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作品名:ねこまんま食堂 作者:真柴 文明

第13回   十三.あなただけのねこまんま
 大黒が掛けた木偶の呪縛から、ようやく解放された福住は厨房で福の神相手に声を荒げていた。
「普通に家でもできるて、ぬかしやがるんですよ! あの出目!」
 福住にしてみれば、短期間であるとはいえ、工夫に工夫を重ね、無い知恵を絞り切ってやっと辿り着いた梅じそバターねこまんまを、足蹴にされたような気分だった。
 どうにも、こうにも怒りが治まらない福住は青筋を立てて、さらにがなり立てた。
「大体、何が気に入らないんだ! 早い、安い、美味いの三拍子揃ったねこまんまの、どこが気に食わない!」
 某大手外食チェーンの企業理念を織り交ぜて盛んに吠えまくる福住を、カウンターにいた福の神は困り顔で眺めていた。
「まあ、そう怒るな。大黒とかいう出目の言うことも、あながち、間違っとらんしな」
「神様は腹が立たないんですか! あなたが推したねこまんまが、コケにされたんですよ!」
「ワシを巻き込むな」
「いやっ、是非、巻き込まれてください! いっそ、その竿の強烈な一撃を、あの出目に浴びせてやってください!」
 目を剥いてわめき散らす福住に、福の神は「ふっ」と吐息を漏らすと、顔色一つ変えずに手にしていた竿を軽く振り下げた。
 シュッ! ビシッ!
「痛った!」
 大きく目を見開いて口を尖らせた福住は「なんで俺が、どつかれなあかんねん!」とでも言いたげな目を福の神に向けた。
「アホなこと言っとらんで、さっさっとカウンターの茶碗を片付けて、次の客でも待っとれ!」
 そう福の神に一喝された福住は、久々に喰らった竿の一撃もあって、渋々カウンターに置き去りにされた茶碗達を片付け、次の客の来訪を待った。
 が、誰一人来る者はなかった。それでも福住は待ちに待ったが、人っ子一人こなかった。
 そのうち日も暮れ、遠くでカラスが「カァー」と鳴いても、訪れる客はなかった。
 やがて日も落ち、どっぷりと夜になっても、誰も来なかった。
 片肘立てながらカウンター席にいた福住は、客席の壁に掛かった丸時計に目をやると、小さな溜息を吐いた。
 時計の針は、八時を少し回ったところを指していた。
 福住が「よっこらしょ」と、両手をカウンターに突いて腰を上げ、表に向かうと、「もう、店仕舞いか?」と奥の部屋から声がした。
 福住が振り返ると、ちゃぶ台の脇にある座布団の上で、箱座りするミィーちゃんの横っ腹をソファー代わりに大の字になって福の神がくつろいでいた。
「ええっ、待ってても、誰も来ませんから……」
 そう弱々しく答える福住は、踵を返して店仕舞に取り掛かった。

 翌日の昼、訪れたのは例の三人だけだった。次の日も、その三人のみだった。
 時折、普通の食堂と勘違いした客が来ることもあったが、ねこまんましかないと聞いた途端、泡を食って店を出る始末。
 つまり、新生「あけぼの食堂」出だしは、あまりパッとしなかった。
 そんな地面スレスレの超低空飛行が続く食堂は、一週間も経たないうちに、そこかしこで閑古鳥達が盛大に鳴くようになった。
 今日も昼にいつもの三人組が訪れた後は、閑古鳥達が鳴きまくっていた。
 その声に堪え切れず、暗く淀んだ目でテーブル席にいた福住は呟くように毒吐いた。
「たくっ……、どいつもこいつも、ねこまんまの良さが理解できないバカ共が多過ぎる……」
 奥の部屋で、ミィーちゃんをソファー代わりに、まったりとしていた福の神がこれを耳にした途端、跳ね起き「ふんっ!」と鼻を鳴らして竿を軽く振り下げた。
 ヒュン! バッシ!
「あたっ!」
 後頭部を手で押さえながら、しかめっ面で椅子ごと向き直した福住に、福の神は叱り付けた。
「バカなのは、おまえの方じゃ! 相変わらず、周りのせいにしおって。一週間も経たんうちに、また放り出して逃げるのか?」
 さらに福の神は竿先を、ピッ!と鋭く福住に向けて言い放った。
「ここ数日、お前は何しとたんじゃ? 三人の相手が済んだら、ずーっ座って、客引きの一つもせん。ワシゃお前のケツに根でも生えとるのかと思ったほどじゃ」
 福住は「うっ……」と言葉を詰まらせた。
「いいか、勘違いするな。別にワシは客引きをしろと言っとるのではない。今をありのままに、受け入れろと言っとるんじゃ」
「うっ、受け入れるって、この状況を……?」
 狼狽える福住に、福の神は鼻から小さな吐息を漏らした。
「ふっ。ワシが言いたいのは、目の前で起こる良い事、悪い事に、いちいち一喜一憂するなというこじゃ」
 そして、福の神は諭すように静かに語った。

