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作品名:ねこまんま食堂 作者:真柴 文明

第11回   十一.邂逅
 翌朝、朝食を済ませた恵比原は、書斎でもある質素な作りの八畳ほどの和室で、坐椅子に背中を預けて掘り炬燵にあたっていた。
(あいつ、本当にねこまんまで勝つつもりなのか。ふふふっ、面白い奴だ)
 恵比原はお茶を飲みながら、昨日の役員達との会合よりも、福住のことを思い出し笑いした。
 この恵比原老人、今でこそ楽隠居の身で悠々自適に暮らしているが、かつて傾いていた大日自工を甦らせた名経営者であった。
 戦前から自動車作りに携わっている大日自工は、現在は大日自工ホールディングスと呼ばれ、国内シェア二位、海外シェア八位を誇る巨大自動車メーカーである。
 戦後の混乱期、昭和の高度成長期、さらにバブルからバブル崩壊など、様々な時勢を好敵手・トヨハシ自動車と共に互いに切磋琢磨しながら、大日自工は成長し続けた。
 しかし、いつの間にか大日自工はあぐらを掻き、「まあ、これぐらでいいでしょう。リスクとコストは低ければ、低いほどいい」と、ひどく失敗を恐れる役所のような企業になってしまった。
 生え抜きの恵比原が社長に就任したばかりの大日自工は、国内シェア一位に躍り出たトヨハシの後追いばかりする「二番煎じ」に成り下がっていた。
 そのため、トヨハシからは大きく水をあけられ、国内三位の東洋技研からの猛追に晒されていた。
―斜陽の名門―
 その頃の大日自工は世間からそんな目で見られていた。
(あの頃も春だったな……)
 恵比原は目を細めて、あけぼの食堂と出会った頃を思い出していた。それはまた、恵比原が経営再建に取組む社長として、最も苦しんだ時期と重なっていた。
 当時、恵比原は大日自工再建の秘策として、海外自動車メーカーとの業務提携を目論んでいた。
 何をするにも、やたらと会議と稟議が付いて回り、声高に己の部署の主張ばかりする、硬直化した組織に新風を吹き込み、忘れ去られていた「挑戦」の気概を取り戻すためにも、「外資の血は不可欠だ」と、恵比原は思い詰めていた。
 だが、恵比原の再建案は、役員会議では通らなかった。十分な根回しをしたにも関わらず、通らなかった。
 役員達の目には、恵比原の再建案はあまりにも性急で、危険なものに映っていた。
(こっ、こいつら、解っているのか……。今の大日がどれほど危ないのか!)
 はらわたが煮え繰り返るような思いをしたが、恵比原は諦めることなく重役達に外資との業務提携の必要性を説き続けた。
(まったく、「俺が、俺が」と、空回りばかりしとったな……)
 恵比原は苦い顔で当時を思い返していた。
 一方的に自分の考えを押し付けてくる恵比原に、役員達も次第に距離を置くようになり、中には「社長解任」の動きを見せる者も出始めていた。
 さらに、初めは業務提携に積極的だったメインバンクも役員達の動きが耳に入ると、手の平を返したように「時期尚早」と難色を示し、恵比原の社内統治能力に疑いの目を向けるようになっていた。
 まさに四面楚歌の中で、目を剥いて強引に事を進めようとする恵比原の姿に、詳細を知らされていない社員達は大いに困惑した。
 そのためか、社内の空気は一層重くなり、暗く淀んだ。
 経営再建に悪戦苦闘の日々が続いていたある日、身も心も張り詰めた恵比原は気分転換に街に出ることにした。
 街は春らしい、少し浮き足立った明るい雰囲気に包まれていたが、そんな四季の移ろいを感じる余裕など、当時の恵比原にはなかった。
 一度、頭を空っぽにしようとしたが、提携に猛反対する役員達や冷ややかな眼差しで応対するメインバンク、ザワついた社内の雰囲気など、泡沫のように浮かんでは消え、すぐに眉間に深いシワが寄った。
(なぜ、解らんのだ! 大日が生き残るには、この一手しかないことを!)
