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作品名:ロング・ロング・ラブ・ストーリーズ 4度目のさようなら 作者:杉内健二

第40回   第6章  1983年 プラス20 – 始まりから20年後 ・ 1 髭と眼鏡と……真実と
第6章  1983年 プラス20 – 始まりから20年後 

 

剛志は交通事故に遭い、なんと、九年近くも眠り続けてしまうのだ。
そしてその入院中に、同世代の女性、岩倉節子と出会い、
彼は新たな決意を心に刻んだ。

 
   
1 髭と眼鏡と……真実と


彼にとって、かなり久しぶりの銀座だった。三十六歳の頃まで通っていた銀座、つまり剛志にとって二十年前の街並みが、何も変わらないまま目の前にある。
 こうなって思い返せば、あの頃は大まかな景色しか見ていなかった。
 ちょっと脇に入ると目に入る、昔ながらの定食屋、大通りから一本外れないと見えてこない情景など、彼はその頃そんな景色をまるで知らない。
 ――どうしてあの頃……あんなに余裕のない生き方をしていたんだろうか?
 楽しみといえばビデオ鑑賞くらいで、休日もきちんと休むのは月に二、三度という感じだ。
 スズメの涙ほどの給料で、よくもまあ、あそこまで一生懸命働けたものと、剛志は最近事あるごとに思うのだった。
 当然今この時も、もう一人の自分はおんなじ生活を続けている。
もし、自分のように過去へ行くのを防いでしまえば、この時代の剛志はそんな生活を変えることなく生きるだろう。
 どっちが、幸せか? 何度そんな自問自答を繰り返したかしれない。
 しかし答えはいつも同じで……、
 ――やっぱり、過去に戻るなんてのは、どう考えたって不自然だ。
 さらに過去に戻った剛志は事故に遭い、結果九年近くを棒に振ってしまうのだ。
 忙しかろうがなんだろうが、眠りっぱなしよりゃいいだろう。
だからなんとしてでも阻止したい。そんな決心を胸に抱き、彼は眼鏡専門店を目指して銀座の街を歩いていた。
 あの日が、ひと月ちょっとに迫っているのだ。だからそれまでに、記憶にある眼鏡を手に入れねばならない。それでも髭だけは、だいたいいい感じになっていて、
「それじゃどう見たって浮浪者だわ。誰もカッコいいなんて見てやしませんよ、ねえ、あなた、そこんとこ本当にわかってる?」
 節子から、何度こんな言葉を聞かされたか知れない。
 きっと、彼女の言う通りなのだ。そしてさらに、頰から顎全体を覆っているこの髭は、普段の生活にも大なる影響を与えまくった。
 だいたい飲み食いがやたらし辛い。わかめの味噌汁を食せば、ちょっと油断すると髭にわかめが張り付いてくる。何を食べるにしても気遣いが必要で、髭に付着する何かを見つけては、節子は大笑いしながら様々なことを言ってきた。
「あなたはね、そりゃ、ものすごくいい男ってわけじゃないわよ。でもね、わたしが結婚しようと思ったくらいにはまあまあ≠ネんだから、何もわざわざ、そこまで隠そう隠そうとしなくてもいいんじゃない? それとも、誰かに見つからないように、してるとか?」
 この瞬間、剛志は正直ドキッとした。
 ある意味まったくの図星で、それでもそうだと言い返せるはずもない。
 ただとにかく、目指した眼鏡店でメガネフレームはすぐ見つかった。
べっ甲の中で、もっとも高級だと言われるオレンジ色の白甲をいくつか選んで、その中で一番太めのデザインに決める。ところが鏡の前で掛けてみると、どうにもまだまだ物足りない。
 ――やっぱり、目は口ほどにものを言う、なんだな……。
 だからと言って、まさかサングラスってわけにもいかないから、とりあえず薄茶色のレンズにしてもらうよう店員に頼んだ。
 そうして目的のものを手に入れ、彼は銀座の大通りでなんとはなしに思いついた。
 ――あそこは今、どうなっているんだろう?
 銀座から日比谷線で小伝馬町に行って、小柳社長の会社があった場所はどうなっているか、ふと、彼は知りたいと思ったのだった。
 掘っ建て小屋からスタートし、元の世界では立派なビルを建てていた。
ところがなぜかこの世界では、起業から一年保たずに廃業へと追い込まれている。ただ不思議なのは、たとえミニスカートが売れなくても、商売はいくらだって続けられたということだ。
 あのスカートは最小ロットの生産で、せいぜい百着くらいしか作っていなかった。普通ならその程度のことで――家賃や借金がないのだから――いくらなんでも倒産などしないだろう。
 なのにこの時代の小柳社長は倒産どころか、行方不明にまでなったらしい。
 結果、生きているか死んでいるのかさえわからないままだ。だからこそ余計に、あの場所のことを強く知りたいと思うのだろう。そして銀座同様、小伝馬町もまさに記憶にあるままだった。