 生きていれば、良い事もあれば、当然悪い事もある。
 当たり前の話だが、両方ともそう長く続くものではない。
 いつかは終わる。
 じゃがな、人の心というものは、いつも身の周りで起こるそういうことに振り回されとる。
 だからこそ、好事に巡り会えば天狗にならず感謝し、それもいつかは終わると腹を括る。
 逆にドン底におるなら、その時が永々と続くことがないことに気付け。
 例え、それが目を背けたくなるようなことでもな。
 気持ちは分からんでもはないが、人はドン詰まりに陥ると、どうしてもそこから逃げ出したくなる。
 しかしな、今は逃げ出したくなるような辛い日々を送っていても、八方塞ということはない。
 心を静めて、よく周りを見れば、必ず道はある。
 辛いことだけに執われ、ただ見えていないだけじゃ。

 ジンジン痺れる後頭部に手を当てたまま福住は、これまで己が仕出かした「逃げの人生」を思い返していた。
 学生時代の部活にせよ、バイトにせよ、少々きつく言葉を投げ掛けられただけで旋毛を曲げて横を向き、社会人になっても些細なことで角を出しては、職を転々とした。
 頭に置いていた手を戻すと福住は、固い床をジッと見詰て自分に問い掛けた。
―ここでまた逃げて、同じことを繰り返すのか!
 なぜ俺は福の神に引っ叩かれながら、食堂を再開させたんだ。
 ここを守り抜き、失ったものを取り戻すためじゃないのか!―
 福住の目に再び力が漲り出した。
 それを見た福の神はニヤリと口元を緩めた。
「なあ、ワシに妙案があるんじゃが、聞くか?」
「えっ! そんなもんあるんですか? ぜひ聞かせてください!」
 思わず顔を上げた福住は、渡りに船とばかりに飛び付いた。
「うむっ。それはな、ねこまんまの組合せを客の好きにさせるんじゃ」
「へぇ?」
 一瞬、言ってることが分からない福住は素っ頓狂な声を上げた。
「客が自分だけのねこまんまを楽しめる、そんな店にするんじゃ」
「えっ……」
 自分の予想の遥か斜め上を行く妙案に、福住は目をしばたたせた。
「そっ、それって、客の好き勝手にさせることですか?」
「そうじゃ、好き勝手にさせるんじゃ」
 涼しい顔でぶっ飛んだことを口にする福の神に、福住は軽く目まいを覚えた。
「ちょっ、ちょっと待って下さい。今頭が混乱して……、整理しますから……」
 福住はアゴに手を当てて考え込んだ。
(客の好きにさせるだと? そんな店、食堂と呼べるのか? 第一、俺が考え抜いたねこまんまは、どうなるんだ?)
 福住は考えているうちに、顔が引きつっていくのが自分でも感じた。
「いやっ! それはない!」
 突然、声を張り上げて立ち上がった福住は、福の神に目を剥いた。
「客の好き勝手にさせるなんて、とんでもない! どこにそんな食堂があるんですか!」
「これから、ここをそうするんじゃ」
 顔色一つ変えずに、シレッと答える福の神に詰め寄った福住は、奥の部屋の上り框にドン!と腰を据えた。
「いいですか、客の好きにさせるということは、俺が考えたねこまんまを、捨てるてっことなんですよ!」
「そうじゃ、捨てろ」
「えーーっ! 捨てるって、簡単に言わないでください! あのねこまんまは心血を注いで作り上げた、いわば『俺の魂』と言えるものなんです!」
「みそ汁と合わせても二五〇円とは、随分安い魂じゃな」
「ぐっ……」
 傍らで箱座りしながら、軽く寝入っていたミィーちゃんは「うるさい……」と言わんばかりに鼻に少しシワを寄せていた。
「かっ、金の問題じゃない。気持ちの問題です」
 横を向いて、うそぶくように言う福住に、福の神は決定的な一言を投げ付けた。
「負けるぞ」
この一言に、横を向いていた福住も目を見開いて振り返った。
「このままでは負ける。間違いなく負ける。そして、ここを取り上げられ、お前は宿無しとなる。それでもいいのか?」
 鬼嫁との「ねこまんま勝負」という現実を突きつけらても、福住は己のねこまんまにしがみ付いた。
「しっ、しかし、今までこの組合わせにはこの分量と、熱心に研究してきたことが、すべて水の泡になります……」
「ただのお前のつまらんこだわりじゃ。そんなもん捨ててしまえ」
 福住の言い分を、あっさり却下した福の神はさらに続けた。
「捨ててしまえば、違った風景が見えるぞ。それに人の舌など、千差万別じゃ」
 福の神に言われるまでもなく、このままでは最悪の結末を招くことを、福住も薄々感じていた。
 しかし、生まれて初めて何かに真摯に打ち込んだ福住にとって、例えそれがねこまんまであっても、今や自分の下半身のようなものだった。
 その下半身を、いきなり「捨てろ」と言われて、「はい、そうですか」と、たやすく捨てる馬鹿はそうはいない。
 思いあぐねる福住を見て、福の神は苦笑いを浮かべた。
「なあ、もし客がお前のねこまんまを食いたいと言うたなら、そのときは出してやればよいじゃろう。それまでは、手を出さずに客の好きにさせてやれ」
 この妥協案を聞いて、福住は断腸の思いで妙案を受け入れた。
 その夜、福住はお品書を書き換えた。
 定番の「おかかねこまんま」と「みそ汁ねこまんま」だけを残して、「組合せは自由。好き勝手にあなただけのねこまんまを楽しんで下さい」と書いた紙をお品書きの上に貼り付けた。
 また、店の前に置くチョークボードにも同じ文言を書いた。
 そして、厨房の作業台に置いてあった調味料や瓶詰めなど、客が手に取りやすいようにカウンター席と厨房を分ける高さ二〇センチほどの仕切りの上に移した。
 こうして新生「あけぼの食堂」は、また新たな一歩を踏み出した。

