で頷いて、
「ねこまんまで本気で勝つ気なんだから、大馬鹿だよ」と、言い放てば、大黒が出目を剥いて止めを刺した。
「でもね、寿野さん、馬鹿は馬鹿なりに、必死で戦ってるんですよ。負けを承知の上でね!」
 話がねこまんま勝負に及ぶと、ゴミ呼ばわりされていた福住も、さすがに黙ってはいられない。
「おいっ、勝手に決めるな! まだ負けと決まった訳じゃない!」
 声を大にして抗議する福住に、三人は間髪入れずに顔を顰めて切り返した。
「あんっ!!」
「うっ……」
 吠える福住など取るに足らんばかりに、三人は凶暴な返事と共に軽く返り討ちにした。
「おじさん、大丈夫?」
 またしても不安げな声が、下から福住の耳に入った。見れば、宏充がジッと見詰ていた。
 福住にしてみれば、別に自分のやらかした過去を訊かれた訳でもない。宏充にしても、理由も訊かずにタダで飯を食わせてくれる優しいおっさんだった。
 しかし、今三人によって自分の忌まわしいヘタレな過去と、負けも同然のねこまんま勝負がいとけな子供の前で晒されてしまった。
(たっ、頼む。そんな目で見ないでくれ……)
 宏充の穢れのない瞳に触れた福住は、言いようのない罪悪感にかられた。
「だっ、大丈夫だ……。おじさん少し奥で休んでくる……」
 肩を落としてスゴスゴと奥へ引き下がる福住の背中に、宏充はそっと呟いた。
「がんばれ、おじさん……」
 覚束ない足取りで奥に引っ込む福住を見送った三人は小鼻を膨らませて、改めて寿野を鼓舞した。
「あんた、焦っているだろう。何とかしなきゃてっ。でも、こういう時こそ、悪いことがいつまでも続く訳がないとドン!と構えて、周りをよく見るんだ。八方塞のように見えても必ず道はある。今が踏ん張り所だ!」
「そうだよ。あんな可愛い子がそばにいるんだよ。踏ん張りきれるって!」
「寿野さん、あんなダメ男でもなんとか踏ん張ってる。あなたにできないはずがない!」
 三人の熱の入った言葉に、いつの間にか寿野の頬にツーッと光るものが流れた。
「うっ、うっ、ありがうございます……。こんな私に……、ありがうございます……」
 涙を拭うのも忘れ頭を下げる父親の姿を見た途端、宏充は堪らず声を上げて駆け出した。
「お父さん!」
 寿野が聞いたこともない大声で駆け寄る息子の顔が滲んで見えた。
 涙でぼやける小さな姿が「お父さん、お父さん」と呼びながら次第に大きくなって、寿野の大きな胸に飛び込んだ。
 その小さく温かな身体を、想いと共に寿野はしっかり受け止めた。
「宏充、大丈夫だ。お父さん、大丈夫だから、大丈夫だから……」
「ほんとう? ほんとうに大丈夫なの?」
 必死に訊く宏充を安心させるように、寿野は涙の跡が残る顔で優しく頷いた。
「ああっ、大丈夫だ。この人達はお父さんを励ましてくれているんだよ」
 寿野がそう言って目をやると、三人は照れ臭そうに頷いた。
「まあ、そうなんだが、そう面と向かって言われると、何だかケツがこそばゆくなるな」
 財部がまんざらでもなそうにハゲ上がった頭を掻いていると、
「別に大したことないよ」と、小禄は顔を綻ばせ、
「寿野さん、また前を向いていきましょう」と、大黒は出目がわからくなるくらい目を細めていた。
 寿野が再び息子に目を戻すとキッパリと言い切った。
「宏充、この人たちの励ましもそうなんだか、何よりお父さんの励みになったのは、私よりはるかにダメなのに、それでも踏ん張っている、福住さんの姿なんだよ!」
「えーーっ! あんなにダメなのに!」
 いくら宏充が大人の言動に敏感といっても、そこはまだ子供である。やはり、思ったことをそのままを口にする。
 息子の一言に寿野が笑い出すと、三人もつられて笑い出した。
「あはははっ。宏充、失礼なこと言うんじゃないよ。くくくっ」
「いやっ、その子の言う通りだ。はははっ。何とか首の皮一枚?がってるけどなあ、小禄さん。はははっ」
「財部さん、上手いこと言うねえ。ふふふっ」
「ええっ、いつ切れてもおかしくないんですけとね。アッハッハッハッ。これが実にしぶといんですよ。アヒャヒャヒャ」
 下町特有の騒がしくも、ほっこり温かい光景を福住は奥の部屋の上がり框に腰を降ろして力なく眺めていた。
(チッ、いい気なもんだ。人を散々ボロカスに言いやがって……。こんなことなら、あのガキに飯なんぞ食わせるんじゃなかった)
 などと、少々穏やかでないことを考える福住の丸まった背中に、福の神が陽気に声を掛けた。
「良かったのう。これであの寿野とかいう者も、少しは前を向く気になったじゃろう。まぁ、わざわざワシが出張ることもなかったということだ」
 福住は肩越しにチラッと福の神を見ただけで、すぐに前に向き直した。
「どうした? 何か不服か?」
「いやっ別に……。ただ……」
 前を見たまま素っ気なく答えた福住は、そこで口をつぐんでしまった。余計な一言を口にして、また返り討ちに会っては敵わないと福住は思っていた。
「どうしたんじゃ? ほれ、ミィーちゃんも聞きたがっとるぞ」
 再び福住が肩越しに振り返ると、竿を肩に置いて恵比寿顔の福の神が立っていた。
 その傍らでは、少し心配そうに主を見詰るミィーちゃんが、前脚を揃えてお行儀良くお座りしている。
 福住は前を向き直すと、ぶつくさ文句を垂れ始めた。
