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作品名:ロング・ロング・ラブ・ストーリーズ 4度目のさようなら 作者:杉内健二

第47回   第7章  2013年 プラス50 – 始まりから50年後 . 1 平成二十五年
 第7章  2013年 プラス50 – 始まりから50年後 



再会できた小柳社長は、実は弟の方だった。
そんな事実を知った剛志は、あの日のために着々と準備を進めていく。
 ところが予想外の出来事が重なって、彼の思いは果たされないまま終わるのだ。
 さらに思わぬことから、剛志は智子の死を知って……。



 1 平成二十五年



「帰れと言っているだろう! 二度と来るなと、何度言えばわかるんだ!」
「お願いですから、そんなに興奮しないでください。少しだけ、少しだけでいいので、お話を聞いてもらえませんか? お願いですよ、岩倉さん」
「いいから! もう二度と来るな! 次からはインターフォンにも出ないから! わかったらとっとと帰ってくれ!」
 続いてブツッと音がして、親機のスイッチが切られたことが嫌でも知れた。
「もしもし! もしもし! 岩倉さん! もしもし!」
 それでも諦められないらしく、女性はインターフォンから離れない。彼女の後ろにも一人男が立っていて、そんな姿をしばらく黙って見つめていた。しかしインターフォンが切られたところで男は動き、女性の耳元まで顔を寄せた。
「もういいから、諦めよう……」
 そう囁いて、彼女の右肩をポンと叩いた。そうしてさっさと歩き出し、そばに停めてあった軽自動車に乗り込んでしまう。
 二人は区役所に設けられた地域振興課の職員で、男の方がずいぶん年若だったが、女性にとっては上司にあたる。だから諦めようと言われれば仕方なく、彼女もしぶしぶ門から離れて車の方に歩き出した。
 世紀末だなんだと大騒ぎしたが、何もかもが杞憂に終わって、新しい世紀を迎えて十年以上が過ぎ去っている。
そして剛志は米寿まであと二年という年齢だ。そんな老いぼれがだだっ広い屋敷に独り住まいだから、とにかく何かと心配された。
 頑固オヤジで困っている――とでも聞き込んだのだ。さっきの二人も民生委員に泣きつかれ、きっとここまでやって来た。
ただなんであれ、剛志に会う気などぜんぜんない。
 だいたいだ。顔を見せるなり施設の話を持ち出して、
「ねえ、おじいちゃん、こんな広いおうちで、一人暮らしは大変でしょう? 最近はね、とっても高級な施設だってあるんですよ。だから一度、一緒に見にいってみませんか?」
 初めてやって来た民生委員が、挨拶もそこそこにそんなことを言ったのだ。
 そんな本人だってけっこうな年齢だ。もちろん剛志ほどではないにしろ、誰が見たって正真正銘おばあちゃんには違いない。そんな初対面の婆さんに「おじいちゃん」と呼ばれ、一人暮らしだってだけで施設に入れと言われてしまう。
――冗談じゃない! 何がいい施設がありますだ! 年齢だけで判断するな!
 そんな感情が溢れ出て、その民生委員とも二度と会おうとしなかった。そしてこの先、誰がやって来ようと世話になる気は毛頭ないし、施設なんてのはもってのほかだ。
 今剛志には、この家から出ていけない理由があった。それは命に代えても変えられないし、老い先短い人生で、唯一の希望というべきことだったのだ。
 さらにその実行には元気でいることが絶対で、彼はここ十年近く、それを達成するために生きたと言っても過言ではない。
 基本、身体に悪いと言われているものは遠ざける。
マーガリンやコーヒーフレッシュなどトランス脂肪酸はもちろんのこと、様々な食品添加物、人工甘味料にも常日頃から気を遣った。
 ジャンクフードなどの高カロリー食品や、外食は油が怖いので揚げ物、フライは口にしない。
だから当然、自宅ではココナッツオイルとエクストラバージンオイルオンリーだ。
 日本人に合わないとされる乳製品全般や、最近では白米さえ極力避けて、代わりに玄米を一日茶碗一杯だけ食べている。
 有効だと評判になったサプリメントなど、健康にいいとされるものはどんどん取り入れ、水などにも徹底的にこだわった。さらに電磁波を恐れて蛍光灯を白熱灯に総取っ替えし、当然電子レンジやIH製品も使わない。
 そうしてその一方で、日々身体を徹底的に動かし続ける。
 朝早くから農作業に精を出し、午後からジョギングを一、二時間してから遅い昼食をとるようにする。そうすれば夕食は軽めで済むし、もちろん炭水化物は絶対取らない。週に三回は専属トレーナーを屋敷に呼んで、加圧をはじめ様々なトレーニングで身体を鍛えた。
 そんな生活を続けているせいか、剛志を八十代だと思わない人も多い。髪を撫でつけスーツでも着込めば、七十歳そこそこにだって見られる場合があるくらいだ。
 だからというわけではもちろんないが、節子を見舞う時には必ずスーツと決めていた。よれよれの爺さんでは節子が不憫だし、たとえ今がどうであれ、幸せな夫婦だったと思われたいと強く願った。
 最初は、歳のせいだと決めつけたのだ。七十歳を過ぎれば誰であろうと忘れっぽくなるし、ついうっかりなんてことは当たり前だと考えていた。
 ところがある日、二日連続でおかしなことが起きる。そんなんでやっと、彼もただごとではないと感じ始めた。しかし実際はかなり前から始まっていて、
 ――どうして、もっと早く気づいてやれなかったんだ!?
 そんなふうに思う頃には、彼女の様子は誰の目にもおかしくなった。

