20代から中高年のための小説投稿 & レビューコミュニティ
 ようこそゲストさん トップページへ ご利用方法 Q&A 操作マニュアル パスワードを忘れた
 ■ 目次へ

作品名:ロング・ロング・ラブ・ストーリーズ 4度目のさようなら 作者:杉内健二

最終回   60
終章  2017年 プラス54 ― 始まりから54年後 



すべての記憶を取り戻し、新たな事実にも気がついた。
そんな智子はすべてを受け入れ、岩倉節子として生きていこうと決めるのだ。
さらに母親の死によって、桐島家のアルバムを手にした智子は、
さらなる驚愕の真実を知ってしまった。
――じゃあ、あの時、わたしの背中にいた子供って……?



平成二十九年三月十日

 

何度、大きなため息をついたかしれない。
 どう考えようが、信じていいような話ではなかった。
 古いアルバムについての日記を読んで、剛志はありとあらゆる可能性を考えたのだ。
 しかし書かれていることが事実であれば、智子が導き出した結論しかないように思える。勇蔵から聞いた養護施設の話や、実際目にした佐智の状態だって日記としっかり合致する。
 もちろん節子本人からも、赤ん坊を施設に預けたことは聞いていた。そして智子自身も幼い頃は、やっぱり養護施設で育っている。
 ――やはり、智子の生んだ子供ってのは、俺の知ってる智子、なのか……。
 さらにいくら探しても、手拭いが貼ってあるというアルバムだけが見つからない。
 もしかしたらだが、フラフラと多摩川の土手沿いを歩いた時に、そのまま川にでも流してしまったか? きっとかなりのショックで混乱していたろうし、一種のパニック状態に陥ってたって不思議じゃないのだ。
さらにそんなことから十五年くらい経って、彼女は己の異変にも気がついていく。
 ――おかしい……どうして?
 そんなふうに思えていたのは、きっと数ヶ月か、長くても半年くらいの間だろう。
すぐにおかしいってこともわからなくなって、彼女の日記にもそれらしい言葉は出てこなくなった。
 そして剛志は今でも、ボロボロのノートを手に取るだけで熱いものが込み上げるのだ。
 ――どうしてなの?
 ――誰か助けて!
 ――もう、死んでしまいたい。
 こんな心の叫びがところどころに出てきて、彼はそのたびに大学ノートを静かに閉じた。
 そうしていつも思うのだ。
 ――絶対に、絶対におまえを治してやるからな……。
 こんなふうに何十回思ったかしれない。
三冊の日記すべて読み終え、一時は立ち直れないほどに衝撃を受けた。
ただその一方で、ほんの微かな、すぐに消え去ってしまうかもしれない小さな希望も見つけている。それはたった二行ちょっとの文章で、残りの人生ぜんぶ賭けたっていいくらい、そんな大いなる意味を含んでいた。
 
『数字がいくつだったかは覚えていない』
『ただ、あの時は気づかなかったけど、数字の色は確かに黒に変わっていた』
『だからきっと……またあれはいつの日か、あの岩の上に姿を見せる、いつか、必ず……』
 
これを目にした日から、新たに人生の目標が定まった。
 それから毎年、三月十日になると節子を自宅に連れ帰る。そしてひたすらマシンが現れるのを待ったのだ。
八回目となる今日という日も、いつも同様、節子とともにテラスにいた。
 昭和二十年、モンペ姿の女が消え去った後、まだ腕時計を探せるくらいの明るさはあったらしいから、こっちの世界でも、辺りが暗くなってしまえばもうマシンがやって来ることはない。
 そうしてそろそろ日も傾きかけて、彼はいつものように自分の心に誓うのだ。
 ――絶対に、俺はおまえを治してやる。
 力強くそう念じ、剛志がふと、顔を上げた時だった。
 ――え?
 彼の目が何かを捉え、思わず椅子から立ち上がる。と同時に手からノートがこぼれ落ち、剛志はそれを拾おうともしないのだ。
視線の先にある何かを見つめ、まるで夢遊病者のようにテラスの隅に近づいていく。
やがて呆然と立ち尽くし、ふと我に返って節子の方を振り返った。
 その時、剛志の目には涙が溢れ、不思議なくらいその唇は上下左右に揺れている。
 
