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作品名:ねこまんま食堂 作者:真柴 文明

第16回   十六.高がねこまんま、然れどねこまんま
 季節はほんの少しだけ進み、満開の桜も葉桜へと姿を変え始めていた。
 この頃になると、自由に自分だけの「ねこまんま」を作っても構わないという、客任せの投げやりな運営方針が功を奏したのか、閑古鳥達も徐々に鳴き止み始めていた。
 そんなある日の夕方の五時を少し回った時分、夜の部の準備を終えた福住は賄い代わりに、カウンター席でみそ汁ねこまんまを食べていた。
(今度は削り節と昆布の合わせ出汁に練り胡麻を少し溶かして、もっと風味とコクを出してみるか)
 などと、ねこまんま研究に余念のない福住は、妙な視線を感じて外に目をやった。
(んっ? どこの子だ?)
 見れば、ガラス格子の引き戸越しに、小学生と思える小さな男の子が福住をジッと見詰て立っていた。
 男の子の顔色は少し悪くどこか元気がないように見え、服も心なしか薄汚れていた。
 福住は親はどうしているのだろうと怪訝に思ったが、そのまま店先に立たれていても困るし、迷子になったのかもしれないと思い、とりあえず食堂に入れることにした。
「おいっ、ぼうず。そこにいたら、おじさん困るから、中に入ってくれないか」
 手招きして呼び掛ける福住に、男の子は逃げ出すこともなくコクリと頷くと店の中に入って来た。
 福住は男の子を出入り口に近いテーブル席のチープなパイプ椅子を箸で差して座らせると、名前や住所、親御さんのことを訊いた。
 しかし、男の子は俯いたまま何も話そうとはしなかった。
 どうしたものかと福住が思案していると、福の神を背に乗せたミィーちゃんが現れた。
 ミィーちゃんが男の子の足元に愛想良くマーキングしても、ジィと目を落としたまま口を開こうとはしなかった。
 ミィーちゃんに跨りながら男の子を見ていた福の神が、不意に福住の方に振り向いた。
「おいっ、このぼうず、腹をすかしておるようじゃ。なんか食わせてやれ」
「えっ……?」と小さく声を上げた福住は、改めて男の子に訊いた。
「なあ、何か食うか?」
 これを聞いた途端、男の子はパッと明るくなった顔を福住に見せた。
「何がいい?」
 優しく訊かれた男の子は、何の迷いもなく福住を指差した。
「えっ、俺? いやっ、おじさんを食べることはできないぞ」
 的外れな言葉に、男の子は福住を指差したまま顔を大きく左右に振った。
(俺じゃないてっことは……)
 カウンター席に座ったまま、福住が眉にシワを寄せて首をねじると、さっきまで食べていた賄い代わりのみそ汁のねこまんまが目に留まった。
 首を戻した福住が「こいつを食べたいのか?」と、指で差しながら訊くと、男の子は大きく頷いた。
「わかった。少し待ってろ」
 ニッコリ笑ってそう言うと、福住は厨房に回り、みそ汁でジャブジャブになったねこまんまをお盆に乗せて、すぐに戻ってきた。
 ちなみに、本日の具はモヤシ、キャベツ、人参、きのこ、玉ねぎなど、財部からもらったクズ野菜盛りたくさんのみそ汁である。
 福住が「お待ちどう様」と、みそ汁ねこまんまをそろりと男の子の前に置いた。
「おじさん、ありがとう!」
 満面の笑みを福住に見せた男の子は、箸箱から箸を取って「いただきます」ときちんと手を合わせて食べ始めた。
(へぇ、ちゃんとしてるな)
 立ったまま福住が感心している中、男の子は「フーフーッ」と息を吹き掛けて少しづつ掻き込んでいたが、舌が熱さに慣れてくると、一気に掻き込み出した。
 その様子に、福住は(そんなに腹を空かしていたのか?)と、思わず目を丸くした。
「ゲホッ、ゲホッ……」
 一気に?き込んだせいか、男の子がむせると福住は優しく背中を擦りながら「ゆっくり食べろ」と頬緩めた。
 男の子の足元にいたミィーちゃんは、とばっりちを食わないように福の神を乗せてカウンター席側へ退避した。
