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作品名:みんなのパタ子 作者:秋邑茨

最終回   1

    
    ひとしくんと、ぼくのこと 



 よだひとしくんとはじめて会ったのは、ぼくが生まれてから、三年あとのことです。
 ひとしくんは、ぼくのお母さんに抱っこしてもらってお家にきました。お目めがまん丸で、とても小っちゃくて、ねむっているか、泣いてばかりいるかの赤ちゃんでした。
 ぼくはお母さんのお話しを聞いて、弟ができたことを知りました。とても、とてもかわいい赤ちゃんで、ぼくはとってもうれしい気もちになりました。
 お母さんは、
「パタ子。あなたはお兄ちゃんなんだから、ひとしちゃんのことを、かわいがってね」
 とぼくに言います。
 ぼくは、お母さんにたよりにされて、ますますうれしい気もちです。
 これからぼくは、お兄ちゃんなんだから、弟をまもってあげなくてはいけません。弟を大切にして、たすけてあげなくてはいけないのです。
 ぼくは赤ちゃんひとしくんを見て、そう思いました。

 ぼくのお名前は、よだパタ子です。パタ子って、少しかわったお名前でしょ。
 そう。ぼくはお母さんやひとしくんたちとちがって、にんげんでないの。
 きっとぼくのことを知らない人もいるだろうし、知っている人でもぼくを見たら、
「なつかしいなあ、めずらしいなあ」
 っていう人がおおいと思うよ。
 ぼくはね、目ざまし時計だから。
 サンドウィッチを入れるランチボックスのような、少し横に長い、はこのようなかたちをした、おからだが赤い目ざまし時計なんだ。
「どこが、なつかしいのかって?」
 きっと、みんなのお家にある目ざまし時計は、長いはりと短いはりと、1秒2秒ってすすむ細い針がついているものか、デジタルの数字で時間がわかるものだと思うんだ。
 でもぼくは、黒い板に大きな数字が書いてあって、その板をはんぶんづつ、 「 ヨイしょ、ヨイしょ 」 ってじゅんばんにめくって、はい、 「 12:00 」 ですよって、お時間を知らせる時計なんだ。
 その板をめくるときに、 「 パタ、パタ 」 って、板がふれあう音がするの。その音を聞いているうちにお母さんは、ぼくのことを、 「 パタ子 」 って、呼ぶようになったのさ。

 きっとぼくのことを見たら、 「おもしろいね」 って思うだろうけど、むかしはたくさんあったんだよ。
 ぼくにはね、時間を知らせることのほかにも、大切なやくめがあるんだ。そのなかでもとても大切なのが、ひとしくんを起してあげること。
「 6:30 ですよ。さあ、起きてください 」
 って音を鳴らして、起してあげるの。
 ぼくがちゃんと音をならさないと、ひとしくんはお寝ぼうして、学校におくれちゃうでしょ。そうしたら、みんなといっしょにお勉強ができないし、あそぶこともできなくなっちゃうでしょ。
 だからぼくが音をならすことは、とっても大切なやくめなんだ。

 ぼくがいつも、ずっとひとしくんのお部屋にいると思っていないかい?
 そんなことは、ないんだ。
 家族みんなで旅行にいった時には、ぼくもつれて行ってくれたし、ひとしくんが大きくなってからは、ぼくといっしょに、お仕事の、 【 けんしゅう 】 で、遠くにお泊まりしたことだってあるんだから。
 けんしゅうと言うのは、お仕事をしていくためのだいじなお勉強のこと。だからその時は、ぼくはとてもきんちょうしたなあ。もう十七、八年も前のことだけど、ぼくは今も、はっきりとおぼえてるんだ。
 
 ぼくはいつもひとしくんのそばで、いっしょにすごしてきたの。なんて言ったって、ぼくはひとしくんのお兄ちゃんだからね。赤ちゃんの頃のひとしくんも、小学生のときのひとしくんも、大人になったひとしくんのことも、み〜んな知ってるんだ。
 ひとしくんは、ぼくのことをとても大切にしてくれた。だからいっしょにいられたぼくは、とてもしあわせなんだよ。



