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作品名:アナザー・デイズ 1977 作者:杉内健二

第30回   第4章 〜 1 ジノ・バネリとマイケル・ジャクソン
 1 ジノ・バネリとマイケル・ジャクソン

 


 擦り切れた畳に見上げれば、ところどころ歪んで見える昔ながらの天井がある。
それでも……なんとも言えないドキドキ感があった。
薄いピンクのカーテンに小花柄の壁紙、ハート型の座布団なんて男子だったらあり得ない。匂いまでが清々しくて――きっとシャンプーだったり、いろんな香りが混ざったヤツだ――、達哉はいきなり思うのだった。
「そう言えば、俺って、女の子の部屋に入るのって、初めてじゃんか!?」
 天野翔太のことばかりを考えていて、ただただ素直に上がり込んだ。
 ところが玄関から一歩足を踏み入れて、一気に気持ちが舞い上がってしまった。
「何よ、いきなり……変なこと言い出すの、やめてちょうだいね!」
 心に思った言葉が思わず声になっていて、
「藤木くんが言い出したんだよ! 変なこと言うんだったら、やめにするから!」
千尋が慌てて達哉を睨みつけ、そんな反応を見せたのだった。
 同じ大学で、学部まで一緒だと知った辺りから、千尋は一気に達哉に対してフランクになった。
きっと元々、人見知り≠ネんて感じじゃないのだろう。しかしそんな性格のお陰で、嫌な顔一切見せずにこんなことにだって協力して貰える。
「もう、さっさとプレイヤーとか、準備しちゃったら!」
 千尋は呆れるようにそう続け、玄関脇にあるキッチンスペースで何やらゴソゴソとやり出した。
 ――きっとさ、アルコールとかがあった方が、いいんじゃないかな……。
 ――なら、おつまみ作るよ……もちろん大したものは、できないけどさ。
そんな達哉の提案に、千尋は妙に嬉しそうにそう言っていた。
きっとこれから彼女なりの大したもの≠ノ向け、準備するのだろう。
だからそこから達哉の方も真剣に、計画のための準備を始める。驚くくらい小さな冷蔵庫にアルコールを仕舞い込み、家から持ち込んだポータブルプレイヤーを畳の上に静かに置いた。
小学校入学した頃に買って貰ったものだから、はっきり言ってちゃんと動くか心配だった。
ところがコンセントに差し込んで、電源を入れた途端にターンテーブルが回り出した。
電源スイッチが入りっ放しだったのだろう。
とにかく動いてくれて達哉はホッと胸を撫で下ろすのだ。
これで後は持ち込んだレコードを聴きながら、天野翔太の登場を待てばいい。
「とにかく、先ずは俺が彼と友達になって、それから二人して、納得して貰えるように説明するってのがいいと思うな……」
 そこで思い付いたのが、部屋にあったレコードのことだった。
 元々達哉は音楽が好きで、ビートルズに目覚めてからは洋楽ばかりを聴きまくった。
 中学二年でハードロックにハマってからは、部屋で大音響にして聴く度にまさみが嫌な顔をする。
「音が大き過ぎるわ。もう少し音量を下げて貰えない?」
 などと何度も言われ、彼はヘッドフォンで朝から晩まで聴くようになった。
 もちろん今でも、その頃よく聴いたミュージシャンのレコードはある。
 しかしそんなの以上に知らないヤツがドッとあって、これは当然、天野翔太が購入したものだろう。全部でザッと二十枚くらいか……どれもこれもがほとんどボーカルなしの音楽なのだ。
 何気なくだが、先日まさみに聞いてみた。
「どう、最近さ、俺の聴いてるのって、いい感じでしょ?」
「そりゃもう、前聴いていたうるさい音楽よりもずっといいわよ。お母さんはね、あなたが録音してくれたジョージ・ベンソン≠ェ、やっぱり好きだなあ〜」
 ――え? お袋に録音したって?
