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作品名:アナザー・デイズ 1977 作者:杉内健二

第29回   第3章 〜 4 本間千尋と(2)
 4 本間千尋と(2)



藤木達哉 様

最後の最後で、最高の時間をプレゼントされた気分です
あなたが戻って来るのかは分かりませんが、とにかく、心から感謝いたします
ご両親を、大切にしてくださいね
本当に、ありがとうございました=@       天野翔太



「これって、本当のこと、なの?」
 千尋がそう呟いたのは、きっと一、二分は過ぎ去った後だ。
 たった数行の文字を読み、それから必死に考えたのだろう。
 この数行が意味するすべてを必死に考え、真実をしっかり理解しようと努力した。
もしかしたらだが、達哉の読んでいない方にも、何か重要な事実が書かれていたのかもしれない。
ただとにかく、達哉の答えるべき言葉はたった一つだ。
「はい、本当のこと、なんです……」
「あのさ……ってことはさ、あなたが、天野さんだったってことなの?」
「え? どうして?」
「だって、天野さんがあなただったんでしょ? なら、その間はあなたが天野さんだったって、考えるしかないじゃない?」
 本間千尋はそう言って、穴の開くほど達哉の顔を見つめ続けた。

 気付けば道路に寝転んでいて、そこはすでに朝だった。そしてその瞬間から、わたしは藤木達哉という人物に……
 そんな文章で始まっていて、心の混乱などは一切表現されていなかった。
それからなんとか帰宅して、達哉の部屋を調べて彼の置かれた状況を把握する。
両親とはいかように接して、その結果、どのような関係を築けたか……。そんなことが淡々と書き込まれ、まるで議事録か何かのような文章なのだ。
さらにしばらくすると、彼は勉強漬けの毎日を過ごし、成績を上げ、上慶大学を選んで進学を決める。
ここで唯一、もしも、他の進路を考えていたなら申し訳ない――と、達哉に向けてのものらしい言葉が残されていた。
それ以外にも、小遣いでどんなレコードを買い、部屋の模様替えをした理由――元々達哉がいた頃からプレイボーイの金髪ヌードポスターなどを、まさみがとにかく嫌がっていた――などが、これでもかってくらい事細かに書き込まれている。
そして大学入学が決まったとあって、それ以降はほとんど何も書かれていない、
ただ最後のページに、
――あとはよろしく。
とだけ書かれてあった。
すべてはきっと、達哉本人が戻った時に、困らないようにという配慮からだ。
母、まさみの目のことも書かれてある。
彼女の右目は、この先一生治ることはない。しかし幸い、眼球の摘出だけは免れて、そこに至るまでの父、浩一の奮闘ぶりまでがしっかり表現されていた。
これを読んで、まだ両親と敵対するのか? 
そんなことを告げられているようで、なんとも心が震えてしまった。
達哉は心の動揺を悟られまいと、どんどん顔をノートに近付けていく。そしてその間、千尋はただただ黙って待っていてくれた。
しかし達哉は読み終わっても、最後のページをずっと見つめたままだった。
だから千尋は穏やかに、それでもほんの少しだけ愉快そうな声で言ってきた。
「へ〜、そんなにジーンと来ちゃってるんだ……本当に、そこんところは読んでなかったんだね。うん、まあ妙に中途半端っちゃあ、中途半端なところに書いてあるから、そういうことも、あるのかもね……」
そうしてその夜、達哉の必死の説明で、千尋もそこそこ信じてくれたようだった。
「でもさ、上慶大学に合格したのって、実際は天野さんの方なんでしょ? それって、大丈夫なの? 例えばさ、授業とか」
「大丈夫じゃないよ。すっげえ〜大変。今日だってさ、遅れたのって、それだもん」
前回の授業で提出したレポートが、あまりに的外れだと突っ返されて、
「書き直して持ってこいって、それもさ、今日中だって言われちゃって……」
だから教室に居残って、友人に教えられながら必死になってレポートを仕上げた。