    ミミちゃんの気持ち



 パタ子とひとしくんと、お父さんとお母さんは、五階建ての団地の二階に住んでいました。
 ひとしくんが小学生になる少し前には、パタ子とひとしくんは、ふたりで同じお部屋でねんねするようになったのです。
 学校がおわったあとやお休みの日には、お友だちがたくさんお部屋に来るようになったので、パタ子もとてもたのしいお時間をすごしました。
 その頃のひとしくんは、背がぐんぐんとのびて、お友だちとお外でたくさんあそぶようになったので、お顔がまっくろのげんきな子にそだちました。

 ひとしくんが小学三年生のころにはこんなことがありました。
 ある日、ひとしくんが子ねこを抱っこして、帰ってきたのです。
 子ねこはお母さんのお手てと同じくらいの大きさの、赤ちゃんねこです。白とうすい茶いろのからだの、お耳だけが大きくてシッポの長い、子ねこでした。
 ひとしくんは、 「 みゃ、みゃあ 」、 とだけしかなくことのできない赤ちゃんねこを、抱っこしながら言いました。
 「お母さん。この子ねこを育てたいの。ぼくがめんどうを見るから、ちゃんと世話をするから、飼わせて。おねがい、飼わせて!」
 そうなんどもなんども、お願いしたのです。
 お母さんは、お仕事からかえってきたお父さんに、さっそくそうだんをしました。
 動物を育てることが、とってもたいへんなことをわかっていたお父さんとお母さんは、どうすれば良いのか、とてもまよいました。
 でも、まよったのにはほかにも理由があったのです。
 お父さんとお母さんは、いつかお別れをしなければならない時の、そのつらさを知っていたからなのです。
「ひとしが大きくなれば、お別れのつらさをきっと受けとめられるはずさ」
「子ねこを育てることで、ひとしはせいちょうするわよ」
 お父さんとお母さんは、ふたりで話しあって、ひとしくんのお願いをかなえてあげることにしました。
 そのとき、お父さんはこう言いました。
「じぶんの子どもだと思って、育てなさい。ひとしは、この子ねこの、お父さんだということを、わすれてはいけないよ」
 ひとしくんは泣きながら、しっかりとうなずきました。
 ひとしくんのその表情を見て、子ねこは安心して、 「 みゃ〜お 」 といって、にっこりしました。

 こうしてお家に、かぞくがひとり、ふえたのです。
 ひとしくんは子ねこに、 「 ミミちゃん 」 という、お名前をつけて、とてもかわいがりました。
 ごはんをあげるのも、オシッコやウンチの世話をすることも、毎日かかさずひとしくんがします。
 夜ねるときには、お背なかをやさしくなでてあげながら、いっしょのおふとんで寝んねします。
 パタ子は、そんなひとしくんとミミちゃんを見ていると、とてもしあわせな気持ちになりました。
 
 ミミちゃんは、すこやかに大きく育っていくと、げんきいっぱいにお部屋をかけまわるようになりました。
「ひとしくんと同じようだなあ」
 パタ子はそんな気持ちで、やさしく見まもっていました。
 でもその元気の良さは、エスカレートしていって、しだいにパタ子にジャレるようになったのです。
 お部屋で元気にあそんでいるときには、パタ子をけとばすようになりました。
 しばらくたって、気づいたひとしくんは、パタ子をつくえの上に置くようにしたので、パタ子は安心していました。
 でもまたしばらくすると、パタ子のことをつくえの上から、おっこどしました。
 パタ子はからだじゅうがとても痛くて、 「 えん、えん 」 と泣いていました。
 ひとしくんはパタ子がゆかに落ちているのを見て、
———ミミちゃんが、落っこどしたのかな?
 そう思って、パタ子をつくえの引き出しにしまうようにしました。
 でもそれだけで、終わらなかったのです。
 パタ子がいつものように、 「 6:30ですよ、起きてください 」 と音をならすと、ミミちゃんはパタ子に飛びかかって、お手てでパンチするようになったのです。パンパンって。
 ひとしくんはたまりかねて、
「なんで、パタ子をいじめるの」
 とミミちゃんをしかりました。
 ミミちゃんは、
「ボクはお外であそびたいの」 と答えました。
 そうだったのです。ミミちゃんは広いお外で、たくさんあそびたかったのです。お部屋のなかでは、ほんの少ししかあそぶことができません。ひとりぼっちで、さびしくて、ストレスがたまっていたのです。
 ひとしくんは、ミミちゃんを抱っこしてこう言いました。
「ごめんね、ミミちゃん。これからは、ぼくがお話しをしたり、あそんであげるから、みんなでなかよくしようね」
 ひとしくんはミミちゃんと、今までよりたくさんお話しをしたり、あそぶようになりました。そしてパタ子とミミちゃんも、なかよしになっていったのです。



