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作品名:ロング・ロング・ラブ・ストーリーズ 4度目のさようなら 作者:杉内健二

第23回   第3章  1983年 プラス20 - 始まりから20年後 ~ 5 過去と未来(3)
寝室は智子に使ってもらって、剛志はリビングのソファーで横になる。
 申し訳ないと渋る智子へ、剛志は笑いながら声にしていた。
「最初はちょっと戸惑うかもしれないけど、まあ、話の種に寝といたらいいよ。智子ちゃんもいずれ、ベッドで眠るようになるんだろうから……」
 この時不覚にも、剛志はあまりに大事なことを忘れ去っていたのだ。
 ああ、あれはしまっておかなきゃな……と、一度は強く思ったのに、すっかり忘れて智子を寝室に通してしまう。
 普段剛志は寝付くのに、そこそこ時間がかかる方だった。加えて衝撃続きの一日だ。だから一睡もできないくらいのことを覚悟していた。
 ところがその夜、横になってすぐウトウトし始める。きっと想像を超えた出来事に、神経が高ぶる以上に疲れ切ってしまったのだろう。
スッと意識が薄れるのを感じて、あ、眠れる! と思った時だ。
 誰かが自分の名を呼んだ? ストンと意識が呼び戻される。
 被っていた毛布を引っ剝がし、顔を起こして慌てて辺りに目を向けた。
 その瞬間、剛志の思考は凍りついてしまった。
 智子が、すぐ目の前にいた。消したはずの明かりが点いていて、足元から彼を見下ろし立っている。その顔は怒りに満ちて、同時に泣き出しそうにも見えるのだった。
 ひと月くらい前からなのだ。
 伊藤との約束を果たした結果、三十六歳の智子が現れるかもしれない。
 ――彼女はいったい、どんな女性になっているだろう……?
 そんなことが気になって、彼は十数年ぶりに古びたアルバムを引っ張り出した。
 ところがいくら眺めても、現在の智子の姿が想像できない。それでも彼は毎晩のように、何度もそのアルバムを手に取った。
 そしてついさっき、智子を寝室に案内した時だ。それがそのままベッドに置かれているのに気がついた。当然アルバムには二人で写っている写真だってある。そんなものを見られたら、この中年は剛志なんだといずれ気づいてしまうだろう。
 十六歳だった剛志が二十年経ったらこんなふうになる。そんなことを知っているなんて、二十年前の自分が知ったらどんなに嫌かと思うのだ。
 だからここまでくれば、そんな事実を知らないまま帰したい。
 それなのに……、そう思っていたのに……。
 智子は呆気なく、本当のことを知ってしまった。
「剛志……さん、なの?」
 そんな震える声がして、剛志はソファーの上で跳ね起きた。
 すると二人の視線が絡み合い、途端に智子の表情が大きく変わる。怒った顔が一瞬で歪み、そのまま一気に剛志のそばまで歩み寄るのだ。
 最初は、意味そのものがわからない。目の前まで迫った智子が手を伸ばし、いきなり剛志の前髪をかき上げた。熱を診る時にするように、おでこに掌が押し当てられる。そのまま乱暴に押し上げて、当然剛志の額は露わになった。
 その瞬間、智子の顔から力が抜けた。と同時に掌も力なくストンと落ちる。
 この時こそ、剛志は違う何かを言うべきだった。
ところが口を衝いたのは意味不明だろう言葉ばかり。
「違うんだ……」
 きっと、何も違わない。
「いや、そうだけど、でも、違うんだって」
 ――騙そうとしたわけじゃないんだ!
 心だけでそう続け、慌てて立ち上がろうとした時だ。
「おやすみなさい」
 呟くようにそう言って、智子がくるりと後ろを向いた。
そのまま寝室に駆け込んで、バタンと扉を閉めてしまった。
 智子はきっとアルバムを見て、真偽の行方を確かめようとしたのだろう。そして剛志の顔をじっくり眺め、そうだと知ってショックを受けた。
 ――でも、あれはいったいなんだったんだ?
 そんな疑問を思うまま、彼は右手を己の額に持っていった。
 するとあまりに呆気なく、忘れ去っていた凹凸をその手に感じる。
 ――ああ、そうだったのか……。
 あっという間に、脳裏に記憶が蘇ってきた。
 彼女にとっては、つい五、六年前の出来事だ。ところが剛志にしてみれば、さらに二十年という歳月がある。見た目にはほとんどわからないし、最近では意識さえしたこともない。それでも触れれば僅かだが、肉の盛り上がりを知ることができた。
 小学三年生の春だったか秋だったか、長袖を着ていたので夏ではなかったと思う。
 智子と再会したあの事件こそ、ある意味すべての始まりだった。
 さっき改めて剛志を見つめて、きっと似ているくらいのことは感じたろう。さらに傷痕を知って初めて、目の前の中年が剛志であると確信したはずだ。
そして明日の朝、智子の態度がどうなるか、それに合わせて剛志が対応するしかない。
 そう考えて、彼は再び眠ろうとするが、今度はいつも以上に寝付けなかった。

