2 超能力
「じゃあいい? 六時頃にはお店に行くから、その時までに二、三杯くらい飲んでなさいよ。ちょっと酔ってた方が、なんかさ、真実味あるでしょ? あ、一番奥のテーブルだからね……そこんとこ、よろしく!」 確かに、千尋はこう言って、達哉に笑顔を見せたのだった。 だから達哉は、一番奥のテーブルに六時頃だと、頭にしっかり刻み込んだ。 そうして当日、頭にあった通り向かっていると、ずっと前の方から見覚えのあるシルエットが目に入る。 ――え? もう来たのかよ!? と思ったところで気が付いた。 時計を見ればほぼほぼ六時。 今頃は、もう二、三杯は飲んどけってことだった。 そんな事実を知った頃には、やたらノッポのシルエットの横で、明らかに千尋の顔が唖然としている。 ――どうしよう? そう思っているうちに、彼女は一気に顔付きを変え、こちらに大きく手を振った。 「あ〜、藤木くん! どうしたの?」 かなり大きな声が聞こえて、千尋が走ってやってくるのだ。 「これからさ、天野さんと大山に行くんだけど、どう? 藤木くんも一緒に行かない?」 千尋は後ろをチラッと振り返り、翔太にも聞こえるよう大声を出す。 やがて天野翔太も追い付いて、千尋は笑顔で彼へと続けた。 「いいでしょ? 知らない仲じゃ、ないんだしさ」 ここで翔太がほんの一瞬、驚くような素振りを見せる。 それでもすぐに笑顔になって、「もちろん」とだけ声にした。 そうしてとにかく、達哉は二人と一緒に呑むことになった。 「いい? 彼ってあんまり呑まないから、ジョッキ二杯目頼んだくらいがさ、きっといい頃合いだと思うから」 そう言っていた千尋はすで一杯目を飲み干し、二杯目のジョッキを今か今かと待っている。 ところが翔太がぜんぜん進んでいない。 ビールの泡が完全に消えて、それでもジョッキに半分以上が残っている。 もちろん千尋が早過ぎるのだ。 「今日は暑いからね」と言いながら、達哉より早いペースでぐいぐい飲んだ。 きっと彼女もそれなりに、緊張しているってことなのだろう。 ただとにかく、すべては翔太の反応次第だ。 だから少しくらいは酔っていて欲しいと……、 ――もしかしてビールが苦手? なんてセリフを、彼が声にしかけた時だった。 ――ビールは、苦手なんだ。 何度も口にしたそんなセリフが、フッと頭に浮かび上がった。 ――特に、腹に何も入ってないとね、どうにも美味しいとは思えなくてさ。 昔、医者に注意されたのだ。腹に何か入れてから飲むようにと言われ、そうしていたらいつの間に、空きっ腹では飲めなくなった。 だから現場終わりの飲み会などで、彼は何度もそんな理由を口にしていた。 「え? ビールじゃないの?」 なんて驚く周りの声に、笑顔で告げていた記憶がおぼろげながら蘇る。 それでも結局、胃の方は治らずで、最後の最後まで彼のことを苦しめた。 ――だから今だって、そうに決まってる! そんな確信を胸に秘め、それでも何気ない感じを装った。 「あのさ、何か、食べるもの、注文しないか?」 達哉は千尋に向かってそう言って、壁に立て掛けてあったメニューの方を指さした。 「え? お腹空いているの? まだ六時半だよ?」 「でもさ、お通しの枝豆だけでずっとってのも、辛いじゃん?」 「やっぱりねえ〜、お金持ちさんは違うわよね〜。わたしたちなんていっつも、百円のビールと枝豆だけでお腹いっぱいにしちゃうもの〜」 「でも、それって、本間さんだけでしょ? 天野さんは、違うよね?」 そこで視線を千尋から翔太に向けて、 「そこそこお腹がいっぱいの方が、ビールが美味いって、もしかして思ってない?」 そう声にしてから、再び千尋の顔を見た。 すると驚くように目を見開いて、少し考えるような素振りを見せる。