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作品名:ロング・ロング・ラブ・ストーリーズ 4度目のさようなら 作者:杉内健二

第43回   第6章  1983年 プラス20 – 始まりから20年後 ・ 3 革の袋(2)
3 革の袋(2)



以前、節子から聞いた話を、剛志はいきなり思い出した。
「銀行なんて信用できないんですって。だからぜんぶ現金で、自宅に置いてあるって言うのよ。逆に怖いわよね。ご夫婦だけで、それもけっこうなお年寄りなんだから……」
 農協で知り合った老婆がそう教えてくれたと、節子が驚いた顔で告げたのだった。
 ――あれは、どの辺だったか……?
 さらに近所を散歩していて、急に声にしたことがあったのだ。
「あれ、あの大きなお家がそうよ。ほら、話したじゃない……銀行嫌いの、やっぱりうちと一緒で、無農薬やってるお婆さんのこと……」
 そう言って指差された古い屋敷の形を、剛志は今でもぼんやりとだが思い出せる。
 こうなれば、その屋敷を探し出して頼んでみるしかない。節子の話が本当であれば、きっと古い紙幣だって貯め込んでいるはずだ。たとえ四百万に及ばなくても、ゼロなんかよりはよっぽどいいに決まっている。
 剛志はそう決断し、一万円札の束をショルダーバッグに詰め込んだ。
そのまますぐに家を出て、記憶にある屋敷を探してそこら中を歩き回った。
 しかし一向に見つからないのだ。やがて日も暮れてきて、一気に気温も下がってくる。手がかじかんで、足の指先がジンジン痛んだ。そうしてすぐに闇夜となる。そうなると少し街灯から離れただけで、家の大きささえ定かではなくなった。
 剛志はひとまず諦めて、明日、日の出とともに探しに出ようと思うのだ。
そして次の日、剛志は久しぶりに自転車にまたがって、節子とよく歩いた多摩川沿いの道から探し始める。昼前には、あの二人がやって来るのだ。それまでに金を手に入れて帰らないと、三十六歳の剛志は一文無しで旅立ってしまう。
 ところが川沿いを走り始めて、すぐにここは違うと気がついた。この辺りには古い家が見当たらず、ここ十年、二十年で建てられたくらいの家ばかりだ。この先いくら走ったところで、戦前からあった屋敷などにはきっとお目にかかれない。
 ――となれば、やはり昨日のどこかだ……。
 単に見逃したか、それとも大きな勘違いでもしているか?
 剛志はそんな不安を感じながらも、自転車の前輪を元来た道へ向けたのだった。
 そうしてその後、屋敷は呆気なく見つかった。それは道一本外れた奥側にあって、昨日通った道からでも、古めかしい瓦屋根がしっかり見える。
どうして昨日は、こんなのに気づかなかったか? 思えば思うほど意味不明で、それでもとにかく、見つかったことだけは神に感謝したいと素直に思えた。
 さらに、その時点で九時にもなっていなかったから、
 ――余裕で間に合うぞ!
 と、剛志はホッとしながら古びた屋敷の前に立った。
 ところがだ。かなり旧式の呼び鈴をいくら押しても、うんともすんとも反応がない。
 ――嘘だ……こんな朝っぱらからいないのか?
ブーブー≠ニいう音が外まで響いて、いるなら聞こえないなんてことあり得ない。
「お願いです! 誰かいませんか?」
 そう声をあげてから耳を澄まし、
「お願いです。少しだけ、時間を頂けませんか〜」
 そんな大声を何度もあげるが、変わらずに静まり返ったままなのだ。
 ――くそっ! くそっ、くそっ!
 どこかで何か間違えたのか? それさえまったくわからない。
そんな自分が情けないが、それでもここで踏ん張るしか道はない。
 ――頼む! いるんなら顔を出してくれ!
