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作品名:ロング・ロング・ラブ・ストーリーズ 4度目のさようなら 作者:杉内健二

第20回   第3章  1983年 プラス20 - 始まりから20年後 ~ 4 十六歳の少女(2)
「それじゃあ、あれからもう、二十年も……経ってるんですか?」
 途切れ途切れにそう続け、すがるような目を剛志に向けた。
 雑誌などの裏表紙には、編集人やら発行人と一緒に発行年月日も記載される。
 知っている雑誌のそんなのを見れば、きっと智子も信じるだろう。そう思った通りに、彼女は今ある現実をすぐ受け入れた。
 それでも二十年という年月だ。十六年しか生きていない智子にとって、それはあまりに長くて突飛な時間だったろう。
「二十年……」
 再び、そう呟いたと思ったら、手にあった雑誌をいきなり顔にあてがった。
 その手がみるみる震え出し、すぐに小さな嗚咽を漏らし始める。これには剛志も大慌てだ。店を出てからにすべきだったと思ったところで、今となっては遅すぎる。
慌てて彼女の肩に手を置いて、
「智子ちゃん……」
 この日初めて、もちろん二十年ぶりに彼女を名前で呼んだのだ。
 すると途端に、智子の嗚咽がピタッと止んだ。懸命に堪える様子を見せて、ジッと動かず数秒間が経過する。やがて智子の顔から雑誌が離れ……、
「もう、大丈夫です……ごめんなさい」
 そう言いながら、必死に作った笑顔を剛志に向けた。
 それから剛志は、夕食用に握り飯とカップラーメンを少し多めに購入する。駅に戻ってタクシーを拾えば、二十分ちょっとで自宅マンションのはずだった。
 ところがコンビニを出てすぐに、智子がコソッと言ってくるのだ。
「あの……ご不浄って、この辺にありますか?」
 この時、このご不浄≠理解するのに、ひと呼吸ほどの時間がかる。それでもなんとかトイレのことだと思い出し、再び智子を連れてコンビニの中に入っていった。
 思えばずっと、智子はトイレに行っていなかった。そしてふと……、
 ――もし、洋式だったら、智子は用を足せるだろうか?
 そんなことが気になって、確認すべきだったと後悔しながら店を出る。
「おい、ロリータ野郎」
 そんな声が聞こえたのは、店を出てから一秒経ったかどうかだろう。
そこで初めて、そう広くない道の反対側に、三人の男たちが座り込んでいるのを彼は知った。三人が三人とも煙草をくわえて、それぞれ別々のアルコール飲料を手にしている。
 一目でガラの悪い連中だとわかるのだ。きっと暇に任せて宴会でもしていたか、空になった瓶や缶やらが所狭しと転がっている。
 ――こいつら、ずっとここで飲んでたのか……。
 となればきっと、店内にいる智子のことも知っている。
 ――だからロリータ野郎、になるわけか……。
 と、そこまでささっと考えて、剛志は慌てて視線を外した。それから何事もなかったように、三人から背を向けコンビニ店内へ目を向ける。
 ところがそんな剛志を、彼らはそう簡単には解放しない。
「おいおい、無視すんじゃねえよ、ジジイ!」
 さっきよりいくぶんすごみを増して、そんな言葉が投げかけられた。
 ジジイ? 俺はそんなに年寄りじゃない! スッとそんな言葉が思い浮かぶが、そう返してしまえば、タダでは済まないのは火を見るより明らかだ。
 だからとことん無視を決め込み、出てきた智子とさっさとこの場から引き揚げよう。そう思っていたのに、そんな希望はあっという間に消え去ってしまった。
 「年相応のババアじゃよ〜、もの足りねえってのかよ〜?」
 続いて響いたそんな台詞は飴細工のように粘っこい。
「公衆の面前で、あんなガキとイチャイチャしやがって、これからあのお嬢ちゃんと一発か……いいねえ、羨ましいなあ〜、ぜひ、俺たちも交ぜてくんないかなあ? ねえ、いいだろう? お願いだからさあ〜」