 小さな背中を擦るうちに福住は息子・博樹思い出し、少し寂しい気持ちになっていた。
(今頃どうしているんだろうな……。いつか、俺のねこまんまを食べさせてやりたい……)
 やがて、ねこまんまを食べ終えた男の子は「ごちそうさまでした」と手を合わせ箸を置いた。
「美味かったか?」
 福住の顔を見て、男の子はコクンと笑みを浮かべて頷いた。
「そうか、気に入ったか。で、名前は何ていうんだ?」
「…………」
「えっ?」
 福住に名前を訊かれた男の子は、また俯いて黙り込んでしまった。
 なんとか聞き出そうとしたが、子供相手に無理強いもできす、福住は困り果ててしまった。
(うーんっ、まいったな、こりゃ……)
 頭を掻きながら胸の裡で、そうボヤく福住の背後にいた福の神は顔を顰めていた。
「うむっ、ワシにもまるで聞こえん。ピッタリと心を閉ざしているようじゃ。聞き出すのは諦めろ」
 福住はやれやれといった感じで吐息を漏らすと、男の子の目線に腰を降ろした。
「なあ、ぼうず。おじさん、もう何も聞かないから安心しろ。でな、また腹が減ったらいつでも来い。タダで食わせてやるよ」
「ほんと!」
 頭を上げてパッと顔を明るくした男の子に、福住は微笑みながら頷いた。
「さあ、もう帰れ。家の人が心配してるぞ」
 帰宅を促す福住に、男の子は少し困った顔を見せた。
「うんっ? どうした。家に何か困ったことでもあるのか?」
 男の子は小刻みに顔を左右に振って席を立つと、足早に外に出た。
 そして、店先で丁寧にお辞儀をすると、小走りで夕闇に消えていった。
「ふっ」と一息吐いて腰を上げた福住の足元に、福の神を乗せたミィーちゃんが寄って来た。
 ミィーちゃんに跨った福の神は、穏やかな眼差しを福住に向けていた
「よいことをしたな」
「えっ、高がねこまんまを食べさせただけですよ」
「うむっ。じゃが、あの童にとっては、然れどねこまんまじゃ」
 照れ笑いする福住にそう言うと、福の神は哀れむような目で男の子が消えていった夕闇を見詰ながらポツリと呟いた。
「それに、何やら訳有りのようじゃしな……」

 その日の夜の七時頃、あけぼの食堂にはお昼にねこまんまを食い損ねた大黒の他に、テーブル席には大学生風の男が三人ほど座っていた。
 そこへ、「こんばんわ」と、品のある和装姿の恵比原が現れた。
「あっ、いらっしゃい。お久しぶりです」
 微笑んで挨拶する福住に、恵比原も目を細めて頷き、逆L字カウンターの左隅っこに着くと、首元のマフラーを外した。
 ついでながら、お付きの天城と大国は、目立たぬように車で待つように言われていた。
 腰を落ち着けた恵比原が店内に目をやると、皆それぞれにねこまんまを楽しんでいた。
(ふ〜ん。思ったとおり、あまり流行とらんが、皆いい顔をしているな)
 恵比原は水の入ったコップを目の前に置いた福住に訊いた
「表の看板のことなんだが、本当なのか?」
「ええっ、本当です」
 目を丸くして訊く恵比原に、福住は苦笑いを浮かべた。
「ほーっ、かなり思い切ったことしたな。ねこまんまには、あれほどこだわっていたのにな」
「正直、今でもこだわりはあります。でも、それはあくまでも自分の勝手な思い込みです」
 福住はそんな思い込みを押し付けても誰も喜ばなし、本来ねこまんまは自由に楽しむものであることを落ち着いた口調で恵比原に話した。
 事実、好き勝手に自分だけのねこまんまが味わえることが知れると、少しづつではあるが、閑古鳥達は泣き止み始めていた。
「まあ、高が、ねこまんまですから」
「だが、然れど、ねこまんまだな」
 目を細める恵比原に、福住は嬉しそうに頷いた。
 福住はカウンターの上に置かれた調味料や缶詰、また冷蔵庫の中にある漬物や野菜など好きに使っていいし、キャベツなど頼まれれば自分が刻むと、恵比原に説明した。
「で、何にします?」
「そうだなあ……」