    みんなのやさしいお母さん



 パタ子は、お母さんが二十一歳のときにお家で暮らすようになりました。その頃のお母さんはまだお姉さんで、ひとり暮らしをするために、目ざまし時計がひつようだったのです。
 パタ子を買ったお母さんは( ひとしくんが生まれる前までは、かおりさんって呼んでいました )、お家に帰ると、おばあちゃんやおじいちゃんにじまんしました。
「ほら。真っ赤で可愛い時計でしょ」
 おばあちゃんは目ざまし時計を品さだめするように、上から下から、横からしょうめんからと、ゆっくりと見まわして、お母さんにこう言いました。
「良い時計をえらんだね」
 パタ子はおばあちゃんが笑ってくれたので、とてもあんしんしました。
 お母さんはお仕事から帰ってくると、どんなにつかれていても、かならずパタ子をきれいな布でふきました。
今でも、 「ひとり暮らしの思い出の時計だから」 と言って、ときどきひとしくんのお部屋に行って、きれいにします。
 そうです。パタ子がいちばん長く一緒にいるのは、お母さんなのです。お母さんは、ひとしくんやミミちゃんと同じようにパタ子のことも大切にする、やさしいお母さんなのです。
 パタ子と同じように、パタパタと板をめくって時間を知らせる時計は、今はもうほとんど見かけません。
 お母さんがパタ子をえらんだから、パタ子は四十年も生きてこられたのです。パタ子はずっとしあわせをかんじながら、お家ですごしているのです。

 お母さんは、ものを大切にする人です。
 ひとしくんが生まれたころに買った、電子レンジは、三十年以上もつかっています。こんなに長くつかっている人は、なかなかいるものではありません。
 電子レンジがこわれてしまった時には、電気屋さんに持っていって、なおしもらってつかいます。
 そうじ機がこわれた時もそうです。せんぷう機の調子がわるい時には、お父さんといっしょに、なおします。フライパンも、ラジオも、テレビも、大切に使いつづけるのです。
 お家にくる人たちは、
「あら、こんな古いものを、今でも使っているの?」
 そう言って、目をまわるくする人もいます。
 そのたびにお母さんは、
「家族の生活をささえて、たすけてくれたんだから、大切にしてるの」
 そう答えるのです。
 パタ子はお母さんのやさしい気持ちが、よくわかります。だからパタ子も、ひとしくんやミミちゃんに、やさしくしてあげなくてはいけないと思っているのです。

 そんなやさしいお母さんでも、怒ることがあります。
 それは、だれかを悲しませたり、さびしい思いをさせてしまった時です。
 ある日の朝、ひとしくんは、ベランダのお花にお水をやらずに、学校に行ってしまいました。お母さんはお水をあげる係のひとしくんが、てっきりいつものように、お水をあげたと思っていました。
 ひとしくんは、学校から帰ると、げんかんにかばんをおいてすぐに遊びに行きました。そして夕方、ひとしくんが帰ってくると、お花はぐったりとしていたのです。
 お母さんはあわててお花をあたたかいお部屋にうつしてあげて、きりふきをつかってお水をあげました。
 お花は少しづつ元気になっていき、ひとしくんはとても喜びました。
 しかしお母さんは、ひとしくんにお話しをはじめました。
「お花を見てごらんなさい」
 ひとしくんはお母さんの言うことを聞いて、お花を見ました。
「お花を見て、なにか、思わない?」
 ひとしくんは、じっくりとお花を見て、こう言いました。
「元気になって良かったね。とても、きれいだね。」 
 ひとしくんが言いおわるのと同時に、お母さんはひとしくんのほっぺを、パチンとたたきました。
 ひとしくんはおどろいて、ほっぺに手をあてました。なにが起きたのかわかりません。
「ひとしにはお花がきれいに見えるの? ほんとうに、そう見えるの」
 お母さんは、怒っています。
 それよりもパタ子は、なみだを浮かべているお母さんが悲しんでいるように見えて、かわいそうだなと思いました。
「お花は水が飲めないで、ぐったりとして、よわってしまったのよ」
 お母さんはじっとひとしくんを見つめます。ひとしくんのことばを、待っているのです。
「・・・・・・」
 お母さんはなみだをふこうともせずに、じっとひとしくんがお話しし始めるのを、待っています。
「ぼくがお花にお水をあげなかったから、お花はよわっちゃったんだ」
 ひとしくんはなみだ声で、そう口にしました。
「お母さんごめんなさい。お花さん、ごめんなさい」
 ひとしくんはそう言って、えんえんと、声をあげて泣きました。
 お母さんはひとしくんのことを抱きしめて、
「もういいの。泣かなくていいのよ」
 そう言って、あたまをやさしくなでました。ひとしくんはますます大きな泣き声をあげて、お母さんにしがみつきます。
 それからのひとしくんは、ぼくやミミちゃんを可愛がるのと同じように、お口の聞けないお花さんのことも可愛がるようになりました。
 お水をあげる時には、
「のどがかわいただろ」
 とやさしい声をかけて、お水をあげます。
 雨がつづく日には、
「さむくない? つめたくない?」
 って話しかけます。
 お花が咲いたとには、
「きれいなお花を咲かせたね。ありがとう」
 そう言って、にっこりします。

