6 タイムマシンと乱入者
あと少しで正午という頃、二人は再びあの場所にいた。 ところがだ。岩の前に立ったはいいが、すべきことがわからない。 確かに、目の前には何かがあった。顔を左右に動かしつつ見れば、そこだけ景色が歪んで見える。陽の光のせいなのか、さらに五、六メートルも離れれば、球体という形までがちゃんとわかった。 「さて、参ったな……どうやったら出てくるんだろう?」 知らぬ間に消え去った入り口、そこから伸びていた階段はどうやったら現れるのか? 「あれって、気がついたら消えていて、知らないうちにまたすぐに現れた。もちろんわたしは何もしてないし、伊藤さんが何かしたのかもしれないけど、わたしには、それがなんだったのかわからない。でもきっと、何か、してたはずよね……」 剛志の疑問にそう返し、智子はゆっくり岩の周りを歩き始める。そうして剛志の真反対に立って、少しだけ大きい声で言ってきた。 「こっちからでも、そっちがちゃんと見えるのね。ここから剛志さんがいるのがはっきりとわかるわ。でも、実際より少し遠くにいるような感じかな。じっと見ていると、ここに水が浮いているって感じがしない? 透明な液体が浮かんでて、それを通して見たら、きっとこんな感じじゃないかしら?」 智子はそう言ってから、前にある何かに向け、恐る恐る手を差し出した。 もちろんそんな姿は剛志からも見える。彼女の指先がゆっくりと、揺らめきながらこちらを向いた。すると次の瞬間だ。 ――出た! 出たぞ! 思わず口に出そうになって、剛志は慌てて心の中だけでそう叫ぶ。 智子が指を近づけた途端、ほぼ同時というくらいに現れたのだ。 四角い銀色の板がフッと浮かんで、あっという間に溶け出すように形を変える。そのまま地上三十センチくらいにまで伸びてきて、やがて昨日と同様階段になった。 「智ちゃん、出たよ、出た!」 剛志はなぜか小さな声で、智子にその出現を知らせようとする。しかし声は智子に届かず、それでもそんな変化は彼女の目にも映っていたらしい。 「どうして? 剛志さん、何をしたの?」 慌てて戻ってきた智子も、剛志の耳元で囁くようにそう聞いてくる。 「いや、僕じゃない。きっと、智ちゃんだって」 「え、わたし、何もしてないよ」 「さっき、こっちの方に手を向けただろ? きっとあれだよ……」 「でも触ってないよ。確かに手は近づけたけど、ホントに触るなんて、怖いもの……」 しかしそれでも、あれは彼女の存在を知ったのだ。 智子の話では、伊藤は智子を抱きかかえたまま乗り込んだという。搭乗者が一定の距離に近づくと、自動で入り口が出現するようになっている。そうすれば、両手が塞がっていても乗り込めるだろうし、智子は実際、伊藤に続く、れっきとした搭乗者なのだ。 そして時間移動が終わったら、黙っていても出口は開く。智子の話からすればそんな感じが想像できるし、とりあえずこれで、中の様子を見ることはできるが……、 ――記憶された人間以外が乗ると、爆発するなんてこと、ないだろうな……? そんな恐怖を感じながら、剛志は恐る恐る階段一つ目に足をかけた。 幸い、心配を裏切るしっかりした階段で、揺れもしなければ滑りもしない。あっという間に天辺まで上がって、難なく不思議な空間に入ることができる。 すると智子が言っていたように、すぐに空間全体が明るくなった。 しかしどこを見回しても照明らしいものはなく、どうやら壁そのものが優しい光を放っているようだ。見事に殺風景な空間で、唯一その中央に椅子らしきものは確かにある。 ところが見たところ、どうにも座り心地は良さそうじゃない。階段に変化したやつとおんなじ物質なのだろう。碁石を大きくしたようなのが銀色に光って、なんの支えもなくポッカリ空間に浮かんでいる。 ――こんなものに、本当に座れるのか? そんなことを思っていると、不意に背後から声が聞こえた。 「それ、座るときっと、形が変わるんだと思うわ」 外から顔だけを差し入れ、智子が真顔でそう言ってくる。 正直、座るだけでも怖かった。それでもやるしかないと、意を決して浮かんでいるものに尻を載せる。するとその感触を尻に覚えた途端だ。予想を遥かに超える変化が起きる。 サラッと尻を撫でられた気がして、頭から足裏まで何かが一気に纏わりついた。 言ってみれば、飛行機のファーストクラスにあるような座席を、左右からグッと細くしたって感じか……身体にぴったり密着している割に、フワッとしていて圧迫感がまるでない。そんなのが後頭部から足先までを包み込み、なんともいい感じで気持ちいいのだ。 