3 天野翔太(2)
三人組から学校の屋上に呼び出される。二人がかりで羽交い締めにされて、荒井が翔太の腹を何度も何度も殴るのだ。 「死ねよ! 死んじまえよ!」 そんな言葉がその都度漏れて、あっという間に翔太の意識も途切れかかった。脚がガクンと折れ曲がり、そこでやっと満足したのか、荒井が金子と福田に告げるのだった。 「これくらいにしといてやるか、なあ」 そんな声に二人は頷き、涼太から腕を離してサッと離れる。 途端に翔太は膝を突き、そのままバタンと倒れ込んでしまった。 「勘弁してやるよ!」 さらに荒井がそう言いながら、翔太の横っ腹めがけて足を思いっきり蹴り込んだ。 呻き声が漏れて、翔太の口から赤黒い唾液がほとばしる。 顔に苦悶の表情が張り付いたのを確認し、やっと荒井は翔太から視線を外した。そのまま悠然と歩き出し、その後ろを金子と福田も続くのだ。 そうして三人が階段踊り場に降り立った時、最後にいた福田がチラッと後ろを向いて翔太の様子を覗き見る。屋上の扉を閉める序でに、ほんの軽い気持ち見ただけだった。 ところがそこに翔太はいない。 あれ?――と思ってその周りを見回してすぐ、福田の視線はあるところで固まった。 「おい!」 翔太に向けての言葉だったか? 荒井と金子へのものだったのか? とにかく福田の発したその声に、二人もすぐに彼が驚いたその理由を知った。 翔太がフェンスの上にいたのだ。今にも落ちてしまいそうにフラフラで、フェンスの一番上っ側を両手で必死に掴んでいる。 校舎は鉄筋コンクリートの三階建てだ。 その屋上のフェンスを越えれば地上に向かって真っ逆さまで、普通なら助かることはまずないだろう。 「何やってるんだ? あいつ」 「自殺でもしようってか?」 福田の不審げな問い掛けに、金子が満面の笑みで面白そうに声にした。 しかし荒井は真剣な顔を崩さずに、翔太の登ったフェンスの方へ歩き出す。そうして翔太のすぐそばに来て、妙に落ち着き払って告げるのだった。 「自殺でも、する気なのか?」 すると翔太は笑顔になって、 「ああ、そのつもりだ……心配か?」 そう言いながら、荒井の後ろにいる金子と福田をジッと見つめる。 「ふん、そんな度胸もないくせに……」 「そうだよ、やれるもんならやってみろって!」 「そうだ! やれやれ!」 荒井の嘲るような物言いに、そんな二人の声が続いた。 すると再び荒井の声が響き渡って、 「ちょっと黙ってろ!!」 ドスの効いたその声色に、二人は揃って下を向いた。 「まあ、そうだろうな……これで俺が死んだりしたら、お宅ら三人だってただじゃすまない。俺がアンタらに呼び出されたのはさ、そこらじゅうの奴らが知っている。まあ、ご丁寧に、一年の教室まで来て頂いたんだからな。だから授業が始まる頃には、きっと先生にだって、伝わっているだろうよ……」 死因が地面への激突だとしても、その前にやられた傷はしっかり判別できるだろう。となれば、誰が見たって自殺に至る原因とは……。 「アンタら、三人だわな……」 そう言って、翔太はニヤッと笑ってみせた。 「俺は殴ってねえ!」 「俺だってそうだ!」 「黙ってろって言ったろう!!」 金子と福田のそんな声に、再び荒井の怒鳴り声が響いた。 荒井は苦み走った顔を崩さず、翔太を見上げ、何か考えているようだった。 「とにかくだ。人を虐めてりゃ、こういうことだってあるってことだ。これからは、その辺をよおく、考えてやるこった……」 「お前が死んだからって、どうってことないぜ……」 「そうか? それならよかった」 「直接殺したわけじゃない。そんなので、年少にだって今時入れやしねえさ」 「それでも、人の噂はついて回るぜ、あいつは中学三年生の時に、一年生を自殺にまで追い込んだってな……ま、どうなるかは、やってみないと……」 ――わからんよ。 最後の言葉は、残念ながら荒井の耳には届かなかった。 翔太の指先がフェンスから離れ、金子と福田の声が瞬時に響いた。 「やめろ!」 「やめてくれ!」 そんな声を耳にしながら、翔太の身体は向こう側へと倒れていった。 それからほんの数秒後……甲高い悲鳴が聞こえ、続いて怒鳴り合うような男の声が屋上まで聞こえ届いた。 「落ちちゃったよ、どうする?」 福田の泣きそうな声だった。 「おい! どうするんだよ、荒井!」 背中を向けたまま動かない荒井に向けて、金子が続けてそう声にする。 「おい! 何とか言ったらどうなんだ!」 「うるさい! 考えてるんだ! 黙ってろ!」 「黙ってろ黙ってろって、それしか言えないのかよ!」 「とにかく、俺は殴ってねえし、ここに呼び出したんだって、荒井に言われて教室まで行ったんだ。それだけの、ことなんだからな……」 「俺だって、俺だって関係ないぞ。ぜんぶ、おまえが指示したことなんだ」 金子と福田はそれだけ言って、さっさと屋上から逃げ出してしまった。 それから二、三分して、やっと教師が屋上までやってくる。当然何があったのかと聞かれるが、荒井は終始一貫しておんなじ言葉を繰り返すのだ。 ――何も知らない。 ――ここに来た時には、すでにフェンスの上にいた。 ――あいつの身体に触れてないし、飛び降りたことと、自分はまったく関係ない。 幸い警察には通報されず、救急車が到着した頃には荒井も解放されている。後は翔太が死んでしまえば、事を荒立てたくない学校は何も言ってくる筈ない……そう考えていた荒井はその日の夕刻、施設の職員に驚きの事実を知らされるのだ。 「天野のやつ、助かったようだぞ」 「屋上から落ちて、助かったってことか?」 「お前んとこ、校舎と校庭の間にさ、花壇と交互に生垣があるだろ? あそこに落ちたんで、運よく助かったってことらしい……」 施設では一番の下っ端職員で、まだ二十代という林田が、妙に馴れ馴れしい感じで荒井に話しかけていた。 「あの二人がさ、帰ってくるなり俺んとこに来てさ、まあビビちゃって、可哀想なくらいだったぜ……」 黙り込んでしまった荒井を見つめて、林田はなんとも嬉しそうに続けて言った。 「そう言えばお前ら、あいつが飛び降りた現場にいたんだって? なあ、おいおい、それって、大丈夫なやつか? まさか、僕は荒井くんに突き落とされました……なんて、言われちゃったりしないだろうな?」 戯けるような林田の声に、「そんなことあるわけない」と答えはしたが、実際のところ、何を言われたって不思議じゃなかった。 ――散々殴られて、僕は混乱してしまい、気付いたらフェンスの上にいたんです。 なんて感じを告げたとしても、決して嘘≠チてことにはならないだろう。 ところがそれから数日経っても、何も変わったことは起こらなかった。 天野翔太は脚を複雑骨折していたが、意識はしっかりしているらしく、もちろん死ぬなんて状態ではまったくない。 しかし……そうであるなら、 ――何か言ってきても、よさそうなもんだ。 そう思いながらも月日は過ぎて、屋上騒ぎから三ヶ月が経った頃、天野翔太は退院し、施設に姿を見せたのだった。
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