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作品名:ロング・ロング・ラブ・ストーリーズ 4度目のさようなら 作者:杉内健二

第42回   第6章  1983年 プラス20 – 始まりから20年後 ・ 3 革の袋
3 革の袋



「どうぞ、鍵は開いてますから……」
 防犯カメラに映った男へ、剛志は平静を装ってそれだけを告げる。
 あの時、自分は何を思っていたか? そんなことを思い出そうとするが、意外なほど記憶に残っていなかった。ただただ家の豪華さに驚いて、急に尿意をもよおしたのだけは妙にしっかり覚えている。
 あれは、ソファーに座る前か? 
それともその後すぐだったのか? 
そんなことばかり考えながら、彼は三十六歳の剛志を記憶通りにリビングへと誘った。するとソファーに腰を下ろそうかという時に、トイレを貸してほしいと若い剛志が言い出したのだ。
その瞬間、彼は思わず反応してしまった。
 目の前で、同じことが起きている! 
そんな事実に今さらながら驚いて、つい素に戻って声まで出そうになったのだ。
それでもすぐに何でもないふうを演じてみたが、きっと少しくらい変に思ったに違いない。しかし彼はこの後、トイレであの岩≠見てしまうから、どうせこんなことはすぐに忘れ去ってしまうだろう。
 そうして案の定だ。トイレから戻った剛志の印象は大きく変わって、さっきまでの緊張した感じは面白いほど消え失せる。
 ただその時、まるで予想していなかったことが一つだけあった。
 それはまさしく驚きの真実で、剛志が姿を見せると同時に否応なしに現れ出るのだ。
 ――おいおい、勘弁してくれよ。
 それはもちろん、目の前にいる剛志への感情だったが、言ってみれば同時に、過去の自分に向けてのものでもあった。
ズボンのチャックが、見事なまでに全開なのだ。
 あの時、床に飛び散った小水を拭き取って、それからもう一度窓の外を覗き込んだ。
そして、そのまま……???
 ――俺は、チャックを開けっぱなしで、あの岩を眺めていたのか……。
 そんなこととはまるで知らず、彼はそのままソファーに座る。するとより左右に広がって、ますますその奥がさらけ出された。
 ――よりにもよってブリーフかよ、それもどうして白なんだ……?
 それでいて本人は気づいていないから、それから彼は真剣な顔で、あの事件のあらましを話し始める。
声はまさしく神妙で、顔の下には真っ白なブリーフだ。
 そんな愉快な光景に、つい笑い出しそうになるのを剛志は必死に耐えたのだった。
 あの日、十六歳の智子がマシンと一緒に現れ、それからなんだかんだありながらも自宅マンションに連れ帰る。そしてなぜか次の日に、あの三人組が現れるのだ。
 ――あの三人さえいなければ、智子は元の時代に戻れるはずだ。
 だからなんとしても、あいつらが屋敷内に入り込まないようにする。方法はいくらだってあったし、いざとなれば警察の手を借りたっていいのだ。
 きっとあの日、駅前のハンバーガーショップ辺りで見かけたのだろう。
普段から、住宅街なんかをウロついているはずないし、きっと成城からここまで尾けてきたに違いない。
 ただ、ここで注意しなければならないのは、智子はもちろん、剛志にも気づかれてはいけないということだ。そのせいで何がどう変化するかわからないから、二人の前になんびとたりとも近づけないよう心掛ける。
だから二人が敷地に入ったのを見届けてから、剛志は行動を起こそうと考えた。
 何がどうあれ、腕力では到底かなわない。けれど財力というところでは、奴らをコテンパンに叩きのめすぐらいのことはできるだろうと思うのだ。
 実際いくらなら、素直に言うことを聞いてくれるか? 
