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作品名:アナザー・デイズ 1977 作者:杉内健二

第25回   第3章 〜 2 千尋と翔太 
2 千尋と翔太 



島根県の出雲市から上京したのが今年の春で、既に三ヶ月近くが経っている。
もちろん、行きたいところは山ほどあるけど、残念ながらどこにも行けてはいなかった。
学校から帰ってすぐ、夕方五時からバイトがあるし、これがなかなかの重労働。金土は十一時までで、それ以外は九時までだ。休みは月曜日だけだから、掃除や洗濯なんかに、大学のレポートだってしなきゃならない。
それでも家賃と学費は親持ちなんだから、これで文句を言ったらきっと神様がプンプンだ……ってくらいには道理も解るし、それなりに人生キチンと生きてきた、と思う。
なのにノッポの彼に出会ったせいで、
――世の中、もっと大変な人がいる……。
なんてことを感じたし、「もっともっと頑張らなきゃ」と、素直に思ってしまった自分がいたのだ。
はじめはアパートを出る時に、たまに見かけるだけだった。
お互いチョコンと頭を下げて、いつもさっさと視線を逸らしてしまう。
ところがある日、思わぬところで彼にしっかり出会した。
――新人バイトの歓迎会をやろう!
一緒に入ったバイト男子にそう告げられて、バイト終わりに付いていったお店に彼がいた。
カウンターに座ろうとして、ちょうど目の前にノッポの彼が立っていた。
「あっ」と思って、
 ――こんにちは!
そう声を出そうとした次の瞬間……、
わたしに気付かなかったのか?
 それともツレがいたからか?
とにかく彼は、さっさとカウンターから出て行ってしまう。
それから、どのくらいが経ったのか? 
そして二杯目だったか、すでに三杯目だったのかも知れない。
「おんなじので、いいよな?」
 連れて来てくれた彼がそう言って、少し残っていたカクテルグラスを指さした。それから人差し指を二回ほど振って、まさに飲んじゃえ≠チていう顔付きを向ける。
 甘酸っぱくて美味しいけれど、少しアルコールが強いかなって感じのお酒。それでも頑張って底に残ったピンク色の液体を飲み干すと、彼はカウンターに向かってカクテルの名前を告げたのだ。
 そうしてほんの数分後、新しいカクテルグラスが差し出される。
「あの、お客さん……」
 彼の座っている反対側から、
「飲む前に、ちょっと立ってみたほうがいいですよ」
 なんて囁き声が聞こえて、「えっ」と思って顔を向ければ、
「こんにちは……」
 さっき言いかけたのとおんなじ言葉を、今度は天野翔太の方から言ってきた。
――え? どうして……?
 そう言い掛けた時には背を向けて、彼は店の奥の方を指差した。
「トイレは、あっちですよ」
 そんな言葉を今度ははっきり声にする。
 だから隣の彼に、
「ちょっと、トイレに行ってくるね」
 そう声を掛け、立ち上がろうとしただけだった。
 ――あれ? なんで?
 左足を床に下ろした途端、いきなり身体がグランと揺れた。
 ――え? 嘘! 
と思った時には左っ側に大きく傾き、ついでに脚までカクンとなった。
 ――あ、ダメ!
 このまま床に激突しちゃう! と思った瞬間、何かが千尋の身体を抱き止めたのだ。
慌てて顔を上げれば、息を感じる距離ってところに天野翔太の顔がある。彼は笑顔を見せたまま、千尋の足元をしっかり床に着け、優しい声で告げたのだった。
「ね、思った以上に酔っ払いでしょ?」
「あ、本当に、ごめんなさい、あ、あの、ありがとう、ございます」
 我ながら、ドギマギし過ぎって感じだったが、酔っていたから仕方ない。
 ただとにかく、酔っ払ってる自分がよく解ったし、
「もう、帰った方が、いいと思うよ」
 そう言って微笑む彼の笑顔に、なぜだかとってもジン≠ニ来た。
 ところがそのすぐ後に、いきなり怒号が響き渡る。
「おまえ! なに勝手なこと言ってんだよ!?」
 綾野剛志。
医大に通う三年生で、なかなかの二枚目で店では結構人気があった。
だから誘われた時には正直ちょっと嬉しかったし、デートみたいな気分だったのも本当だ。
だからちょっと飲み過ぎた?
たった二、三杯、飲んだだけなのに……?
なんて気分が吹っ飛ぶような大声で、振り返れば綾野剛志が仁王立ちを見せている。
「なに勝手なこと言ってんだっての!」
「ご存知でしょ? あのカクテル、二十度くらいあるってこと……」
――ちょっと待って? 二十度ってなに?
「だからなんだ! こっちは客なんだ! なにを頼もうと、こっちの勝手だろうが!」
 ――え? もしかしてアルコール度数? じゃあ、日本酒より強いってこと?
 なんて思っているうちに、綾野剛志は一気に天野翔太に近付いた。そのまま拳を振り上げて、今にも殴り掛かろうかって雰囲気そのもの。
 ――やめて!
 だからそう叫ぼうとした。
