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作品名:ロング・ロング・ラブ・ストーリーズ 4度目のさようなら 作者:杉内健二

第46回   第6章  1983年 プラス20 - 始まりから20年後 ・ 4 平成三年 智子の行方(2)
4 平成三年 智子の行方(2)



ちょうど画面が映り変わって、日本の白黒写真がここで初めて映し出された。
 見るからに時代を感じさせるもので、女性が一人、浴衣のような着物姿で写っている。さらにそこは室内ではなく、きっと呑み屋街の裏通りってところだろう。
そんな場所で、女性が地べたに仰向けになっていた。番組司会者の説明によると、それは昭和二十三年の春に撮られたもの。すでに死に絶えてから半日近くが経過していたらしい。
 あの時代、日本人は何かと言えば殺された。女性であれば強姦事件なんて日常茶飯事だし、日本の警察は丸腰だから、そんな時頼りになるのは生粋の日本人ヤクザくらいのものだった。
 そんな時代に死んだ女性を、どうしてわざわざ取り上げるのか? そう考えた次の瞬間、スッと女性の一部分がアップになった。そんなのとほぼ同時、
「皆さん、これがなんだかわかりますか?」という司会者の声が響き渡った。
 なんと言っても古い写真の拡大だ。画面はかなり荒れていて、それでも浴衣から伸びた腕だとわかるし、その手首に巻かれた腕時計だって見て取れる。
 だからなに? 浴衣に時計だからおかしいってこと? 出演者からそんな声が聞こえるが、剛志はすぐにその不自然さに気がついた。
 ――まさか……!?
 飛び上がるくらいの驚きに、彼は慌ててテレビ画面に近寄ったのだ。
するとそんな行為に応えるように、手首だけが画面いっぱいに拡大される。その瞬間、彼は思わず立ち上がり、誰に言うでもなく大声を上げた。
「嘘だろう!? ありえないって!!」
 我ながら、驚くくらいの大声だったが、幸い節子がいなくて助かった。そしてもっと幸いだったのは、彼が見ていたのがビデオ録画だったということだ。
 剛志は慌ててリモコンを取って再生を停止、そのままアップの瞬間まで巻き戻す。それからもう一度、再生をオンにして、まさにアップのところで静止画にした。
 ――やっぱり、そうなのか……?
 考えが正しければ、チラツキとともに映る女性を彼は知っているということになる。
 ただ、顔は鼻先から下半分しか見えないから、そこからはとても判断できない。さらにその姿はまるまる太って見えて、司会者に言わせれば、米兵専門の娼婦だったらしいのだ。
 ――どうして……こんなところにいるんだよ……?
 米兵相手の娼婦、そんなことがあるわけない! 何度も心でそう叫んだが、目に映るあれは紛れもなく剛志の記憶にあるものなのだ。
 成城のブティックを出た時のことだ。辺りがずいぶん暗かったので、時刻を知ろうと腕時計のライトを点灯させた。すると智子が驚きの声をあげ、
「え! それって、夜になると明かりが点くんですか?」
 そんな声に、彼は素直に嬉しくなった。だからさっさと自分の腕から時計を外し、目を丸くする智子の手首にデジタル時計を巻いたのだ。そして、なんということだ。今この瞬間、テレビ画面の中央に、まさにそのデジタル時計が映ってる。
 きっと、持っていた人間じゃないとわからない。八年間、ずっと身につけていた剛志には、時計上部にあったロゴさえ記憶の隅に残っていた。そうだと思って見ていると、デジタルクオーツLC≠ニいう英字がそこそこしっかり見えてくる。
 ――間違いない……これは、俺が渡した腕時計だ……。
 きっと電池が切れたのだろう。本来時刻が表示されるところは空白で、曜日のローマ字も消えている。それでもこれは、剛志のしていたデジタル時計そのものなのだ。
 どうして戦後すぐという時代に、こんな時計が存在したか? 番組が言いたかったのもまさしくこれで、さらにもし、これが腕時計でないのなら、いったい何に使うものか?
「確か、ウルトラ警備隊が、こんな感じのを手首に巻いてたよ」
「そうそう、パカッと蓋が開いて、そこに話す相手が映るんだよな。確か子供の頃、そんなオモチャを買ってもらった覚えがある」
 そんな会話から始まって、その後的外れな議論がしばらく続いた。ところが剛志はそれどころじゃない。次から次へと疑問ばかりが浮かび上がって、頭を抱えて考え込んだ。
 ――どうして智子は、そんな昔に行ったんだ?