 アゴに手を当てて考え込む恵比原の姿を、横目で見る大黒の目がキラーン!と光った。
 カウンター席中央に陣取っていた大黒は、自分が作ったねこまんまを手に背を丸めて恵比原に近づいた。
「へへへっ、こんばんわ、おじいさん。ここ初めてですか?」
 何とも言えない笑顔で近寄って来る大黒に、少し面食らった恵比原が「ああっ」と生返事すると、大黒は手にしていた出来たばかりのねこまんまを恵比原の前に置いた。
「何も難しいことはありません。自分の好きなものをあったかごはんに乗せるだけいいんです。ちなみにこれ、僕が作ったんです」
 片手を添えて自信作のねこまんまを誇らしげに紹介する大黒に、恵比原はきょとんとした顔のまま大黒のねこまんまに目をやった。
「キャベツの上に乗っかとるもんは、何かね?」
「それはビックカツです」
―ビッグカツ―
 日本を代表する鉄板駄菓子の一つである。原材料は助惣鱈などの魚介類であるが、見た目がカツレツに非常に酷似しており、駄菓子にしてはとてもボリューミーなため、多くの駄菓子愛好者から支持されている。
 また、ビッグカツ専門のレシピサイトもあるという、超人気の駄菓子でもある。
 大黒は一通りビックカツを説明すると、自身のねこまんまの説明に入った。
「まずは、あったかごはんに千切りしたキャベツを乗せます。次にビッグカツを半分に切ってキャベツに乗せたら、トンカツソースをたっぷり掛けて出来上がりです。どうです、簡単でしょう!」
 子供みたいにはしゃいで説明する大黒に、福住は冷ややかな視線を送っていた。
「どうです、おじいさん。一口食べてみませんか?」
 調子こいて自分のねこまんまを勧める大黒に、福住は思わず声を荒げた。
「おいっ、大黒! いいかげんにしろ! 初対面の人になんてこと言うんだ!」
「チェッ、なんでだよう? 僕はただ、おじいさんにねこまんまの楽しさを知ってもらおうとしたたけだよ」
「それが余計だと言うんだ」
「えーーっ!」
 目を吊上げる福住に口を尖らせる大黒、恵比原は困り顔で手を上げながら二人をなだめた。
「まあ、まあ、二人とも落ち着いて。他のお客さんが驚いとるぞ」
 はっと、我に返った福住がテーブル席にいた学生達に目をやると、三人とも目を白黒させていた。
「あっ、お騒がせして申し訳ありません。もう大丈夫です。気にしないでください」
 頭を下げて謝る福住にホッとしたのか、学生達はまたそれぞれのねこまんまを楽しみ始めた。
「そうだよ、まこっちゃん。急に大声出すから、みんなビックリするよ」
 それは誰のせいだ?と言いたげに、福住は白い目を大黒に向けていた。
「でっ、おじいさん、どうです。僕のねこまんま?」
 出目を剥いて薄気味悪く微笑む大黒に、恵比原は苦笑いを浮かべた。
「いやっ、申し訳ないが、歳なんでな。固いものは、ちょっとな」
 恵比原がやんわりと断ると、大黒は残念そうな顔をして「そうですか……」と言い残し、スゴスゴと自分の席に戻って行った。
 しょんぼりと肩を落として戻って行く大黒の背中を見ながら、恵比原は呆れ顔で福住に訊いた。
「あんなのも、来るのか?」
「ええっ、あんなのも来ます」
「そりゃ、大変だな」
「ええっ、大変です」
 実に、はた迷惑な大黒である。
 気を取り直して福住が「何にしますか?」と訊くと、
「そうだな。みそ汁と、おかかのやつに何か入れてくれ。何を入れるかは、お前さんに任せる」
「えっ! いいんですか? 任せてもらって?」
 目を瞠らせて訊く福住に、恵比原は優しく頷いた。
 福住はやや興奮した面持ちで、冷蔵庫から大根とシラスを取り出すと、作業台で素早く大根を適量おろした。
 そして、炊飯器から湯気の立つあったかごはんを茶碗によそおい、その上にたっぷりと削り節を掛け、シラス、大根おろしを乗せた。
 仕上げにポン酢を大根おろしに適量掛けて、和食の定番「シラスおろし」が乗かった、おかかねこまんまの完成である。