「ただね、俺は俺なりに、ここ二ヶ月、必死でここを切盛りしてきたんですよ。それを見向きもしないで、やたらと昔のことや、まだ決まっちゃいないねこまんま勝負のことまでガタガタ言われたら、堪りませんよ」
 捨鉢気味に毒吐く福住に、「なんじゃ、そんなことか」と事も無げに言った。
「えっ? そんなことって!」
 上半身をよじって睨み付ける福住を、福の神は「まあ、落ち着け」と諭すように言うと、その場で胡坐を掻き始めた。
「よっこらしょと。おい、そんな恐い顔をするな。いいか、人の評価など、そう簡単に変わるものではない。これまでに仕出かしたことと比べれば、お前がここ二月ばかりやってきたことなど、鼻クソみたいなもんじゃ」
「はっ、鼻クソ……ッ」
 福の神の言い草に、福住はわずか二ヶ月とはいえ、あけぼの食堂を死に物狂いで切盛りしてきたことを全否定されたような気がした。
「じゃが、鼻クソのようなことでも、お前が日々疎かにせずに誠を込めてやれば、やっただけお客さんも付いてきた。あの父子も含めてな」
 そう福の神は言うと肩に掛けた竿を手にして、スーッと前を指した。
 福住もつられて竿の指す方を見ると、和やかに談笑する父子と三人がいた。
「それで、良しとすることだ」と、福の神は恵比須顔で穏やかに言った。
 寿野が笑っている。
 その姿をはち切れんばかりの笑顔で見る宏充がいる。
 財部が大きく出た腹を揺らしながら笑っている。
 小禄が身振り手振りで笑っている。
 大黒も出目を細めて笑っている。
 どん底に沈み込んだ父子に戻った笑顔に、誰もが喜んでいる。
 それぞれの笑顔を見ているうちに、福住の表情が幾分和らぐと、福の神はまた声を掛けた。
「それとなあ、あと――」
「えっ、まだあるんですか?」
「ああっ、ある。あるから黙って聞け」
 改めて福住が向き直すと、福の神は恵比須顔のまま平然と言って退けた。
「人いうのは不思議な生き物でなあ、今の自分がいくらダメでも、もっとダメな奴を見ると『ああっ、まだ大丈夫だ。自分はこいつよりはマシだ』という風に思えきてな、何かと力が沸いてくるもんだ」
 一瞬、何を言っているのか飲み込めない福住は、きょとんとして改めて訊いた。
「それって……、ひょっとしたら、こんなに頑張っている俺が寿野さんよりもダメてっことですか?」
「まあ、お前のダメッぷりが、たまには他人様の役に立つこともあるということじゃ」
「――――!!」
 ガラガラ! ビッシャ!
 この時、これまで経験したことのない凄まじい雷撃が福住の身体の芯を貫いた。
 ここにもまた、大黒とは違った意味で、福住に容赦のない言葉を浴びせる者がいた。しかも、神様である。加えて、その鬼のような神様は、人が触れられたくない生乾きの傷口に、平気で大量の塩を塗り込む。
 雷撃に貫かれた福住はあまりの衝撃にヨロヨロと前を向くと、ガクッと肩を落として大きくうな垂れ、そのまま白い灰になってしまった。
 その姿は、某名作ボクシング漫画に登場する己の全て出し切って燃え尽きる主人公のように、決して胸を打つ姿ではないことは、言うまでもない。
 吹けば、今にも消し飛んでしまいそうな主の背中に不安を覚えたミィーちゃんは、急いで福住の足元に駆け寄った。
 一方、灰に変わり果てた福住のことなど、頭の片隅にも残っていない父子と三人は、まだ笑顔を交えて語らっていた。
「まだこんなに笑えるなんて、自分でも驚いています」
 久々に腹の底から笑えた寿野の柔らかな表情に、財部と小禄の顔にも安堵の色が浮かんでいた。
「ああっ、それだけ笑えりゃ大丈夫だ。決して焦りなさんな」
「うんっ、人間慌てると、碌なことがないからねえ」
 笑みを浮かべて頷く父親を見て、宏充も喜びで胸が一杯だった。
 ただ、大黒だけが一人小難しい顔をして腕を組んでいた。
 その様子に気付いた財部が首を傾げた。
「店長、どうしたんだ? さっきから黙って、何か納得できないことでもあるのか?」
「そうだよ。みんな丸く収まったじゃない」
 小禄の頭にも「?」マークが付いていた。
 何やら得心のいかない大黒がようやく口を開いた。
「ええっ、寿野さんはまた前を向けるようになったし、宏充君もそれを喜んでいる。それは、それでいいんですが……」
 奥歯にものが詰まったようなもの言いに、財部は少し焦れた。
「だったら、それでいいじゃないか。何に引っ掛かってんだ?」
「それなんですが、何か忘れているような、いないような……?」
 大黒は一息入れると、真顔で財部に訊いた。
「財部さん、なぜ我々はこうして仲良く打ち解け合えるようになったんでしょう?」
「そりゃ……。何だったけ、小禄さん?」
「そうね、言われてみれば……。寿野さん、あんた分かるかい?」
「いやっ、私に聞かれても……。何でしょうね?」
 腕を組んだ大の大人が四人揃って考え込む中、宏充が不意に訊いた。
「ねえ、おじさんのは?」
「あっ!!」
 一度に声を上げた四人は、慌てて福住が消えた奥の部屋に目をやった。
 そこには、上がり框に腰を降ろしたまま、うな垂れる真っ白な灰になった福住の姿があり、そのダラリと下げた腕の指先を、ミィーちゃんは慰めるように優しく舐めていた。


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