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作品名:ねこまんま食堂 作者:真柴 文明

第20回   二十.父と子
 翌日の夕方、夜の営業が始まる前、福住はいつもと変わらず、厨房でみそ汁の準備に取り掛かっていた。
 客席側では、仕事の都合で来れない財部と大黒に代わって小禄一人がテーブル席で宏充が現れるのを待っていた。
 そこへ、息を切らせた宏充が店に入って来た。
「はあ、はあ、おじさん、こんばんは!」
「おっ、来たか」
 具材の下拵えの手を止めて福住微笑むと、宏充はいつも座るカウンター席の真ん中に腰を落ち着けた。
「今日はなんにする?」
 優しい眼差しで訊く福住に、宏充も白い歯を見せて応えた。
「おじさんの作るものなら、なんでもいい!」
「そうか、少し待ってろ」
 踵を返した福住は、財部から貰ったクズ野菜の大根、ニンジン、キャベツを慣れた手付きで千切りにし、小皿に乗せてレンジで軽く温めた。
 続いて炊飯保温ジャーからあったかごはんを茶碗に盛ると、「チーン!」と終了の合図と共に、ふんわりとしたほのかな湯気が立つ千切り野菜をレンジから取り出し、丁寧にご飯の上に乗せ、ちりめんじゃこをタップリと掛けた。
 福住は菜箸で器用に野菜とジャコがテンコ盛りのあったかご飯の中央に窪みを作ると、冷蔵庫から生玉子を一つ取り出し、作業台の角で割ると、その窪みに慎重に落とした。
 仕上げに?つゆとゴマ油をサッとたらして「クズ野菜とジャコの玉子掛けねこまんま」の完成である。
 世間ではこれを「玉子掛けごはん」あるいは「T・K・G」と呼んでいるが、福住はあくまでも玉子を掛けた「ねこまんま」と言い張った。
 福住はこれにお昼に残ったみそ汁を付けて、カウンター越しにワクワクしながら待つ宏充の前に出した。
「うあー、たまごのやつだ!」
「玉子のやつ好きだろう。よく混ぜるんだぞ」
「うんっ!」
 子供らしく元気よく答える宏充は、目をキラキラさてねこまんまを混ぜると、勢いそのままに頬張り始めた。
 目を大きく見開いて掻きこむ活気に満ちた宏充の食べっぷりに、福住も自然と目を細めていた。
 そんな二人の姿を、傍らのテーブル席で眺めていた小禄は何気なく(これだけ見てると、本当の親子みたいだねえ……)と思った。
 しばらくして、最後に宏充がみそ汁を飲み干して手を合わせるのを見計らうと、小禄は声を掛けた。
「ねえ、僕、美味しかった?」
 突然背後から声を掛けられた宏充は、ビクッと身体を強張らせた。
 おっかなびっくりに振り向くと、会ったこともないお婆さんが笑みを浮かべてテーブル席にいた。
 ここに来れば、ねこまんまにしか興味がない宏充は、小禄の存在など、最初っから頭になかった。
 そんな空気のような小禄から思いがけず声を掛けられて、宏充は困惑していた。
「大丈夫だ。おじさんの知り合いだ」
 その不安を見透かした福住が優しく声を掛けると、宏充は幾分か警戒心を解いた。
「初めまして。私はね、すぐ近くで駄菓子屋をやっている小禄てっもんだけど、寿野さんの息子さんよね?」
 宏充は緊張した面持ちでコクリと頷いた。
「そう、よかった。実はね、僕にお願いがあるのよ」
 何のお願いなのか、予想もつかない宏充は再び緊張した。
「あのね、お父さんにちょっと話があるから、この食堂に連れてきて欲しいのよ」
「えっ……」と小さな声を上げた宏充は、目を瞠ったまま口を固く結んで下を向いてしまった。
「あらっ、僕どうしたの? おばさん、何か気に障ること言ったかい?」
 目を丸くして訊く小禄に、宏充は俯いたまま押し黙った。
(あーーあっ、こうなったらテコでも喋らんからなあ……)
 小さな背中を見詰ながら、福住は宏充と初めて出会ったときのことを思い出していた。
 タダで飯を食わせてもらっている福住の知り合いとはいえ、夜間の警備で疲れ切って帰ってくる父親を連れ来るなど、宏充にはとてもできることではなかった。
 それに、ここでタダ飯を貰っていることが父親にばれたらと思うと、それだけで宏充の小さな胸は縮み上がった。