 あっという間に福住が「お待ちどう様」と目の前にねこまんまとみそ汁を置くと、恵比原は少し驚いた。
「おっ、もうできたのか?」
「ええっ、ねこまんまですから」
 ニヤリと笑う福住を見て、恵比原は「では、いただきます」と手は合わせ、まずはみそ汁を口にした。
「んっ。まだ僅かに雑味は残っているが、どこか懐かしくて美味いみそ汁だ。やはり、血は争えんな」
 福住が「ありがとうございます」と照れながら答えると、恵比原は適当にシラスと大根おろしを混ぜ始めた。
 混ぜ終えたシラスおろしとおかかのねこまんまを一緒に口に入れた恵比原は、さっぱりとした風味の中にも、おかかの香ばしさが漂うねこまんまに、またも「んっ」と唸ってゴクリと?み込んだ。
「見た目は大したことないが、こりゃ食べ始めるとクセになるな」
 目を細める恵比原はそう言うと、もう一口入れ「うんっ、うんっ」と頷きながら、一口、一口、堪能した。
 ポン酢が効いたシラスおろしの後から、風味豊かなおかかをまぶしたモッチリごはんが追っ駆けて来るB級グルメ特有の珍妙な深い味わいに、恵比原の顔も自然とほころんだ。
 恵比原はねこまんまを楽しみつつ、時折クズ野菜のみそ汁を織り交ぜて、見事に完食した。
「ふーっ、ごちそう様でした。美味しかったよ」
 ねこまんまとみそ汁を存分に味わった恵比原が上機嫌でそう言うと、福住はどこかホッとした顔付きで「ありがとうございます」と会釈した。
 恵比原は手元のコップの水を一口飲むと、「また、寄らせてもらうよ」と、御代を置いて悠然と店を出た。
 恵比原が店から出るや、食堂から少し離れた所に停めてある威圧感溢れる黒塗りのセダンから天城と大国が現れた。
 二人は周囲に気を配りながら音もなくスッと、影のように恵比原付き添った。
 恵比原は二人に特に気に留めるでもなく「待たせな。さあ、帰るかい」と気軽に声を掛けた。
 二人に誘われるように車に向かう恵比原の口元が不意に緩むと、
「今度、あいつにも食べさせてやるか……」
 恵比原は悪戯小僧のように目を細めてそう呟いた。

 恵比原が帰った後、入れ替わるように、今度は学生風の小柄な男が息を切らせて店に入って来た。
「いらっしゃい」と声を掛ける福住を目にも留めずに、男は奥のテーブル席へ急いで向かった。
「はぁ、はぁ、ごめん。よっちゃんイカ見つけるのに手間取って……。はぁ、はぁ」
「遅いよ。俺達もう済んだぜ。後は加宮、お前だけだぞ」
 テーブル席の友人らしき三人に手刀を切りながら、加宮は席に着くと遅れた訳を話し出した。
「簡単に買えると思っていたのに、一軒目のコンビニは品切れ、二件目は白しか置いてなくて、やっとトリイてっいうスーパーで見つけたんだ」
「しろじゃダメなのか?」
「ダメ、ダメ。僕のねこまんまには、普通のよっちゃんイカのあの赤味が絶対に必要なんだ」
 手と顔を左右に振りながら、加宮は通常版のよっちゃんイカにこだわった。
 このやり取りを、カウンター席でビックカツねこまんまを頬張りながら背を向けて聞き耳を立てていた大黒の口元がニヤリと緩んだ。
(お買い上げありがとうございます。それにしても、よっちゃんイカとは、良い選択をされましたなあ。お若いの……)
―よっちゃんイカー
 よっちゃん食品工業が製造・販売している「カットよっちゃん」のことである。
「カットよっちゃん」は小さく刻まれたイカとタラのすり身を醗酵調味料や酸味料に漬した酢いか風の駄菓子のことで、酒のお供にピッタリなため一杯引っ掛けながら楽しむ愛好者も多く、その人気はビッグカツに勝るとも劣らない。
 また、「カットよっちゃん しろ」は通常版のよっちゃんイカに合成着色料・保存料は使用せずに無着色に仕上げたものである。
 加宮は水の入ったコップをお盆に乗せて持って来た福住に、あったかごはんを注文すると、ビニールの小袋からよっちゃんイカを自慢げに取り出した。
「これをごはんに乗せて混ぜるだけで、酢めしみたいになるんだぜ」
