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作品名:ロング・ロング・ラブ・ストーリーズ 4度目のさようなら 作者:杉内健二

第11回   11
   3 助け舟

 昭和三十九年、十月三十一日。
 その日のうちに通夜をやり、次の日の午前中には葬式だった。
通夜は自宅でやることにすぐ決まったが、恵子が葬式も自宅でと言うと、確か、スーさんが猛烈に異議を唱えたのだ。
「ダメだよ恵子さん、こんな狭い……いや、もっと広いところじゃないとさ、絶対に弔問客で溢れ返っちまうって……」
 この呑み助、いったい何を言ってるんだろう?
 その時は、そんなふうに思ったが、今から思えば声にしなくて良かったと思う。
 ――嘘だろ……なんでだよ……?
 そんなふうに感じたのは、もしかすると剛志だけだったのかもしれない。
 とにかく、並べた椅子がぜんぜん足りない。町内会館の外まで弔問客が溢れ出し、それでも皆、ちゃんと手を合わせて漏れ届く坊主のお経に聴き入っている。
 ――どうしてこんなに? 大勢の人が……?
 少なくとも剛志以外はそんな疑問など思わずに、正一の死を心から悲しんでいるようだ。
さらにスーさんやアブさんら常連客が、見事なまでの大泣きを見せる。剛志は彼らの泣きっぷりを目にして、悲しみが吸い取られていくように感じたのを今でもしっかり覚えていた。
 そして慌ただしい日々はあっという間に過ぎ去り、これから親子二人、どうやって生きていくかという問題が残る。幸い開業時のローンはほとんど返し終わっていて、あとはミヨさんからの借金が残っているだけだ。しかし残された二人で返済していくには、二百万円という金額は実際のところ大きすぎる。
 ラーメン一杯が四十円とか五十円、サンマが十円するかしないかという時代だ。手元に残る残金を返しても、ミヨさんへはさらに百万近い大金を返済しなければならない。
「母さん、俺、学校辞めるよ。それで、店をちゃんと手伝うからさ……」
 昼の定食だけでは食べていくだけでも大変だろう。だから剛志は定食屋を手伝いながら、やきとり屋が営業できるよう準備していこうと考えた。
 ところが恵子がうんと言わない。そんなことを考える暇があるなら勉強しろと言い、
「いいかい、そんなことあの人が一番いやがることだよ。ニッポン人はね、昔っからひもじい思いをしていようが、子供だけはって、ちゃんと学校に通わせた世界でも珍しい民族だって、あんたの父ちゃんがいっつも言ってたじゃないか。それにね、桐島さんところの智子ちゃんを思えばさ、あんただって、軽々しく学校辞めるなんて言えないだろ? だからさ、あんたはね、店のことなんか心配するんじゃないんだよ」
 それからどう訴えようと、恵子は頑として首を縦には振らなかった。
 そしてその翌日から、恵子はやきとり屋の営業準備をし始めるのだ。
 正一が取引していた業者に頭を下げて、ブロイラーや様々な臓物を取り寄せる。そして定食屋が終わってから、それらをせっせと串に刺し始めた。
 ところがなんと言っても初めてのことで、なかなか上手く焼けてくれない。
それでも開店初日には、ご近所さんが次々と集まって、だいたいが焼きすぎた串焼きを文句も言わずに食べてくれた。それから毎日休まず店を開け、もともと常連だった連中も入れ替わり立ち替わり姿を見せる。
 こうなって剛志もやっと、彼らのありがたみを心の底から痛感した。
 ただ、正一の頃より単価を下げたせいで、思っていたほどの儲けにならない。それでも徐々に売り上げも上がって、やっと軌道に乗り始めた頃だった。
 ある日学校から帰ると、店の暖簾が出しっ放しだ。
もちろん定食の時間はとっくに終わり。
 ――入り口の鍵だけ締めて、しまい忘れるなんてあるだろうか?
 そう思いながら裏から入るが、家のどこにも恵子はいない。
 ――まさか、こんな時間、厨房に?
 そう考えた途端、父親のことが思い浮かんだ。
それから慌てて店に行き、剛志はそこで床に倒れこむ恵子の姿を発見する。幸いただの過労だったが、こうなればもう学校などには通えない。とっとと退学を決意して、学校帰りに恵子の入院先に急いで向かった。
 もう反対されたって構わない。今度のは相談じゃなくて報告なんだと心に刻んで、彼は病室の扉を勢いよく開け放った。
「母さん! 俺やっぱりさ……」
 と、そこまで声にしたところで、予想外の光景が目に飛び込んでくる。
 備え付けの丸椅子に、見知らぬ男が座っていたのだ。ギャング映画に出てきそうな黒いスーツ姿で、膝の上には中折れのマニッシュ帽が載っている。
言ってみれば、春に公開されたばかりのスパイ映画、「007ゴールドフィンガー」に出てくるジェームズ・ボンドのようなのだ。さらにひと目で、その身長が並外れて大きいことも見て取れる。
 誰? 上半身を起こしている恵子へ、剛志がそんな目を向けた。
 すると男は待っていたとばかりに、それでも妙にゆっくり立ち上がる。