「でもさ、よかったじゃない? 戻ってきたら、受験すっ飛ばして大学生だなんて……ある意味、最高じゃない?」
「うん、まあ、それもそうだけど、それ以外にもさ、彼にはいろいろとしてもらって、だから本当に、心から感謝してる……」
「ふ〜ん、だから、救いたいって、なるわけね」
「あ、そうそう、そうなんだ……」
「でさ、次の話って何? 彼に襲いかかる災難って、それっていったいなんなのよ?」
そこからは、達哉の記憶している人生を、大まかザックリ話して聞かせた。
近いうちに起きる筈の交通事故や、それを機にバーのマスターが失踪し、彼は大借金を背負うことになるんだと……。
さらに最悪なのは、還暦ちょっとで癌に冒され、天に召されてしまうってことだ。
達哉は千尋の反応を窺いながら、懸命に言葉を選んで話していった。
「で、目が覚めたらさ、俺、自分の部屋に帰ってたんだ……」
 そう告げてから、やはり千尋の顔をジッと見る。
 彼女は微動だにしないまま、視線をあらぬ方へと向けていた。
すでにビールジョッキはほぼ空っぽで、それでも彼女はジョッキを握り、微かに残ったビールを口の中へと流し込んだ。
 そうして「フー」と声にして、静かな声を出したのだった。
「結婚は、彼、してないの?」
「うん、していなかった、と思うよ」
 最後の最後でした結婚は、なぜか言葉にしなかった。
「と、思うよって何よ……おかしくない?」
 そこで少しだけ不満そうな顔になり、それでもすぐに元の表情に戻ってくれる。
「でもまあ、いいか……とにかく、そりゃあ本当に、災難だね……」
「だからぜひ、協力して欲しいんだ」
「うん、協力はする。でもさ、どうしたらいいの?」
「とにかく、彼をバーのマスターから遠ざけるんだ。彼が交通事故を起こした時に、バーのマスターが彼の部屋に入ったことで、彼の生い立ちに気が付いてしまう。だからまず、そうならないようにすれば、借金地獄ってのは、なくなると思うんだ」
「本当にあの人、山代さんって……お父さん、じゃないのね?」
「ないさ、断じてない! だから、なんの問題もないよ」
「あの、ね……昨日さ、わたし、彼の部屋に行ったじゃない? それでさ、わたし聞いたのよ、天野さんの、小さい頃のアルバムとかないのって……でさ、小さな紙製のやつ、あるじゃない? 写真屋さんで貰うようなやつよ、あれをさ、二つ出してきて、これで全部だって言っちゃうわけね……」
 多少時代は入り乱れていたが、彼が三歳くらいになった頃から、最後に撮られたのが母親と一緒に写る中学校の入学式の写真。
「普通ならさあ、生まれたところとか撮ったりするでしょ? いくら貧乏だったからってね、初めて撮りました、はい、三歳でしたって……そんなこと、あるのかな?」
「ああ、それはね、三歳くらいまで、お母さんと離れて暮らしていたからだよ。これってさ、あっちにいる時に、気が付いたらあった記憶からの推測だから、そうはっきりとしたもんじゃないんだけどね……」
天野翔太は、生まれてすぐに、母方の祖母に預けられていた。
その後、山代勇が出ていった昭和三十五年、彼が三歳になった頃、大正九年生まれの母親は四十歳になっている。
「つまりさ、もし、新しい旦那が現れたとしても、それから子供を作るのは、きっと難しいだろうしね、或いは、山代の方が彼女の子供を嫌っていたのか? まあ、もっと別の理由があったのかもしれないけど、とにかくその頃さ、いきなり彼を引き取って、一緒に暮らし始めるんだ」
「そうか、血の繋がっていない子供なんかって……いうやつか、ま、そういうことも、あるんでしょうね。でもさ、写真くらいはどう? 生まれたばかりの赤ちゃんだよ? マスターが撮らなくたってさ、そのおばあちゃんとか、ううん、天野さんのお母さんがさ、自分で撮ったっていいはずじゃない?」
知り合いにカメラを借りるとか、その気になればどうにだってなる筈だ……と言って、千尋はどうにも納得できないようだった。


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