「えーっ、これ混ぜんの? マジ?」
「駄菓子だろう。それ、普通に食べた方がいいんじゃねぇ?」
「そのドギツイ赤。なんか、体に悪そう」
 加宮以外の三人は口々に疑問の声を上げると、加宮は「本当だって。小学生の時に家でやって、その後お母さんに見つかって、叱られたけど……」と、子供の頃の苦い思い出と共に反論した。
 彼らの会話を耳をダンボにして聞いていた大黒が突然振り返った。
「みなさん、駄菓子を甘く見てはいけません!」
 加宮ら四人が声のする方へ目を向けると、食べ掛けのビッグカツねこまんまを手にした大黒が座ったまま、彼らに笑い掛けていた。
「いいですか、駄菓子に付いている『駄』という文字に惑わされてはいけません」
 確かに、駄菓子の「駄」には駄馬や駄作など、あまり良いイメージは思い浮かばないし、また、昭和三十年代頃には、薄暗くとても衛生的とはいえない駄菓子屋さんで賞味期限が切れた駄菓子が売られることもあった。
「しかーーしっ! 今は違います。工場で大量生産し個別に包装された駄菓子は、とても衛生的で品質管理もしっかりしています。でなければ、コンビニやスーパーでは取り扱いません」
 出目を剥いて真顔で語る大黒に、四人は(このオッサンなに言ってんだ?)と目を丸くしてドン引きした。
「そして、今やヘルシー志向の時代。まだまだ数は少ないですが、カロリー表示や栄養成分を表示している駄菓子もあります。このように駄菓子は、常に時代と共に進化しているのです!」
 そう熱く締め括った大黒に、四人はさらにドン引いた。
「で、これ。私が作ったビッグカツねこまんまです。一口いかがですか?」
 にまぁ〜とキモい笑みと共に、食い掛けのねこまんまを両手で差し出し腰を上げた途端、ガシィ!と大黒の肩を福住が掴んだ。
「お前、自分が口にしたもん、他人様に食わせる気か?」
「あっ……」
 福住はそのまま掴んだ肩をグィッと押し込んで、有無も言わさず大黒を席に着かせた。
「すいませんね。悪気はないんで、許してやってください」
 詫びながら、福住がお盆に乗せたあったかごはんをテーブルに置くと、四人は「いえ、いえ」と恐縮しながらも、ホッとした。
「それ、使うんですか?」
 福住が何気によっちゃんイカに目をやりながら訊くと、加宮が照れ臭そうに笑った。
「やっぱり、おかしいですか?」
「いえっ、別にそういう訳じゃ……」
「これ、子供の頃の弟との思い出なんです」
 加宮は自分には三つ離れた弟がいることや、両親が共働きで小学生の頃は、よく弟を連れて友達と遊んだことなど話始めた。
「でね、ある日、遊び終わった帰りにコンビニでよっちゃんイカ買って帰ったんです。でも、さっきも話しましたけど、うち親が二人とも働いているから、どうしても晩ごはんが遅いんです」
 家に着いた加宮は、お米を洗って炊飯器にセットしたり、ベランダに干してあった洗濯物を取り入れたりと、忙しく立ち回っていた。
 弟はテレビのアニメを見ていたが、その内に母親の帰りを待ち切れず、「兄ちゃん、お腹減った」と愚図り始めた。
「で、僕が『よっちゃんイカは?』てっ、弟に訊いたら『もう食べた』てっ、半べそ掻きながら言うんですよ」
 その顔がよほど可笑しかったのか、加宮は楽しそうに喋っていた。
「僕が洗濯物を畳みながら『もう少ししたら、お母さんが帰ってくるから』てっ言っても、全然聞かないんで参りました」
 洗濯物を畳み終わるのと同時に、炊飯器がピー、ピーと炊き上がりを知らせると、加宮は「お母さんには内緒だそ」と炊き上がったばかりのあったかごはんを茶碗によそおい、自分のよっちゃんイカを乗せて混ぜた。
「それを見てね、弟が目を丸くして『お兄ちゃん、とってもきれい!』なんて言って、はしゃぐんですよ」
 加宮は赤と白のコントラストが目にも鮮やかなねこまんまに、大喜びする幼い弟がそこにいるかのように話していた。
