住居兼店舗である「あけぼの食堂」は、店舗の奥に八畳二間と六畳一間が有り、それに台所と風呂、トイレが付いたシンプルな、昭和の香が漂う平屋作りであった。 現在、福住は店舗側に近い八畳間で寝起きしている。 その八畳間では、福の神が小ぶりな丸いちゃぶ台の上で、偉そうにあぐらを掻き、福住はその前で、スッキリと背の高い身体を縮込ませて正座をしていた。 (なぜ、ここに現れたんだ? どこから来たんだ?) とりあえず、「福の神」と認めてみたものの、福住の頭の中では、今も様々な疑問が泡沫のように浮かんでは消え、浮かんでは消えていた。 「その様子だと、まだ納得しとらんようじゃな」 福の神が不満げに訊くと、福住は素直に頷いた。 「はい、おっしゃる通りです。まったく訳が分かりません。いったい、どこから来たんですか?」 「あそこじゃ」 福の神は事も無げに、テーブル席側の壁の上方に掛けられている台座に鎮座したホコリまみれの小さな神棚を釣竿で指した。 「あっ、確かあれは、おじいちゃんとおばあちゃんが毎日、手を合わせていた神棚……」 「そうじゃ。お前の爺さんと婆さんが毎日、心込めて掃除し、手を合わせていた神棚じゃ」 福住は亡き祖父母が毎日、朝夕に手を合わせていた姿を思い出し、自分も子供の頃は、無邪気に祖父母のマネをして手を合わせていたことを思い出していた。 「あの……、やっぱり、おじいちゃんとおばあちゃんも、金儲けさせて下さいとか、もっと店を繁盛させて下さいとか、頼んでたんですか?」 いきなり間抜けなことを口走る福住に、福の神は目を丸くした。 「お前、本当にあの二人の孫なのか?」 「へっ?」 「いいか、あの二人は朝には、『今日も一日、しっかりと働らかせていただきます』と、そして仕事を終えた夕には『今日も、一日しっかりと働き切ることができました。ありがとうこさいました』と、この二つしか聞かなんだわ」 福の神は顔を顰めてそう言うと、改めて福住に聞き返した。 「おい、本当にあの二人と血が繋がっておるのか?」 「はぁ一応」と、自信なさげに答える福住を見て、福の神は吐息を漏らしながら訊いた。 「なぁ……お前、今までどんな暮らしをしてきたんじゃ? こんな古ぼけた店で酔い潰れるまで飲んだくれるには、それなりの訳があるんじゃろう」 「はい……」 福住はポツリポツリと、ここに至るまでのことを話し始めた。 幼い頃に福住は交通事故で両親を失っていた。 不憫に思った祖父母である幸造と寿賀子は福住を引取り、老体に鞭打って大学を出るまでに育て上げた。 卒業後、福住は店を継がずに会社勤めをするようになった。 初めのうちは、福住はそれなりに働いたが、上司や同僚に恵まれていないとか、正当に評価されていないとか、勤め先で何かあると、なんのかんのと言っては、職を転々とした。 (ふむっ。どうやら、爺さんと婆さんの情が徒になってしまたようじゃな。二親を亡くした哀れな孫を、ついつい甘やかして育て上げてしまった。まぁ、無理もないことか……) 福の神はそう読んでいたが、その通りだった。 幼少期に我慢というものを学ばなかったため、この時期に福住のダメ男としての素地が作られた。 学生時代も部活やバイトも長続きせず、社会人になっても、腰の落着かない生活が続いた。 事の重大さに祖父母が気付いたときには、福住は口先ばかりの立派なダメ男になっていた。 しかし、そんなダメ男にも転機が訪れる。 それは、看護士・幸との結婚そして、長男・博樹の誕生だった。 周囲の誰もが、福住が心を入替え、腰の座った生活を送るだろうと期待したが、ただ期待しただけに終わった。 相変わらず、福住は失敗したり、辛いことがあると、周囲のせいにしては、決して己の非は認めない、プライドだけは高いダメ男のままであった。 そして、ついに嫁に見放され、家からも追い出された。 行き場を失った福住は、実家であるこの古ぼけた食堂に戻り、今は幼馴染が店長を務めるスーパー・トリイでバイトをしながら、細々と暮らしていた。 一通り福住が話し終えると、福の神は蔑んだ眼差しを向け「ふんっ!」と鼻を鳴らした。 「自業自得じゃ」 「えっ!」 「つまらんプライドにしがみ付いて、自分に言い訳ばかりする逃げの人生を送ってきた結果だ」 「いっ、いや、しかし、自分なりに懸命にやってきたんですが、結果が伴わないというか、その何というか……」 「どこへ行っても、結果が出ないということは、お前の考え方や、やり方が間違っていたということだろう」 「いやっ、ですが……」 尚も、自分を庇うように言い訳を並べる福住に、福の神は「はあ〜〜っ……」と大きく吐息を漏らし、ミィーちゃんは「また、始まった……」という顔をして、大あくびした。 