 みんなのやさしいお母さんは、みんなに大切なことを、教えてくれて、みんなをやさしくしてくれるのです。



    お引っ越し



 こどもだったひとしくんも、パタ子もミミちゃんも、すっかり大きくなりました。
 ひとしくんが小学五年生のときには、団地がとりこわされ、お引っ越しをすることになりました。
 お引っ越し先は、車で一時間くらいはなれた、しんちくのマンションです。
 建てられたばかりのマンションは、お部屋が広くとてもきれいで、団地よりも背の高い、とてもながめの良いところです。
 お父さんもお母さんも、ひとしくんも喜びました。でもお引っ越しをきめる時になって、とっても大きなもんだいがあることに気づきました。
 それは、ミミちゃんのことです。
 マンションでは、どうぶつといっしょに住んではいけないと言うのです。
 しんちくマンションでみんなで住めると思っていたので、みんなとてもがっかりしました。
 でもとりこわしの工事が始まるまでには、団地を出ていかなければなりません。とても、困ったことになったのです。
「ミミちゃんといっしょに、お引っ越しをしたい」
 みんな同じ気持ちです。でも、どこかに住むところを見つけなければいけません。
 お父さんとお母さんは、ふどうさん屋さんに行って、ミミちゃんと住めるところを、いっしょうけんめいさがしました。
 でもミミちゃんと一緒に、家族みんなで住めるところは、なかなか見つかりません。
 そんな時です。お母さんのお友だちが、
「ミミちゃんといっしょに暮らしたいの。ミミちゃんを、わたしにくれない?」
 そうお母さんに、お願いをしたのでした。
 お友だちのおねえさんは、ときどきお母さんをたずねてきて、ミミちゃんのことをよく知っています。ミミちゃんともなかよしの、髪の長いやさしいおねえさんです。
 みんな、とてもなやみました。 
 ひとしくんは、
「ミミちゃんといっしょに暮らせないなら、引っ越しはしない」
 そう言って、わんわん泣きました。
 みんな困りました。みんな、同じ気持ちだったからです。
 でもいちばん困っているのは、ミミちゃんです。
 ミミちゃんはお部屋でかけまわることもなくなり、ごはんもあまり食べなくなって、夜もねむれません。
「ミミちゃん」
 パタ子はみんながいない時に、ミミちゃんに話しかけました。
「なあに?」
「げんきを出して、ちょうだいね」
 パタ子はしんぱいして、そう言いました。
「ねえパタ子ちゃん。ボク、どうしたらいいのかな?」
 パタ子は、なにも言うことができません。
「ボク。おねえさんのところに、行こうかな」
「えっ! ぼくたちと暮らさないの? お別れするの!」
「だって、ボクがおねえさんのところに行けば、みんなマンションにお引っ越しできるしょ。それに、知らない人にもらわれるよりいいし、お外で暮らしているお友だちにくらべたら、ずっと、ずっと良いもん」
「そんなあ。ミミちゃんとお別れなんて、」
 パタ子は、なみだを流しました。
「ボクはおねえさんのことが大好きだもん。大好きなおねえさんは、お母さんのお友だちだから、ときどき会えるかもしれないよ」
「そうだけど」
「ねえパタ子ちゃん。ボクは赤ちゃんのとき、お外でひとりぼっちだったでしょ。ひとりぼっちで、生きていけなくなって死んでしまう子ねこも、たくさんいるんだよ。だからボクは、とてもしあわせなんだよ」
 あの赤ちゃんねこだったミミちゃんが、こんなお話しをするようになったのです。
 パタ子はミミちゃんに会うことができて、ほんとうに良かったと思いました。
 パタ子はミミちゃんが初めてお家にきた時のことを、思いだします。お父さんとお母さんは別れることのつらさを思って、ミミちゃんを飼うことを、ためらっていました。でも今では、ミミちゃんはなくてはならない、家族のひとりなのです。
 お父さんとお母さんは、ひとしくんと話し合いました。
「やさしいおねえさんが、大切に育てたいと言ってくれているのだから、ミミちゃんはしあわせなのよ」
「母さんの言うとおりだよ。ミミちゃんがしあわせに生きていけるんだから、おねえさんにお願いしよう。どうだい? ひとし」
 ひとしくんは、だまったまましっかりと、 「 はい 」 とうなずきました。なみだが出るのをがまんしてうなずくひとしくんを見たパタ子は、なみだが止まりませんでした。