「それで、嬉しそうに食べていた弟が『兄ちゃん、これお寿司の味がする』てっ、いきなり言い出すんで、『そんなことあるか』てっ、僕も一口食べてみたら、本当に酢めしになっていたんです!」
 そう目を細めて言う加宮の手には、よっちゃんイカがしっかりと握られていた。
「でも、そのあとすぐにお母さんが帰って来て、『弟に何たべさせてんの!』てっ、めっちゃ怒られました」
 弟は自分のせいで怒られてしょげ返る兄を助けようと、「お兄ちゃん、悪くない! お兄ちゃん、悪くない!」と泣きながら何度も母親に繰り返した。
 ようやく母親の怒りも治まり、普段通りに夕食とお風呂を済ませ、宿題も片付けた二人が寝ようとした頃、父親が帰って来た。
 父親は事の一部始終を母親から聞くと、寝入り掛けた二人を起こし、布団の上で正座させ「二度としないように」と、低い声で釘を刺した。
「ですけど、そのあとも、こっそり弟と、ちょくちょくよっちゃんイカのねこまんまを作って食べてたんです」
 弟と過ごした幼き日の他愛のない出来事を話す加宮の目は、どこか優しかった。
 楽しげに話す加宮を見ているうちに福住は、「一方的な思い込みを捨て、ありのまま受け入れることじゃ」と語った福の神の言葉を思い出していた。
 福住にしてみれば、よっちゃんイカなど、どこにでもあるただの駄菓子の一つに過ぎない。
 しかし、加宮兄弟にとっては、子供の頃の大切な思い出が詰まった掛け替えのないものである。
 同じものでも見る者の立ち位置が変わるだけで、まるで違ったものに見えてしまう。当たり前のことだが、いざっ、自分がその立場になってしまうと、ついつい自分の目線だけで物事を見極めようとしてしまい、要らぬ摩擦を引き起こしてしまうこともある。
 福住はほんの少しだけ、福の神の言ったことが分かったような気がした。
「今でも見かけると、つい手が出ちゃうんですよ」
 そう微笑む加宮がよっちゃんイカの封を切ろうとした。
「あっ、すみません。それ、ちょっと見せてもらえませんか?」
「えっ?」
 少し戸惑う加宮からよっちゃんイカを受け取った福住は、裏書の原材料・容量に目を凝らした。
(やはり、お酢を使っていない……。あくまでも酢イカ風なんだ。というこは……)
 といことは、今の加宮がこれを使ったねこまんまを食べても、子供の頃弟と食べたものとは、何か物足りない違和感を感じるだろう。
 同じ口でも、子供と大人は違う!
 福住のねこまんま魂に火が着いた。
「あの、私に手伝わせてもらえませんか?」
「何をですか?」
 きょとんとした顔で訊く加宮に福住は、「これです」と手にしていたよっちゃんイカを目の前に上げた。
 まだ、事を良く飲み込めていない加宮は困惑したままだ。
 少し焦れた福住が困り顔で加宮に訊いた。
「えーっと、あなたの名前……」
「加宮てっ言います」
「そう、加宮さんのねこまんまのお手伝いをさせて下さい」
「僕のねこまんまの手伝い?」
 今度は眉を寄せて訝しがる加宮に、福住は子供の頃喜んで食べていたものでも、大人になるにつれ、さほど好物ではなくなることがあることを伝えた。
「もし、今食べたら、何か物足りなさを感じるんじゃかと思ったんです」
 加宮がなるほどと頷くと、
「いいんですか? 手間じゃないんですか?」
「いえっ、そんな大した手間は掛かりません」
「でも、高がねこまんまで、申し訳ないてっ言うか……」
「しかし、加宮さんにとっては、弟さんとの思い出が詰まった一品なんでしょう?」
 加宮が前を見詰たまま小さく頷くと、福住はニッコリ笑って言った。
「じゃ、然れどねこまんまです」
 茶碗を受け取った福住が、踵を返して急ぎ厨房に向かうと、その背中に加宮は頭を静かに下げた。
 カウンター席に押し込められていた大黒が顔をほころばせて、作業台の前に立つ福住の顔と手元の置いたよっちゃんイカに、交互に目を移していた。
「何すんの?」
「この駄菓子だけじゃ、酸味が弱過ぎるからな。少しお酢を加える」
