2 行方
「じゃあ僕の方は、林田が今、何をしているかを調べてみるよ」 どうして……あんなことを言ってしまったのか? もちろん、自分から焚き付けたってこともある。それでもやっぱり、翔太のやる気に乗せられたっていうのが本当だろう。 翔太が施設に顔を出し、荒井が使っていた部屋を隅から隅まで調べても、ノートの欠片さえ出てこなかった。そして当然、ノートを隠し持っていた少年も退所済みで、彼はそんな事実を残念そうに口にしてから、さらに続けて言ったのだった。 「そいつ、山口まさと≠チて言うんだけど、施設で聞いたらさ、そいつの本籍地だけは分かったんだ。まあ、退所してから、そこに戻ったとは考えにくいけど、今住んでるところを誰かが知っているかもしれないし、明日、朝一番で、行ってこようと思うんだ……」 山口まさと。 翔太の一学年後輩で、彼が荒井と同室だった。 荒井からノートの入った鞄を譲り受け、さらに山口まさとの本籍地とは、 「荒井が死んだ山ってのと……これがまた、えらく近いんだよ」 ――こんな偶然あるわけない! 達哉を大山≠ノ呼び出して、彼は力強くそう訴えた。 そこで思わず、達哉は返してしまうのだ。 林田が今、どこで何をしているのかを、明日一日調べてみる……などと、なんて安易に口にしたのか? 「施設長は相変わらずアイツだったよ。だけど林田の方は、釈放された後、施設には戻っていないらしい……」 そんな翔太の言葉をしっかり受けて、彼は再びあのビル目指してやってきた。 ところがそこから困ってしまった。 まさか……ビルの中に入り込み、「林田さんは今どこに?」と尋ねるなんて度胸はないのだ。となれば、ずっとここで見張っているか……。 ――親父の会社に、勤めているとは限らないし……。 だからさっさと諦めて、素直に白旗上げちゃうか……? なんてことをチラッと思うが、今頃、翔太は長野の山奥に向かっている。 ――きっと彼のことだから、心底、一生懸命に決まってる。 そんな翔太を心に思い、一か八かの勝負に出ようと決めるのだった。 「すみません、林田さんは、そちらにいらっしゃいますか?」 ――社長に何かようか? 「あ、違います、息子さんの方です。わたし以前、施設でお世話になってまして……」 ――施設? 「はい、林田さん、以前多摩学園≠ナ働いてましたよね……」 ――ああ、多摩学園か……わかった、ちょっと待ってくれ。 こんな感じで相手が受話器を置いたら、その隙に電話ボックスから飛び出し、一気に逃げる……なんて、都合のいい想像を繰り返し、いよいよ十円玉を投入口に入れ込もうって時だった。 「すみません、ちょっといいですか?」 そんな声が耳元で聞こえて、達哉が慌てて振り返った瞬間……。 すぐ目の前に大きな顔があり、 「あ、金城……」 彼は思わずそう呟いて、腹にドシンと衝撃を感じた。
長野駅から在来線に乗り換えて、さらにジェイアールの駅から、一時間に一本だけってマイクロバスに乗り込んだ。 客は翔太一人だけ。 あっという間に家々が消えていき、辺りが一気に寂しくなる。 それでもバスはゆっくりゆっくり山道を上がって、いきなり「え?」というところでエンジンを止めた。そうしてバス停の名を告げてから、運転手が翔太の方を振り返るのだ。 「お客さん、本当に、行きなさるかね?」 「ここが、そうなんですよね?」 「う〜ん、そうだねえ……昔は、この先の橋を渡ったところに小さな村落があってね、そこから通っていたワシの同級生なんかもいたんだが、今はもう、誰も住んじゃいないと思うよ」 ここまでやってきてからそんなことを言われても、今さら行かないって選択などできるはずがなかった。 「とりあえず、行くだけは行ってみます、色々と、ありがとうございました」 「じゃあ、あれだ……このバスの運行は四時のが最終だから、くれぐれも乗り遅れんよう気を付けてください」 そう言って笑顔を見せる男性に、翔太は深々頭を下げたのだった。 それからひび割れだらけのアスファルトの道を上っていくと、聞いていた通り左手にゴツゴツしたコンクリート剥き出しの橋がある。彼はダッフルコートのポケットから折り畳んだ地図を出し、かじかんだ指で苦戦しながら開いていった。 やはり橋の先が目指しているところのようで、地図の上には地名がある以外、番地などはもはや無い。 結果、そこから歩いて十分で、集落だったらしいところに行き着いたのだ。 しかしそこは見事に荒れ果てている。 なだらかな斜面に十軒ぐらいの家々――だったろう廃屋――が点在していて、どれもこれもが住まいとしての機能をほぼほぼ失っていた。 建物は傾き、屋根瓦が剥がれ落ちてしまっているせいで、屋根のあっちこっちに穴がある。そんなだから当然、窓から覗いてみても家の中は荒れ放題だ。 翔太はそれでも一軒一軒見てまわり、最後の一軒で驚くものを発見する。 それは、何十年、もしかすると百年くらいの長きに亘り、ずっとこの場所にあったのだろう。 