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作品名:ロング・ロング・ラブ・ストーリーズ 4度目のさようなら 作者:杉内健二

第41回   第6章  1983年 プラス20 – 始まりから20年後 ・ 2 大いなる勘違い
2 大いなる勘違い



 もしも顔中を覆った髭と、オレンジ色のメガネがなければ、きっと弟の方の小柳氏は、こんな感じを思ったのかもしれない。
 ――児玉バイヤーの父親? いや、それにしては、少し若すぎるか……。
 あまりに似ているその顔に、小柳社長はきっと何かを感じただろう。しかしさすがにこの変装では、児玉剛志と似ているとさえ思わなかったに違いないのだ。
 あの日、唯一の失敗といえば、帰りが遅くなったことくらい。それでも幸い、節子の機嫌は悪くはならず、その翌日も朝早くから、二人して庭の農作業に精を出した。
「庭の端っこで、少し野菜とか、作ってもいいかな?」
 結婚して一年くらいが経った頃、剛志は節子にそう聞いたのだ。
 すると彼女は嬉しそうな顔を見せ、なんとも意外な言葉を返してきた。
「あら、どうせならもっと田舎に引っ越して、二人でちゃんと農業でもやらない?」
 そんな答えは、どうせ冗談だろうと思っていたし、剛志にしたってここを離れるわけにはいかないのだ。
 ところが実際始めてみると、節子は剛志以上に夢中になった。数年で庭園の半分近くが畑になって、だいたいの野菜は購入しなくて済むようになる。
 この頃では、採れた無農薬野菜を使った料理教室が大評判で、どこで聞きつけてきたのか新聞社の取材までが舞い込んでくる。ただそれを、節子は頑なに受け入れようとはしなかった。
「これ以上生徒さんが増えちゃったらね、お野菜足りなくなっちゃうじゃない? それに日本のマスコミって嘘ばっかりだから、わたし、取材なんて受けたくないのよ。特に新聞なんか、自分たちに都合のいいことや、日本の悪口しか書こうとしない輩が多いんだから……」
 などと、取りつく島も一切ない。
 確かに生徒が増えれば、それだけ必要な野菜の量は増えるだろう。
 しかしここのところ、知り合いに配るくらいじゃ足りなくなって、ご近所にできた老人施設に無償提供しているくらいなのだ。
だから少しぐらい生徒数が増えたからって、実際のところどうってことはない。
 ただ本当に、彼女のマスコミ嫌いは相当だった。ワイドショー的なテレビはもちろん、週刊誌でさえ読んでいるところを見たことがない。
 ――ここまでの財を築いたんだ。きっと昔、よっぽど嫌な目にでも遭ったんだろう。
 それはどんなことだったのか? はたまた財産を築き上げた経緯など、剛志はこれまで一度だって尋ねたことなどないのだった。
 実際、具体的な資産内容も知らなかったし、剛志も言ってみればそこそこの資産家だ。
 しかし彼の場合は節子と違って、自ら汗水垂らして稼いでいない。元はと言えば伊藤か誰か、未来から来た人間の金から派生した財だった。
 だからこの際、すべてを節子に預けよう。そうすることが自然に思え、その管理一切を頼めないかと節子に向かって申し出た。
 最初驚いていた節子の方も、結局は彼の希望を受け入れてくれる。
それからは、何か買いたい場合は節子に頼んで金を貰った。生活費の管理なども、金に関わることすべてを彼女がきちんとやってくれる。
 すると不思議なもので、二人にあった遠慮のようなものがこれを境に小さくなった。
 さらにこの頃から、節子は剛志をしょっちゅう旅行に誘うようになる。あっちこっちからパンフレットを取り寄せ、彼にどこがいいかと聞いてきた。
「せっかく日本人に生まれたんだから、まずは日本中を知っとかないとね……」
 そんなことを彼女は言って、ひと月に一回は剛志を旅行に連れ出すようになった。
 そうして、あっという間に十年だ。国内の主だった観光地は行き尽くし、この頃ではヨーロッパ旅行などにも行くようになる。
 ただし、そんなのが問題なのだ。
剛志は飛行機が大の苦手で、長いフライトの場合は自ら留守番を申し出る。そんな時、ブーブー文句を言いながらも、節子はしっかり一人で出かけていった。
 そうしていよいよ、二度目となるあの日が、ひと月ちょっとに迫ってくる。
 そもそも、あれは自宅の庭で起きるのだ。節子がいればどうしたって気づかれるし、なんとしても外出するよう仕向けなければならない。
