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作品名:ロング・ロング・ラブ・ストーリーズ 4度目のさようなら 作者:杉内健二

第50回   第7章  2013年 プラス50 – 始まりから50年後 ・ 3 あの日とその日 
3 あの日とその日 



「本当に大丈夫ですか? やっぱりうちの者を、ご自宅へ同行させましょう」
「いえいえ、わたしだけで大丈夫ですよ。毎年のことですし、ちゃんと日の暮れる前には、また介護タクシーに乗せて戻りますから。もちろん戻る前に、こちらへの到着時間などは別途ご連絡いたします……」
 と、言われても、八十九歳という高齢者の言うことだ。施設としては、断ってしまいたいというのが本音だろう。何か起きてしまえば、詳しい状況など脇に置いて、マスコミがなんだかんだと喚き立てるに決まっている。
老々介護による悲惨な現状。施設側はどうして、そんな事実を見過ごしたのか?
 だいたいこんな感じの見出しが躍って、ああだこうだと叩かれるのがオチだ。
 もちろん剛志もそんなことくらい理解している。それでも今日という日だけは、どうあっても二人っきりじゃないと意味がない。
 今日は平成二十九年三月十日……節子が八十八歳となる年だ。
 そして剛志はもともと、施設に入れようなどとはまったく思っていなかったのだ。
 そこらにある施設に負けない環境を準備したし、それで何かが起きれば、きっと施設にいたって同じことだ。運命だったと諦める。ところが一緒にいる時間を優先した彼が、ある日、そんな考えを百八十度変えることになった。
 それは、今から八年前に遡る。
 いきなり現れた男によって、一緒にいる以上に大事なことを知らされた。
 だから最初、自宅を病院並みに大改修しようかと考えたのだ。しかしそんな環境で節子が生きても、剛志自身が健康でいなくては意味がない。どうしてもストレスが溜まるだろうし、そんなのが一番、この歳で生きていく上では大敵だ。
結果、多額の寄付金を用意して、東京で一番と言われていた施設に節子を入れた。
 そこは介護付きの老人ホームで、入居金ほか群を抜いている分、施設の環境なら日本で一、二を争うだろう。ところがそこも、たった二年で終了となった。
「すみませんが、奥様はもう、わたくしどものところで、お世話できる状態ではなくなっていらっしゃいます」
 医療スタッフが充実する施設へ移った方がよいと、施設長がわざわざ自宅にやって来て、まあ申し訳なさそうに剛志へ告げた。
 もともと節子にとっては、広々した個室や豪勢な食事もてんで意味ないものだった。
 すでに噛み砕くことさえ無理だったし、素晴らしい絵画や装飾物を目にしても、節子にはそれが何かはわからない。それでも、自宅からずいぶん近かったし、介護施設にありがちな暗いイメージがまるでなかった。
 しかしここひと月で、節子は二度も救急車騒ぎを起こしてしまう。二回目は完全なる誤嚥性肺炎で、まさに命の危険さえあったのだ。
 実際、半年ほど前から、胃ろう≠ニいう選択を施設医からも勧められていた。
 しかし手術で腹に穴を開け、胃に直接栄養を送り込むようになれば、もちろん老人ホームにはいられない。それ以前に、口から食べなくなるという状態が、剛志にはどうにも受け入れ難いものでもあった。だからといって、そのために節子が死んでしまっては元も子もない。
 ――もう、この辺が潮時か……?
 だから胃ろうという選択を受け入れて、老人ホームから節子を出そうと剛志は決めた。
 となると次は老健か特養だが、長期入所が可能な特養の方は、普通順番待ちでなかなかすぐには入れない。ところがさすがに八十三歳を介護するのが八十五歳という高齢だからか、次の行き先は呆気ないほどにすぐに決まった。
 そこは、二子玉川方面にあるできたばかりの特別養護老人ホーム。個室も広々としてなんといっても綺麗だった。しかし入所してから三年目、やはりそこでもダメになる。
 そうなると、残されるのは長期療養型病院だ。ここは病院と呼ぶだけあって、医療サービスだけは充実している。ただし、率先して回復への治療を行わないから、入居者は重篤な患者がほとんどで、何もなければ一日ベッドの上にただ寝かされる。
 それでもそんな施設のおかげで、節子は今日まで生きてこられた。そしてまた三月十日という日を迎えて、剛志はいつも同様、彼女を自宅に連れ帰るのだ。
 正直この行為の結果、どんな展開が待ち受けているかはわからない。
生きる屍のようになってしまった節子にとって、これが本当に意味あるものになるのかどうか?
 ――それでも、やってみる価値はあるだろう……? なあ、節子……。
 瞬きさえ滅多にしない節子へ、剛志はこれまで何度も心でそう問いかけた。
 そうして今年、剛志はとうとう九十歳を迎える。
 そんな年齢で、あと何年こうできるのか?
 もちろん明日にでも、どちらかがあの世に旅立つかもしれない。
 しかしもしも、もしかしたらだが、こんな数奇な運命を授かった結末に、さらなるどんでん返しが待っていたっていいだろう。そんなことを思うようになったのは、やはりあの日、突然やって来たあの男のせいだった。
 彼から渡された日記を読んで、いかに自分が何も知らずにいたかを知った。
途切れたと……思っていた過去には続きがあって、その先に、ちゃんと存在した事実が今も彼を突き動かしている。

