20代から中高年のための小説投稿 & レビューコミュニティ
 ようこそゲストさん トップページへ ご利用方法 Q&A 操作マニュアル パスワードを忘れた
 ■ 目次へ

作品名:アナザー・デイズ 1977 作者:杉内健二

第11回   第1章 〜 4  山代勇(2)
山代勇(2) 


――猫だ!
 と思った時にはブレーキレバーとフットペダルを同時に作動させたのだった。
 ところが距離があまりに近過ぎて、過度な減速が仇となる。いきなりバイクが横転し、どうにもならないまま横滑りして電信柱に激突だ。
 目撃者の話によると、猫はさっさと飛び退いて、何かを咥えて再び垣根の中へと消えたらしい。
 そんな証言を耳にして、黒い塊がなんであったかを彼は知る。
 飛び出した猫も真っ黒で、きっと道にいたのは子猫だったに違いない。
 生まれたばかりだったのか、ただとにかく、親猫は子猫を守ろうとしてバイクの行くてを遮った。そして幸い大したスピードは出ておらず、彼も何箇所かの打撲と擦り傷だけで済んだのだった。
 それでも脳震盪で気を失っている間に救急車で運ばれ、あっという間にバーの開店時間が来てしまう。やっと病室で自由になって、彼が山代に電話をしようと心に思った時だった。
「よお! 大丈夫か?」
 まるで図ったように山代が顔を覗かせ、ノックもなしに照れ臭そうな笑顔を見せた。
「どうして? どうしてここが? あ、店は、店はどうしたんです?」
「そりゃお前、翔太が事故に遭ったと聞いて、店なんかやってられんだろう?」
 バーに来たことのある客が現場に居合せ、わざわざ店に電話を入れてくれたらしい。
「若い女性だったから、お前さんのファンなんじゃないか?」
 店の電話に留守電が残されていて、山代は「臨時休業」という紙を扉に貼り付け、慌てて病院までやってきた。
「でも、どうしてここってわかったんですか?」
「そりゃあ翔太、あの大通り辺りで事故ったってなりゃよ、だいたいはここか玉堤の方だろうって」
 そうして東都中央病院にやって来てみれば、見事に翔太が運び込まれた病院だった。
「でもまあ、大したことがなくてよかったな……二、三日で、退院できるんだって?」
「はい、すみません。退院したら、すぐ店に出勤しますから」
「ばか、いいんだよ。ゆっくり休んでからでいいって……」
 山代はそう言ってから、して欲しいことはあるかと翔太に尋ねる。翔太はアパートの鍵を差し出し、着替えや保険証なんかを持って来て欲しいと頼むのだった。
 そうして次の日の午前中、山代は見覚えのないバッグを抱えて現れる。
 いらないバッグだと、返却不要だからと付け加え、彼は不思議なほどあっさり病室からいなくなってしまった。
 ただとりあえず、頼んでいたものは手元に届き、後は退院の許可を待つばかり。
 ところがなかなか許可が下りない。
二、三日があっという間に五日となって、やっと病院を出られたのは一週間目の火曜日となる。腰を強打したことで古傷が炎症を起こし、痛みがひくまで大事を取ろうということだった。
 そうして翌日、普段より一時間以上も早く、彼は「DEZOLVE」に顔を出した。
 当然山代の姿はないが、彼のいない間に掃除を済ませてしまおうと、店内へ続く階段をホウキで掃き始めた時だった。
「きみが、天野くんだね……」
 いきなり声が聞こえて、慌てて見上げる翔太の視界に見知らぬ男の姿が映る。
 それが臨時のマスターだった。
すでに四日目になると告げて、翔太に頭をチョコンと下げてきた。
 山代はいきなり姿を眩まし、病院に姿を見せた翌日から店に出て来ていないという。
「それでまあ、以前ちょっとだけここにいた僕に、声が掛かったってわけなんだ」
 アパートも引き払い、どこに行ってしまったのかまるで見当つかないらしい。
 ――どうしたんだろう?
 そう思いつつも、翔太にとってはそれほど大きな変化じゃなかった。
 ところがこんなことはまだ序の口で、本当の事件はそれから三日後に姿を見せた。
「天野さん、だよね。天野翔太さん……」
 アパートの前に停まっていた車から、突然そんな声が翔太に掛かった。
 立ち止まった彼の前に、ドアが開いて、いかにもって感じの男が現れる。
「ちょっと、お話いいですかね?」