 小禄は貝のように口を閉じて黙り込む宏充と、何とかやり取りを試みたが、すべて跳ね返されてしまった。
(ふーっ、まいたわね。こんな強情な子、初めてだよ……)
 長年この地域で駄菓子屋を営み、子供の扱いにも慣れている小禄も、とうとうサジを投げてしまった。
 ふっと小禄が厨房から宏充の背中を見守る福住と目が合った。
 しかし、福住は目を閉じて、顔を左右に小さく振るだけだった。
 手詰まり感が漂う中、小禄は年の功とばかりに一計を案じた。
「ねえ、僕、ここのおみそ汁、とっても美味しかったでしょう?」
 話が父親から逸れると、宏充は顔を上げて小さく頷いた。
「でも、それだけじゃないのよ。どんな人でも元気になる不思議なみそ汁なの」
「ほんと?」
 用心深く覗き込むように訊く宏充に、小禄はニッコリ笑って頷いた。
「だからね、お父さんにもどうかなと思って、僕に頼んだの」
 カウンター越しに聞いていた福住は、腕組みしながら少々呆れ返っていた。
(ふんっ、子供相手にいくらなんでも、それはないだろう。今時そんなバカげたファンタジーまがいの話を信じる訳がない)
 が、鼻で笑う福住の予想に反して、宏充の明るい声が響いた。
「うんっ! あしたお休みだから、お父さん連れて来るね!」
(はいっ? 信じんの、こんなウソ臭いみそ汁の話? 気は確かか、宏充――っ!)と、小さな背中に顔を強張らせて福住は突っ込み倒した。
 宏充にしてみれば、バカげたファンタジーまがいの話であろうが、ウソ臭いみそ汁の話であろうが、何でもよかった。
 少しでも父親が元気になるならと、藁をも掴むような想いが常に小さな胸の中にあった。
 小禄が「じゃ、明日ね」と約束を交すと、宏充は笑みを浮かべて大きく頷いた。
 そして、笑みを浮かべたまま店の出入り口に立つと「おじさん、おばさん、ありがとう!」と、丁寧にお辞儀して走り去った。
 あまりの展開に呆然と宏充を見送る福住が、独り言のようにほやいた。
「どうするんですか? 信じ込んじゃったじゃないですか……」
「どうも、こうも、後はあんたの腕次第。じゃ、頼んだからね」
 そう言って、小禄はポンッと腕を叩くと、涼しい顔でサッサッと店を後にした。
 厨房に一人残された福住は「どうすりゃいいんだ……」と腕を組んだまま、首を垂れて考え込んでしまった。
 ガックリと肩を落とす福住の姿を見ていた福の神が奥の部屋から励ますように声を掛けた。
「おいっ、そう大げさに考えるな。会ったこともない奴のことを、今からあれこれ思案しても疲れるだけじゃ」
 その言葉に「えっ?」と声を上げて奥の部屋に顔を向けた福住の目に飛び込んで来たのは、座布団で箱座りするミィーちゃんの横っ腹をソファー代わりにもたれて足を投げ出し、大いにくつろぐ福の神の姿だった。
 その途端、福住は「…………」と、声と同時に色も失った。
「なんじゃ、その顔は。言いたいことがあるなら、ちゃんと口にしろ」
 口にしなくても、あんた人の心の声が聞こえるんでしょと、福住は思ったが、気を取り直して福の神に訊いた。
「じゃ、とりあえず、どうしたらいいんですか?」
 福の神はアゴヒゲに手をやりながら「そうじゃなぁ……」としばらく思案を巡らせた。
「まあ、とりあえず、そのまんま受け入れてやれ」
「はぁ?」
「だーかーらっ、そのまんま受け入れてやれてっ言うとるじゃろう」
 寝そべりながら、投げやり気味に言う福の神に、福住は目をしばたたかせた。
「そいつが、何か話すんなら、黙って聞いてやればよし。話さないなら、しばらく放っておけ」
「それだけでいいんですか?」
「ああっ、あの財部とかいうハゲおやじの言う通り、無理矢理話をしたところで、何も心に響かん」
「でも、宏充のためにも、その……、少しくらい話できませんか?」
 寝っ転がりながら、福の神は億劫そうに訊いた。
「お前、今まで何見とったんじゃ。これまでワシ絡んでヘマをしたことがあるか?」
「いっ、いえっ」
 福住は小刻みに顔を左右に振っていたが、食堂の再開にしろ、田神のことにしろ、小布施のことにしろ、どこか結果オーライ的なものに見えていた。