 深刻な面持ちで川沿いを歩いている恵比原を「おいっ、あんた」と誰かが呼び止めた。
 不意を突かれた恵比原が声のする方へ振り向くと、「あけぼの食堂」と書かれたのれんの前で店主と思われる初老の男が立っていた。
 店主に「あんた、昼飯は食ったのか?」と訊かれ、まだ食べていないことを気付くと、恵比原は急に腹が減ってきた。
「残りもんで良かったら、食っていきな。金は要らないから」
 普段なら「無礼な奴だ!」と怒り出す恵比原も、そのサバサバとした店主の物言いに好感を持った。
 これが福住の祖父・幸造との出会いであった。
 幸造に言われるままに食堂のカウンター席に着くと、出されたのは黄色いたくあんと千切りにした青じそを白胡麻で和えたものが乗ったホッカホッカのおかかねこまんまとみそ汁だった。
「あんた、さっきから思い詰めた顔をして、ブツブツ言いながら歩いていたんだ。で、そのうち川にでも飛び込むんじゃないかと思って、声を掛けさせてもらった」
「えっ!」と声を上げた恵比原は、それほど煮詰っていた自分に気付かされ唖然とした。
「何があったか知らんが、そんなに気張っていたら、碌なことはない。さあ、冷めないうちにそいつでも飲んで、ちょっと休んでいきな」
 厨房からカウンター越しにみそ汁を勧める幸造の声には、情に溢れる親身な響きがあった。
 恵比原は一口みそ汁を口に入れると、そのコクの深さと趣のある円やかさに舌を巻いた。
「どうやって作ったんですか?」
 目をしばたたかせて訊く恵比原に、幸造は「それは、企業秘密てっやつだ」と、子供ぽっく笑って見せた。
 みそ汁を置くと、恵比原は黄色のたくあんが乗ったおかかねこまんまを口に運んだ。
 バリボリ、バリボリと、豪快に音を立ながらたくあんを噛み砕くと、青じその爽やかな香が鼻を抜ける。そこにほんのり醤油を掛かったおかかねこまんまが加わって、もう箸が止まらない。
 いつも仏頂面で昼食を取っていた恵比原は、自分でも気付かないうち目を細めて、ねこまんまを頬張った。
「あらっ、いらっしゃい」
 遅い昼食の出前の配達から帰ってきた寿賀子がカウンター席の恵比原に声を掛けると、「客じゃねえ。そこで拾った」
 幸造が下拵えをしながら乱暴に答えた。
「すみませんね。口が悪くて」
 頭をペコリと下げる困り顔の寿賀子に「いやっ、本当のことです。そこで拾ってもらいました」と、恵比原は微笑んだ。
 日々、目に見えない重圧に苛まれ、強張っていた心が少しづつ解れていくのが、恵比原にも感じ取れた。
「ごちそうさまでした」と静かに箸を置き、手を合わせる恵比原に「よかったら、いつでも来な。ただし、今度は金取るからな」
 微笑む幸造に「また、余計なこと言って」と寿賀子がたしなめた。
「また、寄らせてもらいます」と、軽く会釈する恵比原の表情は少しばかりが明るくなっていた。
 店を出ると、すぐに恵比原の目に対岸にある大きな満開の桜の木が入った。
(なんて綺麗なんだ。俺はこんなことにも気付けなかったのか……)
 あまりの余裕のなさに苦笑いを浮かべた恵比原は、改めて気合いを入れ直した。
 それからといもの、恵比原は煮詰まる度にあけぼの食堂へ通った。
 幸造の料理を食べ、他愛もない会話を楽しみ、心身に活力を取り戻した恵比原は、再び厳しい経営に立ち向かった。
