「そういえば、僕はツトムさんのことを何も知らなかったような気がするんですけど、この機会に教えていただけると嬉しいですね」 同じ常連としても、さほど話をしたことはなかった。元々、ツトムはオサムにだけではなく、あまり他の人と話をしているところを見たことがないほど、いつも静かだった。それは、まるで気配を消して見えるほど、目立たない方だったのだ。 そんなツトムのことなので、今まで意識していなかったため、どんな人なのか考えたこともなかった。こうやって親しく話している姿を想像したこともないのに、実際に話をしてみると、案外違和感はなかった。そのため、元々どんな人なのか知らなかったことなど、意識したこともなかったのだ。 「そういえば、話したことなかったな。俺は実は小説家なんだよ。喫茶「イリュージョン」では、いろいろな発想を生むために通っていたのだが、途中から現実逃避をしたくて通うようになったんだ」 ツトムの言いたいことは分かる気がした。 いつも冷静沈着で、たまにキレる時があったという性格も、彼が小説家だということを聞けば、納得がいくところもあった。 ――小説家というのは、他の人と違っているということを自覚したり、人から指摘されることを望んでいるような気がする―― と感じたことがあったからだ。 オサムは、小説家というと以前は偏見の目で見ていた。実際に自分のまわりに小説家なる人種がいたことがなかったので、別世界の人間としてしか見えていなかったからだ。 小説家に対しては、言葉で言い表すことができないほどの尊敬の念を持っている。それは、 ――自分には絶対にできないことをできていることだ―― と感じることに繋がっている。自分にできないことをできるだけで、その人は尊敬の念に値するのだ。 しかも、それが自分のやってみたいことであれば、なおさらだった。以前から小説を書いてみたいと思いながらも、なかなかうまく行かなかった。尊敬の念を抱いてはいるが、言葉で言い表せないという表現は、雲の上というほど遠い存在というわけではなく、自分にとって嫉妬の対象になるという意味であった。尊敬という言葉とは裏腹に、妬みが心の中に渦巻いていることで、心境としては微妙で、複雑なものであった。 オサムは性格的に、歪んだところがあると自分で思っていた。自分の夢や希望がうまく行かないと、その思いを自分の子供に託すという人がいるようだが、その考えにオサムは納得できなかった。 ――いくら子供とは言え、自分の目指した夢を人に託すなどありえない―― と思っていた。 栄光を他の人に持って行かれて、ちやほやされる姿を見たくない。それは子供であっても同じこと。夢を叶えるのは自分自身でなければ、いくら血が繋がっていても、そこは「他人」なのである。 そんなオサムなので、小説家として華やかな人生を送っている人を見るのは、 ――見るに堪えない―― と思っていたのだが、どうやらツトムは違っているようだ。 ツトムが違っているというわけではなく、これが本当の姿であり、真実なのだ。 ツトムも、アマチュアから応募した作品が新人賞を受賞し、華やかな世界に一歩踏み出したはずだった。 しかし、彼が華やかだったのは、新人賞を受賞したところまでだった。 「受賞後に生き残る方が、受賞するより何倍も大変なことだ」 と、言われていたそうだが、まさしくその通り、 「受賞した時は有頂天だったさ。これで頂点に昇り詰めたような気がしてね。でも、実際はそこがスタートラインだっただけなんだ。いくらあがいても、スタートラインから先に進むことはできない。あがくしかなかったんだ」 「それって、今の状況に似ているような感じみたいですね」 オサムがそういうと、ツトムは一瞬、カッと目を見開いて、何かを感じたように見えたのだが、 「君のいう通りさ。同じところをあがいているだけなんで、一日を抜けられない今と変わりはない。だけど、ある部分で決定的に違うのさ」 「どういうことなんですか?」 「同じ日を繰り返すようになったのは、ある意味因果応報とでもいうべきなのか。同じところであがいている俺は、心の中で、先に進むことを怖がっていた。もちろん、締め切りというものや、これ以上できないのに、それ以上を求めようとするまわりに対して、俺はどうすることもできない。