「児玉、剛志くんですね……」
 そう言いながら名刺を差し出し、
「すべて、お母さまにお話ししてありますが、この先、何か困ったことがありましたら、剛志くんの方も遠慮なく、そこにある番号に電話してくださいね」
 そう言って、男は口角をキュッと上げた。
「もちろんそれは、どんなに些細なことでも構いませんからね。しかしまあ、ここでお会いできて本当によかった。それでは、わたしはこれで失礼します」
 そう言った後、再び恵子の方に向き直る。それから軽く一礼して、そのまま病室から出て行ってしまった。
 そうしてすぐに、彼は恵子から驚きの説明を聞いたのだ。
 昔、それがいったいどのくらい前なのかは不明だが、とにかくその頃、正一に世話になったという資産家――その時点で資産家だったかはわからない――がいた。
 そんな大金持ちが、正一の死を偶然知って恩返しをしようと思いつく。と同時に、あまり大袈裟にしてしまえば、かえって受け入れにくいだろうとも考えた。
「わたしがそうご提案したんです。ご子息の学費くらいなら、きっと奥様も、素直に受け取ってくださいますよ、とね……」
 長身の弁護士がそんなふうに説明し、剛志の学費一切を面倒みたいと言ってきた。
「それって、なんていう人なんだよ?」
「それがね、匿名だって言うのよ。まあ、本当にありがたいハナシなんだけどね……ホント、あの人も言っていたけど、学費だけだって気味が悪いわよねえ、どこの誰だかわからないなんて」
「親父が昔世話したって、いったい何したんだろう? まさか、それも聞いてないの?」
「だって、聞いても教えてくれないんだもの。でもね、あの人んちはけっこう裕福で、ああ見えて、お父さん頭よかったから、あの時代で中学まで出てるのよ。その後、本当なら旧制高校に進むはずだったのに、勝手に料亭で働き始めちゃってね、そんなんで親からもすぐ勘当よ。だからきっとね、その頃から終戦までの、十年くらいだと思うのよ。終戦後すぐ、あの人はわたしと一緒になって、その翌年にはあんたが生まれてさ、もうその頃には、他人様の世話どころじゃなくなってるんだから……」
 もしも結婚後、誰かに恩を売るようなことがあれば、きっと自分だって知っているはずと恵子は言った。となれば、尋常小学校時代のことなのか? しかしそんな大昔のことを、弁護士まで寄越してわざわざ言ってくるだろうか?
 何から何まで謎だらけだったが、約束通り翌月の一日、弁護士事務所から現金書留が送られてくる。その中には、剛志がもう二つくらい私立高校に通っても、お釣りが出るくらいの現金がしっかり収められていた。
 それからというもの、剛志は生まれ変わったように机に向かった。
具体的なことは知らずとも、正一のおかげで変わらず学校に通えている。
 一方で、一流高校に通っていた智子は依然行方不明のままなのだ。
 剛志だって正直言えば、もはや智子が生きているとは思ってない。ただ、だからこそ、今という時間をちゃんと生きたいと思うようになっていた。
 ――俺はあいつの分まで、一生懸命生きるんだ!
 不思議なくらい素直にそう思え、彼は一流と言われる大学目指して猛勉強を始める。そうして有名大学に受かったという噂は、まるで空気感染するかのようにあっという間にご近所中にも広まった。
「恵子さん! こりゃ地震と雷がいっぺんに来るぜ!」
「そうだよ! こうなりゃこの店の酒、ぜんぶ飲み干してから死ぬっきゃないね」
 いつも通りのアブさんの毒舌、そんな声に、エビちゃんがそれ以上の大声で応えていた。
 その夜の児玉亭はいつも以上に盛り上がって、
 ――まったく、なんだかんだ言って、ただ呑みたいだけなんだよな……。
 なんて思っていたのを、剛志は今でも不思議なくらいに覚えていた。
 その後も匿名の送金のおかげで、金銭的な苦労一切なしに大学を卒業。剛志は迷うことなく、智子の夢だったファッション業界の道に進んだ。
すると同時に、現金書留がピタッと送られてこなくなる。そうなって初めて、剛志は今さらながらに思うのだった。
 ――こうなってしまえば、もう匿名だなんて言ってはこないさ……。
 そんな思いとともに、彼はしまい込んでいた名刺を引っ張り出した。そしてわざわざ電話ボックスまで走って行って、ドキドキしながら名刺の番号に電話をかける。
 ところが、どこにも繋がらなかった。
 ――なんで? だって……ちゃんと名刺の住所から届いてたじゃないか……?
 現金書留には間違いなく、毎回名刺の住所が書かれてあった。
 それに手にある名刺も五年前、確かに母親の病室で受け取ったものだ。
 ――じゃあ、俺が番号を間違えたのか?
 そう考えて、彼が何度ダイヤルしても、受話器からは聞き慣れた声だけが響くのだった。
「おかけになった電話番号は、現在、使われておりません……」


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