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作品名:ロング・ロング・ラブ・ストーリーズ 4度目のさようなら 作者:杉内健二

第15回   第2章  1983年 プラス20 - 始まりから20年後 ~ 7 奇妙な電話
    7 奇妙な電話

 週休二日制になって間もない頃だ。
 土曜日が休日に変わっても、土日とも会社を休む気にはなかなかなれない。
 二月になって最初の土曜日、その日も剛志は都内を市価調して回り、新しい動向を見つけ出そうとファッション街を歩いて回った。しかし大した成果もないまま、有楽町で一杯引っかけ帰宅したのが夜の八時だ。
 三十代も中盤になって、歩き回るだけでドッと疲れる。それでも明日の日曜日も当然休みで、差し当たって特に出かける用事もない。となれば風呂に入って、眠くなったら寝るだけだ。
 彼は最近、最新式ビデオレコーダーを買ったばかりで、週末ビデオを借りて帰るのを楽しみにしていた。購入したのはVHSのハイファイ機。給料ひと月分が軽く消えたが、それでも自宅で好きな映画が好きな時間に鑑賞できる。毎回、映画館へ行くことを考えれば安いものと、ビデオレンタル店が近所にできたのを機に即決したのだ。
 だから今夜も店に寄って、昨年公開されたばかりのロッキー3≠ニ、新作コーナーにあった愛と青春の旅立ち≠借りようとすぐ決めた。
 その後ズラッと並んだET≠焉Aとも一瞬思うが、どうせ宇宙人だの円盤だのと、途中でばかばかしくなるに決まっている。いつも通りそう考えて、最初の二本だけを借りて帰った。
 昔っから、SFやオカルトの類が好きになれない。
 現実にあり得ないその手のものに、喜んで金を払う人の気が知れなかった。
 時間旅行や瞬間移動が可能なら、まさに事は簡単だ。そんなことがあり≠ネらば、何が起ころうと解決できるはずだろう? なのにわざとらしい不都合をなんだかんだと押しつけて、結末までの道のりをスムーズに進まないようにする。
 すなわち、わざとらしいのだ。剛志は心からそんなふうに感じて、映画だけでなく読み物についても、その手には一切近づこうとはしなかった。
 そんな彼が風呂から上がって、缶ビールを取りにキッチンに行こうとした時だ。
 リビングから、黒電話のけたたましいベル音が鳴り響き、
 ――きっと、地方の店長からだ。
 彼はすぐにそう決めつけた。
 いざという時には、いつでも電話して構わない。そんな宣言をしているせいで、休日といえどもけっこうな頻度で店から電話がかかってくる。
 ――さて、今日は何が売れすぎてお困りなんでしょうか?
 まさしくそんな軽い気持ちで、彼は受話器を手に取った。
 ところが最初、何がなんだかわからない。
 きっと本当に、忘れてしまっていたのだろう。
 それはまさしく突然で、かなり久しぶりに聞く人の名だった。
「伊藤博志はいるか? いるんだろ? 早く、あいつを出してくれ!」
 この瞬間、本当になんのことだかわからなかった。
 ところが続いた声のおかげで、一気にすべてが蘇るのだ。
「まだ、伊藤は智子と一緒なのか? 智子も、そこにいるんだろう?」
「智子って……?」
「桐島智子だ! 伊藤と一緒に消えた女だよ!」
「伊藤と消えたって、あんた、いったいなに言ってるんだ!?」
 ――伊藤博志は消えたんじゃなくて、あの日、殺されて死んだだろう?
 続いてそんな台詞が浮かび上がって、そのまま口にしかけた時だった。
「おまえ、だれだ?」
 一気にトーンが変化した。
「そっちこそ、いったい誰にかけてるつもりです?」
 馬鹿げたことを言いやがって! そんな憤りをグッと堪え、剛志はなんとか別の言葉を言って返した。
すると次の瞬間だ。
スッと息を吸うような間があって、受話器の向こう側が押し黙る。
 そしてきっと、指でフックを押さえたのだろう。
プツッという音がして、そこで電話は切れてしまった。
その後は、もちろんビデオ鑑賞どころじゃない。
剛志はまんじりともしないまま、明け方まで電話について考え込んだ。
 何度思い返しても、まるで聞き覚えのない声だ。それでもあいつは、あの事件に関わり深い剛志のところへかけてきた。となれば偶然なんかであるはずないし、何か意味があって、ああ言ったに違いない。
「伊藤はいるか?」
男は大真面目にそう言ったのだ。
さらに「智子も一緒か」とまで聞いていた。
 ――それじゃあ二人して、今もどこかで生きている?
 しかし実際、そんなことがあるはずない。智子の方はさておきだ。伊藤は血だらけになって、剛志の目の前で息絶えたのだ。
 ――まさか、あれは伊藤じゃなかったのか?
 ――いや、そんなことあるはずがない。だってあいつは、智子のため≠セと言って、あんな約束を口にしたんだから……。
 そんな自問自答を繰り返しているうち、不思議なくらい唐突に、忘れ去っていた記憶が一気に脳裏に浮かび上がった。
それは二十年間、一度だって思い出したことなどない。なのに突然、昨日あったことのように記憶の中に蘇ったのだ。