 ある日、苦悶の表情でカウンターに両肘を突いて手を組みながら、苦しい胸の裡を明かす恵比原に、野菜の下準備をする幸造は事も無げ言った。
「俺には難しい経営のことなんか解らんが、ちゃんと相手の目を見て話を聞いてやったらどうだ?」
「えっ? そんなこと嫌と言うほどやってますよ」
「だったら、何でそんなに反発されるんだ? そいつらだって、会社のことを想ってんだろう」
「しかし、何を言っても通じないですよ!」
 語気を荒げる恵比原に、幸造は吐息を漏らした。
「そりゃ、あんたが自分が正しい、間違ってないて、思い込んでるから、そう見えるんじゃないか?」
「えっ?」
「人とは仲良くするもんだ」
「そんな当り前なこと、子供でも知ってますよ」
 人を小馬鹿にするような物言いに恵比原が口を尖らせると、幸造は下準備の手を止めて見据えた。
「ああっ、そうだ。三つのガキでも知っているが、八十の爺さんでもやることは難しい。でもな、その当り前のことを、できていないのが、今のお前だ」
 そう指摘され、答えに窮する恵比原に幸造は微笑んだ。
「一度、あんたが『これが正しいんだ』『これしかない』てっ、思い込んでるもん捨てて聞いてやれ。そんでな、お互い腹割って話合ってみろよ」
―人とは仲良くする―
 人として暮らしてゆく上で、あまりにも当り前なことに恵比原は一瞬呆気に取られたが、そこは後に名門復活の立役者と謳われる傑物である、すぐにこれまでの己の言動を省みた。
 そこには、目を血走らせて有無も言わさず、相手をねじ伏せようとした浅ましい姿があった。
 目を閉じて恵比原は恥じ入った。自分のやり方に固執する器の小ささを見返った。
 やがて静かに目を開け「やってみます。腹を割って話合ってみます」と淀みなく言う恵比原に、幸造はニヤリと笑い「そうかい。大丈夫だ。あんたならできる」と、背中を押した。
 店を出ようとガラス格子の引き戸に手を掛けた恵比原を幸造が呼び止めた。
「おいっ、人の温かみがなきゃ、生きていたって味気ないもんだぞ」
 気持が少し前向きになった恵比原は「そうですね」と、笑顔で会釈して店を後にした。
 社に戻った恵比原は早速会議を開いが、役員達はうんざり顔をしていた。
 そんな雰囲気には構わず、恵比原は開口一番「すまなかった!」と、深々と頭を下げた。
 突然の謝罪に役員達は慌てて「社長、頭を上げてください!」と席を立ち、恵比原に駆け寄った。
 改めて恵比原は、役員達に言い分に耳を傾けた。今度はしっかりと、一人ひとりの目を見て聞き入った。
 彼らも、このままでは大日が早晩立ち行かなくなることを危惧していた。
 しかし、いきなり外資との業務提携、それも欧州自動車界の雄「カミオン・グループ」との提携は、一つ間違えれば大日が飲み込まれてしまうのではないかと、彼らは懸念していた。
(なんだ、そんなことを気にしていたのか……)
 重役達の話を聞くうちに、恵比原は何か拍子抜けするような気がした。
 そして、今まで力みまくっていた自分が滑稽に思え、思わず「ふっ」と笑みがこぼれた。
「社長、何か?」役員の一人が訝しむと、恵比原は笑顔のまま「いやっ、何でもない。続けてくれ」と答えた。
 話を聞き終えた恵比原は、役員達をスッキリとした顔で見回した。
 どの顔も明日の大日を想う気迫に満ちている。
(彼らとなら、この難局も乗越えられる。いやっ、乗越えてみせる!)