そう思っているうちに、前に進むよりも、これ以上前に進みたくないという思いが強くなってきたようなんだ」 「じゃあ、同じ日を繰り返しているというのも、そのせいだというんですか?」 「そうとしか思えない。また、そうでなければ、まったく説明のつかないことだ。同じ日を繰り返すことを怖いと思いながらも、前に進むことも怖い。前に進めないこの世界に慣れてくると、本当に前に進むのが怖くなってくる。このままでいいのかどうか分からないが、今の俺はこのままでいいと思っているんだ」 その話を聞いていると、オサムは少しゾッとするものを感じた。 「僕にも同じように、同じ日を繰り返すだけの気持ちが隠れているということになるのだろうか? もしそうだとすれば、僕にはツトムさんのようなハッキリとした理由が見当たらないんだ」 ツトムはニッコリとしながら、 「だから、君には前兆があるんじゃないか。その間に同じ日を繰り返している理由が見つかるのかも知れない。同じ日を繰り返している人にいくつかのパターンがあるとすれば、君と俺とでは、かなり遠い理由から、この世界に入りこんでしまっているんだろうね」 そう言いながらツトムは、さっきの続きを話し始めた。 「俺は、新人賞を受賞してから有頂天になった。本当は最初から、これがスタートラインだって分かっていたはずなのに、それを認めたくない自分がいた。俺は考えすぎるとロクなことがなかった方なので、なるべく気軽に考えるようにしていたんだ。認めたくないという思いは自分の心の奥を誰にも見られたくないという思いのカモフラージュであり、有頂天な気持ちは、カモフラージュから作られていたんだ」 オサムはツトムの話を頷きながら聞いていた。頷いているのは、自分の気持ちに確認しているようなもので、 ――もし、僕がツトムさんの立場だったら、同じことを考えたんだろうな―― と感じていた。 「同じ日を繰り返しているという話は、実は俺がアマチュアの時代に書いた小説のネタでもあったんだ。しかも、まるで自分が同じ日を繰り返していたことがあったかのように、今から読み返すと、現状考えている俺の考えと、まったく同じだったんだ。まるで過去に戻ったかのような気になったんだよね。でも、前に進めないんだから、ひょっとすると、過去に戻ることは可能かも知れないとも思った。ただ、そうなると戻ってしまったら、前には進めないという理由で、結局、行ったっきりになってしまうのだから、戻ることなんかできないことになる」 それにしても、この日のツトムは饒舌だった。オサムもツトムも、お互いに無口な性格のはずなのに、ツトムはそんな雰囲気を出していない。ツトムが無口だったのは、 ――どうせ何を言っても、他の人は俺の話なんか信じてくれるはずなどないんだ―― という思いが強かったからであろう。 実はその思いはオサムの方にもあった。 オサムは、自分の話を信じてもらえないというよりも、最初から相手にされないと思っていた。最初から相手にされないと、まわりから笑われているように思うのは、被害妄想が過ぎるからだろうか。その考えは半分当たっていて、半分違っているようなのだが、その時のオサムには、そんなことは分からなかった。 オサムは被害妄想を持っていたり、人に対しての嫉妬心が強かったりするのは、それだけ自分のことを大切に思っているからだ。どちらの性格も決して褒められるものではなく、どちらかというと恥かしいタイプの性格で、自分ではどうにもならない性格だった。 それなら、何とか正当化させたいと思う。 そのためには、自分のことを大切に思うことをいかに正当化させるかということだが、まわりを見ると、 ――自分のことよりもまわりのことを考えている―― と見えていたものが、 ――自分よりもまわりのことを考える方が美しい―― というところまで見えてきた。 そのわざとらしさを、オサムは毛嫌いした。 ――自分のことを大切にできない人に、まわりを考えるなど、おこがましいのではないだろうか―― と思ったのだが、その考えに対して違和感はなく、自然に受け入れられるような感じがしてくる。 オサムは、自分がツトムと似たところがあることに気付いていたが、それよりも違うところが目立って見えてきたのも感じていた。そんな自分がツトムと同じように、同じ日を繰り返そうとしているのは、きっとツトムとは違ったところで、同じ道に入りこんでしまったのだろう。 オサムは、かなり違っている道だったと思っているが、案外と近いところの道だったのかも知れない。 