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作品名:アナザー・デイズ 1977 作者:杉内健二

第19回   第2章 〜 2  変化
2  変化



どうにも、声が出なかった。
 呼吸しているのかどうかも分からないまま、それでもなんとか告げようとした。
 しかし感謝の言葉を言いたいと、気付いた頃には遅かったのだ。意識が一気にボヤけていって、ずっと続いていた妻の声さえ聞こえなくなった。
「あなた! あなた! がんばって!」
 そんな声に応えようと、妻の手を握り返そうとした瞬間に、物音すべてが消え失せ、ストンと意識もなくなっていた。
「なんでだよ!」
 いきなりそんな声が出た。
 ――ふざけんなって!
 自分の発した声に驚き、次の言葉は声にならずに済んだのだった。
 達哉は慌てて両手を合わせ、そのまま頭を必死に下げた。
 彼は今、大学へ向かう電車の中で、知らぬ間に寝てしまっていたらしい。
それからあっという間に夢を見て、それが天野翔太が死にいく時の夢だった。
さらにそんなことから、三十分くらい前のことだ。
「達ちゃん、どうしたの?」
 いきなりまゆみが顔を出し、驚いたようにそう声にする。
 達哉は慌てて誤魔化して、まゆみの返しにこれ幸いと乗ったのだ。
「大声なんか出して〜、何かあったの?」
 こんな言葉に、彼は慌てて首を振った。
「そういえば、大学はいいの? 早くしないとお昼になっちゃうわよ」
「あ、そうだ、そうだよ、行かなきゃダメだ!」
「もう、しっかりしてくださいよ〜」
 そう言いながら、まゆみが満面の笑みを達哉へ向けた。
 そうして慌てて身支度をして、彼は大学に向かおうと家を出る。
 ところが学生証で住所はわかるが、大学構内に入ってからが大問題だった。
授業どうこう以前に、どこへ向かえばいいのやら……? 何かいい手はないかと考えているうちに、いつの間にか揺れに誘われ眠ってしまった。
そうして天野翔太だった最期の時の夢を見て、達哉は改めて思うのだ。
 ――あの人は、俺が死んだ後、どうしたんだろうか?
 彼女のお陰でどんなにか、彼の生活が豊かになったかしれなかった。
 そしてきっと、この時代から戻った本人の方は、
 ――そのまま、死んじまったってことなのか……?
 天野翔太が死んだんだから、意識だって目覚めない。
 ――どうしてだよ! これって、どんな意味があってのことなんだ!?
 そんなことばかり考えていたせいか、記憶がそのまま夢となって現れたのか?
 ただとにかく、今は大学のことだった。
それから必死に考えて、誰かに見つけて貰おう……などと、思い付く。
 大学ってところについては、生まれたばかりの赤ん坊ってくらいに何から何まで分からない。となれば、達哉を知っている友人にさっさと見つけて貰って、そいつを頼りに動けばいい。
 なかなかいい考えだと思っていたが、やはりそうは問屋が卸さなかった。
 十七歳からの二年間、達哉としては止まっていたも同然。ファッションだってなんだって、新しい知識なんてぜんぜん増えちゃいないのだ。
だからだろうし、そんなのに加えて大学ってのに想像を越えて圧倒される。構内に入った途端にドキドキし始め、上手くいくって感じがあっという間に消え失せた。
そんな時だ。
「おーい、藤木〜」
 いきなり彼を呼ぶ声がして、声のする方に慌てて目を向けた。
 すると女子大生――だろうと思う――が達哉を見ていて、右手を高々上げて大きく左右に振っている。
 ――どうする? 俺も、振った方がいいのか?
 なんてことを一瞬思うが、どう考えたって恥ずかしかった。だから困った顔を向けたまま、この先の展開をドキドキしながら見守ったのだ。
 すると向こうの方から近付いてきて、彼を見つめて不機嫌そうに言ってくる。
「どうしたのよ、珍しいじゃない? あなたが授業出ないなんてさ」
「ああ、ちょっと、野暮用で……」
 ここまでは、ちゃんと自然に言えたと思う。
「へえ〜……藤木くんでも、そんなことあるんだね、ふ〜ん、そうなんだ……」
 そう言った後、彼女はいきなり顔を達哉の顔に思いっきり近付ける。それから二十センチくらいしか離れていない眼(まなこ)を見つめて、
「ま、いいか……で、ノートは?」
 そう言いながら、ほんのちょっとだけ口角を上げた……と、思ったら、
「嘘! ちょっとお! 嘘でしょ?」
 いきなり二、三歩飛び退いて、
「持ってきてないの? それじゃあ、わたしのレポートどうなるの?」
 天を仰いでそう言ってから、達哉を「ギッ!」と睨み付けた。
「ちょっと待ってよ! 落第したら、天野くんのせいだからね!」
当然、達哉の方はなんのことだかさっぱりだから、ただただその目を丸くした。
「ねえ! 黙ってないで、なんと言ってよ!」
 この間、達哉はひと言だって発していない。
 ――ノートって?
 そう思っただけだった。
それからちょっとだけ視線を外した途端、
「もうさあ、真面目だけが取り柄なんだから、ちゃんと約束くらい守りなさいよ!」
 彼女は吐き捨てるようにそう言って、さっさととこかへ行ってしまった。
 きっと黙って立っていれば、JJ<cfルとウソ吹いたって通るだろう。
 栗色の髪にワンレンロン毛のチョー美人。以前の彼なら近付くことさえ叶わぬような大人っぽい女性が、ついさっきまで吐息を感じる距離にいて、
 ――どうして、俺があんなこと言われなきゃいけないんだよ!
 真面目だけが取り柄なんだと言い捨て……去った。
 それでもやっぱり、
 ――おっぱい、結構デカかったよな……。
 なんてことを思ったりしながら、彼が再び歩き出そうとした時だった。
 広瀬由依美、十七歳の高校三年生。
もちろん今の達哉にとっては初対面だったし、さらにさっきのワンレンよりもたいそう始末が悪過ぎた。
 最初は笑顔だったから、ぶっちゃけドキドキワクワクだ。
「こんにちは」って声に振り向けば、そこにいたのは制服姿の女の子。
「わたし、あそこでいつも、待ってたんですよ」
 そこまでは、可愛い顔が微笑んでいた。ところが困ったって顔をしていると、いきなり彼女の方も顔を思いっきり曇らせる。
「あそこって、どこだったっけ?」
 そう返した途端、その目に涙がウルウルときた。
「あ、あ、ごめん、俺、今ちょっと、急いでて……」
 だから必死にそう声にして、そのまま立ち去ろうとしたのが悪かったのだ。
「約束は!? ちゃんと約束したじゃないですか!?」
 ――おいおい、約束ってなんだよ?
「だから、ちゃんと待ってたんです! 藤木さんが、合格するのを、わたし、待ってたんですよ!」 
 そこで「ワッ」と泣き出したりすれば、きっと達哉は逃げ出しただろう。ところがなんとも微妙な感じで、そうしたくても、視線を逸らすことさえできなくなった。
 きっと、後ひと言でも発すれば、我慢できないって感じだろう。
口を真一文字に食いしばり、ジッと達哉のことを見つめている。そして、その唇がピクピクする度に、見開いた眼(まなこ)で溜まった涙が揺らめいた。




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