「まこっちゃんも、やっと僕が言う、ねこまんまの良さが分かってきたんだね。初めはゲテモノ呼ばわりされたけど、分かってくれたんなら、よかった」
 感慨深げに喋り散らす大黒に、福住は目も合わせずに「静かにしろ。気が散る」と言い放った。
 福住は小さ目のボウルを取り出すと、その中にスプーン一杯のお酢と砂糖と塩を少々加え混ぜ合わせた。
 混ぜ合わせたお酢の具合を小指を使って確かめた福住は、冷蔵庫からシソの葉を一枚取り出すと、半分を千切りにしてもう半分は冷蔵庫に戻した。
 作業台に戻った福住は、ボウルの中に茶碗のごはんと封を切ったよっちゃんイカを丸ごと入ると、しゃもじで底の方から混ぜ返した。
 混ぜ終えた酢めしを、菜箸でほんの少し取って手のひらに乗せた福住は、それを口に入れると「うんっ」と低く唸った。
 福住は取り出した四角い白の平皿にボウルの酢めしを移し、綺麗に均すと、仕上げに上から千切りしたシソの葉と白胡麻を散らし、軽く和えて「よっちゃんイカのねこまんま」の完成である。
 ねこまんまの出来栄えに薄っすら笑みを浮かべた福住は、早速お盆に乗せて、加宮ら四人が待つテーブルへ向かった。
「お待たせしました」
「えっ? お待たせてっ言うほど待ってませんが、もう出来たんですか?」
「ええっ、出来ました。ねこまんまですから」
 微笑みながら、福住が出来たばかりのよっちゃんイカのねこまんまをテーブルに置いた途端、四人の顔がパッと明るくなった。
「うわぁ、何これ!」
「なんか、ちらし寿司みたいだな!」
「加宮の言う通り、しろじゃダメだな」
「だろう。普通のよっちゃんイカの赤味がコレには必要なんだ」
 四人は目の前に置かれた、目の覚めるような白と赤の彩りも美しいねこまんまに心奪われた。
 福住が「さあ、食べてみてください」と促すと、四人はそれぞれに箸を取って、一口入れた。
 四人はモグモグと確かめるように口を動かすと、次第に目を細めて、ゴクリと飲み込むと、
「うまい!」
「うんっ、酢めしとよっちゃんイカの歯応えが何かいい感じ!」
「それに、シソの爽やかさ! これなら箸が進む!」
 はしゃぐ三人とは対照的に加宮は一人しんみりとしていた。
 それに気付いた福住が案ずるように声を掛けた。
「どうかしました? 何か不都合でも?」
「いえっ、なんか小学生の頃を思い出して……」
 少し照れ笑いする加宮が、不意に真顔で福住を見上げた。
「あの、これの作り方、教えてもらえませんか?」
「えっ?」と驚く福住に、加宮は腰を上げて頼んだ。
「今度、田舎に帰った時に弟にも食べさせてやりたいんです。お願いします!」
 頭を下げる加宮に福住はドギマギしながら、「あっ、頭を上げて下さい。お願いします」と慌てて手を振った。
「いいですよ。そんな大したことじゃありません。誰にでもできます」
「ほんとですか! ありがとうございます!」
 頭を上げた加宮は顔を綻ばせていた。
 福住は合酢と添物のシソの千切り、白胡麻の分量を説明すると、加宮が目を丸くした。
「えっ、そんなテキトーでいいんですか?」
「ええっ、構いません。ただし、合酢はちゃんと味見して、自分好みにして下さい」
 福住の説明に、今ひとつ納得できないという顔をしていた加宮に福住は苦笑した。
「そんなに肩に力を入れることはありません。高がねこまんま、自分の好きなようにやってください」
 元々、ルール無用のねこまんま。自分好みに仕上げても、他人にどうこう言われる筋合いはない。例えそれが、駄菓子であろうが、酒の肴であろうが、要は作ったもん勝ちである。
「まあ、突っ立ってないで、座って思い出のねこまんま、楽しんでくさい」
 福住に促された加宮は席に着くと、改めてねこまんまと向き合い「いただきます」と手を合わせ、一気に掻き込んだ。
 一噛み、一噛み、加宮は思い出と一緒に思う存分味わった。
―幼き日に親の目を盗んで、弟と食べたねこまんま。