「ほら、今だって、掛かってるでしょ?」
まさみはそう言いながら、リビングに置かれたカセットレコーダーに視線を送る。
それは昔、中学の頃まで達哉が使っていたものだった。そしてそこから、少なくともロックではない柔らかなメロディが流れている。
――ジョージ・ベンソン……か……。
そうして彼は部屋に戻って、ジョージベンソンのブリージン≠手に取った。
最初は正直、良くも悪くもないって感じだ。
耳触りがいい分、特になんら響いても来ない。
ところが時折、一階に降りると聞き覚えのある旋律が聞こえる。まさみは余程気に入っているらしく、夕食の準備をする時などに必ず同じカセット聴いていた。
すると不思議なもので、達哉もだんだん好きになる。
――ま、たまにボーカルも入ってるしな。
なんて変な言い訳を心に思い、それでも自らターンテーブルにブリージン=@を乗せた。
そうなってからは天野翔太の残したアルバムどれを聴いても、すぐにハマりにハマってしまうのだ。
部屋に残されたレコードは、天野翔太が好んで聴いていたアルバムだ。そして高校生にとってのLPレコード一枚は、二十一世紀だったあっちの世界と違ってそうそう軽いものじゃない。
一枚二千円とか二千五百円とかするLPレコードを買うってのは、よっぽどの金持ちとかは別として、LP以外は涙を飲んで我慢するってことになる。
つまり彼はこの手の音楽がかなりのレベルで気に入って、たった二年間の間にけっこう頑張って買い集めたのだ。と、なれば……、
――共通の好みってことで、盛り上がるんじゃないか?
千尋の家でレコードを聴いていたところに、偶然彼が現れて……なんて機会を作ってしまえば、きっと仲良くなれるに違いない。
 ならば、どんな理由で誘い出すか?
 後々のことを考えれば、できるだけ偶然っぽさを装いたい。
 それで結局、千尋がお手製の惣菜を持っていき、器を返しにきたところを誘い込む。なんてことを目論むが、天野翔太がなかなか返しに来なかった。お昼前には準備万端だったのに、すでにおやつの時間≠煢゚ぎている。
「おかしいなあ……いつもだいたい、お昼過ぎには来るんだけどなあ〜」
 千尋はそんなことを呟いて、テレビを見ていた達哉に向かっていきなり告げた。
「もうさ、始めちゃわない? その方がさ、彼が来た時も自然だし、お腹だって、空いたでしょ?」
「喉も、ガンガン乾いたしな〜」
 待ってましたとばかりのそんな返しに、千尋は勢いよく立ち上がり、キッチンに用意してあった炒め物やらチーズなんかを取りに行く。
 そうして缶ビールを飲み始め、達哉はあっという間に一本目を空にした。だからもう一本取りにいこうと、彼が片膝を立てたその瞬間だった。
 ドアをノックする音がして、千尋がいきなり玄関に向かってダッシュを見せる。それからドアノブを掴んで振り返り、
――いい? 開けるわよ! 
まさにそんな感じに達哉を見つめて頷いて見せた。
するとドアの向こうから「天野です」と聞こえて、千尋はゆっくりドアを押しあける。
ノックの主はやはり彼で、そこから見せた千尋の奮闘は凄まじかった。
 今、大学の同級生がちょうど来ている。
驚くなかれその彼は、翔太も知っている人物なんだと声にして、なんとも上手い作り話を話して聞かせた。
「ほら、お店でわたしが声をかけたじゃない? 彼、それでね、どこかで見た顔だなって思ったんだって、だから、誰だろうって、アパートまで付いてきちゃったわけよ……」
 そこで天野翔太は達哉の方に視線を向け、「あ!」という顔を一瞬だけ見せた。
「だからさ、入って入って、彼のこと、ちゃんと紹介するから……」
あっという間に部屋の中に引っ張り込んで、「今日ってお仕事休みだもんね」などと声にしながら、彼の意思などお構いなしに缶ビールを差し出した。
 そして若いなりにも天野翔太と言うべきか? 唖然とした顔をすぐに引っ込め、達哉に向かってぺコンと頭を下げるのだ。それからビールを少しだけ口に含んで、彼はキッチンにいる千尋に向かって声にする。
「あ、いいよ、これ一本だけ頂いて、すぐ帰るから……」
 ――だから何もいらないよ。
 まさにそう言い掛けた時、
「え〜だって、もう用意しちゃってるもん!」
 そんな駄々っ子のような返答に、そこでやっと達哉ついて話題に上げた。
「それよりさ、彼をちゃんと紹介しろよ。いきなり男二人にお見合いさせて、いったいどうしようってんだよ」
なんとも爽やかな笑顔を見せて、天野翔太が再びチョコンと頭を下げる。
ここまで一連の出来事に、とてつもないほど動揺してしまった。一気に彼の記憶が脳裏に浮かんで、それらはすべて皺だらけになった天野翔太だ。
――まずい! だめだ! だめだって!!