 どこからか、様子をうかがっていないかと、彼は屋敷を隅から隅まで見ていった。
そうしてほんの十数秒、突然、声がかかるのだ。
「おい!」
 小さいが、それなりに力のこもった声が響いて、剛志が慌てて振り返ると、すぐ後ろに小さな老婆が立っている。さらにその後ろに使い込まれたリヤカーが見え、たくさんの野菜が山のように積まれていた。老婆は彼をジッと見つめ、目が合うなり睨みつけるようにしてこう言った。
「あんた、ウチになんの用かね……?」
 その瞬間、剛志は一気に舞い上がってしまった。
 慌てて肩からバッグを下ろして、それを老婆に突き出し、思わず言った。
「あの、ここに五百万入ってます。これとおたくの四百万と交換していただけませんか!」

 ある意味、怪我の功名だったのかもしれない。
 実際に、老婆は手数料として百万受け取ったし、あんな言葉がなかったならば、話を聞いてくれたかだって怪しいものだ。
 あの辺の大地主である彼女は、朝の収穫に近くの畑まで出かけていた。そして銀行を信用するしないは別として、かなり昔から現金を溜め込んでいたのも正真正銘の事実だった。
 玄関先で事情を説明すると、老婆は意外なほどすんなり剛志の言葉を信用する。
「ふうん、昭和三十八年より前かいね……そりゃまた、ずいぶんと変わったご要望だね……ま、いいでしょ、ちょっとそこで待ってておくれよ……」
 かなり腰の曲がった老婆だったが、意外とその動きはしっかりしていた。剛志にさっさと背を向けて、ぴょんぴょん跳ねるように廊下の奥に歩いて消える。
 それから十分ほどで、紙幣の束を四つ抱えて現れて、それを剛志の前にバサッと置いた。そうしてふうっと息を吐き、顔を覗き込むようして聞いてくる。
「本当に、これと五百万、交換してくれるのかい?」
「はい、もちろんです。ただ本当に、これぜんぶ、二十年以上前のお札なんでしょうか?」
「そうだね、もっと前のだと思うよ。うちの押し入れの、一番奥にあったのだから、きっとそいつが発行されて、そう経ってない頃のやつじゃないかね……あ、それからさ、一応言っとくけど、それはひと束、きっかり百枚ずつだから……」
 であればきっと、昭和三十年前半だ。
「確認して、いいですか?」
「構わないよ、ただ、本当に五百万くれるんならだよ」
 そんな声に、剛志は慌ててショルダーバッグを前に置いた。中から札の束を一つ一つ取り出して、彼女の前に横一列に並べていった。すると、老婆はニンマリ笑って、
「どうやら、本気のようだね……」
 独り言のようにそう呟くと、前掛けのポケットから何かを取り出し、剛志に見せた。
「ま、使わずに済んで、良かったよ」
 そう言ってから、それをさっさとしまい込んでしまう。
 この時剛志は、これがなんだかよくわからなかった。かなり重そうで、電動髭剃りをふた回りくらい大きくしたって感じだ。きっと護身用の武器か何かで、場合によっては自分に向けられていたのだろう。老婆の言葉からそんな感じの推測はついた。
 思ったままを尋ねると、老婆は声高にケラケラ笑って、電気ショックで気絶させることもできるんだと言ってくる。
「こんな婆さんだからね、知らない奴が訪ねてくるとさ、いっつもここに入れておくんだよ」
 幸い、一度も使ったことはないらしい。
「さあ、さっさと調べておくれよ。わたしはこれから、ボケかけた爺さんの朝飯を作らんといけないんだからさ……」
 さらにそんなことを言われて、剛志は慌てて札束の一つを手に取った。
 パラパラっと捲ってみる。
 そこで彼は、思いもよらぬ事実を知ってしまった。
 ――勘弁、してくれよ……!
 この衝撃はけっこうなもので、そう簡単には立ち直れそうになかった。それでも……、
「まさかあんた、一枚一枚確認しようってんじゃないだろうね。いいかい、見ての通り、その帯封は自前なんだ。ちゃんと百枚ずつ数えてさ、和紙でわたしがこさえたもんなんだから、それが外されてないってことはね、間違いないってことなんだよ」
 そんな老婆の声に促され、知った事実を心の底へと追いやった。紙幣をバッグに押し込み、彼は無言のまま立ち上がる。
 不思議なことだが、剛志の持ち込んだ紙幣の方を、老婆は一度も調べていない。
 確かに、金融機関共通の帯封は付いていた。それでも彼は見ず知らずの男。そんなのが差し出した札束を、偽札だと思ったりしないのか?
