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作品名:ロング・ロング・ラブ・ストーリーズ 4度目のさようなら 作者:杉内健二

第14回   第2章  1983年 プラス20 - 始まりから20年後 ~ 6 二十年前の約束
   6 二十年前の約束

 きっとどこかに、防犯カメラが付いている。
 門の前に立ったのが何者であれ、その姿を監視できるようになっているはずだ。
 剛志は約束の時間ぴったりに呼び鈴を鳴らし、手にしている紙袋の中には、普段なら近寄りもしない高級メロン二つが収まっている。
 きっと、そんな姿の剛志が、二日前にあった電話の主だとわかったのだ。呼び鈴を鳴らしてふた呼吸したかどうかで、馬車でも飛び出してきそうに思える門がガタンと鳴った。
 驚いて半歩飛び退くと、鋼と木材を組み合わせた左右の門扉が開き始める。そこから目に飛び込んできた光景は、映像や写真でしかお目にかかったことがないものだ。
 日本風ではあるのだが、西洋の景観に合わないかといえばそうでもない。まさしく和洋折衷という建物で、土地の広さからすればこぢんまりという印象もないではないが、それでもそうそう目にできない豪邸だ。
 門から向かって右手には、林だった頃を思い出させる木々が植えられている。その反対側は手入れの行き届いた美しい庭と、家庭菜園には広すぎる畑が広がっていた。
 そしてその間を、舗装された道が一直線に玄関扉まで続いている。
 あの時、あいつは確かに、剛志に向けてこう言ったのだ。
 ――彼女のために必ず……必ずだぞ……お願いだ……。
 それが伊藤の最期の言葉で、彼女とはもちろん、桐島智子以外の何者でもない。
 だからここからが本当の勝負と腹に据え、剛志は重厚感溢れる玄関扉の前に立った。
 そこで今一度、自分の立ち姿を確認する。金持ちがすべて気難しいとは限らないが、とにかく少しでも悪い印象を与えたくなかった。だからベーシックな紺色のスーツに、最近では滅多に着ることのない白のワイシャツを選んで着ていた。
 さらに途中散髪屋にも寄って、長めだった髪の毛もばっさり切った。あとは相手に不信感を抱かれないよう、言葉と態度に気をつけるだけだ。
 そんな思いでいっぱいだった剛志の前に、男はあまりに緊張感なく現れる。
「どうぞ、鍵は開いてますから……」
 そんなのが不意に聞こえて、剛志は慌てて声のした方に目を向けた。
 すると扉の上部からビデオカメラがこちらを向いて、その脇にスピーカーらしきものが付いている。彼は言われるまま取っ手をつかみ、一度は手前に引きかけた。ところがまるで動かない。
 ――開いてないのか?
 そう思いながら、何気なく取っ手を押したのだ。するとガチャっと音がして、ほんの少しだけ扉が開いた。
 ――へえ、内向きなんだ……。
 珍しいな、と思いながら、彼はゆっくり扉を押し開いていった。
 ――どこからどこまでが、玄関なんだよ?
 ちょっとしたホテルのロビーのような空間があり、中は思った以上に西洋風の造りに見えた。
 左奥の壁伝いに二階へ続く階段があって、きっと名画であろう絵画がずらっと上まで飾られている。そこを、一人の男が下りてきた。まるでこっちには目を向けず、階段から一直線に剛志の方に近づいてくる。
 となればきっと、彼が屋敷の主人、岩倉氏に違いない。そう思って軽く頭を下げたのだ。
 ところがなんの反応もない。顔を見ようともしないまま、剛志の前を通り過ぎる瞬間「こちらへどうぞ……」とだけ声にした。
 もしもこの時、右手が前方に差し出されていなければ、その言葉の意味を知るのにしばらく時間がかかったかもしれない。
 ただとにかく、身構えていた剛志は呆気に取られ、出かかっていた挨拶の言葉を呑み込んだ。そして慌てて岩倉氏の後を追ったのだった。
 その行き先は広々としたリビングで、岩倉氏に促されるままソファーに座る。手みやげを差し出し、突然の来訪をここぞとばかり丁寧に詫びた。
 そうしていよいよ、本題を切り出そうとした時だ。
まるで降って湧いたように尿意が一気に押し寄せる。
 天気もよく、二月とは思えないくらいのポカポカ陽気なのに、それはあまりに強烈なるものだった。さらに何より、このままの状態では落ち着いて話ができそうもない。
「すみません、先にお手洗いをお借りしても、よろしいでしょうか?」
 だから思い切ってそう声にしたのだ。
 その途端、能面のようだった岩倉氏の表情が一気に変わった。
 と同時に、下向き加減の顔がビクンと動き、視線が左から右手にスッと流れる。
 それは、驚いた≠ニいうのとも少し違う……ハッとして、我に返ったとでもいうように動き、それでもあっという間に元の表情に戻ってしまった。
 ――いきなりトイレを貸せってのは、いくらなんでもまずかったかな……?
 そんな後悔を胸に秘め、五十畳はあるリビングから教えてもらったトイレに急いだ。
 やはりトイレもかなり広く、小用便器が三つもある。ちょうど胸から上辺りが大きな窓になっていて、最初剛志はそんなことにも気づかないまま立ったのだ。
 ところがホッと一息ついたところで、剛志の視線にあるものが飛び込んだ。
 その瞬間、あまりの驚きに小便していることさえ忘れ去る。思わず顔を窓に近づけ、その途端下半身にガツンと衝撃。と同時に、便器から響いていた音がスッと消えた。
 いかん! 彼は起きている事実をすぐに悟って、慌てて便器に向けてを心掛ける。
小水を出し切り、それから飛び散ったところをトイレットペーパーで丁寧に拭き取った。そうしてから今一度、小便器のないところから窓の外を覗き込む。
 すると、目の前に広がる庭園の中、やはりその中央辺りにそれはあるのだ。
 ――どうして、こんなところに?
 そう考えて、頭の中で位置関係を思い描いた。
しかし見ている先が、東か西かさえわからない。ただ唯一あれが、すぐそこにあることだけは確かだった。
 ――あの岩≠ェ、いったいなんだっていうんだよ……。
 そんな思いで見つめた大きな岩が、二十年経って再び視線の先に現れた。直径が三メートルは優にあり、地上から三十センチくらいの高さで削り取られたようになっている。
 紛れもなく、それはあの岩だった。伊藤が指差したあの時のまま、不思議なくらい周りの景観とも調和している。
 ――元からある自然を利用して、きっとこの庭園を造ったんだな……。
 そしてとにかく、一番不安だったところがこれで一気に解消された。
 あの岩自体が取り除かれていたら? そんな心配がこの瞬間に消え失せたのだ。剛志は出しきった尿と引き換えに、上手くいくかもしれないという小さな自信を手に入れる。
 実際にその後は、呆気ないくらいに一事が万事順調だった。
 まず、この辺りで起きたことだと前置きをして、あの事件のあらましをささっと説明。もちろんその場に居合わせたことや、逮捕されたなんてことには一切触れない。
 そうしておいて、剛志はいきなり頼むのだった。
「二十年前と同じ三月九日に、事件のあった場所、すなわちお宅の庭に、お邪魔させていただきたいのですが……」
 なんとかお願いできないかと続けて、剛志は唐突に立ち上がり、さらに勢いよく頭を下げた。
 ――二十年前、自宅の庭で殺人事件があった。
 そんな事実を今さらながら告げられ、イヤな顔の一つくらい見せたって普通のはずだ。
 ただ、顔の半分近くを覆っているヒゲと、かなり縁の太いべっ甲メガネ――ご丁寧にレンズまでが茶色――のせいで、表情の変化そのものがわかりにくい。
 それでも彼の態度や言葉には、嫌がる雰囲気など微塵も感じられなかった。
「ああ、その事件のことなら知っています。犯人はおろか、その場に居合わせた女の子も見つかっていないんですよね……。そうですか、そのために、あなたはわざわざ……」
 妙に感慨深げな反応をして、迷惑がっている印象など皆無なのだ。
 きっと剛志が手でも合わせて、亡くなった二人――智子が生きているとは、岩倉氏だって考えてはいまい――を偲ぶくらいに思っているのだろう。
 そしてその日の帰り際、彼はさらにこんなことまで言ってくれる。
「その日、妻は旅行でいませんし、わたしも午後から出かけて数日は戻りませんので、門扉は開けっ放しにしておきます。それから、ちょうどおっしゃっていた辺りに、小さいですが、日本風の離れがあるんです。そこは鍵など掛けていませんし、もしよかったら遠慮なく、その離れを使ってください。三月九日ならまだまだ寒い。それにもし、雨でも降っていればなお大変です。どうぞ用事がお済みになるまで、そこを自由にお使いいただいて構いませんから……」
 きっと自分に、こんな対応はまずできない。
もしも立場が逆だったなら、不審がって会おうとしないことだってあるだろう。剛志はあらためてそんなことを思い、岩倉氏に心から感謝したい気持ちになった。
 こんな人物だから、あんな屋敷に住めるくらいになったのか? 
それとも金があるからこそ、こんなにまで人に優しくできるのか……? 
どっちにしても、これ以上ないくらいにありがたい話には違いない。
 三月九日の午後三時、剛志は庭園にお邪魔する。
そして用事が済めば、そのまま帰ってしまって構わない。
 ところが、何をして用事が済んだと判断するか、実際はそれさえ不明なままだ。
 ただ少なくとも、これであの約束だけは果たせる目処がついたと言えた。

