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作品名:ロング・ロング・ラブ・ストーリーズ 4度目のさようなら 作者:杉内健二

第59回   第9章  1963年 プラスマイナス0 – 始まりの年 〜 2 「22年 8月28日 友子」
2 「22年 8月28日 友子」


―嘘……でしょ?
 頭に浮かんでいた台詞が瞬時に飛んで、暫し何も言えずに立ち尽くした。
 そこは実家の玄関で、前に立つのは十九年ぶりに会う父親だ。ただそれは、智子にとっての話で、勇蔵からすれば智子を失って一年と少ししか経ってはいない。
 それなのに、記憶にある勇蔵ではなくなっていた。
あまりの変化に、智子は思わず己の目を疑ったのだ。
 一人娘が突然消えれば、相当ショックを受けるだろう。そんな想像通りに、すぐに勇蔵がおかしくなったと近所で噂が立ち始める。誰彼構わず怒鳴り散らし、フラフラ歩き回る姿が児玉亭でも話題に上がった。
 当然智子の耳にもすぐ伝わる。だからどうしたものかと考えたのだ。その結果、区役所の職員に成りすまし、自ら実家へ出向こうと決めた。
 すると勇蔵は一気に年老いて、さらに母、佐智の方もあまりに普通の状態じゃない。
ガリガリに痩せてしまって目は虚ろ、話しかけてもほとんど反応しないのだ。だから勇蔵を説き伏せ、タクシーで母親を病院まで連れて行った。
すると驚きの診断結果を聞かされ、そうなって初めて、母親の服装がおかしかったことにも気がついた。春から夏にという頃なのに、ヨレヨレのシャツの上に地厚のウールセーターを着込んでいる。さらにズボンに至っては、
 ――これ……どのくらい穿いてたの?
 きっと一、二週間では決してない。顔を寄せれば異臭が鼻をつき、今まで気づかなかったのが不思議なくらいに汚れていた。
 ただこれで、脳の萎縮という結果を信じる気にもなって、こうなればもう、両親を二人っきりにはしておけない。
 そこで広瀬の病院から、ベテラン看護婦二人を紹介してもらうのだ。かなりの高給を約束し、表向きは家政婦として両親の世話を頼み込んだ。
 それからたった数年で、勇蔵は呆気なくこの世を去った。すると親戚とやらが現れて、あれよあれよという間に佐智を老人ホームに入れてしまう。智子が何を思おうと、岩倉節子としてはどうすることもできないのだ。智子にできるのは顔を見にいくことくらいで、それからは、毎週のように老人ホームに顔を出した。
 もちろん智子だなんてわからないし、会話だってほとんどできない。最後の方は身体がガチガチに固まって、そんな佐智の腕や脚をただ黙々とさすってあげた。
 そうしてある日、いつものように施設を訪ねると、佐智のベッドがもぬけの殻だ。どうしたのかと尋ねれば、その日の明け方、佐智が息を引き取ったと教えてくれる。
弱っていく姿を見続けていたせいか、死んだと聞いても驚くほど冷静でいられた。
 もちろん悲しい気持ちがないわけじゃない。それでもあの状態で、生かされたままを望むかといえば、そうだと言い切る自信もなかった。
 そしてまた今回も、きっと見知らぬ親戚が現れる。智子の気持ちなどおかまいなしに、何から何まで段取りしまくっていくのだろう。
 ――これで本当に、桐島智子としての自分は、もうおしまいだ……。
 心の底からそう思え、意外なほどスッキリした気分で施設を後にしようとした。ところがふと目にした光景に、彼女は思わず大声をあげる。
目の前を、一台の台車が横切ったのだ。
大きなダンボールが載っていて、ある品物が目に飛び込んだ。
「あ、ちょっと待ってください!」
 思わずそんな声が出て、慌ててその台車に走り寄る。ダンボールを覗き込めば、やっぱり思った通り……それは佐智の着ていたパジャマだったり、智子が持ち込んだぬいぐるみだったりと、すべてが佐智の部屋に置かれていたものだ。
「あの、これをいったい、どうするんですか!?」
 静かだった施設の廊下に、そんな大声が響き渡って、
「あ、あの……ご家族の方から、すべて廃棄するよう言われまして……」
 大人しそうな施設職員が、いかにも困ったという顔を智子へ向けた。
 遺体はすでに、専門の業者が引き取っている。だからそのご家族とやらは施設に一切姿を見せずに、残ったものは廃棄するようにと伝えたらしい。
 この時、特に智子が気になったのは、一番上に載っていたあまりに懐かしいアルバムだった。
 あの時代のものにしては珍しく、真っ赤な表紙に大きく花びらが刺繍されている。確かこの刺繍が気に入って、小学校の入学記念に両親に買ってもらったものだった。さらにダンボールの中を見せてもらうと、衣類などと一緒にあと三冊のアルバムも見つかった。
