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作品名:ロング・ロング・ラブ・ストーリーズ 4度目のさようなら 作者:杉内健二

第29回   第4章  1963年 プラスマイナス0 - すべての始まり ― 4 二人の苦しみ
    4 二人の苦しみ

「おい! そこで何をしている!?」
 そんな警官の声が聞こえた時、剛志はすぐに智子のことを思ったのだ。だからマシンだけは二十年前に戻そうと決めて、一か八かの勝負に出た。
 これを元の時代に返してしまえば、智子に戻ってくるチャンスが残る。
 あの時、彼女もあの出来事を見ていたはずだ。だから無防備のまま出て行かないだろうし、男たちもまだ智子に気づいていなかった。後はあの連中が、消え去った剛志やマシンにどの程度興味を持つかだが、見ず知らずの庭園に長々居座るほど馬鹿ではないだろう。
 となればマシンが戻った意味を理解して、さらに操作方法を間違えたりしなければ、彼女はもうとっくにこの時代に来ているはずだ。
 だから今頃急に智子が現れて、あの辺りは大騒ぎになっている。そうなって心配なのは、あのマシンの存在が知られてしまうことだけだ。
 ――頼むぞ、誰も気づかないでいてくれよ……。
 気づかれないうちにさっさと乗り込み、昭和五十八年に戻ったらすぐに百年後にでも送ってしまう。そう心に念じながら、剛志はあの林入り口に立ったのだ。すると思った以上あちこちに、立ち入り規制テープが張られている。これで入り込もうとするならば、
 ――捕まえてくれって、言っているようなものだよな。
 なんてことを素直に思った。
 それから来た道を少し引き返し、昔フラフラになって駆け込んだ一軒家を目指す。家はすぐ見つかって、あの時とは段違いの慎重さで敷地内に入り込んだ。
 ただ今回は、やたら広い庭には向かわずに、裏庭から林側の塀の方へ回り込む。それから以前も使ったテーブルに乗って、まんまと林の中に下り立った。
 幸いそこに規制テープなどはなく、見回す限り人影も見えない。時計がないので正確にはわからないが、空の感じから一、二時間で日没というところだろう。
 だから行けるところまでとにかく行って、あとは日没をじっと待つ。暗くなってしまえば、きっとなんとかなると思うのだ。
 腰を屈め抜き足差し足、剛志はあの空間目指し進んでいった。そして難なく、警官に取り押さえられたところまで到着する。この先に広場のようなところがあって、警官がうようよいるのがはっきりとわかる。剛志は腰をさらに下げ、両手をついて顔をグッと低くした。その体勢のまま顔をゆっくり横に向け、視線の先にある木の根っこに手を伸ばす。
 人の腕くらいある大木の根っこが、ちょっとした窪みを作っていたのだ。そこに腕まで突っ込んで、ゆっくり何かを引っ張り出した。
 現れたのは、マシンで見つけた革袋。剛志は慌てて中を覗き見る。すると札束はちゃんとあって、フッと安堵の吐息を漏らすのだ。
 あのマシンが戻ってなければ、彼はどうしたってこの時代で生きねばならない。こんな大金が置かれていた理由も気にはなるが、なんにせよ、とことんありがたい話には違いない。
