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作品名:ロング・ロング・ラブ・ストーリーズ 4度目のさようなら 作者:杉内健二

第9回   第2章  1983年 プラス20 – 始まりから20年後 ~ 2 二十年前
2 二十年前

 ――あれは、いったいなんだったのか……?
 林でのことから二十年……剛志はすでに三十六歳になっていた。あの頃の記憶もかなり薄れ、それなのに、あの事件のことだけは今でもはっきり覚えている。
 それでも大学を卒業、さらに就職する頃には、しょっちゅう思い出すこともなくなった。
辛かった日々は確実に、彼の中で遠い過去のことになっていた。
 ところがある日、知らない男から電話がかかった。そいつは否応無しに過去の記憶を掘り起こし、忘れかけていたある約束≠思い出させる。
 あの日、剛志は確かに気を失ったのだ。当時はそんなこと知りもせず、智子にもすぐに追いつけるだろうくらいに思っていた。
 ところが行けども行けども姿は見えないし、霧雨だったはずがいつの間にか本降りだ。
そうしてとうとう剛志は智子に追いつけない。それでもきっと、広場に出られたのは偶然じゃなく、彼の想いが強かったせいだと信じたかった。

「ちょっと伊藤さん! どうしたんですか!? 大丈夫ですか!?」
 倒れているのが伊藤とわかって、確かそんな感じを叫んだと思う。
ところが剛志が呼びかけた途端、伊藤が口から血を吐き出した。腹からもドクドク血が流れ出し、雨水と混ざり合いながら辺り一面に広がっている。
 剛志は慌てて伊藤の肩を抱き上げて、彼の耳元で再び叫んだ。
「伊藤さん! 何があったんです? 智子は、桐島智子はどこに行ったんですか!?」
 そんな声に目を覚まし、きっと何かを言いかけたのだ。
しかし、口からの息は声とはならず、ドロッとした血の塊だけを吐き出させる。続いて辛そうに咳をして、そこでようやくうっすらとだが目を開けた。
見れば唇が微かに動き、口元についた血の塊が吐き出す息に震えて見える。
 ――何か言っている!
 そう思うや否や、剛志は慌てて彼の口元に耳を寄せた。
 それでもきっと、そうしていた時間は十秒ちょっとというところだろう。
 伊藤は何度も同じ言葉を繰り返し、いきなり「ヒッ」と発して全身の筋肉を弛緩させた。
 それが伊藤の最期だったが、その時はまるで恐ろしさを感じない。それどころか、剛志はしばらく立ち上がろうともしなかった。伊藤が必死になって伝えた言葉が、あまりに意味不明で理解できないものだったからだ。
 ――あの岩が、いったいなんだって言うんだ? わけがわかんねえって!
 そんな思いで見つめる先に、自然のものとは思えぬあまりに大きな岩≠ェある。
 直径が三メートルは優にあって、地上から三十センチくらいのところでキレイに平たくなっている。まるでスポットライトを浴びるステージ台のようだが、そんなものがこんなところに用意されているはずがない。
 伊藤は死に行く寸前に、この岩のことだけを剛志に向けて声にした。
 それがどんな理由によるものか、彼の言葉だけでは皆目見当つかないのだ。
 剛志はやっと考えるのを諦めて、伊藤の亡骸をそっと横たえ、土砂降りの中立ち上がる。直立不動のまま辺りを見回し、すがるような思いで智子に繋がる何か≠探した。
 この時の剛志は、己の危機をまったく理解していなかった。
 伊藤博志という人物の死が、人生に大きく影響するとは夢にも思っていないのだ。
 伊藤には、腹に四カ所の刺し傷と、後頭部にも鈍器で殴られたような裂傷があった。となれば犯人はナイフのようなものを手にして、柄の部分で後頭部を殴りつけた後、刃先を伊藤目がけて振り下ろしたか?
 もちろん剛志はそんなことなどしていない。
 だいたいナイフなんて手にしたことないし、鉛筆を削る時だって彫刻刀だ。後はせいぜいボンナイフ≠いじくる程度で、その辺は智子だって似たようなものだろう。
 それでもだ。彼女が後頭部を殴りつけたとして、あの身長差ではそうそう力は入らない。まして一撃でどうにかするなんてどう考えても厳しいだろう。
 二十年前のあの日、塀を飛び越えた家まで戻ると、不思議なくらいに雨はすっかり上がっていた。日も完全に暮れて、突き刺すような寒さだけが辺り一面を覆い尽くす。
 剛志は伊藤の亡骸を横たえた後、さんざん林の中を歩き回った。
 幸い炎は消え去ったようで、時折焦げたようなニオイがするだけだ。しかし漏れ届く月明かりさえない状態で、林の中は あまりに暗く見通しが悪い。だから智子が倒れていても、気づかないで通り過ぎていたかもしれなかった。
 そうして智子と会えぬまま、くたびれ果ててその家の窓を叩くのだ。
 ずぶ濡れの侵入者に家人は驚き、それでも家に上げてくれ、すぐに警察へも電話してくれた。
やがてパトカーがサイレンを響かせながら現れる。剛志は警察官二人を従えて、再びあの広場まで舞い戻った。
 剛志が解放されるのは、それからさらに二時間以上が経ってからだ。
パトカーに乗せられ帰宅するが、彼はこの時のことを何も覚えていなかった。
