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作品名:ロング・ロング・ラブ・ストーリーズ 4度目のさようなら 作者:杉内健二

第52回   第8章  1945年 マイナス18 ・ 始まりの18年前 〜 1 日記、知らない時代
第8章  1945年 マイナス18 ・ 始まりの18年前 



平成二十五年、剛志は米寿まで、あと二年という年齢になっている。
彼は日々、身体を鍛え、ある目的のためだけに生きていた。
事の始まりは節子の病気。
さらに彼女の日記によって、驚愕の過去が姿を見せるが……。
それはあまりに想像を超え、強烈過ぎる真実だった。



1 日記、知らない時代

「……ここって、いったいどこ?」
 そう声にしてみるが、もちろん答えてくれる者などいない。
 あの時、智子は間違いなく、剛志を追って二十年過去へ行こうとしたのだ。行き先は昭和三十八年だから、なんの迷いもなく38≠ニ数字を入れた。
 なのに、表は知った景色とぜんぜん違う。
そこはまるで、林なんてところじゃなくなっていた。
 木々が重なるように生い茂って、人里離れた山奥にでも迷い込んでしまった印象だ。それでも少し歩くと前が開けて、記憶にもある急斜面がすぐ現れた。ここがいつもの場所ならば、遠くにうっすら都会の街並みが見えるはず。
 ところが目に飛び込んだのは、あまりに見慣れぬ光景だった。
 ――燃えた、の……?
 遥か遠く、見通せるあちこちから灰色の煙が立ち上っている。記憶にある景色などどこにもなくて、さらに百軒、二百軒程度の火事などでは絶対なかった。
 そしてこの時、頭をかすめたゾワっとした恐怖を、智子は生涯忘れないだろうと思う。
 目を向けているのは、きっと東京の中心だ。そんなのが一面焼け野原と化したとすれば、思い浮かぶのはたった二つ。
 ――関東大震災? でも、まさか……。
 目の前の光景が震災によるなら、大正十二年に来てしまったことになる。
 ――大正十二年って、千九百何年よ!?
 そう思った瞬間だった。
 ――三月、十日だ……。
 そんな日付が頭にフワッと浮かび上がった。
昭和二十年の三月十日、その未明。日付が変わった頃から始まって、その一晩だけで東京の街を焼き尽くした。そして智子がマシンに乗り込んだのも、やはり三月十日の午後だったのだ。
 ――東京、大空襲だ……。
 遠くに広がる街々は、午前中でほとんど燃え尽きてしまったのだろう。
 きっとここは、終戦間近の昭和二十年なのだ。
あとたった五ヶ月で、広島と長崎に原子爆弾が落とされる。そんなことを思うとすぐに、学校で見せられた記録映像が智子の脳裏に蘇った。
 なんでもない日常の風景が、眩い閃光とともに一瞬にして消える。それからは、目を覆いたくなる凄惨なシーンが、これでもかっていうくらいにずっと続いた。
 こんなもの、誰がなんのために撮影したの!? そんな怒りがこみ上げてきて、その夜一睡もできなかったのを今でもしっかり覚えている。
 ただしいくら腹がたっても、この時は自分自身がどうなるわけじゃない。
 全身が爛れて、裸同然で苦しむ人々を助けようともせずに、黙々と映像に収めている悪魔と一緒、つまり単なる傍観者に過ぎないのだ。
 ところが今、この瞬間はそうではなかった。
もしかしたら今夜にだって、アメリカ軍の空襲があるかもしれない。
 ――どうして! どうして! どうして!?
 まるで意味がわからなかった。とにかく一刻も早く逃げ出さなきゃならない。
 そもそも自分は、どうしてこんなところに来てしまったのか? 
昭和三十八年に来たはずなのに、智子が生まれる二年も前、さっきまでいた時代から三十八年も昔にいるんだ。
 ――どうして、三十八年も……?
 続いてそう考えて、智子はやっと気がついた。
 ――そうだ、わたし、38って入れたんだわ!
 あの時、木陰で着替えて、買ってもらった服を無理やり風呂敷に詰め込んだ。
 するといきなり声が聞こえて、見ればあの三人組の姿がある。あっと思ったちょっとの間に、マシンは剛志を連れて消え去ってしまい、途端に安心しきっていた気持ちが大きく揺れる。
もし、このまま何も起きなければ、きっと智子はわんわん泣き出していただろう。
 ところが突然、見知らぬ女性が現れるのだ。
 ひと声で男たちを追い出して、そのまま女性は屋敷の中に入って消えた。
 この時とっさに、今しかない! と思って、智子は岩に向かって走り出した。
 たとえマシンがなかろうが、向かうべきところはそのくらいしか考えられない。だから岩の前まで走っていって、慌ててマシンがあった辺りに手を伸ばしたが……、