それでもすぐに、千尋はしっかり自分の思いを口にした。 「普通はさ、それってないでしょ? だいたいビールは空きっ腹に呑むものだし、空きっ腹だからこそ、クー美味しい〜ってなるんじゃない?」 そう言ってから、彼女も翔太の顔をジッと見る。 ――あなたはどうなの? まさに千尋の顔はそう告げていて、もちろん達哉も翔太の方に目を向けている。 そんな二人から見つめられ、翔太は意外にも真剣な顔を崩さなかった。 「どうなの? 空きっ腹にビールって、苦手なの?」 「苦手、だよね? できればさ、チャーハンとか食べた後に、生ビールをグイッと行きたいって方でしょ?」 「そんなの変、絶対変だって!」 「そんなことないって、そういう人っているんだよ」 「おかしいじゃない、だってさ、先ずはビールって言うんだよ。それをさ、先ずはチャーハンって、それでビールってこと? なんか、笑えるよ〜」 「あのね、胃が弱い人とか、ビールって炭酸だから、結構胃のなかを荒らすんだよ。医者に掛かると、飲む前にさ、何か食べてから飲みなさいって、本当に言われるんだって!」 そこそこ必死にそう言ってから、達哉は翔太の方を向き、 ――ね? そうだよね! という顔を必死に見せた。 「藤木くん、ご名答!」 ――でしょ? 「凄いな、どうして知ってるの?」 ――それがさ、問題なんだ……。 「実はさ、そうなんだよ!」 ――そうさ、だって知ってたもん。 なんてリアクションを想像し、彼は心の中で確信したのだ。 ――これできっと、上手くいく! ところがだった。いくら待っても反応がなかった。 真剣な顔どころか、眉間にクッキリ皺まで寄せて何やら考え込んでいる。 達哉と千尋は顔を見合わせ、暫しそのまま待ったのだ。 すると十秒くらいが経った頃、いきなり彼がポツリと言った。 「あのさ、藤木くんって、俺の生い立ちとか、両親の名前とか、知ってるんだよね?」 そんな翔太の声に、千尋が慌てて人差し指を鼻先に当てる。 ――わたしが言った。 そう言っているのはすぐ分かったし、となれば、いきなり本題ってのが筋だろう。 さあて、ここからが本当の勝負の時間……。 「はい、かなりの部分、知っていると思います」 「で、胃が弱いことも、当然知っていると……」 「はい、そのせいで将来、どんな病気になってしまうとか、他にも、実はいろいろと知っています。これから起きる大変なこととか……」 そこで翔太はビールジョッキに手を伸ばし、残っていたビールを一気に飲み干す。それからフーと息を吐き、空になったジョッキを見つめ、声にするのだ。 「あなたさ、いったい誰なの?」 ――どうして、そんなことを知っている? その顔がまさに、そう告げていた。突き刺すように厳しい目付きで、まるで睨みつけるようにして達哉の返事を待っている。 達哉はこの時、ほんのちょっとだけムカついた。 ――なんでそこまで睨むんだよ! なんて感じて、フッと魔が差したのだ。 決して悪意的なものじゃない。 それでもそこそこ強烈に、対抗する感情が湧き起こる。 彼は心に強く思うのだった。 ――睨みつける相手は、俺じゃないだろう! 不思議なくらい唐突に、用意していたストーリーが吹っ飛んだ。 そして最後の最後に用意していたセリフが、一気に達哉の口から溢れ出る。 「天野さんさ、中学ん時、施設にいたでしょ?」 たったこれだけで、翔太の目付きがグラついたのだ。 ――なんだ、施設のことは聞いてないんだ……。 そう思った途端、達哉の感情は一気に高ぶり、言葉が次から次へと止まらなくなった。 「天野さん、施設で色々あったじゃないですか? もちろん、天野さんが悪いわけじゃないんだけど、屋上から飛び降りちゃったり、しましたよね? で、その時、一緒だった荒井くん、覚えてます? 