 その結果、今から四十三年も前、昭和二十三年の春にどこぞの裏通りで死んでいた。
 どうしてそんなことになったのか? 剛志も二十年前に戻ったし、智子のもとへマシンを戻す時にも、数字には一切触れていない。だから数字を反転し忘れ、そのまま二十年先に行ってしまうなんてことならありそうなことだ。
 ――なのにどうして、彼女は三十五年前なんかに?
 昭和二十三年ってことは、昭和五十八年から三十五年も前になる。
あれは同じ場所、時刻にしか――少なくとも、剛志が知りうる範囲では、だが――行くことができない。であれば、智子の行き着いた日も三月十日のはずだろう。
 そして写真が撮られた春≠ニいう季節とは、せいぜい六月の梅雨前くらいまでを言う。つまり昭和二十三年に行ったとするなら、智子はたった数ヶ月で死に絶えたということだ。
 さらに言うなら、
 ――たった数ヶ月で、あんなに太ってしまうものか?
 突然あんな時代に放り出されて、誰であろうと痩せてしまうのが普通だろう。なのに写真の女性は智子より、優に三十キロくらいは太って見える。それにあのデジタル時計にしても、たった数ヶ月で電池切れなどになるものか?
 きっと智子は、二十三年より以前の時代に行ったのだ。そして電池の切れてしまったデジタル時計を肌身離さず大事にしていた。そう考えれば体型の変化だってありえることだし、
 ――不規則な生活や、米兵との食事であんなに太ってしまったか……?
 きっとそうでもしなければ、十六歳の智子が生き抜くことは難しかった。
 そしてそんな日々のスタートは、昭和二十二年だったのか? それよりもっと前なのか?
 剛志は静止画を見つめたまま、智子が行き着いた時代について必死になって考えた。
 そもそもマシンに浮かび上がる数字は、間違いなく時間移動したい年数だ。だから去年に戻りたければ、ただ1≠ニだけ入れればいい。
 つまり昭和二十二年に行ったのなら、智子はマシンの数字を36≠ニしたことになる。
 ――俺は、彼女にちゃんと説明したはず、だ……。
 ただ本当なら、剛志も一緒にいるはずだったし、一人で乗り込むなんて完全なる想定外。それでも戻ったマシンに乗り込んだなら、昭和三十八年に戻ることだけで必死なはずだ。
 だとすれば、数字をいじろうなんて考えるだろうか?
 ――何を思って、36≠ネんて数字を入力したんだ?
 そう思った時ふと、ある考えが浮かび上がった。
 ――もし、38≠ニ、入れたんだとしたら……?
 昭和三十八年に、なんとしても戻りたい。そんな気持ちのまま、
 ――20のところを38≠ニ変えたんだとしたら……?
 智子は、昭和二十年の三月十日に行ってしまったことになる。
 慌てていれば、まあありそうな話だ。何より三年間もあったなら、あの時代で生きていく術だって身につくだろう。そして昭和二十年なんて時代に着いた後、彼女はどんな苦労を味わったのか? どうしてあのような死に方を、智子はしなければならなかったか?
 こうなって、彼はどうしても知りたいと思った。できるなら、あの写真の場所を探し出し、さらに亡骸がどうなったかを調べなくてはと強く思う。
 ただ正直、智子が死んでいたと知って、予想を遥かに超えてショックは軽いものだった。
 可哀想で、強い悲しみを感じはした。しかし現実感には乏しくて、言ってみれば辛く悲しい過去を思い出したという感じに近い。
そんなだから余計に、あの時代の智子を知りたいと願うのだろう。
きっとこれが今じゃなければ、十六歳の智子と再会するよりもっともっと前だったなら、こんなこと考えるなど当分の間はなかったはずだ。
 そうして剛志は次の日に、さっそくあの番組を放送していたテレビ局へ向かった。
 番組で使われた写真について、お尋ねしたいことがある。剛志が受付でそう伝えると、「担当者をお調べします」と返され、それからけっこうな時間待たされた。ところが担当でも写真のことはわからないとかで、結局制作会社の連絡先だけを教えてもらった。
 制作会社に尋ねても、どうせ教えてなどくれないだろう。そんな諦め気分のままで、剛志は電話ボックスから制作会社へ電話をかける。すると二度ほど相手が変わって、番組に関わったという制作スタッフがやっと出た。
「あの番組に出てきた写真の中で、日本の古い写真に写っていた女性のことを調べていまして、ぜひとも、あの写真の出どころを教えていただけませんでしょうか?」
 剛志が電話口でそう告げた途端、なんとも呆気ないリアクションが返った。