 翌日の昼、やって来たのは出目の大黒一人だけだった。
 入ってくるなり、早速店先に置かれたボードの文言のことを、厨房にいる福住に訊いてきた。
「まこっちゃん、本当に好きにしていいの?」
「ああっ、好きにしていい」
「じゃ、あれ使ってもいいの?」
 大黒は目を輝かせながら、厨房の作業台の奥にあったポテチの袋を指差した。
「えっ?」と少し驚いた福住はポテチに目をやった。
「あれを使うのか?」
「そうだよ。使うよ」
 あっけらかんと言う大黒の顔を、福住はマジマジと見ながら、ねこまんまに打ち込んだ日々を思い出していた。
(俺も「ポテチねこまんま」のことは知ってたが、ポテチを買ってみたものの、試す気にすらならなかったな……)
 ねこまんまは基本「何でもアリ」である。
 しかし福住にとって、スナック菓子のねこまんまは、際物の「ねこまんま」以外の何ものでもなかった。
「どうしたの? 使っちゃダメなの?」
 少し口を尖らせて言う大黒に、福住は「ああっ、すまん。少し考え事を……」と曖昧な返事をすると、作業台のポテチを手渡した。
 のり塩味のポテチを手にした大黒は、ホクホク顔であったかごはんとみそ汁、それにマヨネーズを頼んだ。
 すぐにカウンター席に座った大黒の目の前に、湯気の立つあったかごはんとみそ汁、マヨネーズが用意された。
すると、なんの迷いもなく大黒は、マヨネーズをご飯の上にぶっ掛けると、続け様に勢い良くポテチの封を切って、一掴みしたのり塩ポテチをばら撒く。仕上げに醤油を適量たらして「ポテチねこまんま」の完成である。
 喜色満面の大黒は「いただきまーす!」と声を張り上げて、小躍りするように箸でポテチとマヨネーズご飯を掻き混ぜ、口に運んで「これ、これ!」と大はしゃぎ。
 そんな大黒の姿に色を失いながら、福住は見ていた。
(たっ、炭水化物を炭水化物で食うなんて、こいつ大阪人か!)
―炭水化物を炭水化物で食う―
 いわゆる「重ね食い」と呼ばれる食べ方がある。
 大阪には、この重ね食いの代表格である「お好み焼き定食」と「焼きそば定食」なるものが存在する。
 初めてこれを耳にした福住は、初めは冗談かと思っていた。
 テレビの情報番組で美味そうに「お好み焼き定食」を食べる客を見ても、(大阪は粉もん文化というが、よく食えるな……)と、少々呆れていた。
 だが、今自分の目の前で大阪人のように喜々として重ね食いを楽しむ大黒を見て、(アリかもしれない……)と、妙に得心した。
 そんな取るに足らないことを頭に浮かべていた福住に、食べ終えた大黒は満足げに声を上げた。
「一度やってみたかったんだ。こんなもん家で作って食べたら、嫁に大目玉喰らうからね」
 念願のポテチねこまんまと至福のひと時を過ごした大黒は、この上ない幸せを感じているように福住の目には映った。
(捨ててしまえば、違った風景が見えるかぁ……)
 カウンター越しに綺麗に平らげられた茶碗を、片付けようと手に掛けたとき、不意に昨日の福の神の言葉が福住の頭を過ぎっていた。
「どうじゃ、ワシの言った通りじゃろう」
 よく通る福の神の声に、福住が茶碗を持ったまま、カウンターから身を乗り出して奥の部屋に目をやると、座布団の上で箱座りするミィーちゃんの頭の上で、あぐらを掻いて得意げに腕組みする福の神がいた。
「まずは一方的な思い込みや、つまらんこだわりを捨てて、目の前のものを素直に、ありのままに受け入れてみることじゃ」
 身を乗り出した中途半端な姿勢のまま、ジッとミィーちゃんを見詰る福住を、爪楊枝を咥えた大黒は不思議そうに訊いた。
「ミィーちゃんがどうかしたの?」
「いっ、いや。何でもない。それより、財部さんと小禄は今日は来ないのか?」
「うんっ、来ないよ。財部さんは市場の寄合いで、小禄は友達の見舞いに行くてっ、ここに来る前にメールがあった」
 隠すように慌てて話を変える福住に、福の神はドヤ顔のまま言った。
「安心せい。ミィーちゃんとお前にしか見えん」


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