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作品名:アナザー・デイズ 1977 作者:杉内健二

第16回   第1章 〜 5 天野翔太(藤木達哉)(4)
5 天野翔太(藤木達哉)(4)


「アパートの掃除をしていて、鎮痛剤を偶然、見つけたんです……」
 そこで小さくため息を吐いて、彼女は両手を使って涙を拭った。
「わたし一応、介護士なんてやってるから、薬のこととか結構知ってるんです。だから、まさかと思って、処方箋と一緒に入っていた病院の領収書を見て、通われている病院に行って、話を聞いてきたんです」
 こんな強い薬を処方された理由を知りたい……しかしいくらそう頼んでも、担当の医師さえ教えてはもらえない。ところが運のいいことに、ちょうどナースセンター前を通りかかった医師が、偶然彼の名前を耳にした。
「私が、大騒ぎしたんです。天野翔太って患者を診察したのは誰だって、誰か教えてくれって、大きな声で、騒いだものだから……」
 不意に、そんなシーンが思い浮かんで、翔太の心がほんの少しだけザワめいた。
 と、同時に、
――どうして?
という疑問が口を突いて出そうになるが、それより彼女の声が先だった。
「そのお医者さん、聞いてきたのよ……お知り合いですかって……だから言ったの、これから一緒に、あなたと暮らすつもりだからってね……」
 なのに、彼が病気のことを教えてくれない。
だから仕方なく、彼のためにやってきたんだと力強く声にして、彼女は現れた医師をここぞとばかりに睨みつけた。
 すると医師が困ったように、
 ――本当は、こう言うことはダメなんですけど……。
 そう告げてから、彼女を誰もいない診察室へと誘ったのだ。
「そこで、天野さんが治療すべてを断ったことや、どうしてそうしたいと考えたのかを、そのお医者さんにお聞きました。でも、実際は、そんな簡単なことじゃないんだって、今だって天野さん、かなり痛みはひどい筈だし、いずれ近いうちに、鎮痛剤じゃ抑えられなるからと、そう仰って……」
 ――それに、まだ可能性もゼロじゃない。
 ――だからあなたから、治療を受けるよう説得して欲しい。
 若い医者はそう続け、彼女に頭を下げたのだった。 
「でも、わたし分かります。施設から入院して、治療にトコトン苦しんで、結局そのまま亡くなっちゃう方を、これまでたくさん見てきましたし……だから、いいじゃないですか……やれるところまで自由に生きて、どうしようもなくなったところで入院する。わたしも、天野さんの決断、いいと思います。それにね、そんなのって、一人っきりより、ふたりで居た方が、断然いいに、決まってるんだから……」
 彼女はそこまで一気に話し、再び廊下の先へと歩き出した。
 一方翔太の方は呆気に取られ、なす術もなく立ち尽くすのだ。
そして、どのくらいの時間が経ったのか……?
きっと、一分とか二分くらいの経過だろう。
しかし翔太にとっては永遠ってくらいの時に感じられ、
――どうする? 
――どうしたらいい?
次の行動を考えあぐねて、声が掛かるまでただただその場に立っていた。
そうして結果、翔太は彼女の申し出を受け入れる。
苦難に満ちた人生だった。
だからこそ、最後の最後に用意されたこんなことに、
――甘えたからって……きっとお天道様も怒ったりはしないだろう……。
そんなふうに感じて、彼は彼女の望むことすべてを受け入れたのだ。
さらにそれから数ヶ月して、少しずつ体重が落ちていったが、それほど症状自体は悪くなっていなかった頃、再び彼女は驚くようなことを翔太へ告げる。
結婚して欲しい……。
いきなりそう言い出して、大真面目な顔して翔太へ理由を告げるのだった。
「この家、元々別れた夫の持ちもんだったんです。でもまあ、色々あって離婚したんですけど、子供もまだまだ、小さかったしね……苗字、そのままにしたんですよ。でも、その子もすでに結婚しちゃって、孫なんて小学生が二人。だからさ、チャチャっと替えちゃいたいんです。もうね、綾野って苗字。わたし最近、そう呼ばれる度に、嫌で嫌で仕方なくって……」
 そうして翔太の顔をじっと見つめて、
「もちろん、それだけじゃないですよ……」
 そう続け、悪戯っぽい笑顔をして見せた。
「だってあなたは、私の初恋の人、なんだから……天野さんの方は、まるで全然、一ミリだってわたしのことなんか、覚えてないんでしょうけどね……」
 東京に出てきたばかりの頃、彼女は翔太に会っていた。どこでどう出会っていたかは口にしないが、歳を取り、河川敷で話すようになって、少なくとも彼女はあっという間に気付いたらしい。
「相変わらず、天野さんは優しくて、人を助けてばっかりで……だからさ、今度はわたしが、あなたを助けてあげますからね」
 力強くそう言って、涙目のまま、さらに満面の笑みを翔太へ向けた。
 それから二、三日して、二人は市役所に出向いて籍を入れる。家の表札も「天野」に替えて、翔太にとって初めてとなる結婚生活が始まったのだ。
 しかしそんな生活も、さらに二ヶ月が経った頃から一気に様子が変わってしまう。
医者が言っていた通り、まるで鎮痛剤が効かなくなった。日に日に体力が落ち続け、食事もちゃんと食べられない。
痛みの方はモルヒネのお陰で楽にはなるが、体力の方はどうしようもなかった。
風呂に入るのもひと苦労。
一度溺れかかったことで、翔太もいよいよ入院のことを覚悟した。ところがそんなことから数日後、彼は驚くよう事実を知って、考えを一気に改めるのだった。

それは人生の大半を、根こそぎ奪い取られたような驚愕の真実。そんな馬鹿な! と、何度も何度も思ったが、
「あなた、これはね、本当のことなの……今はもう、一般の人だって知ってることよ。まあ昭和の時代に、どう思われていたかは、正直、知らないけど……」
そう言う妻の言葉はどう調べたって正しくて、つまり彼だけが、ずっと騙されていたということなのだ。
――くそっ! くそっ! くそっ!
いくら悪態をついても、何十年もの歳月だけは戻って来ない。涙がとことん溢れ出て、その怒りをぶつけようにもその相手はすでに消え去っている。
 彼は次第に、このまま入院するのがどうにも我慢ならなくなった。
 ――最後のわがままを、許して欲しい
 そう告げて、最期まで家にいたいと彼女に告げた。
それから半年、何から何まで妻によって支えられ、彼は自宅での生活を必死に続ける。そうしていよいよ最期という時、彼のまわりにはたくさんの友人たちが集まった。
 そのきっかけは、吉崎涼へ連絡したことで、
「いよいよという時が来たら、彼だけには、連絡してください」
 携帯番号の書かれたメモを握りしめ、彼が懸命に声にしたのだ。
 そこからどういう流れで、こうなったのかはわからない。
 小中学校の同級生から施設で知り合った三人組や、保護観察中に世話になった町工場の社長、そして最後の勤め先となった吉崎工業の社員たちまで、驚くくらいに大勢の人間たちが別れを惜しんで集まった。


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