十万か二十万か? なんだったら百万出したって構わない。
これまで剛志は、チョコチョコと手にした金をその都度少しずつ貯めていた。
それはもう五百万以上になっていて、すべてはこの日のために準備したものだ。それを百万ずつ別々の封筒に入れ、ジャケット、コートのポケット五ヶ所に忍ばせる。
 そうして智子を戻してしまえば、その後のことには多少のことは目を瞑る。
 ところが運命とは皮肉なもので、そうそう思い通りには進まないものらしい。

「それじゃあ、わたしはこれから出かけますので、ご自分の庭だと思って自由になさってください……」
 不思議なものだが、過去の記憶に頼ることなく、そんな言葉がスラスラ声になっていた。
 予定通り、午前中に一度家を出た剛志だったが、その日は思いの外冷えて、そんなことでやっと離れの寒さを思い出した。
 剛志がこの屋敷に住み始めた頃、すでにあの離れはもうあって、そこだけがセントラルヒーティングと繋がっていなかった。二間の部屋それぞれにオイルヒーターが置かれていたが、とにかく部屋全体が温まるのに時間がかかる。目に触れないようヒーターに目隠しがされていたから、そのせいもあって余計時間がかかるのかもしれない。
 ――確かあそこに入った時には、部屋はすでに暖かかった。
 そんなことを思い出し、剛志は慌てて家に戻った。
そうして暖まるのを待っていたら、約束の時刻が近づいてしまう。
とにかく着ていたジャケット、コートを脱ぎ捨て、代わりに厚手のニットとダウンジャケットを慌てて着込んだ。さらにニット帽を目深に被って、門柱のところで三十六歳の彼が現れるのを待つことにする。
やがて見覚えのあるスーツにコートを羽織って現れ、ニット帽の剛志はそのまま門の外に出て行った。
 確かあの時、自分はまっすぐ離れに入って、それから一時間は出ていない。だから離れに入った頃を見計らい、剛志は再び門から中へ入っていった。
 もちろん離れの方には向かわずに、屋敷の東側から裏手に回る。そこから離れと岩が両方見える、屋敷の西側まで必死に走った。用意していた折り畳み椅子を広げて、ただただマシンの登場だけを待ったのだ。
 なんと言っても、今日はただ見ていればいい。それでも剛志はこの時、二十年前とは比べものにならないくらいに興奮していた。それから一時間ほどが経過して、彼がコートの襟を立て、ようやく離れから姿を見せる。
ただこの段階で、彼は何かが起きるとはそれほど思っていないのだ。
だからその姿に緊張は感じられず、辺りの様子に目を向けようともしない。
 そうしていきなり、あれが岩の真上に現れる。ゆっくり地上に向かって下り始め、そうなってやっと彼も気がついたようだった。
 そこからも、何もかもが記憶のままだ。空中からスロープが現れ、あっという間に階段へと変化する。その後、智子が階段上から現れた時、もっと近くで顔を見たいと強く思った。
 しかしこれ以上近づけば、剛志の姿は丸見えだ。だから屋敷から二人が出てしまうまで、ただただじっと待ったのだ。
 そうして二人が出て行って、あのマシンだけが残された。すでにそこに階段はなく、ポッカリ浮かんでいたあの入り口も消え去っている。
 そんな光景を見ているうちに、剛志はマシンの中を覗いてみたいと思い始める。
 だがあの時、マシンが反応したのは智子だった。彼女は紛れもなく搭乗者だったし、
 ――この段階で、俺はまったくの部外者、だしな……。
 だからダメでもともとと、剛志はマシンに手を近づけたのだ。
 するとなんとも呆気なく、銀色に光り輝く扉が現れてくれる。
 そこでようやく思い出した。あの三人組が現れるちょっと前、おんなじことを考えて、剛志はその手を近づけたのだ。もしもあの時、マシンが反応していなければ、きっと違った未来になっていたはずで、反応したからこその今なのだ。
そしてあの時と同様マシンはしっかり反応し、目の前にはちゃんと階段が現れている。  
もちろん恐怖を感じないわけではない。ただ今回は、触れていけない場所は知っている。だからちょっとの間なら大丈夫だろうと、現れたばかりの階段をゆっくり上がっていったのだ。
 浮かんでいる座席に腰を下ろすと、やはり全身を包み込むように変化した。
 その時ふと、彼は思い出したのだ。確かこの足元に……そう思って下を見るが、そこにあったはずの袋が見当たらない。
 ――どうして……? 俺は、確かにあの袋をつかんで……。
 袋にあった金のおかげで、どれほど助けられたかしれなかった。
 ――記憶違いか? いや、そんなことあるわけない!