「本当に、消えちゃったんだ……」
 やはり指の先には何もなく、思わずそんな事実が声となって出た時だ。
 上空にマシンが姿を現し、みるみるすぐそばまであの階段が伸びてくる。だから智子は迷うことなく乗り込んだ。そして思いつくまま38と数字を入れる。
そうしてそんな数字が仇となり、行きたかった時代より十八年も昔に行き着いてしまった。
 となれば後は、すぐにマシンに戻って18と入れる。それから数字の色を反転させれば、今から十八年後の昭和三十八年に戻れるはずだ。
 智子は元気よく立ち上がり、そのまま今来た道を急ぎ足で戻った。
 そしてマシンへの階段を駆け上がり、あと数段で室内へというところでだ。
 ――え? 誰?
 マシン入り口の向こう側に、はっきり人影が見えたのだ。
 頭に布巾を巻き付けて、継ぎ接ぎだらけの薄汚れたモンペが目に入る。智子の立っている階段に背を向け、丸々と太った女が何やらごそごそとやっていた。
 その瞬間、一切恐怖を感じなかった。ただただ猛烈に腹が立ち、
 ――勝手に、何してるの!?
 そんな思いとともに女の真後ろに立ったのだ。が、それでも侵入者は気づかない。だから智子は大胆になって、女の肩越しから手元の方を覗き込んだ。
 ――ちょっと! 何やってるの!?
 それは心の中だけだったか、それとも声にもなったのか? すぐに振り返ったことを思えば、しっかり声になったのだろう。
 女がいきなり向き直り、その勢いのまま智子に突進、体当たりをみせたのだ。
 ドシンという衝撃。壁に勢いよく突き飛ばされる。さらにその反動で、床に頭を嫌というほど打ちつけた。
 その時、一瞬だけ意識が遠のきかけるが、激痛のおかげか幸い気を失わないで済んだ。
 ところが次の瞬間、目の前が劇的に明るくなるのだ。まるで七色のスポットライトが当てられたように、その眩しさは以前確かに経験したものだ。
 このままこうしていると、エレベーターに乗った時のようになる。そう悟ったところで、智子はさっき目にした数字を思い出した。
 女の手元に浮かんだそれは、すでに20ではなくなっていた。
 ――ダメ、そんな昔に行っちゃったら、わたし生きていけないじゃない!
 あまりの恐怖に突き動かされ、懸命に立ち上がろうとしたまでは覚えていた。ところがそこから記憶が曖昧で、床を這い、必死に表に出ようとしたと思う。
ふと、目を覚ますと地べたに倒れ込んで、辺りは妙に薄暗かった。
あれから、どれくらいが経ったのか……?
 ――あそこから、落ちちゃったの?
 必死に表に出ようとして、階段途中から転がり落ちたか? 
そうなんだろうと智子は思い、うつ伏せのまま顔だけを上に向ける。するとマシンは消えていて、あの女が一緒じゃなかったというのもすぐ知れた。
剛志に買ってもらった洋服は、風呂敷に包んでマシンの中に置きっぱなしだ。
しかしあの腕時計はしていたはずで、それが気づけばなくなっている。落ちた拍子に外れたのなら、この辺りのどこかに落ちているはずだ。
ところがいくら捜しても見つからない。さらに肌身離さず持っていた学生証までが、どこにも見当たらなくなっていた。
 となれば、理由はどうあれ気を失っているうちに、あの女が持ち去ったということだろう。
 そうしてその日から三日間、智子はその場に居続けるのだ。トイレなんてないから茂みで済ませ、唯一水だけを飲みに近くの民家まで歩いていった。
 そこは元の時代で、同級生が住んでいた藁葺きの家。庭がずいぶんと広く、その片隅に屋根付きの井戸があったのだ。
 夜は納屋に入り込んで眠り、夜明け前には元のところに慌てて戻った。
 もし、あれがまた戻って来たら、すぐに乗り込んで数字を18にする。そんなことをただただ念じ、昼間はできるだけ岩のそばに居続けた。
 そうして三日目の朝だった。
目を覚ましてすぐに、身体の異変に智子は気がつく。
あちこちの節々がギシギシ痛んで、熱っぽいのに寒くて寒くて堪らない。
 とはいえだ。このまま納屋にいるのは絶対まずい。だからフラつきながらも立ち上がり、懸命に納屋から抜け出し歩き出した。
この時代の人間に出会いたくない一心で、岩までの道筋を力の限り歩き続ける。
 ――お願い、あともう少し!
 林に続く道に出て、何度も心の中でそう叫んだ。
ところが林に一歩足を踏み入れ、辺りが急に真っ白になる。
え? と思う間もなく、智子の意識はどこか遠くへ消え失せた。


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