ツトムは、自分がかつて書いた小説の内容と、今がまったく同じだという感覚でいるようだが、本当だろうか? 本人がそう言うのだから間違いないのだろうが、オサムはどうにも納得がいかない。 まず、前に書いた時がいつだったのか分からないが、書いた時と今とでは、完全に環境が違っているはずだ。 少なくとも、書いた時には、同じ日を繰り返しているはずはなかったからだ。もし、繰り返していて気付かないだけだったとすれば、それはあまりにも都合が良すぎる。 では、逆に書いた時にはまったくの空想で描いたのだとすれば、彼にも予知能力の片鱗があったのではないかと考えるのも、おかしなことではないような気がする。オサムには前兆があって、予知能力が備わっているようなことを言っていたが、同じ日を繰り返す人たちの特殊能力として共通点があるとすれば、この予知能力ではないだろうか。オサムは予知能力すべてが特殊能力のように思っていた。それはツトムの話を聞いたからだったのだが、それがツトムの巧みな誘導によるものであるとすれば、やはりツトムにも予知能力が特殊能力として備わっていることを自覚させるものがあったに違いない。 同じ日を繰り返していると自覚した時、すぐにツトムは自分の小説を思い浮かべたのだろうか。今までにたくさんの作品を書いてきたと言っていたが、そう簡単に思い出せるものなのだろうか? 「ツトムさんは、自分が同じ日を繰り返していると感じた時、すぐに自分の小説を思い出しましたか?」 一瞬、オサムの質問に訝しそうな表情を浮かべたツトムだったが、 「それがなかなか思い出すことはできなかったんだ」 と、答えるのがやっとのように、急に脱力感が感じられた。それまで張りつめていた糸がプツンと切れてしまったかのような感覚に、見ているオサムの方も、緊張の糸が急に切れたようだった。 ――まるで音も聞こえてくるようだ―― アキレス腱が切れる時も、プツンという音が聞こえるらしい。そのことはテレビで聞いた話だったが、妙にリアルな感覚だった。 ――あれも、一種の予知能力のようなものだったのかな? と感じたが、予知能力というものを意識し始めてから、ツトムの小説の内容も、予知能力が絡んでいるように思えてならなかった。 「ツトムさんが書いた小説というのは、予知能力に絡むものがあったんですか?」 と聞いてみると、 「いや、同じ日を繰り返しているという話の中で、予知能力という発想はまったくなかったんだ。でも、書いているうちに予知能力の発想がまったく違った形で頭に浮かんできて、自作で、予知能力について書いたんだ。その話は書いているうちに前の作品の続編のように思えてきたが、それを感じていたのは俺だけだったようなので、結局、まったく違った話として新作が生まれることになったんだ」 ツトムの話を聞いていると、予知能力の話も読んでみたくなってきた。 「予知能力はどんな形で生まれたんですか?」 「元々は、同じ日を繰り返していることを俺に教えてくれた人がいて、その人のことを思い浮かべるうちに、予知能力の話が生まれてきたんだ。その人は俺の知らないことを、まるで当然のことのように話をするので、俺としては、尊敬の眼差しだったよな。今までに見たこともない人が目の前にいるという感覚は、どこか自然ではないように思えてきた。予知能力のせいで、初めて会う人でも、今までに会ったことがあったような感覚に陥っていた。それが、同じ日を繰り返していることに繋がっているのだと、その人は言っていたんだ」 オサムもツトムから同じように、 「同じ一日を繰り返している」 と聞かされたのに、ツトムが教えてくれたその人に感じた思いと、まったく違っているように思えた。 ツトムは続けた。 「その人は、名前を真中ヨシオと言ったんだが、彼は彼なりに自分の考えを持っていたんだ。それは俺なんかとは違った発想だったんだ。奇抜な発想なんだけど、いろいろなパターンを想定し、その中から自分が納得できるものを捜し当てたと言っていたけど、本当にそうなのかも知れないと思ったんだ。ただ、後から思うと、本当にそんな人間は存在したんだろうか? って思ったくらいに存在感は薄かったんだ。時間が経つにつれて忘れていくんだけど、一日を繰り返すと、また記憶がリセットされて、彼のことを鮮明に思い出すようになった。