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作品名:アナザー・デイズ 1977 作者:杉内健二

第9回   第1章 〜 3 天野翔太(3)
3 天野翔太(3)



「お前さ、脚、びっこ≠ミいてねえ?」
 何人かにはそんな言葉を言われたが、ほとんどの生徒は翔太の前では口にしない。
 きっと裏ではいろんなことを囁かれていた筈だ。
しかしそれでも、彼が口を開かなかったせいで、あっという間に屋上でのことは忘れ去られていったのだった。
「呼び出した三人がいなかったので、仕方ないから暇つぶしに、フェンスによじ登って景色を見ていたんです」
 それで……手を滑らせた。
きっとそれだけじゃないって思ったろうが、本人がそう言うんだから、そうだ≠チてことにしておくか……なんて印象ありありで決着が付いていた。
 それからリハビリを頑張って、多少引きずる感じは残ったものの、翔太はしっかり歩けるようになり無事退院。
それから、あの三人組は不思議なくらいチョッカイかけて来なくなる。それどころかいつも三人べったりだった筈が、滅多にそんな姿を見掛けなくなった。
なんにせよ、施設での生活は平穏で、普通の中学校生活を送れるようになる。そうなると成績も日に日に上向き、公立としてはトップクラスの高校普通科に進学することができたのだった。
そしてちょうどその年の春、あと一週間で五月を迎えるという日のことだった。
学校から戻ると、施設が大騒ぎになっている。同室の少年に尋ねると、生田絵里香が学校の屋上から飛び降りたんだと教えてくれた。
絵里香は一学年下で、入所は翔太よりぜんぜん早い。可愛い上にとびっきり明るい性格で、誰にでも好かれる女の子だった。
それが半年ほど前くらいから、妙に塞ぎ込むようになっていた。
翔太もそんな様子に気が付いて、何度か声を掛けたりしたのだ。
すると必ず、「なんでもないの」「大丈夫だから」などという答えが返ってくる。
受験生であったのと、失恋でもしたんじゃないか?――なんて噂もあったりしたので、翔太もあえてそれ以上突っ込んだりはしなかった。
そして遺書も何もなく、衝動的な自殺と断定される。さらに翔太が飛び降りたのと同じフェンスをよじ登り、翔太の落ちた生垣よりもっと遠くへ飛んでいた。
 ――どうして……なんだよ!?
 施設にいるみんなが疑問を感じ、彼女の自殺を心の底から悲しんだ。
 そんな事件から三日目の夜、荒井が深夜になっても施設に戻ってこない。
すでに高校三年になっていた彼は、来年の就職と同時に施設を出ていくことになっている。だから多少のことは大目に見て貰えたが、無届けで帰宅が深夜になるのは初めてのことだった。
その夜、施設の明かりが消え去った頃、部屋にある窓ガラスが「カチン」と小さな音を立てたのだ。
二段ベッドの下段で寝ていると、小さな出窓が頭の少し上にくる。
そこから窓を叩くような音が何度か聞こえ、翔太はベッドから起き出し、出窓の外を覗き見た。
すると人影がはっきり見えて、その背格好こそ、まさに荒井良裕のようなのだ。
 きっと鍵が掛かって入れずにいて、鍵を開けて欲しいということだろう。そう思って玄関の方を指さすが、荒井の方はまったく別のジェスチャーをして寄越す。
「出てこい!」と、明らかに彼の仕草はそう言っていた。だから翔太は仕方なく、同室の少年に気付かれないよう部屋を出る。
玄関を出ると、やはり荒井が待っていて、「ついてこい」という感じに腕を小さく二、三度振った。
そうして近くの公園に連れて行かれ、そこ初めて荒井の状態を翔太は知った。
きっと、二、三発ってどころじゃぜんぜんない。
公園の薄暗い中はっきりしないが、顔が異様に腫れ上がり、顔のあちこちに血らしきものが貼り付いている。両目ともほとんど閉じていて、それでも荒井にすれば、精一杯見開いているってことだろう。
「どうしたんだよ……それ、誰にやられたんだ?」
「まったくな、お前が来てから、ロクなことが起きねえよ……くそっ」
 なんて言葉を発しながらも、荒井の顔には笑顔があった。
 そこから彼が語り出した話を、翔太は何度も遮り、声を荒げて問い正すのだ。
――嘘だ! 