 ミミちゃんとお別れするときには、ひとしくんもお父さんもお母さんも、声をあげて泣きました。そして、 「 ありがとうね 」 となんどもなんども言いました。
 おねえさんは、
「わたしがミミちゃんを、ずっとずっと大事にするからね」
 と言いました。
 おねえさんの胸に抱かれたミミちゃんはにっこりと笑って、 「 ありがとう。ありがとうね 」 と、何度もくりかえして言いました。ミミちゃんの目は、涙があふれそうでした。



    ひとしくんとの別れ



 ひとしくんは高校をそつぎょうすると、しょうしゃというところで、働き始めました。
 でもマンションからは遠くて通えないので、会社の寮に住むことになったのです。 
 研修センターでのお勉強のときには、パタ子も連れていきましたが、いざ寮に入るお引っ越しのときになると、ひとしくんはとても悩みました。
「母さん。パタ子、やっぱり置いていくことにするよ」
「あんなに大事にしてたでしょ。連れていって、いいのよ」
 パタ子はどっちにしても、ひとしくんかお母さんのどちらかとお別れをしなければならないのです。
「でもさ。仕事を始めたら、パタ子をふいてやれなくなって、よごれて故障でもさせたら、かわいそうだから」
 ひとしくんはさびしそうに、そう言いました。それでもパタ子は、ひとしくんとお別れするのはさびしいのです。
「でもひとしが働いていくうえで、パタ子がそばにいれば、なぐさめられると思うわよ」
 お母さんはひとしくんのことを思って、そう言います。
「パタ子は、母さんの大事な目ざまし時計じゃないか。やっぱり母さんが、ずっと持っていたほうがいいよ。パタ子は家族のいち員なんだから、はなれたくない、と思っているはずだよ」
 お母さんはひとしくんと同じように、パタ子がどう思っているのかを考えます。
「そうね。パタ子の気持ちになったら、そのほうが、良いのかもしれないわね」
 ひとしくんとお別れする。それはパタ子にとって、とてもさびしいことです。
 ひとしくんの寮にパタ子が行けば、お母さんとはずっと会えなくなってしまいます。でもパタ子がお母さんといっしょにいれば、ひとしくんが来た時に会うことができます。
 そしてついに、パタ子はひとしくんとお別れすることになりました。
 パタ子は泣くのをがまんして、
「ひとしくん。どうもありがとう。お仕事がんばってちょうだいよ」
 と言いました。
 こうしてパタ子は、またお母さんのお部屋で、いっしょに暮らすことになったのです。


 ぼくがお母さんとはじめて会ってから、もうすぐ二十一年になります。ぼくはまた、出会った頃と同じようにすごすのだと、自分に言い聞かせることにしました。やっぱり、ひとしくんとはなればなれになるのは、さびしいかったからです。
 お母さんは二十一年たってもやさしいお母さんのままです。
 でもまえと、少しちがうなあ、と思うことがあります。それは、とてもやわらかくてスベスベしていたお母さんのお手てが、ざらざらになったところです。
 そんなお母さんも、ぼくのことを見てこう言います。
「ずいぶんと、色がかわったわね」って。
 ひとしくんが大きくなっていくように、ぼくも知らないうちに変わっていたのです。
 それでもお母さんは、あたたかいお手てで、まえよりもやさしくぼくのことをなでてくれます。だからぼくも、お母さんのために、いっしょうけんめいパタパタしています。