 すべてが、「あの日」から始まったのだ。
そしてそれからずっと、「その日」がやって来るのを今か今かと待ち受けている。
だから八回目となる今日という日も、ただただ待っているだけだ。
 今、剛志のいるテラスから、以前と変わらず庭全体が見渡せた。しかし東側にあった畑は消え去って、ただの更地になっている。
 もしこの瞬間、以前の屋敷を知る人物がいれば、室内の閑散とした光景に驚きの声を上げるだろう。
引っ越しでもするのか? そう思うくらいに物が減り、飾ってあった絵画などもきれいさっぱりなくなっている。リビングもその例外ではなく、かろうじてソファーセットはあるが、それ以外の家具や装飾品の類は一切置かれていなかった。
 そんな殺風景なリビングを背にして、剛志は節子と一緒にテラスにいる。
 何度も何度も庭を眺めて、その都度、節子の状態に目を向けるのだ。
万一抱きかかえても寒くないようジャンパーを着せ、さらにその上から厚手の毛布を掛けてあった。
 そんな節子の隣に椅子を置き、さらに備え付けの丸テーブルを持ってくる。その上に三冊の日記帳を並べ置いて、毎年そのうちの一冊を読み始めるのだ。そうしてそろそろ二冊目へというところで、いつも決まって帰りの支度を始める時刻となった。
 三冊のうちの一冊は、市販の日記帳ではなく丸善の大学ノート。
 それを譲り受けた時、ノートはすでにボロボロだ。
 きっといろんな状況の中書き込んで、長年にわたって読み返したりしたのだろう。
ページの端っこは破れたり折れ曲がったり、ちょっと乱暴に扱えば、すぐにでも解けてバラバラになりそうなものだったのだ。細かな文字がページ一面に書き込まれ、このノートだけは日付が書かれていないところも多い。
 期間は昭和二十年から五、六年の間で、この一冊こそがまさに衝撃的なものだった。
 一方、残りの二つは市販のもの。どちらもちょっとした百科事典くらいの厚さがある。
 昭和二十年代後半から四十年代に使われたもので、この二冊にも驚きの記述はあるものの、なんとか冷静に読むことができる。
 ところがボロボロのノートの方は、今でも手に取るだけで熱いものがこみ上げた。
「どうしてなの?」
「誰か助けて!」
「もう、死んでしまいたい……」
 こんな心の叫びが至るところに書き込まれ、剛志はそんなのを目にするたびに大学ノートを静かに閉じた。そして再び読み始めるまで、時にけっこうな時間がかかったりする。
 こんな時、彼はいつでも思うのだった。
 ――絶対に、治してやるからな……だから二人して、何年でもここで待っていよう。
 こんなふうに、剛志は何十回思ったかしれない。だから今日も、そんな日記を手に取って、
 ――絶対に、俺はおまえを治してやる。
 力強くそう念じ、剛志がふと、顔を上げた時だった。
 ――え?
 彼の目が何かを捉え、思わず椅子から立ち上がる。
と同時に手からノートがこぼれ落ち、剛志はそれを拾おうともしないのだ。視線の先にある何かを見つめ、まるで夢遊病者のようにテラスの隅に近づいていく。やがて、呆然と立ち尽くし、ふと我に返って節子の方を振り返った。
 その時、剛志の目には涙が溢れ、不思議なくらいその唇は上下左右に揺れている。


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