 ところがなんとも幸運なことに、運命の日の二日前、三月七日出発のツアーに行かないかと節子が突然言い出した。さらに目的地はフランスなんだと言ってくる。
「地中海に沈む夕日を、あなたと一緒に見たかったのに! お城が遠くに霞んで見えて、最高に素敵だってところなのよ! 今どき、飛行機が怖いとかヤメてほしいわ。ねえ、どうして八時間以上はダメなのよ」
 フランスは八時間以上かかる――だから行けないと、剛志は頭を下げたのだ。節子は呆れ顔でそんな疑問を口にするが、どう説明しようがわかってはもらえるはずがない。
 もちろん今回だけは、どんな短いフライトであっても答えはノーだ。さらに十二時間を超える長旅となれば、断るために嘘をつく必要さえない。
 あのエンジン音が聞こえてきた途端、彼の心臓は一気にバクバクし始める。そうして浮き上がった瞬間から、ずっと生きた心地がしないのだ。だから搭乗前から酒をガブガブ飲んで、できるだけ早く酔っ払って寝てしまう。
 運が良ければ節子に起こされるまで寝っぱなしだし、運悪く目が覚めても、だいたい残りは一時間くらいのフライトだ。
 そのくらいなら、また酒を飲んで我慢できないこともない。
 ところが十二時間のフライトとなれば、そんな我慢がさらに五時間続くことになる。そうそう寝ようったって寝られないし、これこそが地獄の時間となるのだった。
 そして当然節子にも、彼のリアクションなど予想できていたはずなのだ。となれば、きっと最初から、一人で行ってもいいくらいに考えていたんだろうと思う。
 結果、ツアーには節子一人が行くことになり、あの日は剛志がひとり留守番となる。これ以上ない塩梅に、剛志はホッと胸をなでおろしていたのだった。
 そうしてさらに、あの日からひと月と二日前のことだ。その日はよく晴れ上がった月曜日で、節子は料理教室の生徒たちと温泉旅行に出かけていた。
 帰ってくるのは二日後の夜。一人残された剛志が、そろそろ畑に出ようかなどと思っていた頃だった。
 そんな時に突然、最近替えたばかりの電話が電子音を響かせる。彼は足早に電話のところまで駆け寄って、妙に軽い受話器を手にして耳に当てた。
「もしもし、岩倉でございますが……」
 そう言って、いつものように相手の声を待ったのだ。
「突然すみません。わたくし、児玉と申しますが……」
 そこで思わずハッとして、受話器を握る指に力が入った。さらに続いた言葉によって、彼は一瞬パニック状態に陥ってしまう。
「……実は、少し聞いていただきたいお話がございまして……」
 これ以降、慌てふためいて何を話したのか覚えていない。ただ水曜日だという記憶はあったから、明後日であれば何時でもいいと伝えたことだけは間違いない。
 ――あれは、同じ週の月曜日、じゃなかったのか……!?
 初めて岩倉邸を目にしたのが日曜日だった。
 そしてその翌日の月曜日、会社の会議室から岩倉氏の家に電話をかけた。
 剛志はこれまで、あの日を三月七日≠ネんだと思っていたのだ。ところが電話のあったのは二月の五日で、あの緊張の一日はそれから二日後の二月七日≠フことだった。
 こんな大事なことを、剛志はこの瞬間になってやっと知った。
 ――くそっ! どっちも水曜日だからか……。
 奇しくも三月、二月とも、どちらも七日は水曜日だった。
きっとそんなことで、いつしか勘違いをしてしまったか……?
 ――ということは、あの電話もそうだったのか?
 伊藤と智子のことを聞いてきた、奇妙な電話によって伊藤との約束を思い出した。
 ――あれも二月、だったんだ……。
 そして明後日には、三十六歳の剛志がこの家までやって来る……。
 ただ、髭は思い通りに伸びているし、幸い伊達メガネも手に入れたばかりだ。
 思い返せばあの時、剛志はずいぶん緊張していた。それでもあのくらいの緊張は、人生で何度も経験済みだし、待っているのが自分だなんて露ほども思っちゃいないのだ。
 しかし、今度ばかりはぜんぜん違う。
 剛志はすべて知っていて、若かりし頃の自分を相手にやりきらねばならない。そんなことを想像するだけで、あの頃以上にカチカチの自分が容易に想像できるのだった。


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