もしもこんな状況じゃなければ、さぞかし快適な気分でいられたろうと思う。 とにかくこれがタイムマシンなら、これこそが時間旅行のための座席で、その前方には操縦桿やら計器類があるはずだ。 ところが目の前には何もなかった。丸みを帯びた銀色の壁がただあって、やはりうっすら光を発しているだけだ。もし、テレパシーとかで動くのであれば、なんであろうとここで完全にお手上げになる。ならば、伊藤にそんな力があったのか? ――いや、他に何かあるはずだ……。 百年先の未来だろうが、人間にテレパシーなんて力が備わるわけがない。 彼はそう確信し、上半身を少し浮かして前方の壁に目を向けた。それからさらに、顔を前の方へ突き出したのだ。するとその動きに合わせるように、いきなり目の前にボードのようなものが現れた。見れば壁の一部がせり出して、手を出せばすぐ届くくらいにまで伸びている。 ――これだ……これがそうなんだ。 一目見てそう感じられたのは、まさに思い当たる数字があったからだ。 言ってみれば、小さな勉強机でも飛び出したという感じ。 銀色の壁からせり出した平面に、「00000020」という八桁の数字が浮かび上がって見えるのだ。 ――これが、二十年なんだ! このまま始動させれば、それだけ未来に行ってしまう。そこは二十年後の世界で、すなわち昭和七十八年ということだ。ただし、そんな未来に行ってしまうなら、この時代に残った方が智子にとっては幸せだろう。 それにもし、ノストラダムスの大予言が当たってしまえば、人類にはあと十六年しか残されていない。そう考えればだ、二十年後の未来なんて、そもそもその存在自体が怪しいものだ。 それではいったいどうすれば、過去のあの日に戻れるのか? そう考えれば考えるほど、不思議に思えてくるのだった。これが思う通りの数字であるなら、 ――同じ日、同じ時刻にしか行けないってことなのか? 八桁では、年号などを入力してしまえば、どうやったって時刻までは入れられない。 ――となると、異なる単位を使うってことか? 例えば今から二十年と一日なら、二十に365日を掛けて、さらに二十四時間をその数字に掛けるのだ。そうして出た数に、さらに一日分の二十四を足すと、175224という正数がはじき出される。そんなのを入れる可能性もあるが、それなら今、表示されている「20」という数字はどういうことか? きっとこれは、出発する年の同じ時刻、同じ場所にしかいけないのだ。 ただ、そう決めつけたとして、未来にだけってのはどう考えても不自然だろう。 智子は依然中には入らず、心配そうな顔で階段から様子を見守っている。 そんな彼女は、昨夜確かにこう言ったのだ。 「わたしのすぐ前で伊藤さん、背中を向けて何かをしてました。何をしてたのかは見えなかったけど……そう、ほんの十秒とか、そのくらいだったと思います」 そして伊藤は何かをし終えて、すぐにそこから出て行ってしまった。となればきっと、このボードの数字を前にして、何かしていたに決まっている。 その結果、この空間は二十年未来にまで運ばれた。だから過去に戻るには、切り替えスイッチのようなものがあるはずだ。それとも単に、八桁の数字をマイナスにでもするか? そんなことを考えながら、彼は恐る恐る左端ある数字に触れてみた。 すると黒い数字が0からスッと1になり、触っただけさらに数が増えていく。 9までいって0となり、そんな変化はその隣でも、またその隣でもまったく同じ。 0から9まで循環して、いくらやってもマイナスにはならない。なんともスムーズに数は変わるが、依然過去への設定はわからないままだ。 それから剛志は、前方の壁を徹底的に触りまくった。 さらに椅子を叩いてみたり、足踏みしたりして、 「過去に戻る! 二十年バック! トエンティ! パースト! パースト!」 思いつく言葉を次から次へと声にした。 ところが何をやっても反応がない。とうとう半ば投げやりになって、 ――どうすりゃいいんだよ! こんな感情いっぱい指を数字に押しつけたのだ。 するとなんとも呆気なく、数字の色が瞬時に変わった。 浮かび上がっていた黒い数が、すべて一気に光り輝く白になる。 タイムマシンが起動した! そんな恐怖に身動きできず、彼はただただ目の前の数字を心に刻む。 00001960……。 ――1960年も先に、地球はあってくれるのか!? そんな思いとともに目を閉じて、剛志は全身に力を込めた。
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