「それだけ自分のダメぷっりを語れるということは、おまえ自身、自分がダメなことがわかっているんじゃろう。違うか?」 「うっ……」 「しかし、それを認めたくない。取るに足らんプライドとやらのせいでな」 「ちっ、違います! 私は決して……」 食い下がるように福住が言い訳しようとすると、福の神は顔色ひとつ変えずにムチのようにしなる釣竿の一撃を食らわせた。 ヒュン! ビシッ! 「痛っ!」 頭を抑えて泪目になりながら、福住は居住まいを正した。 そして、福の神は大きく胸を反らせて、力強く言い放った。 「大丈夫じゃ!」 「えっ! お金でも貰えるんですか!」 福の神の言葉に目を輝かせた福住は、思わず大きく身を乗り出して福の神に顔を近づけた。 その顔に、福の神は目をしばたたかせて大いに呆れた。 「馬鹿か、お前は。お金は自分で稼ぐものであって、神様から貰うものではない」 どこまでも他人の金を当てにする、ダメ男の福住は両手を畳に着いて、大きく肩を落とした。 (こんな貧相で小汚い福の神に、少しでもご利益を期待した俺が馬鹿だった……) 「なんじゃと。もう一ぺん言ってみろ」 どんなに貧相で小汚くても、福の神は福の神。人の心の声を聞くことができる。 それを思い出した福住は、目を泳がせて否定した。 「いっ、いや。貧相で小汚い神様にご利益なんて、これっぽっちも期待していません!」 「お前、今、さらっと悪口言っただろう」 不機嫌な福の神を見て、福住は慌てて話題を変えた。 「言ってません。それより、打出の小槌を振ったら、パーッと札束が降って来るとか、そんな凄いアイテムはないんですか?」 「打出の小槌だと? あっ、それは大黒天で、ワシは恵比寿天じゃ」 「へっ?」 福住が意味不明な声を上げると、福の神はうんざりした。 「お前、七福神も知らんのか?」 「七福神……? ああっ、あの宝マークが帆に付いた、めでたい感じがする船に乗った七人の神様のことですか?」 「そうじゃ、その七人の神様の一人が、恵比寿天であるワシじゃ」 「では、打出の小槌を持っている神様は?」 「それは、大黒天で大地を掌握する農業の神様であり、財宝や福徳開運の神様として崇められておる」 「で、あなたは何の神様なんですか?」 「ワシか、ワシは漁業の神様で、特に商売繁昌の神様としても信仰を集めておる」 福の神は自慢げに話したが、福住は少し残念な顔をした。 どうせ出てきてくれるなら、手っ取り早くご利益に預かれそうな大黒天の方がよかったと思ったが、すぐに頭を振ってそれを打ち消した。そうしなければ、あの釣竿が唸りを上げて飛んでくる。 そんなダメ男には構わず、福の神は一段と大きく胸を反らした。 「さっき、ワシが『大丈夫じゃ』と言ったのは、『ワシの言う通りにすれば、大丈夫じゃ』という意味だ」 これを聞いた福住は、またしても大きく肩を落とした。 「なんじゃ、その、あからさまに残念といった態度は。何かあったのか?」 福住には今すぐにでも、まとまった金が必要だった。 それは、滞っている息子・博樹の養育費の支払を嫁・幸から迫られていたからだ。 しかし、バイト暮らしの福住には、到底払えるものではなかった。 それでも嫁は払えないなら、この食堂を売り払てでも、その金を作れと強く迫ていた。 福住は息子のためにも養育費を何とか工面したかったが、亡き祖父母が大切にしてきた食堂や、子供の頃の思い出が詰ったこの場所は手放したくはなかった。 話を聞き終えた福の神は口を半分開いて唖然としていた。 「どうして、そんな大事なことを、もっと早く言わん。お前、底抜けのアホだな」 福の神に殴られっ放し、言われっ放しの福住は、うな垂れながらも、あることに気が付いていた。 それは本来、恵比寿天にあるべき必須アイテムであった。 (何か足りないような気がする……?) 福住はそーっと顔を上げると、改めてちゃぶ台の上であぐらを掻いている福の神をジッと見た。 「なんじゃ。なんか文句でもあるのか?」 ご機嫌斜めな福の神に、福住はおずおずと訊いた。 「あっ、あのーっ、いつも左の脇に抱えているものは、どうしたんですか?」 「いつも左の脇に抱えたものだと?」 「そうです。なんか赤ぽいやつです」 「ああっ、鯛のことか」 「今日は持ってないんですか?」 「うむっ、邪魔だからな。あそこに置いてきた」 福の神は釣竿でホコリまみれの神棚を指しながら、事も無げに答えた。
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