「ああ、あれですか、いいですよ、ちょっと待っててくださいね」
 それから少々待たされはしたが、すんなり写真の出どころが判明する。
 驚くことにその持ち主は、剛志のように問い合わせてくる人物を期待していたらしいのだ。だから制作会社との通話を切って、そのまま大学教授だという持ち主に電話をかけた。
 考えてみれば当然だが、勤め人が平日の昼間っから自宅にいるはずがない。それでも妻らしき女性が電話口に出て、明日の土曜なら家にいるはずだと教えてくれた。
 剛志は午後一時に伺いたいと伝えて、次の日時間ぴったりに、菓子折りを手にして大学教授の元を訪ねる。すると本人はちゃんといて、剛志の来訪を約束通り待っていてくれた。
 高城……滋。島根県の松江市出身だという彼は、見るからに学者風の雰囲気だ。
さらに細身でメガネを掛けているせいか、なんとも神経質そうな印象を受ける。年齢は剛志と同じくらいに見えたが、聞けばあと数年で定年退職となるらしい。
「わたしの父親は、戦前から警察に勤めていましてね。その父も二年前、九十歳で亡くなりました。母親はもっと前に亡くなっていたんで、空き家となった実家を、わたしが暇を見つけて整理していたんですよ。そうしたら、父の書斎から事件の資料などがたくさん出てきましてね。実はその中に、例の写真もあったんです」
 あれ以外にも、違う角度から撮られたものも多数あったと、彼は言った。しかしそれらどれもこれも、劣化が相当激しかったらしい。あれだけが、なぜか防腐剤と一緒に油紙に包まれ、たった一枚だけ保存状態が良いまま見つかっていた。
「きっと父も、あれが気にはなっていたんでしょうね。もしかしたら警察内でも、それなりに注目を浴びたのかもしれません。しかしなんせあの時代ですから、女性のことも、もちろんあの時計のことだって、大した調査もせずに捨て置かれたんだと思いますよ」
 そう言って、彼はやれやれといった感じで腕を組んだ。
 高城氏も当初から、あの写真に注目していたわけではないらしい。
 半年ほど前のこと、不思議な写真&蜿Wの記事を見つけて、彼は放っておいた古い写真を思い出した。それを虫眼鏡片手に眺めて初めて、写っている時計の不可思議さに気がついたのだ。
 しかしいくら考えても、納得のいく説明などつくはずがない。そこでテレビ局に写真を送り、放送後の問い合わせに些細な期待を込めたのだった。
「わたしなりにいろいろ調べ始めたんですが、もうほとんど記録も残ってなくて、結局あの時計のことは、残念ながら何もわかりませんでした……」
 しかしそれでも、さすがに大学教授だというべきだろう。写真の女性が米兵専門の娼婦パンパン≠ナ、場所は父親の担当地域だった新宿周辺だと判明する。
「結局ね、彼女は客に殺されてしまった。もちろん殺した方は日本人じゃない。だからおとがめなんてなしでしょう。殺された理由だって、きっと金を払おうとしなかったとか、そんなんで、悪態をつかれカッとなったとか……だいたいが、そんなことですよ」
 話していくうちに、嫌な記憶が蘇ってきたのだろう。急に険しい顔つきになる。それからあらぬ方に顔を向け、ふうーと大きく息を吐いた。そこでいっときの沈黙があり、剛志はここぞとばかりに切り出したのだ。
「あの、写っていた女性について、何か知れるようなものがありませんか? 放送された写真以外に何かあれば、ぜひとも見せていただきたいのですが……」
「申し訳ないです。しっかり探せば、もしかしたらもっとあったのかもしれません。ところがなんせ、何から何までごちゃごちゃだったんです。戦前の資料なんかとも一緒くたでして、だからあの時は、取っておく意味などこれっぽっちも感じなかったんですよ」
 そこで一旦言葉を止めて、高城氏は申し訳なさそうに下を向いた。
「ただ、油紙に包まれていたあの写真だけは、やっぱり気になって残しました。あとはほとんどぜんぶ、ここの庭で燃やしてしまったんです……」
 それでも、燃え盛る炎に焼べていくたびに、時折気になったものには目を通していたらしい。
 その中に、名前のような走り書きを見つけて、それだけは燃やさずに取っておいた。
「これがそうなんですが、これが本当に、あの女性について書かれたものかどうか、実際のところ、わたしにはなんとも言えません……」
 もしかしたら、メモ書きのように使っただけかもしれない。そんなことを口にした後、
――で、あなたは、どう思いますか? 