何度も繰り返していると、今度は、意識がどんどん固まってくる。おかげで、彼の信じられないような話も信じられるようになった。そりゃあ、何度も同じことを言われていれば、嫌でもくせになってしまうよな」 ツトムの話にはどこか捨て鉢なところがあった。 ツトムが小説家であるということは、この日初めて聞いたはずなのだが、なぜか初めてではないような気がする。 ――誰か他の人から聞いたのかな? とも思ったが、考えてみれば、喫茶「イリュージョン」では、ツトムの話はおろか、他の人の話題というのはタブーになっているのか、誰の話題も聞いたことがなかった気がする。人の話を聞いたとすれば、それは必ず本人からで、人の話題に触れないのは、喫茶「イリュージョン」ではルールになっているのか、それとも客それぞれの暗黙の了解なのか分からなかった。 しかし、それぞれでニュアンスは違うようで似ている。 喫茶「イリュージョン」がそういうお店なら、お店の雰囲気が客を呼び寄せたのだろうが、逆に客同士の暗黙の了解だとしても、そういう客が自然と集まるのが、喫茶「イリュージョン」ということになる。偶然に違いというニュアンスでいけば、後者の方になるのではないかとオサムは考えた。 オサムは、この店に偶然ということをあまり考えたくない。そう思うと、やはり、店が客を呼び寄せたと考える方が自然な気がする。 ――こうやってお店の雰囲気に引き寄せられた人たちは、それぞれに意識をしているから、あまり口を開かないのかも知れないな―― 引き寄せられた人たちが、皆同じような性格だというわけではない。むしろ、性格的にはバラバラではないだろうか。何かどこか一つだけ共通点があって、それが引き寄せられるポイントになっているのだとすれば、実に興味深いことだった。 ――まさか、同じ日を繰り返すというキーワードが、喫茶「イリュージョン」では共通点になっているのではないだろうか? などと感じたが、すぐに打ち消した。 ツトムも言っていたように、同じ日を繰り返している人は確かに何人かいるらしいということは分かってきた気がする。ただ、ツトムは同じ日を繰り返している人たちと連絡を取り合っているような話をしていたので、この店の雰囲気とは違っていた。 しかし、逆も考えられる。 ――この店では会話はタブーなのかも知れないが、ここで落ち合って、他のどこかで自分たちのことを話し合っていたのかも知れない―― とも思えた。 ただ、それなら、どうしてそんな回りくどいことをするというのだろうか? ひょっとすると、同じ日を繰り返しているということを、他の人に悟られてはいけないという決まりがあるのかも知れない。そう思うと、オサムも今からいろいろな決まりを教えられることになるのだろう。 ――きっとその時の「先生」は、ツトムに違いない。ツトムも真中ヨシオという人から聞かされたのだろう。ヨシオという人物に会ってみたくなった―― と感じていた。 「俺は自分の小説に、同じ日を繰り返しているという内容の話を書いたことがあったんだが、あまりにも奇抜だということで、採用には至らなかった。奇抜ならいいんじゃないかって編集者の人に迫ったんだけど、発表できる内容ではないということを言われてしまって、詳しい理由は教えられなかったんだが、今から思えば、確かに発表しなくてよかったのかも知れないと思う」 「どうしてなんですか?」 「俺の小説が、今の俺のいる世界に酷似しているからさ。これを発表して読んだ人の中には、同調してくれる人もいるだろう。ひょっとすると、彼らは同じ仲間になるかも知れない。それを俺がまるで予言のように書いてしまうと、『この世界のことを教えられるのは一人に対して一人だ』というルールを曲げてしまうことになる。それは決してしてはいけないことなんだ」 ツトムの話は唐突のはずなのに、ここまで聞いてくると、まんざら唐突でもないように思えてならなかった。 喫茶「イリュージョン」といい、ツトムといい、同じ日を繰り返す前兆を迎えているオサムに対して、これから起こることを納得させようという意識が働いているかのように感じられた。 しかし、点では理解できてくることも、線にして繋いでみようとすると、どこかに歪みが生じてくる。決して一本にならない線がいくつも存在し、それぞれに相関性があることは分かるのだが、交わっている感じはしない。不思議な感覚であった。 「君は、シンジ君を知っているかい?」 