 あの金がなければ、間違いなく今の剛志はなかったはずだ。
 ――ならどうして? ここにあれが置かれてないんだ!?
 そんなことを思いながら、剛志は床に這いつくばった。しかし袋どころか、チリ一つだって落ちゃいない。これが何を意味しているか? を必死になって考えた。
 二十年前、伊藤が智子を乗せた時点で、あの革袋は置かれていなかった……?
 だとしても明日の午後には、あの袋の金はちゃんとここにあるはずだから、
 ――すなわち……それまでに誰かが、金を用意するということだ。
 そしてその誰かとは? 五十六歳になっている剛志本人しか考えられない。
 ただ今回は、あれに乗って過去に戻るのは智子の方だ。だから、金なんか用意する必要はないだろう。そう思い、安心しかけたのもほんのつかの間。
 突然、雷に打たれたような衝撃とともに、急転直下の疑念が思い浮かんだ。
 ――ちょっと待て!
 ――ちょっと待て!
 ――ちょっと待て!!
 彼は思わず立ち上がり、首だけ捻って外の景色に目をやった。
 ――二十年前だって、五十六歳の俺はいたはずだ。なのにどうして、三十六歳の俺が過去に行くのを止めなかった?
 もしかしたら、それは止めなかったのではなくて、
 ――止められなかったのか!?
 全身に、怖気が走った。
 彼が三十六歳の時、ここに五十六の自分だって絶対にいた。そいつは今の自分と何もかも一緒で、当然考えていることだって同じだろう。
 智子を元の時代に戻そうとするのが、今、この場にいる自分だけってはずがない。
 ――くそっ! どうしてこんなことに、今まで気づかなかったんだ!
 どんなものかはわからないが、きっと何かが邪魔をする。
 もしかしたら明日の朝までに、剛志が死んでしまうってこともあるだろう。
 死ぬまで行かずとも、事故に遭って病院にでも担ぎ込まれれば、あの三人を阻止するものはいなくなってしまうのだ。その結果、金目のものすべてこの時代に残したまま、あいつは一文無しで向こうの時代へ行くことになる。
 ――ではいったい、俺はこれからどうすればいい?
 昭和五十八年発行の一万円札なんか持っていけば、偽札だと思われて大騒ぎになるだろう。
 以前、どこかで聞いたことがあったのだ。
紙幣の寿命は意外と短い。千円札なら一年二年で、高額紙幣でも、五年以上流通し続けるのは珍しいことらしい。
 そんな短い寿命なのに、二十年以上流通している紙幣だけをかき集めなければならない。
 それも四百万近い金額をだ。
 そんなことが、明日までにできるか?
 そのような不安を感じる一方で、剛志はなんとかなるんじゃないかとも思うのだ。
 ――過去の自分ができたんだから、この俺にだってできるだろう。
 革袋が置いてあったということは、五十六歳の剛志が用意できたということになる。素直にそう考えて、思いの外スムーズにいくだろうと剛志は思った。
 ところがだ。事はそう簡単には進んでくれない。
 もっと古い時代の紙幣であれば、古物商とかに問い合わせればいい。
しかし発行年だけが問題で、それ以外は普通に流通している一万円紙幣と変わらない。となれば、あっちこっち探し回るくらいしか手がないだろう。
 ――どうする? どうしたらいい? 明日朝一番、銀行に行って相談してみるか?
 と、そう思った途端だった。


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