 ――二十年後、またこの場所に来てほしい。
 
あの時、伊藤は確かにそう言った。
「二十年後だ……きっかり、同じ時刻に、この場所に来て、今と、同じところから、この岩をしっかり、見ててくれ……彼女のために、必ず……必ずだ、ぞ……お願い……だ」
 息も絶え絶えだったが、死ぬこと以上に伝えられないことを恐れるように、彼は懸命にそう言い残し、さらに岩の方を指差したのだ。
 二十年経ってから、必ずあの場所を訪れる。
大学に入っても、その約束はしっかり頭に残っていた。しかし就職して実家を出た頃から、徐々に思い出すことも減っていく。
 さらに彼は入社後しばらく、直営店のある地方への転勤が続いた。その後、銀座にある本社配属となった頃には、約束そのものについて疑うようになっている。
 だいたい、二十年後のあの場所に、今さら何が起きるというのか?
 考えれば考えるほど……智子がいなくなったという苦しみから逃れたくて、己自身で作り出してしまったでまかせ≠セろう、とまで彼は思うようになっていた。
 だからここ数年はその日が来ても、あの約束を思い出すことはなかった。
 そしてこのまま何も起きなければ、永遠に忘れ去ったままでいられたのだろう。
 ところがあの夜、剛志は十何年ぶりに二人の名前を耳にした。


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