 あの時、彼はとっさにこれを隠して、万一の時のために備えていたのだ。
 それからブルゾンジャケットへ革袋を無理やり押し込み、そのままの体勢でジッと待った。
 しかしすぐに腕が疲れて、音を立てないように地べたにゴロンと横になる。すると上を向いた彼の顔を、誰かが突然覗き込んだ。
 当然剛志は驚いて、慌てて起き上がろうとするのだが、
「動くな! 今動いたら見つかるぞ!」
 力のこもった小さな声で、男が肩を押さえてそう言った。

「ちょうどあの時、わたしら夫婦も警察に呼ばれてね、だからここで、あんたのことを見てたんだ。あんたがとっつかまってさ、両脇を抱えられるようにして林から出て行くのをね。まあ、俺の方は、警察に何を聞かれたってわからねえしさ、母ちゃんを先に帰して、何か見つからないかって、わたしだけこの辺をうろうろしてたんだ。そしたらさ、またあんたがいるじゃねえか……最初はまさかって思ったよ。でもさ、どう見たってあんただしよ、あんたさ、あんなところにいたら、また捕まっちまうんじゃないかい? それに、まさかだけど、本当の犯人ってわけじゃないんだろう? でもよ、もしそうだったらさ、俺には正直に打ち明けてくれないかな……」
 力無い笑顔でそう言ってすぐ、彼は「冗談、冗談」と言って否定してみせた。
 そうして剛志からゆっくり視線を外し、
「うちのせがれがさ、実は今、大変なことになっちまってるんだ……」
 そうポツリと口にして、再び剛志を見つめて吹っ切るように言ったのだ。
「まあさ、人を殺すような輩かどうかくらい、普通はひと目見りゃ、だいたいがわかるってもんなんだよな。それなのに警察ときたら、よりにもよってうちの息子を犯人扱いしやがって。どうしてあいつが、智子ちゃんをどうにかしなきゃならないってんだ? まったく、どいつもこいつも、阿呆ばっかりだぜ……くそっ」
 だから、人ごとのようには思えなかった。
 彼は林から出るなり、これまでのいきさつをざっくり説明してくれた。そうしてとりあえず、うちに来て休んだらどうかとまで言ってくれる。
 もちろん顔を見た途端、誰だかすぐにわかっていた。だからきっと、ずいぶん間の抜けた顔をしていたと思う。そんなのが余計に、彼の親切心に火を点けたのか……ただ、とにかくだ、
 ――十九年前に死んだ父親が、今、ピンピンして目の前にいる。
 そう思って最初は、確かにずいぶん驚いた。それでもすぐに冷静になれたし、不思議なくらい動揺などしなかったと思う。もし、この場にいたのが母親だったら、きっと少しは違った感じになったのかもしれない。なんと言っても母親の死から、たった四年が過ぎ去っただけだ。
 さらに彼の話しぶりから察するに、やはり智子は戻っていないらしい。
 ――智子が現れるまで、この辺りから離れるわけにはいかないな……。
 そんな思いを剛志は胸に、父親の申し出を素直に受け入れることにした。
 家までの道をドキドキしながら歩き、遠くに我が家が見えた時だ。彼はそこで初めて、昭和三十八年にいるんだと心の底から実感する。
 暖簾は出ておらず、開店前の店から入った。すると母、恵子が正面の厨房で何かしている。
 そんな姿を目にしてやっと、剛志の心は微妙に震えた。そうしてすぐに、
 ――まさか俺だって、わからないよな……?