「結婚は、してるの?」
「いや、してない。未だ、独身……」
「三十六歳なんでしょ? その歳で結婚してないなんて変じゃない……あ、もしかして、離婚したの?」
「離婚? 離婚なんかしてないよ……結婚も、離婚もしてない……」
 はっきり言って寝ぼけていた。
 だからこの後もいろいろと聞かれたが、うまい具合に答えられたか自信がない。
 やっとのことで眠りについて、二時間くらいが経った頃か……、
「ねえ、起きてください!」
 そんな声が響いて、剛志は慌てて飛び起きたのだ。
すると目の前に智子が立って、いきなり結婚してるかなどと聞いてくる。そして剛志同様、きっと彼女も寝ていないのだ。赤い目をした智子は「起きろ」と言って、睨みつけるような目を剛志に向けた。
そうしてさんざん質問を受けてから、剛志は顔を洗ってコーヒーを淹れた。智子をソファーに座らせて、頭で必死に考えながらおおよそ真実を告白する。
 どうして剛志であると隠したか? あの庭に居合わせた経緯は何か? など、智子の両親について以外は本当のことを話していった。
 その間、智子はずっと不機嫌だ。相槌どころか剛志と視線も合わさない。
 ところがだった。あの事件の核心について話し出した途端、智子の顔色が一気に変わった。と一緒にそれまでの厳しい態度も潮が引くように消え失せる。
「……結局、僕は三日間留置場に入れられてね、もし、あの写真が送られてこなかったら、本当に、殺人犯にされていたかもしれないよ……」
 そう言って笑う剛志に、智子は目をまん丸にして、口だけをパクパクと動かした。
「だからね、その写真に写っていた男から、伊藤さんは逃げてたんじゃないかって思うんだ。どんな理由によってなのかはわからないけど、とにかく結果的に見つかって、彼はあの場所で殺されてしまった。もしかするとさ、火事からっていうより、そいつから遠ざけたんじゃないかな? そのために、智子ちゃんのことをあそこに入れた……とかさ。そしてその時、運悪く手違いが起こって、君はこの二十年後に来てしまう。この辺は想像ばかりだから、本当のところは、よくわからないんだけど……」
 昭和三十八年と1938年。こんな勘違いのような単純ミスで、今こうなっているのかもしれない。もちろんそうであっても不思議はないが、まるで見当違いだっていう可能性も十二分にあるだろう。
 さらに剛志が話したどれよりも、智子は伊藤の死がよほどショックのようだった。
 男の振り下ろしたひと突きで、智子を救おうとした伊藤があの林で死んでいた。そんな事実は一瞬にして、剛志への怒りを小さなものにしてしまったようだ。
 そうして伊藤の死を知ってから、智子の態度は大きく変わった。
「今にも、死にそうだって時に、伊藤さんは……わたしのことを必死になって、伝えてくれたのね。そして剛志、……さんが、あの日わたしを追ってきてくれなかったら、わたしは今頃、この時代でたった一人っきり。きっと昨日のマンションを目にして、自分が狂ってしまったと思ってるわ。そして、今頃は警察? ううん? 違うな……きっと精神病院とかに入れられちゃってるかもしれない。とにかくわたしは、伊藤さんと剛志さんのおかげで、今、こうして自由でいられるってこと、なのよね……」
 そう言ってから、智子は暫し押し黙った。それから大きく息を吸い、俯き加減だった顔を剛志に向けて、そうして彼女は深々頭を下げたのだった。
 そしてとにかく、自分より、子供だくらいに思っていた剛志が、いきなり三十六歳で現れた。となれば一時、その接し方には戸惑ったりもするはずだ。
 ところが案ずるより産むが易しという感じだろうか?
 それからは、剛志くん≠ェ剛志さん≠ノ変わった以外、まるで昔の二人に戻ったような感じとなる。多少言葉遣いは丁寧ではあるが、それだって昨日までとは大違いだ。
剛志に対する感謝の気持ちが、そんな態度となって表れたのか? とにかく智子は、剛志の説明がひと区切りついて、今度は一気に剛志のことを質問ぜめにした。
 わたしがいなくなった後、いったいどういう人生だったか?
 大学には行ったのか? 仕事は何をしているんだと聞いて、剛志が大学名を声にした時、智子の喜びようこそ凄まじかった。
「すごい! 一流大学じゃない! そうでしょ? やっぱりな! 剛志くん頭がいいって思ってたんだから、わたしはずっと前からね〜」
 嬉しそうにそう言われ、剛志はなんとも気恥ずかしい。
「そんなことないって、それにあの時、合格したって日の夜にね、アブさんが店で言いまくってたよ。合格だって聞いてさ、地震と雷、いや、大雪だったかな? とにかくさ、俺のせいでそんな災難が一気に起きるからって、さんざん言いたいこと言って、店の酒飲みまくってたよ……」
「アブさんね……。きっとアブさんだって嬉しかったんだよ、アブさんらしいじゃない? そんな言い方するなんて。でも、あの人たちって、今頃どうしてるのかな……?」
 次から次へと……智子の質問が止まらない。
 剛志はそんな問いかけに、みんな元気だなんて返しつつ、
 ――またフナさんの店に行って、みんながどうしてるか聞いてみないといけないな……。
 なんてことを心でこそっと思っていた。


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