必死に心に念じたが、そんなのが却って逆効果だったようにドッと涙が溢れ出る。慌ててキッチンから背を向けて、着ていたシャツで顔を覆ってゴシゴシ擦った。
そんな達哉をどう思っていたのか? 
幸い天野翔太は何も言ってこないのだ。
そのうち千尋がキッチンから戻って、不審げな顔して達哉の背中に声にする。
「あれ? 藤木くん、どうしたの?」
 ここで無視するわけには絶対に行かない。
 だから必死に明るい声で、達哉は一気に振り向き告げたのだった。
「いや〜参った! 急に目にゴミが入っちゃってさ、もう痛いのなんのって!」
「え? 両方とも入っちゃったの?」
「うん、両方同時に、いきなりだよ……どうしたんだろう? 虫かなんかいるのかな?」
 なんて言っていながら、そんなことあるわけないと知っている。嗚咽だけは堪えたが、達哉の顔は誰が見たって泣き腫らした顔だ。
 だから次の指摘をドキドキしながら持っていた。
いつもの千尋だったなら、絶対何か言ってくる。
――嘘だあ! それって泣いた顔にしか見えないよ!
なんて感じを言ってきて、次から次へと言葉を重ねてくるだろう。
そう思っていたのだが、彼の予想は大きく外れた。
「なに言ってるの? ここに虫なんかいないわよ!」
 笑いながらそう告げて、千尋はすぐに神妙な顔付きなる。
「もしよかったら、キッチンで顔洗ってきたら? なんなら目薬とか、わたし買ってこようか?」
「いや、大丈夫。顔だけ、洗わせてもらうよ……」
 彼はそう告げてから、千尋に促されてキッチンに向かった。
 すると千尋もすぐにやってきて、顔を濡らした達哉へタオルを差し出す。それから彼の耳元に顔を寄せ、
「なんだか、わたしもちょっと、ジンと来た……」
と、小さな声で囁くのだった。
 きっと涙の意味を想像し、彼女なりに理解してくれたのだ。
そうしてやっと畳に座り、達哉も天野翔太に向かって自己紹介をした。
アパートの前では、いきなり逃げ出すようなことをして恥ずかしい。でも、あのままどんな言い訳をしても、信用されないって気がしていたから……。
「それに、天野さん異様に¢蛯ォいから、あの暗がりで現れたら怖いもんね〜」
「おいおい、異様に≠チて、人を化け物みたいに言いなさんなって!」
 そんな二人の掛け合いで、その場の雰囲気も一気に和やかな感じになっていく。
そしてそこからしばらく千尋と翔太の会話が続き、たまに千尋が達哉の方にも視線を送った。
そんな時、達哉の頭の中にはひとつの言葉が渦巻いて、それを言い出すきっかけだけを必死になって探っていたのだ。
千尋から聞いた話では、バーでかかっている曲はすべてオープンリールかレコードらしい。何をかけるかは従業員の好みなんだそうで、
「だいたいさ、そうそうレコードなんて買えないし、そもそも天野さんの部屋、プレイヤーなんてある筈ないからさ、今はタダで、いろんな音楽が聴けて嬉しいんだって」
 そんな千尋の発言を念頭に、達哉はここぞとばかりに切り出したのだ。
「天野さんって、音楽、好きなんてすよね? 今日、いろいろ持ってきてるんで、どれか、聴いてみませんか?」
 この時、彼の反応自体は、決して悪い感じじゃなかった筈だ。もちろん最初はジョージ・ベンソンのブリージン≠ナ、ここで一気に話が盛り上がると思っていたのだ。
 ところがその反応がなんとも言えずイマイチだった。
だから達哉は慌てて、
「じゃあ、こっちはどう? デビューしたてのバンドなんだけど、とにかくテクニックが凄いんだ!」
 プレイヤーからブリージン≠外し、日本のバンド、スペース・サーカスのデビューアルバムに針を落とした。