 ――どうして!? どうしてあのままなんだ……?
 遠くにそれらしい建物が見えて、一気に心臓の鼓動も速くなる。
 行方不明だった社長が戻ったのか? それとも噂自体がデタラメだった?
 次から次へと疑問が浮かぶが、どれもこれも現実的ではない気がする。
 変わらずに、ビルはそこにあったのだ。
 見覚えのある建物がそびえ立ち、社名もロゴデザインも記憶にあるそのままだ。
 剛志は会社の前まで走って、荒い息のまま二十階建てのビルを見上げてみた。しかしどうにも記憶通りで、あとは中に入って確かめるしかない。だからそのまま一階にあるショールームに入っていき、その先にいる受付嬢へドキドキしながら声をかけた。
「小柳社長にお会いしたいのですが。わたし、彼の古い知り合いでして、千駄ヶ谷時代にお世話になった者だとお伝えいただければ、きっとおわかりになると思います」
 さらに岩倉ではなく、名井という名を受付嬢に言づけた。
 この時点で不審がられていないから、少なくとも社長は小柳というのだろう。
であれば、ここはあの会社だろうし、もしかすると意外とすぐに、小柳氏は舞い戻っていたのかもしれない。
 そして案の定、彼はあっさり最上階へ上がることを許される。
それから社長室の扉が開かれるまで、剛志の期待は膨らんでいた。小柳氏は今一度チャレンジし、本来あるべき未来を取り戻していた。そんなふうに想像したが、扉が開いたその瞬間、真実はまるで違っていたと思い知る。
 顔が、ぜんぜん違ったのだ。
「あなたが名井さんなんですね! いやあ、これはなんという驚きだ! ようこそおいでくださいました。さあ、そんなところにいらっしゃらないで、どうぞどうぞ、こちらにかけてください。今、お茶を出させますから……」
 そこまで一気に口にして、
「いや、お茶はやめましょう! もし、お時間があるなら出ませんか? いや、なくても是非、今日はわたしに付き合ってください」
 さらにそう言ってから、男はデスクに置かれた受話器を手にする。すると待ち構えていたように相手がすぐに出たらしく、
「お客様と外出するから、駐車場に車を一台回してくれ」
 視線は剛志に向けたまま、社長であろう男はそんなことを口にした。
 もちろん時間はいくらでもあったし、何よりちゃんとした真相を知りたかった。
 だから言われるままに頷いていると、それから十分足らずで、いかにも高級そうな小料理屋に連れて行かれる。好き嫌いはないかと問われて、特にないと答えたところで和室の襖がスッと開いた。現れたのは板前らしき老年の男で、聞けばこの店の主人だという。
 きっと、よほどの上客なのだ。そんな印象をたっぷり見せて、二人のやりとりがササッと終わった。ビールの注文と、あとは「いつもの感じで……」と口にして、彼は真剣な顔を剛志へ向ける。
「実は名井さん、わたしはあなたのことをずっと探していたんですよ。どうしても一度お目にかかりたくて、あなたの住んでいた世田谷のアパートを見つけましたが、そこにはもう、あなたは住んでいなかった」
 きっとその時にはすでに、剛志は病院に担ぎ込まれていたのだろう。
 それからの短い間、飲み物が運ばれてくるまでに剛志は何度も衝撃を受けた。
 彼はそこで改めて自己紹介し、続けて亡くなったという兄について話し出した。そしてその人物こそが、剛志の記憶にある酒の弱い方、だったのだ。
「兄は、あなたの企画したミニスカートを、一万着以上生産していたんです」
「どうして……そんな量を?」
「きっと、絶対に売れると信じていたのでしょう。ところがまるで売れなかった。あなたがお辞めになった後、彼なりにいろんなところに売り込んではいたようです。しかしどの小売店も、あんな短いスカートが売れるなんて思ってはくれない。それはそうですよね。膝小僧なんて丸出しで、身長によってはさらにその上だって出てしまうんだから……」
 ところがある日、突然銀座のデパートから電話が入ったらしいのだ。
「兄はね、取引先に自宅の番号を伝えていたんです。たまたま家にいたわたしが電話に出ましてね、サイズは他にあるかって言うんで、わたしは事実を正直に伝えたんですよ。そうしたら、各色各サイズ十着ずつ送れって言ってくる。まあその時は、正直半信半疑でしたよ。まさか、いたずら電話か? なんてことまで考えましたから……」
 もちろん、いたずらなどではなかった。さらにそれから一年ほどの間に、有名どころのメーカーが次々とミニスカートを扱い始める。
「最初はね、発送を工場で対応していたんです。ああ、そうそう、実はわたしの叔父が福島で縫製工場をやっていましてね、兄はそこに縫製の発注をしていたんです。だから受注した叔父が怒っちゃって大変でしたよ。工場に積み上げられた製品の写真を送りつけて、いつまで預かっていればいいんだってカンカンでした。兄は叔父に生地屋から直接生地を買わせていたんで、その支払いだってけっこうな額になりますから、まあ当然といえば当然ですよね」