 そんな福住の心根を察したのか、突然、福の神が鋭くピッ!と竿先を突き付けて言い放った。
「福の神、なめんな!」
 荒々しく竿先を向けられ、反射的に固まる福住は思った。
(あっ、このフレーズ、なんか懐かしい……)と。

 次の日の夕方、色取り取りの草花が咲き乱れる川沿いを、宏充は急かすように父・寿野 孝幸の手を引きながら、あけぼの食堂を目指していた。
「お父さん、早く、早く!」
「分かった、分かったから、もう少しゆっくり歩かないか?」
 慣れない夜間警備の仕事に疲れ切っていた寿野は、休みの日くらい部屋でゆっくりしていたかったが、日頃聞き分けのいい息子が強引にあけぼの食堂のみそ汁を勧めるので、疲れた身体を引きずりながら行くことにした。
 また、リストラや家の売却、離婚にと、いつも大人の事情に振り回されても文句一つ言わないで、自分に付いて来てくれた息子が不憫でならなかった。
 二人が食堂に着くと、夜の営業前もあって、暖簾やいつものボードはまだ表に出しておらず、客も一人もいなかったが、財部と小禄だけがカウンター席に陣取っていた。
 寿野父子は軽く二人に会釈して通り過ぎると、一番奥のテーブル席に着いた。
 初めて寿野を目にした財部が脇にいた小禄に目配せした。
「あれが寿野さんかい? なんとも頼りない背中だな」
「ええっ。やっぱり、ダメを絵に描いたような男なんだねえ」
 無精ひげを生やした疲れ顔にボサボサ頭。薄汚れた貧乏臭いシャツに、ヨレヨレのズボンを穿いた寿野の姿に、二人は顔を顰めて残念がった。
 同じ頃、大黒はスーパー・トリイで店長らしく忙しく立ち回っていた。夕方の客で立て込むスーパーからどうしても抜け出せない大黒は、何かあったらメールを送るように二人に頼んでいた。
 その大黒のスマホにメールの着信音が鳴ると、「ちょっと、ここ頼む」と部下に売り場を任せて、急いで従業員トイレへ駆け込んだ。
 大用の個室に入り込むと、大黒は胸を踊らせながらメールを読み上げた。
「寿野父子到着か。頼んだよ、まこっちゃん!」
 大黒がトイレで福住にエールを送っていた同時刻、寿野は席に着いたものの、少し違和感を覚えていた。
 息子から普通の食堂だと聞かされていたが、壁にはお品書きらしき札が一切貼られていない上に、カウンター席と分ける高さ二〇センチほどの仕切りの上には、やたらと缶詰や瓶詰め、多種多様な調味料が所狭しと置かれ、中には誰かの名前が書かれたポテチまであった。
「なあ、宏充。ここ本当に食堂なのか?」
 少し戸惑う父親に、宏充はテーブルの端に置かれたA4サイズの小冊子を指差した。
 息子に促された寿野が小冊子を手に取って開くと、真っ白な紙に大きく書かれた例の文言が目に入った。
「組合せは自由。好き勝手にあなただけのねこまんまを楽しんで下さい……?」
 そこへ、お盆に水の入ったコップを乗せて「いらっしゃい」と福住が声を掛けて現れると、寿野はここぞとばかり訊いた。
「あのっ、これどういうことなんですか?」
「ああっ、それですか――」と、福住は簡単にねこまんま食堂の楽しみ方を説明した。
「へぇ〜っ、自分で作るんですか」
「ええっ、でも何かお困りでしたら、いつでも呼んでください」
 話終えた福住がふっと宏充に目をやると、口の前で人差し指を立てていた。
「だまっていてね」とサインを送る宏充に、福住はふっと笑って小さく頷いた。
 福住が「じゃあ」と踵を返すと、思わず寿野が呼び止めた。
「あっ、すいません。初めてなもので、何をどうしていいのか。手伝ってもらえたら、ありがたいんですが……」
 自信なさ気に頼む寿野に、福住は微笑みながら答えた。
「何か適当に言ってくれれば、私が作りますよ」
「助かります。最近、疲れ気味でさっぱりとした食べやすいものをお願いします。それと、みそ汁も」
 父親が自分が推すみそ汁を忘れず注文してくれたことに、宏充は気を良くしていた。
 そんな息子に寿野は目を細めて訊いた。
「宏充は何にする?」
「たまごのやつ!」
 父子から注文を受けた福住は「少々お待ちください」と、踵を返して厨房に入った。
