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作品名:アナザー・デイズ 1977 作者:杉内健二

第37回   第5章 〜 3 偶然
 3 偶然



 還暦をあと二年に控えて、安藤は突然、組織に退官の意を申し出た。
あと四年はこのまま働くこともできたが、連れ合いを癌で亡くし、同じ生活を続けていく自信を喪失。そうして退官後、なぜか教習所に通い始めて二種免許を取得する。それから亡き妻の好きだった信州の山奥に引っ込んだのだ。
庭の広い一軒家を借りて、本当の意味での自由気ままな生活だ。
一年くらいが経った頃、彼は取得した免許でタクシー会社に就職し、週に三日間だけ働き始める。そしてちょうどその頃、彼は偶然、ある光景を目撃する事になっていた。
非番だった彼は、朝早くから山歩きをしようと家を出た。舗装された坂道を上がって行って、まもなく登山道入り口が見えるだろうという頃だった。
――あれ?
前方に、見慣れぬ車が停まっている。
なんとも珍しいその光景に、彼は足を止め、暫しその様子を窺った。
政府の要人が乗り込むような黒塗りの大型外車だ。リアウインドウが真っ黒なので、乗っている姿はまったく見えない。
ただとにかく、ハイキングのために乗りつけるような車じゃ絶対ないし、
――あの辺りは、登山道よりずいぶん手前だ……。
となれば、いったいあそこで何をしているのか?
――まさか、事故!?
そんなことを考えながら、彼は再び車に向かって歩みを進めた。
あと二十メートルほどに近づいた時、突然、車より更に前方から、いきなり男の姿が現れ出るのだ。
きっと登山道から飛び出て来たのだろう……上背のある男は転がり落ちるように道路に現れ、その勢いのまま車に向かってダッシュを見せた。
 すると後部座席のドアがゆっくり開き、別の男が姿を見せる。
 その時、いきなりその名が聞こえて来たのだ。
「林田さん!」
 それは助けを求める叫びのようで、まさしく車から出てきた男に向けてだ。
車の男の方は年齢など不明だが、走って来た方は二十代中盤くらいか……その格好からして、マトモな生き方をしているようには思えない。
そしてその姿を目にした途端、安藤の脳裏に前夜の記憶が蘇るのだ。
それはそろそろ店じまいしようかって頃で、その格好からしていい感じがしなかった。
だから安藤にしては珍しく、手を振る男の前を気付かないふりして通り過ぎた。
ところがちょっと行ったところで運悪く、赤信号に捕まってしまう。そうして青になるのを待っていると、いきなり「ドンドン!」という音がして、見ればさっきの男が助手席のウインドウを叩いている。そして何やら叫んでいるのだ。
――てめえ、この野郎!
――なに乗車拒否してやがるんだ!
――さっさと乗せろ!
――この野郎!
だいたいがこんな感じの文言で、見事にその見てくれ≠ニバッチリハマった。
 そうしてやっと青になるのだ。
そこで男に向かって笑顔を見せて、彼はゆっくり車をスタートさせる。
当然、男は更なる大声で喚き散らし、車から離れまいと必死になった。そんな姿を確認し、横断歩道から十メートルほど離れたところで停車する。
それから、ちょうど追い付いた男の為にドアをゆっくり開けるのだ。
そうして後部座席に顔を突っ込んできた男に向けて、安藤は笑顔で告げるのだった。
「お客さん、すみませんね〜 横断歩道の付近は乗せちゃいけないもんで〜」
 ――だから横断歩道を越えてから乗せようと思った。
 そう声にして、彼はさっさと前を向いた。
 もちろん男はそんな言葉に納得しよう筈もない。ガアガアと文句を言いながら、それでも後部座席に乗り込んでくる。
「さあて、お客さん、どちらに参りましょうか〜? もしも観光なら、わたしにすべてお任せくださいよ」
「ばかやろう! もう夕方だってのに、観光のわけねえじゃねえか!」
「ああ、じゃあ、お仕事ですか〜 そりゃあご苦労さまでえ〜」
 なんとも拍子抜けするその言いように、男の怒りもそこまでだった。
「まったくよう! てえ¥繧ーたらすぐ止まれってんだ! このクソ親父!」
 なんてのを最後に、男はぶっきらぼうにホテルの名前を挙げるのだった。