 智子も会ったことのない親戚が、佐智の入所と同時に実家から持ち込んだものだろう。
 とにかく智子は、その四冊のアルバムを譲ってほしいと頼み込む。すると不思議なくらい呆気なく、「構わない」という返事が返った。
 ある意味、まるで顔を出さない親戚よりも、しょっちゅう現れる智子の方を近しい存在と見てくれたのだろう。そして今でもそのアルバムは、クローゼットにある棚の奥に隠してあった。
 万一智子の方が先に死ねば、剛志がこれを見てしまうかもしれない。
しかしそう考える一方で、あの日記にさえ気づかないままってこともある。そんなふうにも思うのだ。
これはある意味、勝ち負けのない賭けだったし、智子自身は正直なところ、どっちでもいいくらいに考えていた。
 持ち帰った花柄のアルバムには、やはり智子の写真ばかりが目についた。
そしてあと二冊にも、記憶にある写真がいくつも貼られていたのだった。きっと小さい頃に、何度も眺めたりしたのだろう。ところが残りの一冊は、その大きさからしてまるで違った。
 いかにも古いアルバムで、他のものよりふた回りは大きい。
きっと勇蔵が結婚する以前のものなのか? 彼の尋常小学校時代の集合写真や祖父母の写真が、時代の流れをけっこう無視して並んでいる。だからこの一冊は何ページか眺めただけで、しっかり目を通していなかった。
それを再び目にするのは、佐智が亡くなってひと月くらい経った頃だ。
久しぶりに弁護士の石川から連絡があって、実家が売りに出されたと知らせてきた。
 実家はいずれ、高級マンションに変わってしまう。十六歳で見た光景は脳裏にしっかり残っていて、いずれこうなることは覚悟していたはずだった。
 ところがいざそうなってみると、急に取り壊されるのが惜しくなる。
 ――あれだって、わたしが生きていたっていう……大事な大事な、証だわ。
 懐かしいアルバムを眺めたことも、少しは影響したのだろう。石川の電話からそう経たないうちに、智子は売り出しを請け負った不動産業者へ電話をかけた。
 あの土地を売ってほしい。忘れようったって忘れられない番地を告げて、電話に出た男にそう告げた。ところがその場でノーだと言われる。
「もともとは、土地だけでの販売を考えていたんですが、今時珍しいくらいの広さですし、この際わたくしどもで、建物付きで販売しようということになりまして……」
 すでに土地代金は支払い済みで、それならその倍ならどうだと粘ってみるが、電話の男はまるで取り合ってもくれなかった。
 結局、智子の思いつきは無駄に終わって、それが余計に彼女の感情に火をつけた。
 ――おじいちゃんの妹って、いったいどんな奴なのよ!
 実際はそのまた娘が生きていて、あの土地すべてをたった一人で相続したらしい。
 考えてみれば、親族といえば祖父と祖母以外に会ったことがない。もちろん勇蔵が亡くなった段階で、たった一人のいとこ違い≠ノついては調べてあった。
 ――でもどうしてよ! 普通はもっといるはずでしょ?
 戦争で親族ほとんど亡くなった。そう聞いてはいたが、それにしたってたった一人は少なすぎる。そんな時だ。ふとアルバムのことを思い出し、智子は剛志の留守にクローゼットに走ったのだ。棚の奥から一番古いのを引っ張り出して、そのまま床にしゃがみ込む。それから親戚の顔を見てみたい一心で、そのアルバムを初めてじっくり見ていった。
 途中、自分の若い頃が現れて、智子は思わずドキッとする。正月に撮られたその一枚は、家族と一緒に写る女中だった頃の自分の姿だ。
そして桐島家に新しい家族が現れるのは、そのすぐ次のページでだった。
 ――若い……へえ、けっこう盛大じゃない……?
 まだまだ戦後の混乱期だというのに、ホテルらしいところでの結婚披露宴の写真。勇蔵の隣には母、佐智がいて、智子も知っている美しい顔がそこにはあった。
 勇蔵個人のアルバムだと思っていたが、どうやらこの一冊も桐島家としてのものらしい。
だからいずれ、佐智が妊娠し、生まれたばかりの自分の写真が現れ出る。そう思っていたのだが、最後までそんな写真は出てこなかった。
 その代わり……、それは、あまりに突然だ。
 ――どうして……?
 そう思ったまま固まって、
 ――これって、いったいどういうことなの?
 たった一枚の写真だけを、智子はジッと眺め続ける。
 赤ん坊の時代を通り越し、そこに写っていたのは幼子の姿。
 まだまだ小さい女の子を、嬉しそうに両親、祖父母が眺めている。
 きっと女中か誰かに撮ってもらったものだろう。女の子が乗っているのは今で言うところのシーソーで、智子は昔、それをギッタンバッコン≠ニ……呼んでいた。

