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作品名:アナザー・デイズ 1977 作者:杉内健二

第27回   第3章 〜 3  説得
 3  説得



「ちょっと、あんた……さっき、店にいた人だよな?」
 いきなりそんな声が後ろから聞こえて、振り返った途端、すぐ後ろに大きな男が立っていた。その瞬間で、それが誰かは分かったし、咄嗟に判断したことは、今でも正しかったと思っている。
 さっき店にいた。
背中を向けているのにそう言ったのだから、たった今そう思ったわけじゃない。
きっと何かを感じて、店から付いて来たのだろう……だとすれば、この状況で何を言おうが、彼は絶対信用しないし、本来の目的だって絶望的になるかもしれない。
――確か、足はそんなに早くなかった!
 あっという間にそこまで思って、達哉は一か八かの賭けに出る。
 腰を屈めて、一気に男の横を走り抜けた。
驚いた彼は反応が遅れ、達哉はそのまま大通りに向かって一直線だ。
 追い掛けてくるか? とも思ったが、大通りに出る直前、後ろをチラッと見てもそれらしい影はない。
それでも達哉は走るのをやめることなく、大通りに出てから駅とは反対方向へ必死になって走り続けた。
 そうして隣の駅から電車に乗り込み、そこで初めて己の姿に驚いたのだ。
 びしょ濡れだってのは仕方がないが、シューズはもちろん、綿パンツからシャツまでが泥だらけになっている。ドアに映り込んだ姿を見れば、顔にも泥が飛び散って、これ以上ないっていう惨状なのだ。
 それでもなんとか自宅に帰って、母親に急かされ湯船に浸かる。これからのことは明日考えようと、それから即行寝床に入った。
 ところが翌朝、頭が痛くて起きられない。
熱を計れば三十九度で、それを知った途端に達哉の気力も砕け散った。
それから二日間熱にうなされ、三日目の朝になってやっと平熱に戻った。
そしてその日一日、家の中で身体を慣らし、今後の作戦について考える。しかし何をどう思おうと、天野翔太に直接アタックするのはもう無理だろう。
だからバーで考えたように、まずはあの女の子に説明し、協力してもらうのがベストだって気がした。
――心配して、わざわざアパートまでやってきたんだから……。
恋人同士ってまでは行かないまでも、そこそこの関係なのは間違いない。
だからその翌日に、達哉は再びアパートを目指した。真っ先にポストを確認し、きちんとプレートに書き込まれた彼の名前を発見する。
一階に住む四軒のうち、名前があるのは彼んちだけだ。
――やっぱり、ちゃんとしているな……。
などと感じ入りながら、彼が、ここに住んでいる――なんて現実に、なんとも言えずにドキドキしていた。
それも還暦過ぎなんて年齢じゃなく、二十代前半という若々しい天野翔太がだ。
湧き上がってくるワクワクを抑えきれずに、達哉は拳を堅く握りしめ、
――ここからが、勝負だぞ!
そんなことを念じ、二階に続く外階段を踏みしめるように上がっていった。
それからあの夜、薄明かりが漏れてきた部屋の前に立ち、「コンコン」と軽く二回ノックする。
「すみません、藤木と申します。ちょっと、お話ししたいことが、あるんですけど……」
 何度も心に念じた言葉をゆっくり告げて、深呼吸を繰り返しつつドアの向こうからの反応を待った。
 しかしいくら待っても物音すらして来ない。
だから予定していた台詞を続けて、
「あの、天野翔太さん、ご存知ですよね? 彼に今、危険が迫っているんです」
 そう声にしてから、今度は強めにノックをしてみる。
「少しだけお話を、聞いてもらえませんか?」
 ここで微かに、ドアの向こう側から音が聞こえた。
「カタン」と鳴って、彼女の声がやっと響いた。
「あの……危険って、なんですか?」
「あ、すみません! 少しでいいんです。ちょっと、よろしいですか?」
「だから、その危険ってなんなんですか?」
「あ、はい、じゃあ、このままで……このまま話しますので、聞いていてください」
 この時代のアパートには覗き穴なんて付いてないから、警戒するのは当然だ。
「天野翔太さん、彼のお父さんは失踪していて、天野、由美子さんという女性に育てられたんですけど、この辺のことは、ご存知ですか?」
「はい、大まかなことは、聞いてます……」
「じゃあ、施設で育ったことなんかも?」
 そう言った後、ほんの少しの間があって、それでもポツリと返事が返った。
「はい、知っています、けど……」
「その頃、かなり苦労されたらしいですけど、彼、このままいくと、もっと大変な目に遭ってしまうんです! だから、なんとかしないと……」
「だから、その大変な目って、いったいなんなんですか?」
「借金を、背負わされます。物凄い金額を、自分の借金じゃないのに、長い間かけて返さなきゃならなくなる。それに人を殺したってことになっちゃって、殺人罪で刑務所に……それだけ、じゃない! 彼は、彼はこのままだと……」
 ――癌になってしまうんだ!