 いきなり度迫力のベース音が響いてくるが、やっぱり彼の反応に変化はなしだ。
もちろんその顔はずっと真剣で、これでもかってくらいに「聴いてますよ」感は見せている。
――まずいな……。
 なんて感じながらも、何か言い出すのを彼はひたすら待ったのだ。
そうして一曲目が終わってすぐに、翔太がいよいよ声にする。
「うん、そうだね、確かになかなかいい感じだと思う。でも、僕はやっぱり、ボーカルが入ってた方が好みなんだ……」
 さらに彼は、最近ジノ・バネリやマイケル・ジャクソンに気に入っていると言い、
「今度うちの店に来たら、ぜひ、聴いてみてくださいよ」
 そう声にしながら立ち上がる。そして笑顔のまま、外せない用事があるからと続けて、「ビールご馳走さま」と千尋の部屋から出て行ってしまった。
 音楽の話で盛り上がって、一気に親しくなってしまう……なんて、まったくぜんぜん程遠かった。
「嫌われちゃった、かな……?」
「ううん、違うと思う。最初から、いつもとなんか、違ってたもの……彼……」
 ドアが静かに閉められて、達哉の第一声に、千尋の答えは早かった。
「藤木くんがどうこうじゃないと思う。天野さんって、そんなすぐ、人を嫌っちゃうとかって感じじゃないし……」
 そう言って、閉まったドアをじっと見つめる。それから今度は天井を見上げ、いきなり素っ頓狂な声を張り上げた。
「あ〜、そうかあ〜、やっぱり少しは、あるのかもしれないわ〜」
「え? なによ、俺、なにか失敗してた?」
「達哉くんさ、さっき自己紹介で言ったじゃない? わたしとおんなじ大学でさ、親と一緒に八雲に住んでいるって……」
 それから、千尋に聞かせようと家にあるレコードと、いらなくなったポータブルプレイヤーを持ってきた。
「でね、セパレートのステレオって、木の大きいヤツでしょ? それをさ、さすがにもってこれないからって、笑ったじゃない?」
「うん、確かに、言った……」
「でしょ? それってさ、一種の自慢じゃない? それにね、八雲っていったらさ、わたしだって高級住宅街だって知ってるもの、なんとなく、だけどね」
 ――そんなの、意識してねえって!
 即行そう思ったが、なぜか言葉にできなかった。 
「まあさ、分からないけど、そんなのが少しだけ、彼、気になったのかな……」
 決して「怒った」とか「ムカついた」とかそういうのじゃないし、あくまでも勝手な推測なんだと千尋は言って、
「でも、とにかく知り合いにはなったんだから、次はちゃんと会って、例の話をすればいいじゃない?」
 上目使いに達哉を見つめ、ニコッと笑った。
 親と八雲に住んで、なんの苦労もしないで大学に通うヤツが、親に買って貰ったステレオでレコードを聴き、捨てようと思っていたポータブルプレイヤーを千尋のアパートに持ち込んだ。
 ――それで、家にはセパレートステレオもあるぞって、自慢したって、ことか……」
 こんなの自慢か?……などと思いつつも、はっきり言って、これはヤバイ≠チて本気で思った。
それでも千尋の言うように、怒ったってわけじゃきっとない。
もちろん自慢されたから、気分を害したなんてことでもないだろう。
ただ少なくとも彼の方には、達哉について、思うところがきっと少しはあったのだ。
――ま、そりゃ、そうかもな……。
まるで異なる環境に暮らす達哉に何かを感じて、距離を取ろうとしたのかもしれない。
 だからって、ここで諦めるわけにはいかないし、千尋が言うように前に進むしか道はなかった。


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