「シンジ君というと、アケミちゃんの彼氏になるのかな?」 「そうだね。アケミちゃんはそう思っているようだけど、シンジ君の方は、ハッキリとはそこまで自覚していないようなんだ」 「そうなんですか。ところで、そのシンジ君がどうかしたんですか?」 「彼も実は毎日を繰り返している人間の一人なんだ」 それを聞くと、オサムはさすがに頭が混乱してきた。 ――ここまで知っている人のほとんどが同じ日を繰り返しているのだとすれば、普通の人間の方が特別な気がするな―― と感じた。 「シンジ君は、毎日を繰り返しているだけで、俺たちのように同じ日を繰り返しているのとは少し違っているんだ」 「どういうことなんですか?」 「毎日を繰り返すということは、彼自身は同じ日を繰り返しているというわけではなく、彼にもう一人の自分がいて、もう一人の自分が一日遅れて、同じことを繰り返しているんだよ。前を行くのが本当のシンジ君なのか、後ろを行くのが本当のシンジ君なのか、俺もよく分からない。分かっているのは本人だけで、俺たちのように同じ日を繰り返している人間には普通に毎日を繰り返している人たちよりも、遠い存在になるんだよ」 「そんなシンジ君のことを知っているのは、ツトムさんだけなんですか?」 「いや、実は横溝さんも知っている。横溝さんは、俺たちのことはもちろんのこと、シンジ君のことまで分かっているようなんだが、横溝さんがどれほど事情を深く知っているのか、疑問に思えるんだけどね」 と、ツトムは話していた。 「じゃあ、シンジ君のような存在は、珍しいということなんですか?」 「俺は珍しいと思っている。同じ日を繰り返している人は何人も知っているが、シンジ君のように、毎日を繰り返している人というのは他には知らないからね。珍しいと言ってもいいんじゃないかな」 「シンジ君のことは、僕は直接はハッキリと知らないんですが、ツトムさんはよく知っているんですか?」 「いや、僕もよくは知らない。何回か会ったことがあるくらいなんだけど、彼ほど二重人格を思わせる人はいなかった。だからこそ、彼が毎日を繰り返しているということが分かっても、不思議に感じなかったな」 「でも、どうして分かったんですか?」 「俺がまだ同じ日を繰り返すようになる前のことなんだけど、シンジ君とはそれまで毎日会っていたのに、二日に一度しか会えなくなったんだ。それから俺が同じ日を繰り返すようになってから、シンジ君に会うと、前の日に話したこと、と言っても、同じ日に話していることを、彼は分かっていなかったんだ。その日のことは仕方ないとしても、過去の話をすれば、話は通じるはずなのに、まるで別人のシンジ君だったんだ。それで彼が毎日を繰り返しているということに気が付いたんだ」 「たったそれだけのことで?」 「ああ、それだけのことだったんだ。俺は今でもそれだけのことで十分だと思っているよ。ただ、今もう一度同じ状況になって、シンジ君と会っていたとして、果たして彼が毎日を繰り返しているということに気付けるかどうか、怪しいものだと思っている」 「話が飛躍しすぎていて、頭が混乱しているんだけど、同じ日を繰り返している人と、毎日を繰り返している人の明確な違いとして、同じ日を繰り返している人に、その意識を持つことは容易なことだが、逆に毎日を繰り返している人が、それを自覚するというのは、非常に難しいんじゃないかって思えてきましたよ」 「それは俺も思っている。実際、シンジ君は自覚がないようだった。だから、俺も敢えてそのことに触れようとはしなかったが、でも、いつかはそのことを知ることになると思う」 「どうして?」 「自分の知らないところとはいえ、もう一人の自分が確実に同じ次元に存在していて、行動しているからさ」 「じゃあ、今のシンジ君はすでに知っているのかも知れないですね」 「そうだな。そして彼はきっとジレンマに陥っているような気がする」 「それはどういうジレンマなんですか?」 「シンジ君とアケミちゃんが付き合っているのは知っているかい?」 「ええ、アケミちゃんから以前聞いたことがありました。アケミちゃんは、天真爛漫であまり人を疑うことのない女性だと思います」 そう言いながら、オサムの頭の中に、ミクが思い浮かんだ。
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