 などと思うが、母親の方もまるで剛志だと気づかない。
 あの頃は坊主だったし、顔もずいぶんと丸くなった。しかしそんなこと以上に、目の前の中年が息子だなんて思う方がきっと馬鹿げているのだろう。 
 それから両親二人は、剛志がつきまくった大嘘を、不思議なくらいなんの疑いもなく受け入れた。家はどこかと尋ねられ、剛志はとっさに言ったのだ。
「実は昨日、東京に出てきたばかりでして、住むところがまだ決まってないんです。この辺りなら、きっと家賃も安いだろうとウロウロしていたら、いきなりあんなことになってしまって、ホント、まいちゃいました……」
「そうか、そりゃ大変だったなあ。でもホント、なんだかさ、あんたを見てると、人ごとって気がしないんだよ。現場にいたからって犯人扱いされてよ。まったく、ニッポン人ってのも地に落ちたもんだぜ……。さあ、飲んだ、飲んだ! とりあえず今日のところは、飲んで嫌なことなんて忘れちまった方がいい!」
 そう言ってコップ酒をあおる正一は、剛志の年齢とたった十しか離れていない。
「うちの息子もね、きっと明日くらいには無罪放免ってやつですよ。だから今日のところは、遠慮なく泊まってってください。同じ事件でこうなるなんて、ホント、他人事じゃねえし……」
 きっとろくに寝ていないのだ。あっという間に酔っ払った正一が、突然そんなことを言ってきた。そしてさらに、疲れ切った顔をして、四十にもならない恵子も夫の言葉を受けて言う。
「そうですよ、どうぞ、どうぞ、汚いところですけど、遠慮なさらずに……」
 そうして彼は、昭和三十八年での最初の夜を、育った家で迎えることになった。
 正一の寝間着を借りて、懐かしい自分の部屋で横になる。すると記憶通りに正一のイビキが筒抜けだったが、以前とは違ってまるで腹など立たないのだ。
 剛志はその夜、恵子が酒を口にするのを初めて目にした。
 小さなコップに冷や酒半分程度だが、それだけで恵子はすぐに真っ赤になった。彼女は後半ずっと涙目で、酔っ払った正一の話にただただ耳を傾けていた。一方、正一の方も酔いつぶれる寸前に、「くそっ、くそっ」と呟きながら、今にも泣き出しそうな顔をした。
 普通なら、決して出くわすことない光景だ。
 当然、心配しているとは思っていたし、恵子には早く無罪なんだと伝えたかった。
 ところが実際、まさかこんなにまでとは思っていない。あの頃、自分のことだけで精一杯で、両親の気持ちを思いやる余力を持ち合わせていなかった。
 さらにそんなところは、大人になった今だって同じようなものなのだ。
 明日の晩、釈放されたと知るまで続く二人の苦しみを、彼はこれまで考えてもみなかった。
 三日目となる夕暮れ時、釈放されて警察署を出ると、恵子が神妙な顔で出迎えてくれた。
 照れ臭そうに歩み寄ると、「よかったね!」と声にしてから優しい笑顔を見せたのだ。それから二人は肩を並べて、長い道のりをほとんど喋らないまま歩き続けた。
 そうして店の前に立った時、恵子がやっと口を開いて、剛志に向かって言ったのだ。
「ちゃんと、父ちゃんにただいまって言うんだよ」
 それだけ言って、彼女は店の引き戸をゆっくり開ける。すると宵の口だというのに、店内は知った顔でいっぱいだ。みんながみんな嬉しそうで、口々に釈放を祝って大きな声をかけてくる。
 ところがだった。正一は一向に剛志の方に近寄ってこない。
なぜか一番奥のテーブルで、見知らぬ男と話し込んだままだ。だから剛志の方から近づいて、言い付け通りにちゃんと言った。
「ただいま、帰りました」
 すると正一はチラッとだけ視線を向けて、「おお、おかえり!」とだけ言って返す。
 その後すぐにご近所さんらに囲まれて、半ば無理やり剛志はビールを飲まされるのだ。その夜がそんなだったから、正一がここまで心配しているなんて思わないまま生きてきた。
 ――本当に、申し訳ない……。
 そう歳の離れていない両親へ、剛志は心の底から初めて詫びる。そしてここにいる間くらい、せいぜい両親に優しくしようと心に誓った。
 そうして翌日の朝、用意してもらった朝食を済ませて恵子に深々頭を下げた。