    大人になるということ



 ぼくは、三十一歳になりました。もうすっかり大人です。
 じっとお母さんとお父さんのお部屋の、ベッドのまくらもとにいます。おすわりをして、遠くの山を見るのが大好きです。
 最近のお母さんは、とてもいそがしい日々をおくっています。
 おばあちゃんのぐあいが悪くなってしまい、毎日のように電車に二時間乗って、おばあちゃんのところに行っているのです。
 おばあちゃんは、たびたびお家に来てくれました。でもここ数年は、お顔を見せなくなっていました。
 おばあちゃんのことは、今もはっきり覚えています。お母さんがぼくを買って、お家に帰ったときのことです。ぼくのおからだをすみずみまで見て、 「良いのをえらんだね」 と笑っていた、やさしい顔のおばあちゃんを、ぼくは忘れてはいません。

 そのおばあちゃんが死んじゃったなんて、ぼくには信じられません。もう会うことが出来ないなんて、信じられないのです。
 おばあちゃんが死んでしまって、お母さんは声をあげて泣きました。ぼくよりもっともっと、お母さんには信じられなかったのです。
 久しぶりにお家に来た、ひとしくんも泣きました。もちろんぼくも泣きました。
 ぼくには、わかったことがあります。
 大人になるということは、いろんな人やものと出会うのと同じように、お別れがあるということです。
 ミミちゃん、おばあちゃん、団地。出会った人やものとは、いつか、お別れをしなければならないのです。
 お父さんは、ひとしくんが子どもの頃から、よくこんなお話しをしていました。
「人は、いろんなことを知ろうとしたり、持とうとしたりするけど、かならずお別れしなければならないのだよ。だから、じぶんが知ったことや持ったものを、人にあげようとしなければ、いけないんだ」って。
 小さいぼくにはむずしくてよくわからなかったけど、今では少しわかる気がします。
 お母さんやひとしくんがぼくを大切にしてくれるのは、ものを大切にしてきたおばあちゃんがいたからに違いありません。

 
 おばあちゃんが亡くなって半年くらいたった頃、ぼくはおからだのぐあいが悪くなってしまいました。
 始めの頃は、
「電池が切れかけているのかな?」
 そう思っていたんだけど、お母さんが電池を取りかえても、時間はくるってしまい、なおりません。
 お母さんは駅のそばの時計屋さんに電話をかけて、ぼくの調子が良くないことを話しました。ぼくは、生まれて初めて病院に行くことになったのです。

 時計屋さんの先生は、ぼくをすみからすみまで、みてくれました。お医者さんは、こまった顔をでこう言いました。
「このからだで、よくもちこたえましたね」
「パタ子は、そんなに悪いのですか? パタ子になにがあったというのですか」
 思ってもいなかった先生のことばに、お母さんの頭はまっ白です。
「この時計をだいじに、大切にして来たことはよくわかります。しかし、人間にも動物にも、そして時計にも、それぞれ与えられたじゅみょうがあるわけです」
 先生は、ぼくをなおそうとがんばります。お母さんは、ぼくをはげまします。
 先生もお母さんも、ぼくを元気にしようと、いっしょうけんめいです。
 お医者さんの手当てと、お母さんの必死のおいのりで、ぼくは命を取りとめて、おばあちゃんのように死ぬことはありませんでした。
 でもお医者さんは、こう言いました。
「出来ることは、ぜんぶやりました。あとは、この子のがんばりしだいです」
 ぼくがこれからどうなるかは、ぼくのがんばりしだいなのだそうです。
 お医者さんのことばを聞いたお母さんは、
「わたしがパタ子をたすける。パタ子は死なせはしない」
 そう言って、ぼくを抱きしめました。
 ———―お母さん、ありがとう。ぼくのことをそんなにまで、大切にしてくれて。
 ぼくはお母さんの愛情がうれしくて、心のなかで、そうくり返しました。