 福住は炊飯保温ジャーからあったかごはんを茶碗によそおうと、削り節をたっぷり掛けた。そして、仕切りの上に置いてあるちりめん山椒の袋を取ると、削り節が踊るあったごはんの上に惜しみなく適量振り掛けた。
 フィニッシュに温かい緑茶を注げば、「ちりめん山椒の茶漬け風おかかねこまんま」の完成である。
 福住はしばらくこのまま置いておくことにした。こうすることによって、ちりめん山椒の旨みが染渡り、ねこまんま全体に深味が出るのである。
 続いて福住は冷蔵庫から粗挽きウインナーを二本と生玉子一個、それに口の開いたスウィート・コーンの缶詰を取り出した。
 粗挽きウインナーは、ラップで包んでレンジで数十秒加熱。
 その間に、素早くあったかごはんを茶碗に盛る。チーン!と加熱終了の合図と共に、レンジから取り出したウインナーを輪切りにし、あっかたごはんに散りばめた。
 福住は菜箸で散りばめたウインナーを丁寧にどけながら、中央に窪みを作り、生玉子を割ってその中に落とした。
 最後にスウィート・コーンを適量茶碗の脇に添えて、市販のハンバーグ・ソースを掛け、「粗挽きウインナーとスウィート・コーンの玉子掛けねこまんま」の完成である。
 この二品にみそ汁を付けてお盆に乗せると、福住は割れ物を扱うように静々と運んだ。
 ちなみに、本日のみそ汁の具は、しめじとキャベツである。
 福住が「お待ちどうさま」とねこまんまとみそ汁を、それぞれ二人の前にそっと置いて「ごゆっくり」と立ち去った。
 宏充は「いただきます!」と手を合わせると、箸で黄身を潰して勢いよく混ぜ合わせた。
 黄色と褐色が程よく混ざり合ったごはんと一緒に輪切りのウインナーを口一杯に頬張る息子の食べっぷりを、寿野は自分のねこまんまに箸も付けずに見入っていた。
「美味しいか?」
 みそ汁で一息入れる息子に、寿野は目を細めていた。
「うんっ! おいしいよ。今日はお父さんといっしょだから、とってもおいしい!」
 いつもは昼夜逆転の仕事に疲れ果て、碌な話もせずに寝てしまう父と、今日は久しぶりに互いの顔を見ながら食事ができた。
 それが例え、古ぼけた食堂でのしょぼい食事でも、宏充にとって、掛替えのないものだった。
「お父さんも食べなよ。あっ、さいしょはみそ汁から」
「そうか。じゃあ、みそ汁から……」
 息子に勧められるまま、寿野がみそ汁を口にすると、思わず「えっ!」と声を上げた。
(まさかこんな食堂で、これほど柔らかで風味のあるみそ汁を飲めるとは……)
 目を白黒させてみそ汁を見詰る父親に、宏充は不安げに訊いた。
「どう? お父さん、おいしくない?」
「いっ、いやっ。すっごく美味しい。あんまり美味しいんで、お父さんビックリしたよ」
「よかった! それに、そのおみそ汁、飲めば元気が出るんだよ!」
 満面の笑みで、うそ臭いみそ汁の効能を喋る息子の姿に、寿野は「そうか、そうか」と顔を綻ばせて何度も頷いた。
 カウンター席からそれとなく、寿野父子のほのぼのとした食事風景を見ていた財部と小禄は、少し首を傾げていた。
「なあ、小禄さん。寿野さんてっ人、それほどダメ男には見えないんだが……」
「そうだねえ、思ってたほど、ヤサグレちゃいないみたいだし……」
 二人のそんな印象など知る由もない寿野は、ちりめん山椒のねこまんまにを手にして一口食べてみると、こちらも思わず「んっ!」と頷いた。
 ピリリッと爽やかな後味が残る山椒と、ほんのり甘みがするちりめんは、互いに程よく主張し合い、緑茶で少しふやけたごはんにピッタリ! 後か来るおかかの出汁も、いい塩梅になっている。
 離婚してからというもの、主に揚げ物の弁当を口にしていた寿野にとって、箸休めのような「ちりめん山椒の茶漬け風おかかねこまんま」は、疲れ切った胃腸にありがたかった。
 一口食べた寿野は、茶碗を口元に運んで豪快に掻き込んだ。
 ズッ、ズッズッーー、んっ、んっ。
 ズッ、ズッズッーー、んっ、んっ。
 しばらく見ることのなかった父親の景気のいい食べっぷりを、宏充は顔にパッと花を咲かせたように見ていた。
(お父さんが元気に食べてる。みそ汁がきいたのかな……?)