 そこまでは、目の前のグラスを見つめながらの声だった。
 ところが急に顔を上げ、剛志の顔をじっと見つめた。
「だけどそんな時、いきなり銀座から追加注文が入って、それから徐々に、他からも新規の注文が入り出すんです。きっとね、名井さんが最初に売り込んだ場所がよかったんでしょう。なんと言っても銀座ですからね、日本中の業界人が注目している。そしてなんたって、あの有名な歌手があれを着てテレビで歌ってくれて、それがもう、まさに決定打でしたよ……」
 ミニスカートはあっという間にブームとなって、当然その頃には他社からも、似たようなスカートが次々と発売された。
「そのおかげで、叔父の工場は大きくなりましたし、わたしも兄の会社を復活させて、まあなんとか……今日に至っているというわけです」
 それもこれもミニスカートのおかげだと、彼は何度も頭を下げて、剛志の両手を握りしめた。
 この男こそ、元の時代で世話になっていた小柳社長だったのだ。
会社を立ち上げたのは兄の方で、さらに噂にあったように、倒産のショックで失踪したなんて話も嘘っぱちだ。
「突然、血を吐いて倒れたんです。だから会社は休眠状態にして、嫌がる兄を無理やり入院させたんですが、その時にはもう、完全に手遅れでして……」
 それからもう一人の小柳は、たった三ヶ月であの世に旅立ってしまったらしい。
 その後も、ほとんど小柳社長が喋って、剛志はずっと聞き役だった。ただ時折、剛志が疑問などを声にすると、彼はそのほとんどを否定の言葉で返すのだ。
「いやいや、名井さんがいらっしゃった頃には、兄はもう病気だったと思います。もしかしたら彼自身それに気づいていて、だから焦って、あんな大量にオーダーをかけたのかもしれません。ただどちらにせよ、すべては、彼自身の判断ですから……」
 だからあなたに罪はない。そう言われて、剛志はそれでもポツリと言った。
「でも、わたしがミニスカートの企画など持ち込まなければ、彼はもう少し長く、生きていられたんじゃないでしょうか……?」
「ただそのおかげで、兄の会社もここまでになったんです。だからきっと今頃は、あっちで大威張りしていると思いますよ。ほら見ろ! だから売れるって言ったんだ……、なんてことを言いながらね」
 弟の方はそう言って、人差し指で天井を指差し、ニコッと笑った。
 結果、剛志はそこそこ酔っ払って、店を出たのは日も暮れかかる頃となる。もちろん会計は小柳氏持ちで、剛志は何度も頭を下げて彼の車を見送った。
 元の時代でも世話になって、今回もある意味彼のおかげで救われた。
 彼が会社を引き継いでなければ、この先もすべてを知らないままだったろう。失踪したのは自分のせいだと思い続けて、ミニスカートを目にするたびに心乱れていたかもしれない。
 結局、剛志は時期を間違えたのだ。
 そもそも東京オリンピックの年に、大流行するなんてのが大間違いだった。
 実際はその翌年の暮れぐらいからポツポツと売れはじめ、大ヒットするのはさらにそれから数年後のことだ。
 ただとにかくこの日本では、ミニスカートを最初に企画したことには違いない。
さらに言うなら、もし返品漏れがなかったら、あの大歌手はミニスカートを穿かなかったか? それとも多少の時期ズレはあっても、やはりあれを身につけて新曲を披露したのか……?
 まあなんであれ、きっと何も変わらないのだ。
 一点だけあったという返品漏れも、一万着以上という発注数も決まっていたことで、そんなこんなぜんぶひっくるめて今がある。
 それでも、もしもう一度、あの時代に戻れるなら、今度こそちゃんとやれると思うのだ。
 なんとしても正一を説得し、病院で精密検査を受けさせる。もちろん交通事故にだって遭わないよう気をつけるし、小柳社長のことも同様だ。
しかしそうするにはマシンが絶対必要で、もう二度と、戻れないからこその今なのだ。
 店を出てからそんなことばかり考えて、ふと気づけば人形町辺りまで歩いてきてしまった。
 ――いかん! 早くしないと、夕飯に遅れてしまう。
 最近節子は、自宅で料理教室まで始めていた。
そんなだから当然のように、何も言わなければ手の込んだ手料理を用意してくれる。もちろん先に食べたりしないから、あんまり遅くなるのはどうしたってまずい。腕時計を見れば、すでに五時を回ろうとしている。
 彼はそんな認知の後すぐに、営団地下鉄、人形町駅に向かって全速力で走っていった。


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