 そう言いかけた瞬間、いきなりドアが開いて、
「いい加減なこと言わないでください!」
 そんな声と同時に、顔全体に衝撃が走った。

「もう、大丈夫です。あ、もう、鼻血も止まりましたから……」
 そんな達哉の声に、本間千尋と名乗った女性が達哉の顔を覗き込んだ。
「でもまだ、真っ赤になってますけど……」
 そう言って、紙切れを親指と人差し指で丸めながら、疑うような目を見せる。
「あ、はい。でも、このままにしてれば、もう大丈夫だと思いますから」
「ふ〜ん、そうですか……」
 どうでもいいって感じでそう答え、彼女はやっと雑誌を手放した。
 大声と共に開け放たれたドアが顔を直撃。あまりの痛みにうずくまり、唸っているうちに鼻から一気に血が吹き出した。
 それが結構な血の量で、ほんの数秒で二階の床が血まみれになる。
 そうなった途端に、本間千尋の態度がいきなり変わった。意味不明の言葉を声にして、慌てて達哉を部屋のなかへと引っ張り込んだ。
 両方の鼻から血が吹き出していたから、鼻につっこめ! ということなのだ。
差し出されたまま突っ込んで、右が二回と左は三回、血だらけになって取り替えた。
その度に、本間千尋は雑誌のページを指で千切って、クルクルしながら達哉の方へ差し出してくる。
 ――え? どうしてティッシュじゃないんだよ!?
 そう思ったって言葉にできず、ただただ差し出される塊を鼻の中へと詰め込んだ。
 幸い骨は折れていなかったようで、痛みはそう長くは続かない。鼻血もなんとか収まって、ふと気が付けば本間千尋がジッとこちらを睨んでいるのだ。
「あ、すみませんでした……ご迷惑を、お掛けして……」
「とりあえず、鼻血はわたしのせいだから、まあ、あれだけど……」
 そう言った後、彼女はいきなり窓の方まで歩いて行って、
「おたくって、この間バーにいた人だよね? それで、ここまでついてきて、そこに立ってた人でしょ! 」
 開け放たれた窓から表を指差し、怒った顔して声にした。
 それから達哉は、しばらくの間しどろもどろ≠セ。
 どうして後を付けたのか?
 今日はどうしてやってきたのか?
 そんなことを一気に聞かれて、達哉は思わず、包み隠さず話してしまおうかと一瞬だけ思った。
 ――気が付いたら、天野翔太になっていた。
――それからたった数年で、彼は癌になって死んでしまうんだ。
なんて告げられて、「はいそうですか」って納得してくれる筈ないぞ……と、これまで何度も思ったことが頭を過り、彼はここで一気に姿勢を正して、立ち上がったままの千尋をまっすぐ見上げた。
それから予定していた言葉を一気に告げて、後は野となれ山となれ≠セ。
「あの、本間さんって、天野涼太さんの血液型、ご存知ですか?」
 すると千尋は、
――それがなんなのよ! 
まさしくそんな表情になり、それでも首を左右に小さく振った。
「天野さんの血液型は、A型のはずなんです。それから、お母さん、天野由美子さんの方はB型。と、いうことは、父親である男性は、A型かAB型でなければならないんです。じゃないと、A型の彼は生まれないですから……」
 ここで少し間を置いて、千尋の反応を伺った。
 さっきまでの「それがなんなのよ!」から、「それって、どういうことなの?」って顔付きになって、少なくとも拒絶する印象は消え去っている。
「つまり、O型やB型の男が父親だと名乗り出ても、そいつは本当の父親じゃないってことになるんですよ」
「あの……何を言いたいのかよく分からないけど、ただね、今は少なくとも、彼のお父さんは行方不明だっていうんだから、もうそんなの、関係ないじゃない?」
「でも、もしも、すでに彼の前に現れていたら? それでそいつが、いきなり天野さんの父親だって名乗り出て、そのせいで、大変な災難に巻き込まれてしまったら?」
「大変な災難って、さっき言ってたやつですか?」
 ――借金を背負わされて、殺人罪で刑務所行きだよ。
「ところがそいつの血液型は、A型でもAB型でもない、O型なんだ。つまり、本当の父親なんかじゃありゃしない」
 ――わかるだろ? わかるよな? 
