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作品名:アナザー・デイズ 1977 作者:杉内健二

第20回   第2章 〜 2  変化(2)
 2  変化(2)



 一年近く、前のことだ。
 コンタクトレンズを道に落として困っていると、通りかかった彼がずっと一緒に探してくれた。
 日も暮れ始め、「もういいです。もう、諦めますから」と、由依美は彼に告げたのだ。
 ところが彼は頷かない。
「ダメだよ、高いものなんだから、暗くなるまで一緒に探そう!」
 そう言って、地面に這いつくばって探し続けてくれたのだった。
 結果、コンタクトレンズは見つからなかったが、由依美はこの幸運を逃さなかった。
「あの、わたし、あなたのこと知っています。毎日、おんなじ電車に乗ってたんです、わたしも……」
 そうしてお礼をしたいと続けたが、彼はやっぱり受け入れようとはしなかった。
 それでも、その日を境に、電車で顔を合わせれば挨拶くらいは交わすようになる。
 初めて彼を意識したのは、高校に入ってしばらくした頃だった。
 いきなり怒鳴り声≠ェ聞こえて、由依美はそこそこ混み合っている電車の中を見回したのだ。するとスーツ姿の男性が、茶髪の高校生に向かって何やら大声を上げている。
 高校生の声は聞こえてこないが、二人はそのまま次の駅で降りたから、由依美もすぐに忘れてしまうようなことだった。
 ところが学校に来てみると、あっと驚くような真実を知った。

 鮨詰めの満員電車が嫌だったから、由依美はかなり早い電車で通っていたのだ。
 もちろん入学当初は普通の時刻に乗っていたが、二度ほど乗って、二度とも最低最悪の痴漢に遭った。
  幸い、朝六時台の電車に乗るようにしてからは、一度も被害に遭わずに済んでいたが、
 ――あんな早い電車でも、痴漢っているんだ……もう、最低!
 そんな事実を知ったのは、学校に着いて、ずいぶん時間が経ってからだ。
「ねえねえ! 聞いた? 真由美がさ、今朝、痴漢に遭って大変だったらしいわよ!」
 そう言ってきたのは、遅刻ギリギリで駆け込んできたクラスメイトの仁美だった。
「え? ウソ! どこでよ? 道歩いてて、いきなりとか!?」
 なんてところまでは、ただただ面白がっていただけだ。
「ほら、彼女、運動部の朝練でさ、朝早いじゃん? でもってさ、バカだからあの子、家からチアのユニホーム、上だけ着て行っちゃったらしいのよ」
 真由美はとにかく胸がデカい。
 あんなので、まるでチビTってヤツを着ていたら、
 ――そりゃ、格好の標的になるわあ〜
 なんて印象通りに、彼女は痴漢に遭遇するのだ。
「でね、いきなりさ、助けて貰ったんだって! ほら、同じ沿線にあるじゃない? 最低最悪のバカ学校……そこの生徒らしいんだけどさ、もう笑っちゃうのよ、茶髪でロン毛のさ、どっちが痴漢なのってヤツがさっそうと現れたんだって。それもさ、大デブだってんだから、これって、かなり笑える話っしょ?」
 そう言って、彼女自ら大笑いをしてみせた。
 そこで今朝の事件を思い出し、ストンとすべてのパズルが噛み合ったのだ。
 ――そう言えば、丸い顔、してたっけ?
 茶髪の高校生が助けた方で、
 ――じゃあ、痴漢ってあのサラリーマン!?
 なんてことを知ってから、どうしたって茶髪のことを意識してしまう。まさに不良を絵に描いたような高校生が、逆に痴漢を捕まえ、駅員にまで突き出したってのに、驚いた以上に興味が湧いた。
「もうね、痴漢の方がタジタジだったってさ」
「どうしてよ?」
「両腕を掴まれてね、まるで身動き、取れなかったらしいのよ」
「え? なんで? どうしてよ?」
「う〜ん、真由美はね、関節技≠カゃないかって、言ってたけど……」
「え? そこに、真由美もいたってこと?」
「一緒に降りて、証言してくれって、言われたんだってさ……その、茶髪にね」
 最初の頃は、小太りでロン毛、茶髪の不良がそんなことを言うなんて……と、ちょっと気になっていただけだった。
 ところがそれから三日目の朝、茶髪でロン毛が消え失せる。
 そこにいたのは小太りってだけの高校生で、ぺちゃんこだった鞄も消えて、代わりに薄汚れたリュック――後から聞いた話だが、彼の父親が大昔に使っていた、正真正銘、登山用のものだったらしい――を背負っている。
 ――学校に行かないで、ピクニックにでも行くつもりかしら?
 なんてことを思うと同時に、ちょっとガッカリというのが正直なところだ。
 そうしてひと月くらい経過した頃、痴漢騒ぎのことなど忘れて、由依美はいつもの電車に乗っていた。車内は相変わらずの混み具合で、ギュウギュウとまでは行かないまでも満員電車には変わりない。
 そんな車内で、彼女は再び声を聞いた。
「すみません! どなたか席を譲ってください!」
 え? と思って振り向けば、すぐ後ろで女性がしゃがみ込んでいる。そしてなんと、女性を支えているのがあの高校生なのだ。
 すぐに前にいた人が席を譲り、彼はそこに女性を座らせる。
ところが次の駅に停車すると、女性を負ぶってさっさと電車を降りてしまった。
 そのままホームのベンチに女性を寝かせ、彼は再び何かを叫んでいるようだった。
 そんなことがあってから、由依美は気になって気になって仕方がない。一度はわざわざ学校のある駅を降りないで、どこの駅で降りるかを見届けたりもした。
 ――やっぱり、あの高校なんだ……。
ポマードや煙草の臭いをプンプンさせて、いかにもって高校生ばかりが通うような学校に、彼もやっぱり通っていたのだ。さらにそれから、夏休みが始まるまでのひと月ちょっとで、彼は驚くくらいの変化を見せる。
 仁美の言った「大デブ」というのが夢だったのか……? というくらいに、一気にその身体が「小太り」くらいに小さくなった。
 ――こんな短期間で、ここまで変われるもんなの?
 そんな驚きと一緒に、ますます由依美の気持ちも彼の方へと向きつつあった。
 そして夏休みが終わった新学期、彼があっと驚くような姿で現れた。
 ――え? ウソ! ウソだあ〜!
 真っ白だった肌が小麦色になって、脂肪が一気に削ぎ落ちている。
 人は太ってちゃダメなんだ……と、まさにそんな見本がそこにいた。
 ――やだ! この人、こんなにいい男だったの?
 なんて驚きのまま、ジッと視線を向け過ぎたのだ。まずい! と思った時にはこっちを向いて、そしてなんということか、ニコッと微笑むように両目を大きく見開いた。
その時咄嗟に、慌てて視線を逸らしてしまった。
――あ、わたし、見てませんから!
 そんな感じを訴えるように、視線だけを斜め上へと向けたのだ。
 そんな失敗があってから、由依美はあえて乗車するところを一つだけ変える。もちろん車両は一緒だし、彼のいる方へ入り込むから、ちょっと見つけるのに時間が掛かるってだけだ。
 それからは、特に変わったことは起こらない。
秋が来て、冬が来て、何も起こらないまま……また春が来る。
 不思議だったのは、朝はほとんど会えるのに、帰りはまるで一緒にならない。きっと部活か何かやっていて、帰りはずっと遅いのだろう。
 そう思っていたのだが、たった一度だけ、帰りの電車に彼の姿があったのだ。


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