それゆえに、彫られた文字は掠れに掠れ、そっくり返ってひび割れている。それでも柱にしっかりへばり付き、ここに住んでいた者たちの名を伝え続けてきた筈だ。 だから翔太も、その名を目にして驚いたのだ。 ――荒井……だよな……。 切り込んだ部分ところどころが黒ずんでいて、なんとか元あった文字を連想させた。 ――ここは、あの荒井の家だったのか? もちろんたまたま同姓が……って可能性はある。 しかし翔太ははっきり思い出したのだ。 施設にいた頃、彼の死を知らされて、施設長にいろいろ質問した時だ。 ――どうして、長野の山なんかで? ――う〜ん、確か、生まれがその辺じゃなかったかな? だから死に場所に選んだんだろうと、確かそんなふうに言ってきたのだ。 ――だから……なのか? ――だから、お前は……? なんとも言えない奇遇を感じ、彼は徐になだらかな斜面に目を向けた。 ここに、あいつらが住んでいた……そんな思いに囚われながら、翔太はそこから引き返し、再び一軒一軒、山口の実家だった家を探していった。 長野県松本市で生まれ、彼が生まれてすぐに母親が他界。父親も物心付く前に失踪してしまい、彼は親戚の住む山奥の村落に引き取られる。 きっとそこには三つ年上の荒井がいて、一緒に学校などにも通ったろう。 ――だからあいつは、あの頃、山口まさとを可愛がっていたのか……。 そんな荒井は生まれ故郷の山で死体となって、一方山口まさとはどこに行ったか分からない。 ――あいつは本当に、故郷で死のうとしたんだろうか? ――いやいや、そんなことするわけないじゃないか!? 確かに絵里香のことはショックだろう。 それでも命を絶とうとまでするか? こんなことを考えているうちに、彼は荒井の遺体が見つかった現場へどんどん行きたくなっていく。 山口まさとの実家を確認する時に、そんなところも一応チェックしておいたのだ。 地図によれば、山の反対側っていうだけで、そうは遠くじゃない筈だった。 結局、山口の行方は分からないまま、彼は朽ち果てた集落を後にした。それから地図を頼りに荒井の死に場所を目指して歩き始める。 一度、かなり山を下って、山の反対側へと続くハイキングコース入り口を目指した。 そんなハイキングコースをずいぶん外れたところで、彼は一人で酒を飲み、酔った状態で川底へと転がり落ちて死んでいた。 ――あんなところには、普通なら誰も近付きゃしないさ。 そう言いながら、この辺なんだと取調べ中の刑事がわざわざ話してくれたのだ。 きっと彼なりに、翔太の無念を察してくれたせいだろう。地図まで引っ張り出して、現場に出向いた警察官の話をいろいろ教えてくれた。 事故にしてもなんにしても、わざわざあんなところまで出向くってことは、それなりの覚悟がある筈だ。つまり死に行く場所を探していたと判断するのが自然で、殺すのであればもっと楽なところがいくらでもあると、刑事は笑顔でそう言っていた。 そんな話が本当なのか? 翔太は目にしてみたいと心の底から思ってしまった。 そうして橋からさらに三十分ほど下っていくと、ハイキングコースを示す標識が道から少し上がったところに現れる。 かなり朽ち果てかけていて、そうだと思って見ないとその名も読み取れないだろう。 ――ここを、入って行ったのか? そんなことを思うと同時に、どちかといえばきしゃ≠セった荒井が、目の前にある急な斜面を必死に上がろうとする姿が思い浮かんだ。 「よし、行くぞ!」 そんな意気込みを声にして、翔太が斜面に足を掛けようとした時だ。 視界の隅に、一台のクルマがしっかり映る。そしてその瞬間、彼は何を思ったか、慌てて斜面に向かって突進する。ここに入ったことを知られたくない……そんな感情が押し寄せて、土剥き出しの斜面に勢いよく飛び込んだ。 ところがあっという間に左足が滑って、膝が一気に斜面に激突。「あっ」と思った時には両膝がフワッと浮いて、顔が天を向いている。 まるで背泳ぎのスタートのように、天を仰いだまま道路に向かって真っ逆さまだ。 翔太は咄嗟に上半身を捻り、カラダ全体を丸めて後頭部に両手を当てた。両耳にしっかり腕を押し付け、ギュッと両目を閉じたのだった。 ドシンと脇腹に衝撃があって、次に右腕に痛みが走った。 ゴロンと半身だけ転がって、打ち付けたカラダを天へと向ける。 息が吸えず、吐くこともできない。 その時不意に、タクシーのことが思い浮かんだ。 彼は唸り声を上げながら、 ――まさか、気づかないってこと……ありゃしないよな。 なんてことを微かに思った。 そうしてなんとか肘を付き、少しだけ上半身を傾ける。顔を上げ、タクシーの見えた方に目を向けた。するとタクシーはどこにも見えず、翔太は少しホッとして、背中を地面に付けたのだった。 まだまだ痛みは強烈で、小さく、静かにソッと呼吸をしてみた。 するとナイフでも突き刺されたような痛みが走って、彼は思わず唸り声を上げる。 ところがその時、いきなりだった。
|
|