「ちょっといいです? あの、言ってる意味はわかります。わかりますけど、どうして、あなたがそんなことまで知ってるんですか?」
 ――ああ、そうだよ、そりゃあ、そうだけどさ!
「まずは、彼に聞いてみてください。彼と、彼のお母さんの血液型のことを……それで、僕のいう通りだったら連絡ください! さらに、もっと詳しく説明しますから!」
 そのかわり、自分のことは内緒にしてほしい。いずれきちんと説明するから、今日のことはしばらくの間、彼には伝えずにいてくれないか……。
 そう言い終わった時、千尋の顔には迷いがあった。
信じていいのか悪いのか……そんな迷いと一緒に、やはり胡散臭い≠チて気持ちが居座ってもいるだろう。
 だから真剣な顔のまま、達哉はさらに声を強めて告げたのだった。
「これに、僕が得するようなことは何もありません。ただただ、天野翔太さんのことを思ってって、ホント、それだけっすから……」
 するとすぐ、きっと何かを言おうとしたに違いない。
 スッと息を吸い込んで、彼女はそこでいっとき固まった。
だからさらに聞かれる前に、彼は慌てて声にしたのだ。
「僕のウチの電話番号です。もし、血液型がその通りだったら、必ずこちらに連絡ください。次に会う時には、何が起きてしまうか詳しく説明しますから……」
 ポケットから電話番号の書かれた紙切れを取り出し、さっさと千尋の前に差し出した。
 そしてそれから、千尋はひと言も声を発しなかった。
達哉が一方的にお詫びの言葉を声にして、部屋を後にしようと玄関に立っても、ジッと達哉の渡した紙切れだけを見つめていたのだ。
ただとにかく、後は彼女からの連絡を待つしかない。
最悪それがなかったら、天野翔太に直接当たって砕けるか……なのだ。
ところがだ……。
彼女はトコトンせっかち≠ネのか、はたまた行動力がすごいってことか? アパートを訪ねた日の夜遅く、いきなりまさみが達哉の部屋に現れる。
「ちょっとちょっと! あなたに電話よ! 今、本間さんって方から電話なんだけど、あなた今日、その方のアパートにまで行ったんだって?」
 目を見開いて、思いっきり口角が持ち上がっている。
 だからこんな言いようも、責めてる訳じゃないのだろう。
 しかしどうして、アパートに行ったことまで知っている?
 ――え? なんでだ!?
 そんな思いで一杯になり、ふた呼吸くらい固まってしまった。
「早く早く! とにかくほら! 電話に出なきゃ!」
 そんな声で我に帰り、達哉は母を部屋に残して階段を一気に駆け降りる。そうして電話口に出てみれば、いきなり素っ頓狂な声が飛び込んできた。
「あなたって、実家暮らしだったの!?」
 ――え?
「そうならそうと言っておいてよ! まったく! 恥かいちゃったじゃないの!」
 ――恥、かいた?
「ねえ、お母様に謝っておいてね! あ〜恥ずかしい! きっと……っていうか絶対! わたし誤解されちゃってるわ〜」
 ここまで言ってくるうちに、達哉の返事は全部、心の中だけだった。
 それでも一気に親しげで、声の感じもアパートの時とは段違い。
だからとにかく声にした。心にあった疑問すべてをこのひと言で表したのだ。
「ど、どうして?」
「なに言ってんのよ! あなたが電話しろって言ったんじゃない! まったく! 実家暮らしなら実家暮らしだって、ちゃんと言っときなさいよね! 勘違いしちゃったじゃないのよ! ああ、恥ずかしい〜」
 しかしその声に突き刺すような印象はなく、なんとも親しげな感じさえする。
 だから達哉は慌てて続けた。
「あの、今からそっちにいきます!」
「え? 今から?」
「はい、だめっすか?」
「だって、もう夜、遅いし……今、公衆電話だし……」
 そう言われ、思えばすでに、夜十一時を過ぎている。だから翌日、どこかで会って欲しいと言い直し、彼女が指定してきたのは駅前にある居酒屋だった。
「わたし、そこでバイトしてるんです。明日はバイト休みなんで、そこなら、わたしも安心だし……」
 さらに天野翔太の勤める店もお休みで、夕方からならきっと彼は家にいる、
だから場合によっては彼をさっさと呼び出そうと、冗談とも本気とも付かないような印象で、彼女は一気に捲し立てた。


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