 そして次の日、日曜日の朝っぱらから電話があって、地元の警察署に呼び出される。
最初はあくまで、第一発見者として話を聞きたいということだった。それが段々、おかしな感じになっていき、昼も過ぎた頃には刑事の態度も大きく変わる。
「桐島智子をどうしたんだ? ずっと尾けていたんだろう? なのにおかしいじゃないか、気がついたら伊藤博志が血だらけで? 女の子の方は? 神隠しにでも遭ったってことか?」
 いくら記憶の通りに説明しようと、なんの助けにもならなかった。逆にそんなことを言い続ければ、刑事の口調はますますキツくなる一方だ。
「ナイフをどこに捨てたんだ! 明日にはあの林一帯の捜索が始まる。そうなれば、どうせすぐに見つかるぞ! そうなる前に、なあ、正直に言っちまえって」
 刑事は大真面目な顔をして、そんなことばかりを言ってくる。
 剛志とて、どこだと言ってやりたいのだ。しかし何も知らないのは事実だから、「知らない」「やってない」を繰り返す以外に道はない。
 それでもこの頃はまだ、夕方には家に帰れるくらいに思っていた。
 しかし剛志が考えている以上に、その立場は危うい状況に追い込まれていたらしい。
 結局、伊藤を刺し殺したナイフは見つからず、二日目の夜を迎えても、智子は行方不明のままだった。なんの進展もなく三日目を迎え、その間、両親との面会さえ許されない。誰もが長引きそうだと思い始めた頃、それはあまりに突然で、かつ予想外の展開だった。
 警察に匿名で、一枚の写真が送られてきたのだ。
 紛れもなくあの現場で撮られたもので、大きな岩≠ェ中央にあって、しっかり犯人の姿が写っている。横たわる伊藤の顔が正面を向き、そんな彼目がけてナイフを振り下ろそうとする瞬間だ。
 かなり暗かったはずなのに、伊藤の顔つきまでがはっきりわかる。さらに彼の両目が光って写り、なんとも不気味な写真だった。
 ただとにかく、これが剛志にとって天の助けとなってくれる。
 伊藤博志はかなりの長身で、一メートル九十センチ近くはあったろう。そして写真に写るもう一人の方も、背景からすると伊藤と同じくらいの大男だとわかった。
 さらにヒョロッとした痩せ形というところまで、写真の二人は共通している。
 それからすぐに写真鑑定が行われ、ありがたいことに加工の痕跡は出なかった。となれば写真が示す通りに、長身の男が伊藤を殺し、さらに智子をどこかへ連れ去った……そう考えれば辻褄は合うが、それでも多くの疑問は残されたままだ。
 警察がどこをどう調べても、伊藤博志がどこの誰だかがわからない。写真に写っていたもう一人についても、どこからも目撃情報が出てこなかった。
 昭和三十八年の日本なのだ。
二メートル近い大男なんてまずいない。
 だからもし見かければ、普通は記憶にだって残るだろう。なのに目撃者は見つからず、まるで降って湧いたように現れて、男は忽然とどこかへ消え失せていた。
 そいつは何ゆえ伊藤を殺し、どうして桐島智子を連れ去ったのか?
 それ以前に、彼女こそが伊藤を追っていた理由は何か?
 何から何まで不明のままで、さらに警察はあの火事についても人為的なものと断定する。
 午前中雪が降り、まさに凍てつくような雨の日だ。放火でもしない限り火事になどならないだろうし、さらに言えば、あんな日にマッチを擦ったくらいじゃ火は燃え移らない。
 となれば、ガソリンでもふり撒いたのか? 
あるいは化学薬品でも使ったか?
 どちらにせよ、その痕跡は残るはずだし、すぐに原因物質は特定できる。誰もがそのように考えたのだが、消防がいくら調べても発火原因は不明のままだ。
 事件の日、炎は現場を取り囲むよう燃え広がって、不自然なくらい唐突に消えた。
 そんなことすべてが、二十年経った今でも変わらず謎のままなのだ。
 ただとにかく、謎の写真のおかげで剛志はその日の夜には釈放される。これでやっと無罪放免となったわけだが、元の生活は簡単には戻ってはこない。事件はまるで未解決だったから、町のあちこちで様々な噂が囁かれ、さらに尾ひれがつきまくって、剛志の高校へもあっという間に飛び火した。
「幼なじみの女子高生を殺して、林で焼いてしまおうとしたんだって?」
「いやいや違うって、女の子はまだ監禁されててさ、その場所が知られちゃったから殺したって話だろ? 近所に住んでた、身元不明の男をさ〜」
「まあ、どっちにしたって、あいつには、あんまり関わらない方がいいって感じ……」
 こんな言葉があちこちで交わされ、中には面と向かって言葉にしてくる強者もいた。
「うちの学校さ、もともと評判のいい方じゃねえんだから、おまえさんみたいのがいっとよ、ますますイロイロ言われちまうからさ、とっとと退学してくんない?」
 そんなことを言われて、以前の彼であれば間髪容れずに取っ組み合いだ。しかしそんなことをしてしまえば、どんな災いが降りかかってくるかもしれない。
 それでもだ。自分に向けての中傷くらいなら、ジッと我慢していればいい。
ところが今度ばかりはそうじゃない。だから何を言われても、剛志はけっして言い返すことをしなかった。


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