「……大きなお家に本当に広い庭があって、わたしが行った時、ちょうどご家族全員が庭に出ててね、わたしの子供が木でできたギッタンバッコンに乗ってた……おじいちゃんおばあちゃん、そして若いご夫婦みんなが嬉しそうに眺めてるの……着せられているお洋服もね、わたしなんかじゃ絶対に買ってあげられないなって思ったわ……このままの方があの子のためになるなって、心の底から思えちゃって、だから、そのまま……逃げるようにその場を離れました……」

 昔、剛志に話した時のことが、一瞬にして智子の脳裏に蘇った。
 女の子の着ている洋服から、庭の感じまでが記憶にあるものとそっくり同じ。そして何より、あの時代には珍しいギッタンバッコンに、見覚えのある女の子が腰掛けていた。
 ――わたしがあの時見たのは……桐島家、だったの?
 ということは、あの子供は友子ではなく、智子自身だったというになる。
 ――そんなことあり得ない!
 二つか三つか、確かに写真の女の子は、自分の小さい頃に似ているって気もする。
 娘なんだから当たり前? それとも教えられた住所は間違いで、友子はどこか違う家庭にいたってことか? 様々な憶測が頭を過るが、どれもこれもが不可思議すぎる。
 ところがすぐ、次のページにあったのだ。

 すがるような思いで捲ったその裏側……。
 とてつもなく衝撃的で、かつ、それはあまりに生々しく現れた。
 昭和の年号と、記憶に刻み込まれた日付。
 それに一生忘れることなどできない……唯一無二の名前があった。
 毒々しいくらいに赤かったはずが、微かに色味が知れるくらいになっている。
 あの時、一度玄関に背を向けてから、ふと、智子は思いついたのだ。
 ――名前と、誕生日くらい書き残そう。
 そう思ってはみたものの、もちろん紙や鉛筆などは持ち合わせていなかった。
 だから腰にぶら下げていた手拭いを、その場で懸命に引きちぎる。それからほとんど使い切っていた口紅で、友子という名と誕生日だけを書き込んだ。
 そんな手拭いの切れ端が、すぐ目の前、手の届くところに現れたのだ。
 ――いったいどうして?
 何がどうなっていようとあの布切れには違いない。どんな事情があったりすれば、桐島家のアルバムなんかに貼られることになるのだろうか?
 ただとにかく、一度は斜めになってしまった切れ端を、丁寧に伸ばし、網目を直しながらアルバム中央に貼り付けてある。
そんな印象を受ける布切れに、記憶にある文字がしっかりそのまま残されていた。

 22年 8月28日 友子

 智子の誕生日からふた月後、偶然にも同じ二十八日に、智子の娘、友子はこの世に誕生した。
 ――だからやっぱり、あれはわたしじゃなかったのよ……。
 ギッタンバッコンで遊んでいた子供が、智子ではなく友子であるのは、書き残した切れ端からも間違いない。
 ――ならわたしはいったい、どこの誰の子供なの???
 そうは思ってみても、写真に写るのは記憶にある両親だし、他のアルバムに写っているのもどれもこれもが智子自身だ。
 ――でも、わたしの誕生日は六月だし、名前だって、友子じゃないわ……。
 そう思って、再びアルバムに目を向けた瞬間、不意にある疑念が浮かび上がった。
 ――6、なの……? 
途端に全身がビクッと震え、そのまま一気に凍りついた。体温が瞬時に下がった気がして、身体がまるでどこかへ吸い込まれていくようだ。
 8≠ニいう数字が、一瞬、6≠ノ見えたのだった。
 慌てて書き殴ったせいだろう。8だと意識しなければ、6と思う人だっているかもしれない。
そう思ってみるが、こうなってしまって眺めると、だんだん6にしか見えなくなった。
書き出しの丸みがまるでなく、妙に小さい上に掠れているからそう見える。
 そのせいで、28日の8とはまったく別の数字に見えていた。
 ――だったら、友子だって、おんなじだ……。
 ユウイチだからユウコ――友子だった。
 そんな事実を知らないままなら、
 ――トモコと、これを読んだのね……?
 だから自分はトモコで、友子≠ェどうして智子≠ネのかは、今となっては知りようもなかった。
 智子(トモコ)の子である友子(ユウコ)が、十六歳で過去に戻って女の子を出産した。
その子は友子(ユウコ)と名付けられ、桐島家に引き取られたのち、なぜか漢字が智子(トモコ)に変わって伊藤博志と出会うのだ。
 ――じゃあ、最初の最初、わたしを産んでくれたのは、いったい誰なの?
 まるで意味がわからなかった。吐きそうなくらい混乱して、床がぐにゃりと歪んだように身体もゆらゆら揺れている。
 そこからは、しばらく記憶がはっきりしない。
 智子は知らぬ間に家を出て、無意識のうちにかなりの距離を歩いたらしい。
 気づけばアルバムを小脇に抱え、ちゃんと靴を履いて土手への道を歩いていた。
 このまま行けば、昔、台風の近づく中、友子を負ぶって歩いた土手下の道に行き着くだろう。
 さらに土手を上がって、そこから川の方に下りていけば、毎年手を合わせに訪れているところにもすぐ行ける。
 また一年、無事に暮らすことができました……。
 毎年九月、智子は花束を手に持って、多摩川の河原で念じ続けてきたのだった。
 
――じゃあ、あの時、わたしの背中にいた子供って……?


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