 伊藤博志という名は、彼の本名でもなんでもない。
そんなことを知ったのは、伊藤がアパートに移る前、まだ智子の家に寝泊まりしている頃だった。
「なんか変じゃないか? 名前しか覚えてないとか言っといて、歴史のこととか詳しいんだろ? 警察に届けた方がいいって、絶対!」
 己の身の上を忘れ去り、なぜかあの町を彷徨っていた。
 そんな男が智子の家に転がり込んで、それもめっぽう背が高くて若い男だと耳にする。
「だいたい、伊藤って名前だってさ、本当かどうかわかりゃしないぜ!」
 この時智子は意外にも、剛志の言葉に一切反論しなかった。
「お父さんはね、どこかの国の工作員じゃないかって言ってるわ。たとえ記憶を失ったのが本当だとしても、普通なら知るはずがないことまで話したりするんだって……」
「それじゃあ、もっとヤバイじゃないか!?」
「でもね、あの人が日本を悪く思っていないのは確かだと思うわ」
「どうして、そんなことがわかるんだよ?」
「だって遠い将来、世界の国々が例外なく、日本に感謝することになるんだって、真剣な顔して言ってくるのよ。これって、ホントおかしいでしょ? そんなこと、わたしたちが教わっている歴史からすれば、絶対にあり得ないことだと思わない? それにね、これはまだ、誰にも言ってないんだけどね……」
 二人はいつもの公園にいて、周りには人っ子ひとりいないのに、智子はそこから一気に小声になった。
「ホントおかしいの、とにかく、フッと思いついたんだって……今年の十一月に、新千円札が発行されるってこと。だからってさ、そのまま伊藤博文ってのもまずいだろうって思って、博志ってことにしたんだって。でもね、もしもよ、それが今の聖徳太子だったらさ、伊藤さん、わたしにどう言ってたんだろうね」
 などとヒソヒソ話して、
「聖徳、大造とか、かな?」
 と続けた途端、智子は大声でケラケラと笑った。
 智子と初めて会った時、とっさについた嘘が伊藤博志という名だったらしい。
 しかし、これは本当のことだろうか? とっさに姓名を思い浮かべるとして、発行されてもいない新札のことなど考えたりするか?
 今となって思えば、それはなんとも不自然としか言いようがない。
 ――あいつはもともと伊藤博文とは関係なく、実在する伊藤博志を知っていたんじゃないか?
 ――だから、迷うことなくそんな姓名を言葉にできた。
 そして実在する伊藤の方は、現在もこの世のどこかで生きている。もしもこの考えが正しければ、二十年後のあの日、何かが起こることだってあるのかもしれない。
 兎にも角にもこの不可解な電話によって、剛志は過去の約束を思い出した。
 まさしく意味不明の電話だったが、もしかかってきていなければ、剛志はあの約束を忘れたままでいただろう。
結果いつの日にか思い出して、強い後悔の念を抱くのか、それとも意外と平気でいるか、どちらにせよ思い出せたことには感謝したいと強く思った。
 そして、本当に智子が生きていたとするならだ。
 彼女は剛志と同じ、三十六歳になっている。
 となれば彼女は今、いったいどんな姿になっているのか?
 思い浮かべてみようとするのだが、浮かんでくるのは十六歳だった智子ばかりだ。
 さらにもし、あんな事件が起きていなければ、今頃自分らはどうなっていただろう?
 ショートカットで背が高く、強烈に可愛らしかった智子を思い浮かべて、剛志は何度もそんなことを思うのだ。
 はっきり告げたわけではなかったが、智子だって剛志の気持ちに気づいていたはずだ。
付き合いたいと口にしたし、普通、好きでもない女にそんなことを告げはしない。
 本当のところは、智子も剛志のことを嫌いではなかった。
 ――あいつだってそこそこ、俺のことが気になっていたはずだ……。


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