「おいおい、それじゃお茶っ葉が出ちゃうだろ?」
 置かれたままの茶こしを見つめ、剛志は思わずそう言ったのだ。
すでに急須にお湯が注がれ、その瞬間、キョトンとした顔を節子は見せた。さらに、「なんのこと?」といった感じで、蓋の載っていない急須の中を不思議そうに眺めるのだ。
 それでもすぐに湯呑みを並べて、いつものようにそのままお茶を注ぎ入れた。
急須からは当然、そのまま茶葉も流れ出て、湯呑みの中をお茶の葉っぱがゆらゆら舞った。
 そしてその時、剛志は何かを言いかけた。が、節子の表情に驚いて、何も言えなかったことを今でも時々思い出す。まるで何かに怯えるように、急に険しい顔になったのだ。
自分が何をしたかをたった今知って、けっこうな衝撃を受けている。まさにそんな印象だったが、ついうっかりなんて誰にでもあるし、年齢を考えればなおさらだろう。
 その時は素直にそう思えたが、実際はそんなことじゃあぜんぜんなかった。
 この時きっと、進行している何かを感じて、節子は心の底から怯えていたのだ。
それからは、さらに似たようなことが増えていき、これはちょっと普通じゃないなと思い始めた頃だった。
 節子の料理はいつもしっかり豪勢で、その上美味いからついつい食べすぎてしまうのだ。それが、ある頃から味がバラつき始め、シンプルな料理ばかりがテーブルの上に並ぶようになる。それでも不満など感じなかったし、逆に年齢を思えばちょうどいいくらいに考えていた。
 ところがある日、ちょうどいいなどと言っていられない事件が起きる。
「あれ? 珍しいね……まあ、こんなのも、たまにはいいけどさ……」
 それでも最初は、心からそう考えたのだ。
 豆腐が浮いているだけの味噌汁に玄米ごはん。それからお昼に残した塩ジャケの欠片に、漬け込みすぎでシワシワになったきゅうりのぬか漬け。テーブルに載ったそれらを目にして、剛志はちょっとおどけてそう声にした。
 ところが節子が反応しない。
彼女はすでに椅子に腰掛け、ひっきりなしに何かを口中に押し込んでいる。
シルバーのボールを抱え込み、そこから手づかみのまま何かを必死に食べていた。
 最初は、素直に菓子の類かと思ったのだ。ところがその中を覗き見て、剛志は慌てて節子からボールを奪い取った。
「おい! 何してるんだ!?」
 我ながら、驚くような大声だ。それから手にあるボールに鼻先を突っ込む。
 途端に生臭さが鼻をつき、火が通っていないんだとすぐ知れた。
 ハンバーグ? とも思ったが、ニラの香り……だろうから、まさか餃子だってことなのか?
 ただ、どうであろうと、こんなものは料理じゃない。調理の途中もいいとこだ。
 ――こんなものをどうして、食べようなんて思ったんだ?
 そんな疑問を口にしても、節子の答えはまったくもって意味不明。
さらにそれからが大騒ぎだ。嫌がる節子を洗面所へ連れて行き、強引に指先を彼女の喉元に突っ込んだ。
 不思議なことだが、節子はそれらをまったく覚えていなかった。
 ゲーゲー吐いて、ふと気づけば元の彼女に戻っている。いくら剛志が事の顛末を話そうが、そんなバカなことするはずないと信じようとはしないのだ。
 そうしてさらに、次の日の明け方のことだった。
ふと目が覚めると、隣にいるはずの節子がいない。トイレか? そう思ってしばらく待つが、しんと静まり返って物音一つしないのだ。昨日のことがあったせいか、妙に胸騒ぎが収まらず、剛志はパジャマ姿で節子のことを捜し回った。
 しかしどこにも節子はいない。となれば表に出たとしか考えられず、
 ――こんな時間に、どうして表になんか行くんだよ!
 ちょっとした苛立ちを抱えながら、彼は玄関口まで慌てて走った。
 ――サンダルはあるか?
 もし表に出たならば、ご近所用のサンダルを履くはずだ。
ところがそのサンダルはちゃんとある。それ以外の履物はいつも通り片づけられて、玄関横のシューズクロークに納まっていた。