「お客さん、そこはこの辺りじゃ、一番高級なホテルですよ〜」
「まあな、そりゃあ上から言われて来たんだから、そのくれえはよ、当たり前よ」
 すでに機嫌は直ったようで、男はそこからいろんなことを話し出した。
 今日は部下だった奴に、わざわざこんなところまで会いに来てやった。
東京生まれの自分からすれば、こんな田舎に住む野郎の気が知れない……などなど、それ以外にも話していたが、だいたいが自慢話か、世の中に向けての悪態ばかりだ。
 ただとにかく、そんな男との再会だった。
「林田」と叫んだ若い男がまさにそいつで、きっと車から降りて来たのが彼の言うところの上司だろう。
 二人はさっさと車に乗り込み、更に上を目指して走り去ってしまった。
 だからと言ってこの時は、ただそれだけのことだった。
 ところがそれから、ふた月ほどした頃……男たちを見掛けた山から更に奥へ入り込んだ山間で、若い男の死体が発見される。
 人が滅多に通らぬような山道から、足を滑らせ――という警察発表なのだろう、新聞にはそう書かれてあって――川岸まで一気に転落したという。
 気温も低く、死体の痛みはそれほど酷くなかったが、カラスか何かに突かれたせいで、ちょっと見ただけではどこの誰だか分からない。それでも所持していた財布の中から生徒手帳が見つかって、すぐに男の身元は判明した。
 当然、安藤の知らない名前だ。
 ――どうして、あんなところに行ったりしたのか?
 などとちょこっと思っただけで、そんな死体のことなど頭の隅にも残らない。そうして七年近くが過ぎ去って、事件があったことさえ忘れ去っていた。
 なのに……一気に蘇って来たのは、その背格好が似ていたこともあるだろう。
 最初、目にした時には、登山道に入り込もうとしているところ。ほう、ずいぶんと大きいなあ……なんて感じただけで、そのまま通り過ぎてしまうのだ。
 ところが後部座席から声が掛かって、バックミラーに目をやった途端、
 ――あれ、こんな場面を、どこかで見たぞ?
 フッとそんなことを感じつつ、彼は慌てて車を停めた。
それから言われた通り車をバックさせ、倒れ込む若い男に目をやった時だ。
スッと頭に過去の光景が浮かび上がって、そこからずっと一つの疑問が頭の中から消え去らない。
――もしかするとあれが、関係してるんじゃないか?
 同じ辺りからいきなり現れ、「林田さん」と叫んだ男にいったい何があったのか?
 あの登山道から三十分ほど行った辺りに、この辺のものしか知らない抜け道がある。
 その先には見晴らしのいい崖があって、地元の若いカップルなんかが夕陽を眺めに訪れるのだ。しかしそんな話もずいぶん昔のことで、その抜け道も今となっては、残っているかどうかだって怪しいものだ……それでも……、
 ――もし、あそこから落ちたんだとしたら……?
 死体が発見された川岸もそこからそう遠くない。
――となれば、あいつら……。
偶然で片付けるには、どうあったって灰色すぎた。

         ✳︎ 

寒い……そう感じた瞬間、横っ腹に痛みが走った。
思わず痛みの場所を押さえようとするが、なんと腕そのものが動かない。
――え!?
と思って周りを見れば、まるで知らない場所にいる。
冷たい床に尻を付け、細い棒のようなものに寄り掛かっているようだ。
――これって、どこ……?
確か電話ボックスから電話を掛けようとして……誰かに、声を掛けられた。
――ま……さか!
いきなり体温が下がった気がして、身体の中を冷気がゾワっと駆け抜けた。
両手が身体の後ろにあって、なぜだかまるで動かせない。
そして、見知らぬところで目が覚める。
となればあの時、
――俺は、気を失ったのか!?
そう思ってからは、ありったけの力で自由を取り戻そうと頑張った。両手首が縄か何かで結ばれていて、更にその縄が背中にあるものにしっかり固定されている。
どうにも動きが取れないまま……どのくらいの時が過ぎ去ったのか?
疲れ果て、それでも地べたに横にもなれずに、彼はそこでやっと大声を出した。
「誰か! 助けてくれよ!」


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