何度も、諦めかけたのだった。
 そのたびに、ボロボロのノートを思い出し、あの日決意したことを再び心に刻み込んだ。
 もう一度、児玉剛志として智子とちゃんと話がしたい。そうするためには病気をしっかり治すしかないが、今という時代では何をしようと不可能だ。
 しかし百年後なら、あの伊藤博志が暮らしていた世界なら、もしかしたらそんなことだって可能かもしれない。そう思って、剛志はずっと待ったのだった。
 そして今、そんな願いを実現できる唯一の鍵が、やっと剛志の前に姿を見せた。
「節子、いや、智子……これで、一緒に行けるぞ……」
 節子に向かってそう声をかけ、剛志は再び岩の方に目を向ける。すると現れた歪みはすでに岩の上で、ちょうど銀色の物体が地表に向かって伸びているところだ。
 剛志は迷うことなくテラスから下りて、ゆっくり岩へと近づいた。それから階段となったその先を、一歩一歩ゆっくり、踏みしめるようにして上がっていった。
 まずは、浮かんでいる物体に尻を乗せる。すると包み込まれるように全身が覆われ、背中を少し浮かすと例のパネルも現れてくれた。
慌てて前方に目をやると、黒くくっきり、例の数字が目に飛び込んでくる。
 00000072
 すなわち戦後から七十二年、平成なら二十九年となるし、西暦だったら2017年だ。
まさにパネルの数字は今年を指し示している。
――でも、いったいどうしてだ……?
 マシンに入り込んだという女が、何か意図をもってそうしたとは考えにくい。
 ただただ変化する数字が珍しかったのか? 
これが何かを考えた結果、たまたまこんな数字になっただけか? 
それでも入力された数字通りに、マシンはちゃんと七十二年後に現れたのだ。
後は硬直している節子を運んで、パネルの数字をほんのちょっといじればいい。
 それから節子を運ぶのに、想像した以上に時間がかかった。それでも暗くはなっていないし、幸い今日という日はよく晴れ渡り、この時期にしてはずいぶんと暖かい。
 そうして残る不安要素は、明らかに一人乗りだろうこのマシンに二人が乗って、これまで通りちゃんと運んでくれるかだった。ただどうであろうと、もう残された道はこれしかないのだ。
 剛志は今一度、パネルの数字を確認する。
 00000100
 未来へ向かうのだから、数字の色はそのままだ。
「智子、今度こそ二人で、オリンピックを一緒に見ような……」
 そんな呟きを声にしながら、
 ――エーゲ海に沈む夕陽も、俺は忘れてないからな。
 タイムマシンを思ってしまえば、飛行機が怖いだなんて、感じる方がおかしいだろう。
 そんな思念が浮かび上がって、彼が前方に腕を伸ばした時だった。
 まるで蜂に刺されたような、チクッという痛みがみぞおちに走った。
それでも大騒ぎするような刺激ではない。だからすぐに治まるだろうと、背筋を伸ばして深呼吸を繰り返すのだ。
ところが一向に収まらず、それどころか痛みはどんどん増してくる。一分もしないうちに、締めつけられるような激痛が胸元辺りにまで広がった。
 ――おい、頼む……どうして、今なんだよ!?
 そう思った途端だ。
 ドスンと、まるで殴られたような衝撃が走った。
 彼はその場にしゃがみ込み、苦痛に顔を歪ませ、天を仰ぐ。
「くそっ……」
 思わずそんな声が出て、そばにいる智子へ目を向けた。ほんの数秒、そのまま顔を見つめてから、全身に力を込めて剛志は懸命に立ち上がる。
それから前方へ手を伸ばし、光を放っている膨らみを力いっぱい押し込んだのだ。
するとすぐ、室内が眩い光に包まれ、そんな中ほんの少し笑みを見せ、剛志は必死に出口に向かった。
 そうしてなんとか室内から出て、階段三段目に足を掛けた時だ。
地表へ続いていた階段が、いきなり平坦なスロープに変わった。途端に足は支えを失い、勢いよく地面に向かって滑り落ちてしまう。
 ドシン! そんな衝撃を全身に感じて、それでも意識はちゃんとあった。
 ただ、目には何も映らず、上を向いているのか下向きなのか? 
それさえもわからないまま剛志は確かに聞いたのだ。
ブーンという機械音が微かに響き……、
 大昔のエレベーターに乗っている……。
まるで、遠い記憶の中にいた。