 そう自らを鼓舞した恵比原は、提携交渉に関しては決して焦らず、じっくり腰を据えて行うことを約束した。例え何年掛かっても、皆が納得するまで、粘り強くカミオンと交渉すると言い切った。
 これまでになく穏やかに、そして信念を持って外資との提携の必要性を熱く語る恵比原を見て、ようやく役員達も重い腰を上げた。
 一枚岩になった恵比原と役員達は、メインバンクの支援を取り付けると、極秘裏にカミオンと提携交渉を進めた。マスコミに嗅ぎ付けれて表沙汰になれば、会見や社内外の対応など、何かと面倒なことに振り回される。
 恵比原達は、社員にも気取られることなく慎重に事を進めた。途中、何度か行き詰まりそうになったが、双方とも互いに必要と考えていたので、諦めずに交渉を重ねた。
 大日にしてみれば、カミオンの豊富な資金力はもちろん、常に新しいものを取り込もうとする柔軟な社風には、学ぶべきことが多くあった。
 そしてカミオンから見れば、大日の生産技術はとても魅力的なものであり、また、アジア戦略の足掛かりにしたかった。
 水面下での交渉開始から二半年。ついに恵比原達は、カミオンとの業務提携に漕ぎ着けた。
 提携発表の会見で多くのフラッシュを浴びながら、カミオン・グループの代表と固く握手する恵比原の顔には喜びと共に、どこか「ほっ」とするものが浮かんでいた。
(よかった……。これで大日も甦る。皆、ありがとう!)
 同席していた役員達の目にも安堵の色が滲んでいた。
 会見を終え、一人社長室で休んでいた恵比原は、これからの大日を思い描いていた。
(さて、本番はこれからだ。改めて、ネジを巻き直さなきゃな)
 そう気合いを入れ直しす恵比原の頭に、ふと幸造と寿賀子の笑顔が浮かんだ。
「あっ」小さく声を上げた恵比原は報告がてら、しばらく足が遠のいていたあけぼの食堂へ明日にでも出向くことにした。

 翌日の昼過ぎ、表通りに社用車を待たせた恵比原は早る気持を抑えながら、足早に川沿いの道を進んだ。
 久しぶりにあの何とも言えないゆるい雰囲気の中で旨い飯を食い、二人と話せる。そう思っただけで恵比原の頬は自然と緩んだ。
 やがて、食堂が目に入ると恵比原は顔を顰めた。
(んっ? シャッターが降りている。今日は休みなのか?)
 不審に思いながら、急いで食堂の前に来ると、今度はシゲシゲと見回し出した。
 恵比原の目には、休みというよりも、すでに人が住んでいないような侘しさが、食堂から漂っているように見えた。
 シャッターが降りた食堂の前で、しきりに首をひねる恵比原に「そこ、もうやってないわよ」と、後から声がした。
 思わず振返ると、近所のスーパーからの買い物帰りといった風の少し太ったおばちゃんが自転車を携えて立っていた。
「どういうことですか?」
 恵比原が少し慌てて訊くと、おばちゃんは前カゴに積んだスーパーの袋を直しながら「去年の今頃かな、ここのご主人、心臓発作で突然にね……」と、言葉を濁した。
「えっ……」
 声を失う恵比原に構わず、「奥さんもね、その後を追うようにすぐにね……」と、おばちゃんはそう言い残して自転車と共に去っていた。
 余りのことに愕然とした恵比寿は、ただ一人食堂の前で立ちすくんだ。

(礼の一つも言えなんだ……)
 掘り炬燵に当りながら、そう胸の裡で呟いた海老原は昨日のことのように苦い後悔に染まる淀んだ目で、ただ黙って一点を見詰ていた。
 そこに廊下から障子越しに「御前、よろしいでしょうか?」と、天城の声がした。
 その声でいきなり現実に引き戻された恵比原は、ムッとした顔で「なんだ?」と、不機嫌そうに答えた。
 天城は躊躇いながらも「社長がご相談があると、今お電話が……」と、その旨を伝えた。
「今度はあいつか……」
 恵比原はうんざりと、吐息を漏らした。


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