そんな目を向けながら、剛志の前に一枚の写真を差し出した。それは茶色く変色していて、それでも同じ時に撮られたものだとすぐにわかった。多少角度は違っていたが、やはり浴衣姿の女が写真中央に写っている。
 そうしてほんの数秒後、写真がいきなり裏向きにされた。
 その瞬間目に飛び込んだものが、即座に剛志の心臓を鷲づかみにした。息をするのも忘れ去って、ただただそこにある意味を必死になって考える。
「どうでしょう、ともこ≠ナすかね、ともえ≠ナしょうか? それとも、どちらも違ってたってことなんでしょうか?」
 黄ばみ切った裏側に、鉛筆で殴り書きがしてあった。
 ちょっと見ると、ともこ≠ニもともえ≠ニも取れるような乱雑な文字だ。さらにその上からすべてを打ち消すように、全体に大きくバッテン印が書き加えてあるのだ。
 ともこ
 ともえ
 もしかしたらこのバツ印は、どちらも違ったという意味かもしれない。しかしこれを見た瞬間に、剛志の中での答えは出ていた。やはり写っていた女性はともこ≠ナ、それは剛志の知っていたあの智子≠ノ他ならない。
ここまでくれば、もうどうにも否定のしようがないように思えた。
 ――智子……。
 不意に十六だった彼女の姿が、脳裏にまざまざと浮かび上がる。
と同時に、喉奥から熱いものが込み上げ、顔の中心がいきなりカアッと熱くなった。まずい! と思った時には後の祭りで、すぐに引きつるような嗚咽を抑えるだけで精一杯だ。
 普通なら、きっと目を丸くして驚くだろう。大の大人が他人の家で、今にも鳴き声をあげそうなのだ。なのに動揺など一切見せずに、高城氏は剛志が落ち着くのを無言のままで待っていてくれた。書かれた文字に目を落とし、少なくとも驚いた素振りなど微塵もない。
 一方剛志も、心の動揺を必死になって抑え込み、やっとのことで声を発する。
「すみません……あの、実はこの女性、わたしの幼なじみに、すごく似ていまして……」
 そう言ってしまってからすぐに、顔半分しか見えない写真で、
 ――すごく似ているとは、言いすぎか?
 そんなことを少しだけ思った。
「まさか、とは思っていたんですが、これを見て、やっぱりそうだったかと……。その人も実は、ともこ≠ニいう名前、だったんです」
 そんな言葉に、驚いたという表情を一瞬だけ見せて、高城氏はすぐ頷くように下を向いた。
そうして高城氏との面会は、一時間ほどで終了を迎える。
 結局、あの写真の女性はやはり智子で、過去へ行ってしまったというのも現実だった。さらにそんな日に起こっていた惨劇を、剛志はこれまで想像すらしていないのだ。
 剛志がふと、行方不明になった日を口にした時だ。可能性の高い昭和二十年だとして、あの火事が起きた三月十日を声にした途端、高城氏の表情が一気に歪んだ。
「そうですか、三月十日……だったんですね。そりゃあ、なんとも……」
 そう言ってから、彼がポツリポツリと話し始めた史実を、剛志だって知らなかったわけじゃない。歴史の授業で習っていたし、ものすごい大惨事だったことも知っている。
 たった一日で十万人以上の一般市民が焼き殺され、百万人が一晩にして住む家々を失った。そんな東京大空襲こそが、昭和二十年、三月十日未明の出来事だったらしいのだ。
 もしかすると、そんな最低最悪という日に、智子は自ら飛び込んでしまった。そうして本来あるべき未来を知ることもなく、犬死に同然の死に方をする。
だとしても、どうしてもわからないことが一つだけあった。
 ――あのマシンを、いったいどこに送ったんだ?
 もしもそのままにしていれば、いずれ誰かが見つけて大騒ぎになっているはずだ。
 ――もしかしたら、あの長身の男の仕業か……?
 伊藤を刺し殺した未来人は生きていて、実はマシンを回収したのか?
 であればあれは、二度と剛志の前には現れないだろう。
ただ、それならそれでよかったし、いざこれから現れたとしても、彼には戻る時代などありはしない。
 ――もうずっと、このままでいい……。
 時の流れのまま歳を重ねて、いつしか節子に看取られながら死んで行く。
剛志は改めてそんな未来を思い描いて、今後は智子やマシンのことを考えないようにしようと心に思う。
 そうして月日は五年、十年と平穏無事に過ぎていった。
ところが十年が過ぎた頃から、思い描いていた未来の姿が大きな変化を見せ始める。
日に日にマシンの記憶が影を落とし、いつしかその存在が大きな位置をしめるようになった。


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