 そんな出来事から、二時間くらいが経った頃だ。辺りはかなり暗く、夜空には星々がしっかり浮かび上がっていた。それでも庭園のあちこちに夜間灯が点いて、心配せずに歩けるくらいの明るさはある。
 ところが岩の周りにだけ照明はなく、そこだけが妙に暗く、寂しい感じがするのだった。
 そんな空間に、突然何かが浮かび上がった。
柔らかな光を放ちながら、それは静かに地上に向かって降りてくる。
一切音を立てずに停止すると、ぽっかりと扉が現れた。それが瞬く間にスロープとなり、地面へ続く階段に変わる。
 まるであのタイムマシンのようだが、そのサイズは前のものより格段に大きい。そこからすぐに長身の男が二人現れて、地表に降り立つなり片方の男が呟いた。
「いない、ようですね……」
 誰かを捜しているのか、男は忙しなく視線をあちこちに動かしている。
 するともう一方が男の肩をポンと叩き、
「いや、あそこだ……あそこにいる」
 と、やはり小声で呟いた。
その視線はテラスに向けられ、
「彼がきっと、そうなんだろう……」
 そう言う男の見つめる先に、椅子にもたれかかるように座る剛志の姿があったのだ。
「どうだ?」
「心停止から、一時間以上経過しているようです」
「では、さすがに厳しいかもしれんな。残念だが、あの人の願いは叶えられない。あとはこの後どうするかだが、彼女の意識は、あとどのくらいもちそうだ?」
「いちばん強いのを使いましたが、まあもって、あと十分かそこらかと……思います」
 一見、うたた寝でもしているようだが、心臓は二時間ほど前、その動きを止めている。
 ただ寒さのせいなのか、死後硬直は一切始まっていなかった。
「たった十分か……ではすまないが、どうしたいかを、本人に聞いてきてもらえるか? もし一緒に戻るのなら、到着してすぐに、治療を始めなければならないと伝えてくれ……」
 そう言われ、もう一方が背を向けた時、
「ああ、それから、もしもここに残りたいということなら、もちろん、本人が望むのならだが、男に用意してあった残りを、彼女に使ってやったらどうだろう。起き上がるなんてのは無理だろうが、手を握るくらいなら、できるかもしれないしな……」
 男が剛志を見つめたままにそう言った。
そんな言葉に、
 ――そうですね。
 という印象の顔つきを見せて、言われた方は小走りでマシンの方に戻っていった。
 マシンの中を覗き込むと、座席に包み込まれるように智子が横になっている。相変わらず目を閉じて、その格好にも変わりはないが、吐息はさっきまでとは段違いに滑らかだ。
そんな智子に男は近づき、何事かを彼女の耳元で囁いた。
そうしてすぐに、彼女の口元に己の耳を寄せていく。
すると智子の唇が微かに動き、震えるような吐息が何度か漏れた。男はそれで理解したらしく、「じゃあ」とだけ言って、再びテラスへ戻っていった。
 それから五分ほどして、マシンは跡形もなく消え去っている。
 テラスには、智子がリクライニング式の車椅子に乗せられ、隣には剛志の姿がぴったり寄り添うようにある。
 ――もっても一時間です。きっと三十分を過ぎた頃には、意識が朦朧としてくるでしょう。
 連続する薬の投与は、通常の半分くらいの効力しかない。男は最後にそんなことを智子に告げて、マシンとともに消え去っていた。
 そしてそんな時間も、残り僅かという頃だ。
 ――最期に彼の顔が、近くで見たい。
 そう思い立ってから、早くも二十数分が過ぎ去っていた。
 呼吸しづらい感じがして、全身の節々が徐々にキリキリと痛み出す。
 それでも智子は剛志の胸に顔をのせ、必死になって上半身を上へ上へと動かした。
 そうしてあと少し、あとちょっとだったのだ。
 ――剛志……。
 心にそう思った時、すでに身体は微動だにしない。
 なんとか意識はまだあって、ただそれも、あともう少しで消え去るだろう。
 それでも、すぐ隣に剛志がいると知っていた。
頰には彼の感触があり、すでに何も見えない視線の先で、十六歳の剛志が智子を見つめて微笑んでいる。
 そんな彼の姿に向け、智子は心に思うのだ。
 ――あ、な、た……。
 ――あ、り、が、と、う……。
 そうして最後に、
「さようなら……」
 と、念じようとしたところで、
 スッと眠るように、その意識は閉じていた。




     〜 年表 〜

昭和20年  東京大空襲 原子爆弾

昭和21年  岩倉友一 岩倉節子

昭和22年  カスリーン台風 名井良明の死

昭和23年  福井地震

昭和34年  浅川の死 記憶の復活

昭和36年  伊藤博志

昭和38年  林の火事 伊藤の死 行方不明 逮捕、そして釈放

昭和39年  東京オリンピック 正一の死 交通事故

昭和44年  ミニスカート大流行

昭和48年  第一次オイルショック 覚醒

昭和49年  結婚

昭和58年  岩倉邸 再会 自転車事故

平成3年   智子の最期

平成21年  三冊の日記 神仙総合法律事務所

平成29年  百年後






 最後までお読みいただき、本当にありがとうございました。 
杉内 健二


← 前の回  ■ 目次

■ 20代から中高年のための小説投稿 & レビューコミュニティ トップページ
アクセス: 2949