    大好きなお家



 ぼくは目ざまし時計のパタ子です。
 元気な頃は、パタ、パタと板をめくって、みんなにお時間を知らせてあげて、起してほしい時間に、みんなを起してあげていました。
 でもぼくはもうおからだに力が入らなくて、パタパタすることが出来ません。みんなを起してあげる声も出せません。何もできなくなってしまったのです。
 ぼくのおとなりには、白くてまわるい形をした、目ざまし時計の、マルくんがいます。針は暗くなっても見える、かっこいい時計です。
 マルくんはぼくのかわりに、お父さんやお母さんが起きたい時に、リンリン、リーンと元気な声で、一日の始まりを知らせます。
 しっかりとお仕事をするマルくんのことを、お母さんは可愛がっています。隣りにいる、動けなくなったぼくのことも、いつものようにふいてくれて、やさしいことばをかけてくれます。
 もう目ざましとしても、時計としても、みんなの役に立てなくなったのに、お母さんはにっこりしながら、ぼくのことを大切にしてくれるのです。
 お外が明るくなると、ぼくはベッドからお山をながめます。夜になると、少しうとうとします。
 みんなが起きる時間よりも早く起きるのは変わりませんが、音をならせなくて、とてもかなしいです。
 でもぼくは、動けなくなっても生きているのです。
 
 ある日ひとしくんは、知らない女の人といっしょに、お家をたずねてきました。
 その女の人は、のりこさんと言う名前で、ひとしくんのお嫁さんになる人だそうです。
「ほら、のり子。パタ子だよ」
 ひとしくんはぼくを抱っこして、のり子さんにわたしました。
「まあ、パタパタ時計ね。なつかしい。わたしの家にもあったわ」
 のり子さんに抱っこされたぼくは、くすぐったさと、なつかしさを感じました。のり子さんは、出会った頃のお母さんと同じような、すべすべしたお手てだったからです。
「パタ子は、ぼくより三歳年上なんだ。母さんがひとり暮らしを始める時に、買ったんだって。ねっ、母さん」
 お母さんは笑がおを浮かべて、にっこりとうなずきました。
「大切に使ってきたんですね。パタ子もきっと喜んでいるわ」
「最近まで動いていたんだけど、動かなくなっちゃたの。時計屋さんにみてもらって、一度は動くようになったんだけど」
「そうですか」
 のり子さんはさびしそうな顔をしましたが、何かを思いだしたように、明るい声で話し始めました。
「新聞で、古い時計をせんもんにしゅうりする人がいるって、のっていました。もしかしたら、なおるかもしれませんよ。お母さん!」
「ほんとうかい? のり子」
「その記事を読んで、いなかの古い柱時計のことを思いだしたの。だから確か。わたし、調べてる」
「うん。パタ子をしゅうりに出そう。いいでしょ? 母さん」
「もちろん。もしまた動くようになったら、あなたたちにあげるわ」
「でもパタ子は、お母さんが大事にしてきた時計じゃないか」
「そうです。お母さんのところにいるのが、いちばん良いと思います」
 のり子さんも、ぼくとお母さんがいっしょにいる方が、良いと思っているのです。
「あなたたち二人が大切にしてくれたら、母さんはうれしいの。それに、あなたたちに赤ちゃんができたら、またパタ子に赤ちゃんを見まもってほしいの。ひとしを見まもったときと同じようにね」
 ひとしくんとのり子さんは、少してれた顔になりました。
「いいの? 母さん」
 お母さんは笑がおのまま、ゆっくりとうなずきました。
「私、お母さんのように、パタ子を大切にしながら、子どもを育てたいです。いつかその子が大人になったら、お母さんと同じように、その子にパタ子を大切にしてねって、ゆずりたいです」
「パタ子。これからはひとしとのり子さんと、生まれてくる子どもたちのことを、お願いね」
 ひとしくんは涙を浮かべて、ぼくのことを見つめていました。


 こうしてぼくは、修理にいって動くようになって、ひとしくんとのり子さんといっしょに、新しいお家で暮らすようになりました。
 ぼくはほんとうに、しあわせです。
 ぼくはパタパタと音をたてる古い時計で、マルくんほど正かくに時間を知らせてあげることはできません。それなのに、こんなにも大切にしてくれる人たちと、いっしょにいられるのだから。

 ぼくの心のなかには、いつもお母さんがいます。
 お母さんが、大切にしてくれたから、ぼくは生きていられるのです。
 今まで、どうもありがとう。ほんとうに、ありがとう。
 ぼくはこれからも、パタ、パタ。パタ、パタって、がんばるからね。
 いっしょにいたときと同じように、みんなのために、がんばるからね。
 ありがとう。ぼくの、お母さん。
 ぼくを家族にしてくれて。




                                     了

 

   


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