「ご主人が起きていらしたら、ありがとうございましたとお伝えください。それから、今日はお店を開けるとおっしゃっていたんで、お礼も兼ねて、今夜お店の方に顔を出すつもりです。それから、息子さんのことですが、きっと近いうちに無罪が証明されて、晴れて釈放ってことになりますよ、絶対、そうなりますから……」
 だから気を落とさないでと言いながら、心では何度も今夜釈放されるからと声にする。
 ただ、そう言ったところで安心などしないだろうし、実際に釈放されれば妙な勘ぐりだってされかねない。だからそのくらいの言葉だけ告げて、また夕方顔を出そうと剛志は決める。それからすぐに児玉亭を後にして、バスに乗り込み二子玉川へ向かった。
 バスを降りるとすぐ目の前に、懐かしい二子東急と二子玉川園がある。もちろん元の時代にだってちゃんとあったが、智子がいなくなってからは一度たりとも訪れていない。
 そしてここから少し歩くと、確か裏通りに小さな旅館があったのだ。
 記憶違いでないことを祈りながら、少し歩くとやっぱり旅館はちゃんとある。
 彼は旅館の中に入っていって、「ごめんください」と声をかけた。すると着物姿の中年女性が現れる。懐に用意した一万円札を二枚取り出し、剛志は軽い感じで女性の前に差し出した。
「しばらくこちらで厄介になります。まずはこれだけ預けておきますので、宿賃が足りなそうになれば、いつでもそう言ってください」
 そうなれば、いくらでも出すと言わんばかりにそう告げた。すると女将らしい女性は目をまん丸にして、剛志の手にある紙幣を穴の開くほど凝視する。
 突然現れたと思ったら、優にふた月以上の宿賃と来たもんだから、
「あの、うちじゃ大したお構いもできません。もしあれでしたら、電車で渋谷まで出られますと、もう少しちゃんとしたお宿がございますが……」
 そう言って、剛志の顔を覗き込んだって不思議じゃない。
 ただ彼としては、そんなところに行くわけにはいかないから、
「普通でいいんですよ。朝食だけ用意してもらえれば、あとはただ寝に帰るだけですから……」
 そんなふうに続けて、
「あ、もしかして、前金二万じゃ足りませんか? もう二万か三万、なんなら預けておきましょうか?」
 ちょっとした遊び心でそんなことまで言ってみる。すると女将は両手を広げて、
 ――いえいえ、めっそうもない!
 まさにそんな感じの顔をした。
 それから彼は、大井町から溝の口まで開通していた大井町線に乗って、自由が丘乗り換えで渋谷まで足を伸ばした。
 最初は玉電で行こうと考えたのだ。ところがどれくらいかかるかわからない。夕方五時には児玉亭に行きたいし、だから剛志の時代には、田園都市線と呼ばれている東急線に乗り込んだ。
 これから日に日に暑くなる。そんな中、着た切り雀ってわけにはいかないし、下着や靴下の替えだって必要だ。二子に高島屋ができる前だったから、剛志は渋谷に出てから東急百貨店で買い物をした。さらに母、恵子には、春らしいスカーフと大福まんじゅう、正一へはさんざん悩んだ挙句、一万円もするジョニ黒を奮発する。
 ずいぶん昔、彼がまだ小学校に通っていた頃だ。
 たった一度だけ、父親が剛志に言ったことがあったのだ。
「剛志、おまえがいっちょ前になったらさ、目ん玉が飛び出るほど美味いウイスキーを一緒に飲むんだからな。絶対に下戸なんかになるんじゃないぞ! わかったな!」
 その頃、下戸がどんな意味なのかわからなかった。それでも嬉しそうに話す正一に、なぜかワクワクしていたのを覚えている。
 だからって、一万円は高すぎないか? ジョニ赤でも十分だろうなどと悩んだくらいで、彼の買い物はあっという間に終了する。昼食をとってから旅館に帰っても、児玉亭へ五時には余裕で間に合いそうだった。だから行きに諦めた玉電に、彼は乗って帰ろうと即決する。
 まるで映画を見ているような景色の中を、路面電車が走るのだ。瀬田の交差点から二子へ下っていく辺りでは、なぜか無性に目頭までが熱くなった。
 あと五、六年すれば、玉電はすべて廃線となる。線路や駅は消え去って、いずれ古びた建物や養鶏場なんかも跡形もなくなってしまうだろう。
 そして何より、正一はその頃すでにこの世を去って、元の時代なら恵子だって墓の中だ。
 そんなことを心に思い、今という時にいる不思議を今さらながらに噛みしめた。


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