 身長こそ翔太より低いが、それ以上にがたい≠フ良さが際立つ男がそう続けた瞬間、彼の脳裏に浮かび上がったのは山代のことだった。
 ――やっぱり、借金のせいで!?
 となれば翔太も無視などできない。だから言われた通りに車に乗り込み、それでも所詮他人事だ……という、どこか安心している自分がいたのだ。
 ところがまるでそうじゃなく、翔太はまさしく当事者だった。
「どうして……?」
 ――どうしてだよ!
 何度も何度も声にして、それ以上に心に強く問い掛けた。
「仕方がねえよなあ……実の親父だっていうんだからよ。ここはまあ一発、素直に払っちゃくれまいかねえ〜」
 何が何だかわからなかった。
 ただ少なくとも、どうしてこうなったかだけはすぐに理解できたのだ。
「山代の野郎がさ、雲隠れしやがったのよ。まあ、見つけようと思えば見つけられるさ。でもよ、人手も時間もかかるだろ? それにさ、ありゃあ、どうしようもねえやつだからよ、いつおっちんじゃう≠ゥもわからんし、まあさ、あんたの方が若いしね、真面目そうだから、確実だってことなのよ……」
「借金って……いくら、なんですか? それに、どうして山代さんが……?」
「まあよ、その辺はさ、これからじっくり教えてやるから……」
 それ以降は、何を聞いても男は黙ったままだった。
 そうして古びたビルに連れ込まれ、金融業者らしい会社の一室で説明を聞いた。
 それでもワケがわからなかった。
 どうして自分が払わなきゃならない?
 何度もそんな自問自答を繰り返し、それでも結局、翔太は念書にサインした。
「まあよ、どうしようもねえ野郎だがさ、それでもアイツがいなかったらよ、あんただってこの世に生まれてねえんだから、ま、そこんところでさ、よろしく頼むよ」
 それが、男の発した最後のセリフで、翔太も実際おんなじことを考えていた。
 子供の頃、ずっと思い続けていた父親が、やっと目の前に現れた。
残念ながら消え失せて、さらに借金まで押し付けられたが、それでも生きていたってことには変わりない。
 山代はきっと、アパートで何かを見つけて知ったのだ。
 母親が死んで施設に移った時に、母の持っていた母子手帳と二冊のアルバム、そしてほんの少しの身の回りのものだけ持ってアパートを出た。
 だからきっと、母子手帳かアルバムだ。
 どっちを見たって気付くだろうし、だから病室に現れた時、どうにも様子が変だった。
 ――だからって、どうして借金ってことになるんだよ!
「天野由美子ってさ、あんたの母ちゃんだろ? その天野由美子って女とさ、あの山代との間に生まれたのがあんた、天野翔太くんって、ワケなんだよ……」
 そう言って差し出された白黒写真に、母、由美子だろう若い女性と、やっぱり若々しい山代の姿が写っていた。二人は頬をピタッと寄せ合って、どう見たって恋人同士だって感じに見える。
「だからよ、グダグダ言わずに、念書にサインしてくださいよ」
 月々利息分の十万円を返済し、元本についてはある時払いでいいとある。
 それではいったい、返し終わるのはいつ頃になるのか? そんな疑問を心で幾度も唱えつつ、翔太は男の事務所を後にした。
 それから地獄のような生活が始まった。
 利息分だけの返済じゃ、いつまで経っても借金は減らない。だから月に三十万は返そうと、翔太は朝から晩まで死に物狂いで働いたのだ。
 朝早くから工事現場で動き回って、夜はこれまで通り「DEZOLVE」でも働いた。
 日に日に体重が減っていき、ただでさえ細かった身体がますます枯れ木≠フように削られていく。さらに元々、たまに痛むことのあった胃が、こうなって毎日のように翔太のことを苦しめた。
 決まってだいたい夜明け近く、眠りに就いて数時間が経った頃だ。
胃がチクチクと痛み出し、どうしたって目が覚める。そんなのはすぐには治まってくれず、眠るのを諦め、起きてしまうことも多かった。
 そんな日が週に何度もあって、次第にそんな睡眠不足にも慣れていく。
そうして三年近くが経った頃、そんな生活を捨て去る時がやってきた。


← 前の回  次の回 → ■ 目次

■ 20代から中高年のための小説投稿 & レビューコミュニティ トップページ
アクセス: 963