 時には薄暗い押入れの中で懐中電灯を片手に、二人で分け合ったねこまんま。
 よっちゃんイカを入れ過ぎて、あまりの酸っぱさに吐き出してしまったねこまんま。
 些細なことで仲違いしても、ねこまんまさえあれば、いつでも元に戻れた。
 そこには「またやろうね」と微笑む弟と自分がいた。―
「ふーっ、ごちぞうさまでした」
 思い出のねこまんまを堪能して喜色満面の加宮が手を合わせ終えると、突然顔を引締めて福住を見据えた。
「あの、また来ますから、ねこまんまのこと教えてください。僕、ねこまんまを極めたいんです! それも駄菓子のヤツを!」
 目をしばたかせる福住に加宮は尚も続けた。
「僕、学生なんであまりお金がないんです。ですから金欠の時に、なんとかねこまんまでしのぎたいんです。なあ、お前らもそうだろう?」
 強く同意を求める加宮に、三人もグッとアゴを引いた。
 そのまま加宮は三人に目配せすると、四人は一斉に腰を上げ、「よろしくお願いします!」と福住に向かって頭を下げた。
 深々と頭を下げる学生達に、両手を前に出して「やめてください!」と、福住はあたふたした。
「どうか頭を上げてください。私にできることなら、いくらでも協力ますから」
「ヨッシャーーッ!」
 福住の了解を得た途端、加宮らは頭を上げて小躍りするように拳を上げて喜んだ。
 福住は思った。なぜ、よりによって駄菓子なんだと。
 カウンター席に押し込められていた大黒は、歓喜勇躍する彼らのを姿を見て、(お若いの、よう申されましたな……)と、熱くなった目頭を押さえていた。
 顔を高潮させた加宮達四人は声を合わせて「あざっーす!」と礼を述べて、それぞれ代金を支払い店を後にした。
「ふーっ……」と、一息吐いて加宮達の後片付けに掛かろうとする福住の背後から大黒のねっとりとした声がした。
「これで、まこっちゃんも分かっただろう。まこっちゃんが邪道よばわりするねこまんまが、いかに支持されているかを」
 福住が振り向くと、腕を組んで勝ち誇ったかのように、小鼻を膨らませてニンマリ笑う大黒が座っていた。
 そんな大黒に福住は白けた目を向けていた。
「なっ、なんだよ。あの学生さんたちも、まこっちゃんのねこまんまを喜んでいたじゃないか」
「ああっ、確かに喜んでくれた」
「じゃ、なんでそんな顔をするんだよう?」
 死んだ魚のような目のまま口を真一文字に結ぶ福住に、大黒は大いに不満だった。
 福住は「ふっ」と鼻から吐息を漏らすと、ぶっきらぼうに吐き捨てた。
「あのままじゃ、加宮さんの大切な思い出に影を落とすと思ったから、手を貸したまでだ」
 そう言うと、背を向けて再び後片付けに掛かる福住に、大黒はしつこく絡んできた。
「また、また。そんなこと言っちゃって。本当は、その良さがわかってるんじゃないの?」
 じゃれるようにはやし立てる大黒を、福住は相手にせずに黙々と後片付け続けた。
 テーブルを拭き終え、茶碗とコップを手に厨房に戻ろうとする福住の背に、尚も大黒は食い下がった。
「素直になりなよ。俺も本当は駄菓子のヤツ作りたいんだーーって!」
 突然、福住が厨房の出入り口でピタリと止まると、茶碗とコップを手にしたまま、大黒に向き直した。
「お前の邪道なねこまんまに対する俺の認識は、今も変わらないし、これからも変わることはない」
 虚を突かれ「えっ……?」と、小さな声を上げる大黒から視線を逸らせずに福住は言い放った。
「なので、俺が自ら進んで駄菓子のねこまんまなど作ることは、金輪際ない!」
 福住のあまりの言い草に、たじろぐ大黒は目を泳がせながら、間の抜けた一言を発した。
「どっ、どのくらいないの?」
「二〇〇パーーッ!、ない!」と、福住はバッサリ切り捨てた。
 ついでながら、福の神は奥の部屋で、箱座りするミィーちゃんの横っ腹に埋もれながら、まったりと寝入っていた。


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