 もちろん、他を履いて出た可能性もあるだろう。だとしても、パジャマが見当たらないのは不自然だし、となればやっぱり、庭の花でも眺めているか?
 剛志はパジャマのまま玄関を出て、畑から庭園までをじっくり眺める。さらに「まさか」と思いつつ、門の外へも出ていったのだ。
 すると街並みのずっと向こうに、上がり始めたばかりの太陽が見える。それでも辺りはすでに昼間のように明るくて、急に己のパジャマ姿が気になった。
 ――さてどうする? このまま捜すか? それとも着替えてからにするか?
 そんな躊躇が一瞬だけあって、と同時に視界の隅で動く何かに気がついた。
視線を向ければ二人連れの姿が遠くに見えて、片方がもう一方の腕を持ち、必死になって引っ張っているようなのだ。
 ――もしかして、節子か……?
 そう感じた瞬間、
「ちょっと、放してよ!」
 かなり距離はあったが、どうにも節子の声そのものだ。
「放して! 放して! 放して!」
 まさに昨日、洗面所で聞いた叫びとそっくりで、
 ――まただ!
 今もまた、節子に何かが起きている! 
そう思うや否や、剛志は一気に走り出した。
 ところが二、三歩走ったところで、サンダル片方がすっぽり抜ける。途端に剛志はバランスを崩し、そのまま思いっきりダイビングしてしまった。
 ガツン! と全身に衝撃があって、すぐに両肘、両膝が強烈に痛んだ。それでもすぐに立ち上がろうとして、足を踏ん張ろうとするがまったくもってうまくいかない。気持ちばかりが焦りまくり、なんとか上半身を起こそうとした時だった。
「ちょっとあなた、いったいどこ行ってたの? わたし今まで、あなたのことずっと捜してたのよ!」
 そんな声がいきなり聞こえ、剛志は大慌てで顔を上げた。
するとすぐ目の前で、パジャマ姿の節子が剛志のことを見下ろしている。
不思議にもこの時節子は、剛志の状態をまるで理解していないようだった。
転んでしまったという以前に、地べたに寝ているんだという認識がない。倒れたままの彼に向かって、その後も意味不明な言葉を必死になって話し続けた。
 そうこうしているうちに、節子の手を引いていた人物が剛志を助け起こしてくれる。
 見れば、確かにどこかで会ったことはある。
きっとその年齢も、剛志と同じくらいだろう。
 ――どこで、会ったんだろうか?
 そんな答えは呆気なく、相手からの言葉で明らかとなった。
 剛志がなんとか立ち上がって、まずは礼を言おうと顔を向けようとした時だった。
「わたし、以前奥様にお世話になっていました松原です。正子は、わたしの妻でして、その節はいろいろとお世話になりまして……」
 松原……正子。
そう聞いた途端、この老人と会った時のことがスッと脳裏に蘇った。
 それは節子と一緒だった通夜の席で、彼は節子の手を握りしめ、涙を流しながら何度も何度も頭を下げた。
 料理教室に通っていた彼の妻は、たまたま受けた検査で末期ガンが見つかった。それでも本人の希望でそれからも教室には通い続け、最後の頃は車椅子に乗りながらのことになる。
そうなれば当然、本人だけで通えるはずがない。
だから最後の数ヶ月間は、いつも夫婦二人で現れたらしい。
 そうしていよいよ通えなくなると、節子はそれに合わせて料理教室をやめてしまった。
 節子の教える料理は和洋中と偏りがなく、どんな家庭でも喜ばれそうなものが多かった。さらに料理が出来上がってから、そこからの食事会こそ大人気で、どうしてやめるのかという問い合わせが相次いだ。
しかしなんと言われようと受け入れず、それ以降、今日まで再開することなしに至っている。
 そういうわけで松原氏とは、節子と知らない仲では決してない。
 ――だからって、何がどうしてこうなったんだ?
 とにかく一刻も早く理由を知りたい。だから礼を言うのも忘れ去って、剛志は慌てて聞いたのだった。
「すみません! いったい、うちのに何があったんでしょう?」
 そう言った後、続けて節子に向けても声にした。
「おい、そんな格好で何してるんだ? いったい、どうしたっていうんだよ!」 

