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作品名:アナザー・デイズ 1977 作者:杉内健二

第15回   第1章 〜 5 天野翔太(藤木達哉)(3)
5 天野翔太(藤木達哉)(3)
 


それでもまさか、会わないようにしていたなどとは言えないから、半開きの扉から顔を出し、ここ数日、実は調子が悪かった……と、満更嘘とも言えない言葉を告げてから、
「でも、もう随分いいので、心配なさらないでください」
 そう続け、彼は扉をゆっくり閉じようとした。
 すると彼女は「あの!」と、いきなり大きな声を出し、
「わたしがこうして来ること、天野さん、困ってますか? というか、わたしのこと、本当は嫌いですか? もしそうなら、そうだって、おっしゃってください!」
 そう言ってから、扉の隙間を睨み付けるような顔をする。
 だから閉じようとしていた扉を再び開き、彼は静かに、それでもしっかりした口調で告げたのだった。
「嫌いだなんて、そんなことはありませんよ……けっして、ないですから……」
するといきなり、
「じゃあ、どうして……?」
とだけ口にして、彼女はすぐに下を向いてしまうのだ。
この瞬間、やっと気持ちが固まった。  
「もしかして、これからお仕事ですか?」
 そう尋ねると、やはりこれから朝まで夜勤の仕事で、明日、明後日は休みなんだと答えが返った。
「じゃあ、明日、またここに寄ってください。この間のお返しに夕食を作って、わたし、待ってますから……」
「天野さん、無理してません?」
「無理なんか、全然してませんよ……大丈夫です」
 それから世間話を少しだけして、彼女は笑顔になって帰っていった。
 どうせこんなことは続かないのだ。
いずれ天野翔太にも飽きてしまうか、どこか気に入らないところが見つかって、彼女の方からさっさと離れていくだろう。
彼女の年齢は知らないが、きっとそんなに違わない。
還暦ってことはないとしても、四十代ってこともないと思う。そんな年齢の彼女であれば、これ迄の人生を話し聞かせるだけできっと引いて≠オまうだろうし、
 ――なんなら、病気のことを、打ち明けてしまえば……。
 それで、何もかもがなかったことになる筈だ。
 人生の終盤に差し掛かって、こんな面倒な男と関わるなんてかわいそうだし、彼女ほどの美人なら、もっといい男がいくらだっているだろう。
 そう思っていたのだが、人生ってのは、トコトン思うようにはいかないらしい。

「天野さん! 天野さん! どうしたんですか? 天野さん! 返事をしてください!」
 そんな声が聞こえても、どうにも唸ることしかできなかった。
 精一杯のカレー料理を作り終え、そろそろかな?……などと思いながら、台所からカレーを運ぼうとした時だった。
「ガツン!」と、後頭部を叩かれたような痛みが走った。
 え? と思った時には目の前が畳で、それで自分が倒れたんだと理解する。
 そしてちょうど同じ頃、彼女は天野翔太のアパートに到着し、とにかく何かしら物音を聞いた。それで彼の異常を察知して、いきなり大声を出したのだった。
 後から聞いた話では、部屋中にカレーのルーが散乱し、二、三日は香ばしい匂いが取れなかったらしい。
 彼女はすぐに扉を開けるのを諦めて、アパートの反対側に回り込んだ。それから鍵のかかっていた窓ガラスを石か何かで叩き割る。
もしも住んでいたアパートが今時のものだったなら、窓は絶対サッシだろうし、小石くらいじゃ叩き割れない。
ところがこのオンボロアパートは、雨戸を開ければいまだに全室、滅多に見られなくなった昔ながらのすりガラス。
お陰で女性の力でも簡単に割れて、彼女は倒れ込む翔太を発見できた。
さらに幸いだったのが、くも膜下出血≠ナはなくて、後頭部辺りで起きた脳梗塞≠セったということだ。さらに手術する必要もなくて、点滴と飲み薬だけで治療できるということなのだ。
そしてその入院中、綾野という女性は毎日顔を見せにくる。
早番であれば夕刻の頃、遅番であればその出勤前にちょこっと病室に姿を見せた。
休みであれば面会時刻ずっといて、彼は何度か似たような言葉を声にしたのだ。
「せっかくのお休みなんですから、こんなところにいないで、好きなことをなさってください」
「いいんです……ここにいることが、わたしのしたいことですから」
「でも、こんなジイさんと話をしていて、楽しいですか?」
「楽しいですよ。それに、天野さんがオジイさんなら、わたしもオバアさんだしね、ちょうどいいじゃないですか?」
 いつもこんな感じを返されて、結局、退院までの二週間、彼女は一日も欠かさず現れたのだった。
 そして退院の日に、さらに驚くような展開が天野翔太を待ち受けている。
 彼女が車で迎えに現れ、連れ行かれた先がアパートじゃなかった。
「え? ここは……」
 百坪近くありそうな土地に、そこそこ古いが、かなり立派な家が建っている。見れば表札が「綾野」とあって、となればきっと、忘れ物でも取りに寄ったか? 
そう思ったが、事実は推測よりもずっと驚きの展開だった。
「本調子が戻るまで、しばらくここに居てください。わたし施設の仕事、昨日で辞めちゃいましたから、これからずっと、チョー暇ですし……」
 などとシラッと言って来て、
「明日にでも、必要なものをアパートに取りに行きましょうね」
 そう続けたと思ったら、病院からの荷物をさっさと運び始めてしまうのだ。
 翔太は慌てて彼女の後ろを付いていき、すぐにやんわりとだが声にした。
「そんな、綾野さん、困りますって、本当に、大丈夫ですから……」
「困らないでください。本当に、こっちこそ、大丈夫ですから……」
 翔太の方を向きもせず、そんな返しを平然として、彼女は靴を脱ごうとし始める。そうしてとうとう、言ってしまおうと心に決めた。
「あの、実は、お話ししなければいけないことがあって……実はわたし、今回の入院とは関係なく、ですが……身体の方に、ちょっと問題を抱えていまして……」
 その時すでに、彼女は玄関で靴を脱ぎ、長い廊下の上にいた。そして翔太の声で立ち止まり、そのまま振り返ることなく動こうともしない。
彼はそんな彼女の背中に向けて、思ったままを声にした。
「きっとこれから、そう遠くないうちに、深刻な状況になるっていうか、こういうのは、きっとご迷惑をかけることに、なってしまうので……」
 だから、アパートに帰ります。
そう続けようとした時だった。
彼女がいきなり振り向いて、翔太の顔をここぞとばかりに睨みつける。
――どうして!?
彼女の目には、なぜか涙がいっぱいだった。
その唇までが細かく震え、さらに上へ下へと揺れている。
そんな姿を認知した途端、彼女の目から涙が一気に溢れ出し、頬を伝って喉元の方へと流れていった。
「どうして……?」
 今度は、声になっていた。
「どうして……」
 ――泣いているんですか?
 続いての想いは言葉にならず、口がほんの少しだけ動いたくらい。
なんと彼女は……すべてを知ってここにいた。
泣いている理由を翔太が知らないことも、告げようとしていた病気についても、彼女はすべて知っていたからここにいた……。


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