――嘘だろ? 
――本当なのか? 
――本当の……ことなのか?
何度もそんな台詞を繰り返し、否定しようとしない荒井に殺してやりたいってくらいにムカついた。
「どうして! あんたがそんなことを知ってるんだ!?」
「最初は俺が、段取ったんだ……あいつに頼まれて……まさか、こんなことになっちまうなんて、思いもしなかったから」
「おかしいだろう? あいつ、林田ってのは確か、もう二十五歳くらいじゃないか! 絵里香の方は十五歳だぞ! どう考えたって、恋愛の対象になんかなる筈ないって!」
「だから、しょうがなかったんだ……しょうがなくて……」
 ――絵里香と二人っきりになりたい。
 そんな林田の申し出を、荒井には断りきれない理由があった。
「俺、小学校から中学までが酷くてよ、まあホント、人殺し以外はなんでもやったって感じだったさ。そんなのを、あいつはみんな知ってて……というか、ほとんどはさ、あいつの指示でやったことなんだ」
「暴走族とか、そんなのか?」
「族? へっ、そんな甘いもんじゃねえさ。あいつの兄貴は、ホンマもんのヤクザでさ、この施設だって、言ってみりゃあ、組の下部組織みたいなもんよ……だからさ……」
 それだけ言って、荒井は「フッ」と短く息を吐いた。
「ま、そんなことはどうでもいい。とにかく俺は、逆らったらバラすって脅かされて、あいつには絶対、ずっと逆らえなかった。それでもよ、イタズラくらいなら、ちょっと触ったりするくらいならよ、減るもんじゃねえしって、思ってたんだ。それなのに、あのクソ野郎、ロリコン野郎のやつ、とうとう本当に、突っ込みやがった……くそ! 」
 ――突っ込みやがった。
 この言葉の意味を理解するのに、きっとふた呼吸程度は掛かったろう。
 それでもパッと閃いて、気付いた時には荒井の胸元を締め上げている。
 そこで初めて、荒井の顔を間近に見るのだ。
 そうして途端に、振り上げた拳が行き場を失い。ふらふら空を彷徨った。
「あいつ、言ったんだ。何をしたんだって、聞いたらよ、ヘラヘラ、笑いながら、大したことじゃ、ねえって……それも、何人かで、輪姦したんだって、言いやがった」
 腫れ上がった瞼から荒井の涙が溢れ出て、途切れ途切れの吐息が翔太の顔までしっかり届いた。
 そこでつかんでいた胸ぐらを突き放し、翔太は声を荒げて告げるのだった。
「それで、どうしてあんたが、ボコボコにされるんだ?」
「俺はあいつと、付き合ってたんだ……だから、だから……」
だから、叩きのめそうとして……逆にやられてしまったって、ことなのだろう。
どっちにしたって、
 ――自業、自得……。
 フッと浮かんだそんな言葉を口にできずに、痺れるような思いと共に飲み込んだ。
 荒井は生田絵里香と小さい頃から一緒に育ち、数年前から密かに付き合うようになっていた。
行きたくもない高校へ通い続けてこられたのも、荒井なりに絵里香とのことを考えていたからだろう。そうしてちゃんとした会社へ就職しようと願ったが、所詮それは夢物語でしかなかったらしい。
 組関係の会社に入れ――という林田の申し出を断ってしまえば……、
「いいのかあ? バラされちゃったら、絵里香だってどう思うかな〜」
 もちろん就職どころか、警察に手配されるに決まっていた。
「でも、そうなったって、断りゃよかった……くそっ、俺のせいで……俺の、せいで、あいつは……あいつは……」
 そうして林田に殴り掛かり、逆にとことんボコボコにされた。
気付けば夜になっていて、慌てて施設に戻ってきたってことらしい。
「それで、どうして俺に? こんな、話を……」
「誰かに、真実を知っておいて、欲しかったんだ。お前なら、軽々しく、人に喋ったりしないだろうしよ。何より絵里香も、お前になら、話していいって、言ってくれそうだったし、な……」
そうして荒井はその日を最後に、二度と翔太の前に現れない。
 施設にも黙って、彼はどこかへ消え去ってしまった。
もちろん警察にも届けを出して、翔太も行きそうなところを必死になって探し回った。