電信柱に寄りかかるようにして、節子はしゃがみ込んでいたらしい。
まだ辺りは薄暗く、最初は気味悪く感じて松原氏もそのまま通り過ぎた。それでも少し気になって、チラッとだけ後ろを振り返るのだ。
 すると蛍光灯に照らされて、下を向いた顔までがはっきり見える。
すぐに節子と気がついて、彼は慌ててその傍らに駆け寄った。ところが、だ……。
「いくら何を申しても、わたしだとわかってもらえませんでした。ただとにかく、奥様は家に帰るんだと言って聞かない。見ればパジャマ姿で裸足でしたし、わたしは朝の散歩中で、携帯なんか持っていませんでしたから……」
 少々強引だったが、節子の腕をつかんで家の方へ歩き始めた。
「ところが奥さん、違う違うって、反対だって怒るんですよ。家はそっちの方じゃないと言い張って、わたしの手を必死に振り解こうとする。だからこちらの家のことを説明はするんですが、どうにも、おわかりにならないようでして……」
 それでもなんとか自宅付近にやって来て、剛志が運良く門の前まで姿を見せた。
 するとそんな姿にすぐ気がついて、
「ほら、奥さん、ご主人が捜していらっしゃいますよ、ほらほら、あそこ……」
 と言いながら、彼は二人を見つめる剛志の方を指差した。
すると節子も気がついたのか?
「あなた……」と、呟くように言っていたらしい。
 それにしても、松原氏が節子と出会っていなければ、彼女はどこへ向かったのか?
 物心つく前から孤児院で育った節子には、この屋敷以外に家などないはずだ。だからこそ向かうべき家が思い出せず、しゃがみ込んでいたんじゃなかろうか?
 そして何がどうあれ、彼女の脳内で何かが進行しつつある。
「とにかく、一度検査を受けられた方がいいですよ。きっと帰りたいとおっしゃっていたのは、遠い過去の記憶を思い出したからでしょう。そういうことがあるんですよ。わたしの母が、実際にそうでしたから……」
 そう言って、松原氏はほんの少しだけ笑顔を見せた。
「さあ、もう奥様のところへ、行ってあげてください」
 彼は静かにそう続け、「頑張って……」と、さらに小さな声で言ったのだった。
 そう言われてやっと、先に家に入った節子のことが心配になった。しかしなんとも不思議なことに、そこからの節子は以前通りの彼女なのだ。
汚れた足をきちんと洗って、いつもと同じ笑顔で剛志に向けてこう言った。
「わたし、もしかしたら夢遊病なのかしら? 今朝起きたらね、足の裏が泥だらけで、ホント、驚いちゃったわ」


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