「んっ、どうした? 宏充も食べなさい」
「あっ、はーいっ!」
 促されて、箸を止めていた宏充も父親と同じようにねこまんまを再び掻き込み始めると、寿野は目に寂しい色を滲ませていた。
「ごめんなっ、こんなお父さんで……」
 何の前触れもなく突然謝る父親に、宏充はねこまんまで膨れ上がったほっぺを左右に振って、ゴクリと飲み込んだ。
「んんっ、お父さんがんばってる! 毎日、夜のお仕事がんばってる! ほらっ、みそ汁飲んで。元気が出るから」
 真直ぐな目で自分にみそ汁を勧める息子に、寿野は目頭を押さえながらみそ汁をすすった。
 カウンターで父子のやり取りを耳にしていた財部と小禄も、目に薄っすらと泪を浮かべていた。
「小禄さん、どうやら見立て違いみたいだな。でっなきゃ、あんないい子に育つはずがない」
「うんっ、見た目はダメ父親でも、きっといい所があるんだよ」
 となれば、後は福住 誠、頼んだぞ! お前のありがたい話をしょぼくれたおっさんに聞かせてやれ! 
 二人は互いに目を合わせてグッとアゴを引くと、熱の入った視線を厨房にいる福住に浴びせた。
 が、浴びせられている当人は、いつもと変わらず、淡々と夜の営業の準備をしていた。
「んっ? 大丈夫かな、小禄さん? どうもやる気があるようには見えないんだが」
「そうだね、少し心配だね……」
 二人の不安をよそに、父子が食事を済ませると、福住は厨房から出て父子のテーブルに向かった。
「小禄さん、行ったぞ!」
「よいよだねえ、財部さん!」
 しかし、心躍らせる二人の想いとは裏腹に福住は、これといったことを話すでもなく、落ち着いた口調でねこまんまのことを訊いた。
「どうでした、ちりめん山椒の茶漬け風ねこまんまは?」
「あっ。ありがとうございます。美味しかったです。それに、すんなり食べることができました」
 予想外の美味しさと食べやすさに目を細める寿野に、福住はちりめん山椒の効能を説明した。
「山椒の実には内蔵機能を高め、食欲を増進させる働きがあるんですよ。そして、ちりめんじゃこには、カルシウムといった骨や歯の形成に欠かせない栄養素もあるんですが、魚の油に含まれる脂肪酸のDHAやEPAも多く含んでいます」
 福住は、以前の自分もそうだったように、寿野が揚げ物中心の雑な食生活を送っていると見ていた。
 そんな油まみれの食事を続けていれば、胃腸も弱り、いずれ心筋梗塞や脳梗塞、動脈硬化といった生活習慣病につながる。
 DHAやEPAは、これら病の予防に役立つ、とてもありがたい脂である。
「まあ、そんな訳で、こちらで適当に見繕って出したんですが、気に入ってもらって、よかったです」
「そうだったんですか……。改めて、ありがとうございます」
 少し驚いて礼を述べる寿野に、福住は照れ臭そうに「いえっ、いえっ」と鼻の頭を掻いていた。
 このように、福住が食材に関する豆知識をひけらかせることができたのも、かつて心血を注いだ「ねこまんま研究」の賜物なのかもしれない。人生、何が幸いするか分からない。
「同類相憐れむ」ように、やつれ顔のおっさん二人が和む中、突然、宏充が割って入って来た。
「ねぇーっ、おじさん、ぼくのは?」
 口を尖らせて訊く宏充に、福住は目を丸くし、寿野は慌てた。
「こっ、こら、宏充。初めて会う人に何てこと訊くんだ」
「すいません」と謝る寿野に(別に初めてじゃありませんから……)と思いつつ、福住は少し考えた。
「そうだな……。子供はウインナーが好きだからな。そいつをテキトーに入れときゃ、何とかなると思った」
「えーーっ! テキトーなの?」
 人なつっこく文句を垂れる宏充に、福住は微笑みながら「ああっ、テキトーだ」と答えたが、寿野は「すいません……」と、さらに小さくなった。
 小さくなった寿野が「じゃ、そろそろ」と腰を上げてズボンの後ポケットから使い込んだ財布を出すと、福住は手のひらを見せて止めた。
「今日は息子さんに無理を言って来て頂いたので、お金はいいです」