しかし誰一人彼から行き先を聞いてはおらず、ひと月経ってもなんの手がかりも得られなかった。
 その間も施設では、林田が平然と働いていて、翔太は何度も殴りかかりたいという衝動を懸命に堪える。
そしてあと数日で、ふた月が経とうかという頃だった。
 長野の山中で、荒井の死体が発見された。
 地元の人間でも滅多に入って行かない山奥で、彼は一人で酒を飲み、酔った状態で川底へと転がり落ちて死んでいた。
事件性はないそうで、警察では事故だという結論を出した。そんな説明が施設長からされた時、食堂には入居者全員が集まって、もちろん翔太もその場にいたのだ。
しかしその視線は施設長へは向けられず、ずっと林田の方を向いている。そうして話が終わりかけた時、翔太は思わず声にしていた。
「死後、どのくらいだったんですか?」
「ああ、死後、そう、死後ねえ……多分、ひと月とか、くらいだったかな……」
「あの、それじゃあ、荒井さんの身体に、殴られた痕とか、不自然な傷とかなかったんですか? 川に落ちた時に付いたのとは、明らかに違うってやつ……」
「不自然な傷? うん、そういう話は、聞いてないな」
「それじゃあ、どうして長野なんかに、彼は、どうして……?」
「さあ、どうしてなんだろうねえ……残念だけど、その辺はわからないなあ……」
――こいつ、真剣に聞いてきてねえな!?
「他殺って可能性は、ないんですか?」
「他殺? え? 誰かにって、ことかい?」
 ――当たりめえだろうがよ!!
「う〜ん、そこまでは、聞いてこなかったなあ〜」
 そう言って、施設長は困ったような顔して頭をかいた。
 ――こいつに、何を聞いたってダメだ!
 所詮、身寄りのない孤児なんだからと、大まかなことしか聞いてやしない。だから明日にでも警察に出向いて、詳しい状況を聞いてこよう――と、彼がそう考えた時だった。
再び向けた視線の先で、林田の顔が歪んで見えた。
広角を上げ、妙に目を細めて辛そうにも見える。
ところがまるでそうじゃなかった。
――笑ってる、のか?
辛そうどころじゃぜんぜんなくて、
――あの野郎、笑っていやがる!
すぐに元の表情に戻ったが、アレは笑いを抑えている顔そのものだ。
思わず足が一歩に出た。
ちょうどその寸前、施設長の声が響いて、集まっていた全員が四方八方へ動き出す。
二歩目が林田に向く前に、彼にも声が掛かるのだった。
「天野くん、ちょっといいか?」
 施設長から声が掛かり、爆発寸前だった感情がほんの少しだけ萎んでくれる。
 それでも不機嫌そうな顔付きのまま、彼は施設長の目の前まで近付いた。
 ――何か知ってることがあるなら、隠さずにわたしに教えて欲しい。
すると施設長からそんなことを言われ、
 ――さっきのことは、もう一度、警察に行って聞いてくるから……。
 そんなことを告げられ、ほんの一瞬だけだったが、話してしまおうかという思いが頭を過ぎった。しかしすぐに、荒井の言葉が蘇るのだ。
――この施設だって、言ってみりゃあ、組の下部組織みたいなもんよ……だからさ……。
だからなんだと言おうとしたのか? 
そこんところは不明だが、ただとにかく……、
――こいつだって、信用できない……。
だから何も知らないと答えて、食堂から立ち去ろうとした時だった。
振り返った翔太の前に、林田が笑顔で立っている。
それでも彼はそのまま通り過ぎようとした。
すると待ってましたとばかりに、林田の声が響き渡るのだ。
「えらい! えらい!」
慌てて振り返った彼の目に、林田の満面の笑みが飛び込んだ。
「いい子でいるんだよ、天野くん〜」
 なんて声が続いたが、そんな言葉以上に衝撃だった。
――笑って、る?
 林田の後ろに施設長がいて、その顔が広角を上げ、満足そうに目を細めている。
 ――やっぱり、こいつら……。
 そんな認知と同時に、彼の覚悟も定まったのだ。


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