 ところがそうしようとした瞬間、マスターの背中が一気に視界を塞いでしまう。
 え? と思っているうちに、綾野剛志は羽交い締めにされて、それからほんの数秒間、時が止まったように身動きひとつしなかった。
「二度と来るか! こんな店よ! 」
 マスターの腕が離れた途端にそう叫び、彼は店から出ていってしまうのだ。
 後から聞いた話だが、綾野剛志は何度もこの店に訪れていて、その都度違う女を連れていたらしい。
 ――おまえな、この店は、女を酔わすためにあるんじゃねえぞ。
 マスターは彼の耳元でそう呟いた後、
 ――今度、女連れで来たら、てめえ、殺すぞ……。
 さらにそう続け、綾野剛志への羽交い締めを解いた。
そうしてこれ以降、彼は居酒屋のバイトも辞めてしまって、今のところは道で偶然出会ってもいない。
ただそんなことがあってから、逆に天野翔太とは偶然よく会うようになる。
そしてバーでのことがあってから、たった三日目のことだった。
アパートに向かう途中で、妙に背の高い男性が歩いているのが目に入る。大きな買い物袋を右手に持って、夕刻の商店街を誰かを負ぶっているのが見えたのだ。
まさか? と思って近付いてみると、やっぱり天野翔太本人だ。
――いったい誰を? どうして、おんぶなんかしているの?
背負われているのは高齢の女性のようで、彼のおっきな背中で妙にちっちゃな感じに見える。
千尋もずっと後ろを付いていき、やがて二人は古い平家に入って消えた。
すぐに出てくると思ったが、五分経っても十分待っても天野翔太は出てこないのだ。
帰ろうか? それとももう少し、待ってみようかな?
生垣の傍でウロウロしながら考えていると、突然、天野翔太の方から声が掛かった。
「今度は、迷子ですか?」
 知らないうちに門のところにいて、なんとも嬉しそうな顔して立っている。
「え? あ、違うんです……お婆さん、どうしたのかなって」
 何かがあったからに違いないから、とにかく当てずっぽうでそう言った。
「ああ、ちょっとね、疲れちゃったんだって、もう七十五歳だっていうから、そりゃあ、あの大荷物じゃ、疲れるわな……」
お婆さんが道にしゃがみ込んでいて、その横には大きな買い物袋が置いてある。
彼がどうしたのかと尋ねると、
「休憩してるんだって言うからさ、それなら、送って行くよって言ったんだ」
 これまでも、似たようなことが何度かあって、今では友達なんだと彼は言った。
「一人暮らしのお婆ちゃんでね、花輪ひろこさんって言うんだけど、まあ明るくてさ、話が凄く面白いんだよ。だからさ、今もバイトがあるからって、泣く泣くバイバイしたってわけなんだ」
 それからも、アパートまでの道すがら、彼は花輪ひろこさんから聞いた話をいろいろ教えてくれたのだ。
 きっと、彼が面白がってるわけじゃない。
嬉しいのはお婆さんの方で、ひろこさんが泣く泣く彼を開放してあげたってのが本当だろう……なんて想像が浮かんじゃうくらい、彼への印象は凄ブルいい感じ≠ノなっていた。
 そして、そんなのが決定的になったのが、アパートに越してきて二ヶ月くらいが経った頃、五月になって最初の日曜日のことだった。
 朝は思いっきり晴れていたのに、夜になっていきなり雨が降り出した。
 バイト先の居酒屋は一気に客足が激減。
バイト終わりの八時頃には、ほとんど閉店ガラガラだ。
千尋は覚悟を決めて、店の暖簾をめくって夜空を見上げた。
――窓、ちゃんと閉めてきたかしら?
 なんて心配をよそに、まさに豪雨って雨が槍のように降り注いでいる。
 もちろん傘なんて持ってない。
だから千尋は即行決めた。
前方の信号が青になるのをジッと待ち、青になったら一気にダッシュ。大通りを全速力で渡り切り、後は左に十数メートル走って地下への階段に飛び込んだ。
 きっと彼なら、傘だってビックサイズだ。そんなのがちゃんと置き傘であって、閉店まで粘っていれば、彼なら絶対送ってくれる! 
なんて目論見はバッチリ当たって、それも閉店よりもぜんぜん前に……だ。
「もういいって、客も来ないしよ、今日はもう、閉店にしようぜ……」
 なんて突然マスターが言い出し、生ビール二杯で目的達成できたのだった。
 そうしてアパートの階段下まで送ってもらい、二階にある自分の部屋に入った途端、あまりのショックに暫しその場で固まった。
 ――嘘……何よ、これって……。
 なんて茫然自失の状態から、彼がいきなり現れて現実の世界へ引き戻してくれた。
「ひゃ〜、やっぱりなあ〜、こりゃ、酷いね〜」
 驚いて振り返れば、天野翔太がすぐ後ろに立っている。そして千尋のさらに頭の上から彼女の部屋に目をやっていた。
「ほら、まだ見てないんでしょ?」
 彼はそう言って、千尋に何かを差し出した。


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