「えっ? えっ?」と驚いた寿野は、福住と息子の顔を交互に見た。
 宏充も顔を強張らせていると、福住はシレッと言って退けた。
「息子さんは最近、よく来てくれるようになった常連さんなんです」
 一瞬、ここでねこまんまをタダで食べさせて貰っているを、バラされると思っていた宏充は、福住の言葉にほっと胸を撫で下ろした。
「なんだ、宏充。それなら、そうと言ってくれれば、よかったのに」
「うっ、うんっ。おどろかせて、ごめんなさい……」
 しょげ返る息子の頭をクシャクシャに撫でながら、寿野は「これからは、ちゃんと言うんだぞ」と微笑んだ。
「でも、本当にいいんですか?」
 今一度、代金のことを確かめる寿野に、ニッコリ笑って答えた。
「ええっ、構いません。ただし、次からはいただきます」
 奥の部屋でミィーちゃんに寄っ掛かりながら福の神は、昔日を懐かしむような遠い目をして(なんか、奴の爺さんみたいじゃな……)と、かつての幸造と恵比原の出会いを二人に重ね合わせていた。
 ふるぼけた食堂の片隅に、ほっこりあったかい空気が流れていた。
 が、その空気に馴染めない者もいた。
「なんか、いい感じになっているんだが、少しズレてる気がしないか、小禄さん?」
「うんっ、なんかズレてるわねえ」
 首をひねる財部と小禄をカウンターに置き去りにしたまま、結局、福住はありがたい格言めいたことを一言も発することなく、父子を店の表まで送った。
「よかったら、いつでも入らして下さい」
「ありがとうございます。ぜひ、息子と寄らせてもらいます」
「やったーーっ!」
 寿野は小躍りして喜ぶ息子の手を取って「さあ、帰ろうか」と優しく促すと、宏充も父親の手を握って「うんっ!」と頷いた。
 濃いオレンジ色に染まる黄昏の中を、父子の長い影が仲良く手を繋いで帰ってゆく。
 つと、父子が足を止めて振り返り軽く会釈すると、福住もつられて頭を少し下げた。
 影で父子の顔はよく見えなかったが、どうやら笑っているようだ。
 再び夕陽に輝く川沿いの道を歩き始めた二つの影を、福住は飽きることなく西日に照らされながら、薄っすらと笑みを浮かべて見詰ていた。
 父子の姿が消えるまで見送った福住が食堂に戻ると、肩透かしを食らったように拍子抜けした財部と小禄がポツンとカウンター席に座っていた。
「なあ、誠君、何も言わないで帰したのかい?」
「そうだよ。何かか言ってやればいいのに」
 ありがたい言葉を期待していた二人は、福住の採った行動が不可解でならなかった。
 そんな二人に、福住は軽く吐息を漏らした。
「ふっ、今の寿野さんは失ったものばかりに気が取られています。何を言っても、心に届くことはありません」
 度重なる不運に、何も見えなくなってしまった寿野に小難しいことを言ってもムダだと判断した福住は、福の神の指示通りに行動したまでだった。
「だから、そのまんま受け入れて待つんです。寿野さんが気付くまで、俺はねこまんまとみそ汁を出して、待ち続けます!」
 力を込めてそう宣言する福住に、二人も「そうか、待ってやるのか……」と、ひとまず理解を示したが、財部が困り顔で訊いてきた。
「でもな、待ち続けると言っても、ここの『ねこまんま勝負』に負けたら、待とうにも待てないだろう?」
「えっ!」と目を剥いた福住に、小禄は呆れていた。
「あんた、まさか忘れてるんじゃないだろうねえ?」
 その途端、福住は血相を変えて表に飛び出し、父子が消えた夕闇に向かって、あらん限りの力を振絞って叫んだ。
「頼むから、早く気付いてくれーーーーーーーーーーーーっ!!」
 このとき、どこか遠くでカラスが「カァー」と鳴いていた。

 ついでながら、小禄からメールで事の顛末を知らされた大黒は、ごった返す店内の客の目も憚らず「チッ」と舌打ちした。


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