 ただその後も、深々と一礼して玄関を後にする彼に、老婆からはなんの声もかからなかった。
 結果、百万を一瞬で失った。
しかし不思議なほどに、惜しいという気が湧き上がらない。
 これでマシンに金を置ける。ちょっとした勘違い≠ヘあったが、もしかしたらそんな回り道も、時の流れにとっては必要なことだったかもしれないのだ。
 そんなふうに思ってしまえば、百万くらいの出費は仕方がないと素直に思えた。
 剛志はそれから、自転車を必死に漕いで家路を急ぐ。そしてあと一つ角を曲がれば、自宅の屋根が見えてくるというところでだった。
 ハンドルを左に傾け、カーブを描きかけたその瞬間、視界の隅っこにいきなり軽トラックが映り込んだ。と同時にクラクションが鳴り響いて、慌ててハンドルをさらに左に切ったのだ。
「ガツン!」という衝撃。続いてフワッと浮いた気がして、その直後に地面に叩きつけられる。
 腰から背中に痛みがあって、途端に息ができなくなった。
 それでもほんのなん秒かで呼吸も戻り、気を失うことなく彼はフラフラ立ち上がる。
 ――急がなきゃ!
 ただただそんな思いに支配され、自転車を起こして再びサドルにまたがった。
 そうして十一時に十分以上残して、剛志は自宅までたどり着く。
 そのままバッグを抱えて、マシンに歩み寄ろうとした時だった。
 ――革の袋が、ないじゃないか……?
 それ以前に、あの袋をどうやって手に入れるのか? 唐突にそこまで思ってすぐ、続いてあることが思い浮かんだ。
 ――袋はある。あれは確か、捨ててないはずだ。
 病院に現れた弁護士は、アパートにあった革の袋までバッグに入れてくれていた。
 それが単なる偶然なのか、それとも意図してのことかはわからない。ただとにかく、剛志はそれを今の今まで捨ててはいない。それでも……、
 ――あれをあのまま使っていいのか? そんなことで、本当にいいのか?
 マシンで見つけた袋でいいのなら、それならそれで構わない。ただこの先もずっと繰り返していけば、革袋はどんどん劣化していき、いずれ使い物にならなくなるのは決まっていた。
 ――そもそも、あれを最初に持ち込んだのは、俺なのか? それとも他の誰かか?
 三十六歳の剛志に渡っていくあの袋は、二十年という歳月を行ったり来たりしているのだ。
 しかし誰かが最初に持ち込まない限り、どの時代であろうと剛志が手にすることはない。
 まるで卵が先か鶏か? みたいな話だが、どちらにせよ今から買いに行く時間などなかった。
だからしまってある袋を使おうと、屋敷に入って思いつくところを捜しまくる。ところがどこにも見当たらず、時間だけが刻々と過ぎ去った。そしてふと、別の袋で代用するか……そう思った時突然、ずっと忘れ去っていた記憶が一気にふわっと舞い戻った。
 ――あれが、まさか……?
 ずいぶん前のことなのだ。
 節子のクローゼットに入った時、よく似た革袋を棚奥に見つけて、剛志は一度その手を伸ばしかけたのだ。ところがその時ちょうど、節子の探し物がようやく見つかる。
 だからほんの一瞬考えて、剛志は伸ばしかけた手を途中で止めた。
 そもそも、あの袋のはずがない。似てる袋なんてこの世にごまんとあるだろう――などと思って、これまでずっと思い出さずにいたのだった。
 しかし今になって思えば、あの袋だったような気がしてならない。
 ――だったらどうして、あれがあんなところにあったんだ???
 さらにそんな疑念が重なって、ふと、顔を上げようとした時だった。
 突然スイッチを切られたように、目の前がストンと真っ暗になった。と同時に、書斎で立ったまま考え込んでいたはずが、なぜかうつ伏せで地べたに顔を押しつけている。
 ――どうして!?
 頰にザラつく感触があって、さっきまでの暖かさが嘘のように寒かった。
 何が起きた? そう思って辺りの様子見ようとするのだ。ところが顔を上げるどころか、いつのまにか瞳も閉じていて、それがどうやったって開かない。さらに全身がギシギシ痛み、特に後頭部が割れそうに痛かった。
 ――俺は、いったいどうしたんだ!?
 そう思ったのが最後だったと思う。
その後、あっという間に、彼の意識は消え去っていた。


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