覚えてますよね? 忘れるはず、ないもんね……それから、十三歳で自殺した生田絵里香さんのことも、当然、覚えているでしょ? ねえ、どう思っているんです? この二人の仇を、いいかげん、打ってやりたいと思いませんか? 林田や施設長は今だって、何も変わらずやりたい放題やってるんですよ……」 ここでゆっくり翔太の視線が達哉から外れた。 と同時に、その隣に座る千尋の顔も視界の隅っこで大きく揺れる。 「天野さん、俺はね、あんな奴らを許しちゃおけない……。絵里香のことはもちろんだけど、荒井だって、ちゃんとしようと、彼女と一緒に真面目に生きようとしてたんだ。それをあいつら、何から何まで、好き勝手やりやがって……くそっ!」 「ちょっと、ちょっと待ってくれ……それって、え? なんで? おかしいだろう……まさか、施設にいたのか? 千尋と、おんなじ歳だよな? え? いたのか? あそこに、あんたもいたってのか!?」 「名前は忘れちゃったけど、施設で同室だった少年を探したらどうでしょう? 彼がまだノートを持っていれば、あいつらをギャフンと、言わせることができるんじゃないでしょうか?」 どうしてこんなことを言い出したのか、話しているうちにあの頃の記憶が蘇り、達哉はまさしく興奮していた。 「でもね、天野さん、その前に、やらなくちゃいけないことがあるんだ。それは林田や施設長とおんなじくらい、いや、それ以上に最低最悪なヤツへの復讐ですよ!」 酔っ払っていたのか? はたまた彼との時間に興奮したのか? ただ、どうだったにせよ、この突発的な発言は、それなりに効果絶大だった。 どうしてそうなったのかは分からない……ある日突然、頭の中に浮かび上がった。だから必死になって探し回って、やっと「DEZOLVE」という店を発見できた。 それから、なんとかして真実だけでも伝えたい。そんな一心で、今、この瞬間を迎えていると、達哉は必死に声にする。 それから施設でのことをいくつか聞かれ、さらに両親のことも質問された。 当然、どれもこれもが過去の事実で、達哉にとっても記憶の中のひとコマだ。だからうる覚えでも外れはないし、幸い聞かれたことぜんぶが記憶にしっかりあったのだ。 母親の生まれた年を尋ねられ、「大正九年」と達哉が返すと……彼は下を向き、両手で顔を覆ってしまった。 そうして翔太が黙りこくって数分間、二人はドキドキしながら待ったのだ。 きっと、どうして知っているのか、どんな理由によるものなのかと、彼なりに考えようとしたのだろう。 しかし何をどう考えようと、納得できる答えなどが見つかる筈もない。 だからいきなり怒り出すとか、この場からいなくなってしまうなんてことにならないよう……ただただ心のうちで必死に祈った。
「で、伝えたい真実って、いったい何?」 彼がそう声にした時、迂闊にも達哉はその場にいなかった。 「これから起きる、大変なことって、いったいなんなの……?」 だからそんな彼の質問に、千尋が必死になって答えを返した。 「詳しいことは、藤木くんから聞いて欲しいの、でもね……」 そうして達哉がトイレから戻ると、すでに両親との血液型の話になっている。戻った彼を見上げる千尋に、達哉はそのまま続けるようにと告げたのだった。 結局、天野翔太の血液型がA型ならば、とりあえずのところは信用しようということになる。 翌日、三人揃って近所の診療所に出向き、翔太の血液型を判定して貰った。 するとやっぱりしっかりA型。 その結果を知って、彼は真剣な顔で達哉に向けて声にした。 「伝えたい真実ってヤツを、教えてください」
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