 そこまでは、なんとか冷静だったと思うのだ。
 ところが次のひと言で、剛志の感情は一気に揺れる。
「あいつ、けっこうおっぱいデカかったよな」
 ずっと黙っていた一人がそう言って、もう一方がさらに淫靡な言葉で智子について声にした。
この瞬間、冷静さが木っ端みじんに崩れ去る。彼らの前まで駆け寄って、最後に言葉を発した男の頬を力任せに引っ叩いた。
 まずい! 叩いてしまってすぐ思ったが、逃げ出すわけには絶対いかない。
 当然三人一気に立ち上がって、剛志の前に立ち塞がるような感じとなった。
 そこで初めて、コンビニからの明かりが正面から当たる。
 そうなってやっと、男らの姿が剛志の目にもはっきり映った。
 世を拗ねた不良程度の若者ではなかった。そんな時代などとっくに過ぎて、まさにチンピラと呼ぶべき存在だ。普段から、こんなイチャモンしょっちゅうつけて、あわよくば金を巻き上げようって輩だろう。
 剛志の反応がよほど嬉しかったに違いない。叩かれていない方の二人を見れば、嫌らしいくらいに口角を上げ切っている。一方、剛志に叩かれた方は、逆に微塵も笑ってなかった。
 きっと普段、叩かれることなどないのだろう。予想外の出来事に、睨みつける眼球はすごみを増して、怒りのせいか顔下半分が妙にピクピク震えている。
 こうなったらもうどうしようもない。殴り合いなどしたくはないが、かと言ってやられっ放しはもっと嫌だ。剛志はすぐに覚悟を決めて、提げていたコンビニ袋を足元に置いた。
 その時一瞬、男から視線が外れた。剛志の顔が下を向いて、男はその一瞬の隙を見逃さない。
 ガツン! まさにそんな衝撃だ。
剛志は地面に吹っ飛んで、すぐに何かがおっかぶさった。
目の前は真っ暗。だからそれがなんなのかもわからない。
それだって、味方じゃないことだけは確実だ。それより何より……、
 ――素人、じゃない……。
 ここまで強烈なパンチを、剛志は食らったことがない。
 ボクサー崩れか、もしかしたら空手の有段者なのか……? 
そこまで思って、やっと剛志の視界に光が戻った。慌てて目を見開くと、まさに男が剛志の腹に乗っている。このままではやりたい放題ボコボコだ。だからなんとしても起き上がろうと、とっさに握り拳を振り上げたのだ。
ところが相手に届くより前に、男の拳が側頭部を直撃。
首がゴキッと音を立て、視界が再び真っ暗になった。
 その瞬間、ああ、こりゃダメだ……。確かそんなことを思ったと思う。続いてトイレにいる智子の身を案じ、頼む、出てくるな! そう念じた途端だった。
 さっきとは反対側に、もう一発が襲いかかった。口いっぱいに錆びた鉄の味が広がって、ハウリングのような音が頭の中で木霊する。
このまま次が振り下ろされれば、呆気なく彼の意識は消え失せたろう。そして意識が戻った時には、きっと智子もどこかへ消え失せている。
 ところがだ。次の衝撃がなかなか来ない。それどころか腹辺りの重みが気づけば消えて、剛志は止めていた息をフッと吐いた。耳鳴りはひどく、頭の中でガンガン音が鳴っている。
 そんな中それでも、彼は恐る恐る目を開けたのだ。
 何が、起きた? そう思うまま、懸命に上半身を起こし首をひねった。
 するとこの時、男たちは剛志をまるで見ていない。三人とも離れたところに立って、直立不動のままコンビニ店内に目を向けている。
 もちろん、何が起きたかわからなかった。
 ただ、彼らの向ける視線の先に、手を振る智子は見えたのだ。
 その少し前、智子は最初、剛志が店内にいると思っていたらしい。だからトイレから表には向かわず、しばらく剛志を探して店の中を歩き回った。
 そうしてガラス越しに剛志の姿を目にした瞬間、彼は一発目のパンチで吹っ飛ばされる。
続いて大柄な男が馬乗りになって、智子もこれがどんな状況なのかを一瞬にして理解した。だから、躊躇することなく大声をあげる。
「誰か、警察を呼んで! あの人を助けてください!」と叫びながら、通りに面したガラス窓を力いっぱい叩き続けた。
 そんな大騒ぎに、見守っていた二人がまず気がついたのだ。
「まずいって、あんなんで通報されたら、あっという間に警官が来ちまうよ。ここ、駅の向こうっ側すぐに交番があるんだ!」
 こんな投げかけに、馬乗りの方の反応は素早かった。
 何事もなかったようにスックと立って、コンビニの店内を一瞥する。その後一度も剛志には目もくれず、仲間と一緒にさっさとどこかへ消え失せてしまった。
 それから剛志は、あちこち痛むのを必死に堪え、コンビニ店員に平謝りだ。
 幸い、店員が受話器を手にしたところに剛志が現れ、なんとか警察沙汰にはならずに済んだ。
 一方、傷の方も思ったほどではないらしく、唇が切れ、血は多少出ているが、見たところ何発も殴られたような感じじゃない。
顎の辺りがガクガクしたが、あの連中を相手にこの程度なら万々歳という気がした。
 明日になれば、きっと青痣くらいあるだろう。
 ただなんにせよ、この程度で済んだのはすべて智子のおかげだった。
「どうもあいつら、僕らを店の外からずっと見ていたらしいんだ。店から出たら、すぐにイチャモン≠つけられてね、オッサンのくせにってさ、きっと智子ちゃんがあんまり可愛いんで、この僕に嫉妬したんだろうなあ……」
 コンビニを出てすぐに、剛志はさっきの一悶着をこんなふうに説明したのだ。そして二人はタクシーには乗らず、駅向こうのバス停目指して歩くことになっていた。
 それは、タクシー乗り場で立ち止まった剛志に、智子がいきなり言ってきたからだ。
「タクシーなんてもったいないですよ。おうちは二子ですよね? じゃあバスは? あと、砧本村まで歩けば、玉電が走ってませんか?」
「え? ああ、残念ながら、もう玉電は走ってないんだよ」
「玉電、なくなっちゃったんですか? じゃあ、線路とか、駅があったところはなんになってるんです?」
「線路は道路になったり、遊歩道になったりね。あれはどうだろう? 確か、僕が大学生の頃だから、今から十五年くらい前になるのかな……最後はね、花輪の付いたのが走ったりして、中には泣いている人なんかもいたんだよ……」
 地元住民の反対運動もあったりしたが、とにかく昭和四十四年を最後に砧線はなくなった。そしてその代わり、砧本村から二子行きの東急バスが走り始める。
 中学の頃までは二人して、砧線に乗って二子にあった遊園地や映画館によく行った。
そんなことを思い出し、バスに乗ってみるのもいいかもな……と、剛志は智子の助言を受け入れようと決める。
 幸い車内はガラガラで、二人は選び放題の中から一番後ろの座席に陣取った。
 やがてバスが走り始めて、そこでようやく剛志はホッと一息ついた。
いつなん時あの三人組が現れないかと、ずっと生きた心地がしなかったのだ。
バスに乗り込んでからも、さっきの男の顔がなかなか脳裏から消え去ってくれない。長年の悪行が染みついた人相に、左の頬から耳にかけ、ピンク色に盛り上がった傷痕がある。さらに男の耳は真っ二つに裂けていて、まるで小さな耳が二つあるように見えるのだ。
もしまたどこかでおんなじ耳と相対すれば、今度こそただでは済まないだろう。
 ただとにかく、今は智子のことだった。
 男の顔を頭の中から無理やり押し出し、剛志は明るい声で智子へ告げた。
「今夜はゆっくり休んで、明日の朝一番、またあそこに行ってみよう。大丈夫、きっと元の時代に戻れるから……」
 そんな心許ない言葉でも、きっとそれなりに響いたのだろう。
 剛志が言葉を切ってしばらくすると、智子は知らぬ間に微かな寝息を立てていた。


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