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作品名:同じ日を繰り返す人々 作者:森本晃次

第3回   喫茶「イリュージョン」−3
 ツトムのことをオサムは何も知らない。ツトムもオサムのことを何も知らないだろう。
 しかし、性格的なものだけは、お互いに分かっていたような気がする。
――俺がツトムさんのことが分かるくらいなので、ツトムさんは俺のことくらい、簡単に分かるんだろうな――
 とオサムが思っていれば、
――オサムは分かりやすい性格をしているよな。俺のような洞察力のない人間が分かるんだから――
 とツトムの方も分かっていた。
 オサムとツトムの関係は、友達というよりも兄弟分のような感じだった。どちらが兄貴になるかというと、ツトムの方だった。性格的にもどちらが大人かと聞かれれば、きっと誰もがツトムの方だというだろう。オサムも面倒臭いことは好きな方ではなく、弟扱いされた方が気が楽なので、お互いに以心伝心だったに違いない。
 ただ、最初からそうだったわけではない。最初はどちらかというと、オサムの方が兄貴っぽかった。
 ツトムは冷静な性格ゆえに、なかなか人に馴染むことができなかった。それが少なくとも喫茶「イリュージョン」でだけでも馴染めるようになったのは、オサムのおかげだった。
 最初はツトムに限らず誰も単独の客だった。単独の客でなければ常連になることもないのだろうが、中には知り合いとやってきて、雰囲気が気に入って、次から一人で来るようになり、そのまま常連になった人もいたが、それは稀な例だった。
 だから、ツトムもオサムも最初は単独の客だったのだが、オサムは最初から馴染めたのに、ツトムは一人で佇んでいた。
 そんなツトムに最初に声を掛けたのがオサムだった。
「俺も自分に合う話題があったから馴染めただけで、話題が合わなければ馴染めなかった。馴染めなければ次から来ることはなくなるのに、ツトムさんの場合は会話に入れないで一人でいるのに、馴染みになっているなんてすごいと思いますよ」
 会話に入れなくとも、一人で佇んでいるだけでも常連として成り立つことが、オサムの中には考えとしてなかった。しかし、ツトムには一人で佇むことを、「あり」だと思っているので、別に一人でいることは苦にならなかった。
 オサムは、最初、よかれと思ってツトムに話しかけたが、ツトムにとってはありがた迷惑だった。しかし、それでも何度か話しかけるうちに、ツトムの方がオサムに歩み寄る形だった。これも、稀なケースと言ってもいいのではないだろうか。
 そういう意味では、喫茶「イリュージョン」の客は、
――稀なケースで常連になる――
 というパターンが少なくないということだった。
 それは、マスターの人柄によるものなのか、店の雰囲気によるものなのか、どちらにしても、この店には、人を引き付ける魅力があるように思えてならなかった。
――これと言って、何ら変哲もない店なのに――
 と、誰もが思っていた。
 そんな店に常連がたくさんいるが、常連の中にもグループがあるのが、この店の特徴だった。常連だからと言って、すべての人が仲がいいというのも珍しいのかも知れないが、ここのように、グループがハッキリとしているのも、今時から考えると珍しいのかも知れない。
 しかも、最初は誰もそんなことには気付かない。最初は、
――この店には常連がいるんだ――
 という程度にしか考えていないだろう。店の雰囲気は確かに常連で持っているような昔ながらの佇まいだったからだ。
 昔ながらの常連さんもいれば、最近、常連さんになった人もいる。昔ながらの常連さんのほとんどは、この近くにある商店街で商売を営んでいる店主さんが多かった。仕事の合間に、ちょっと気分転換が、いつの間にか、商店街の寄合のようになっていたというのは、珍しい話ではない。
 ただ、彼らには、他の人を近づけないオーラのようなものがあった。やはり、店を一軒経営しているような人たちなのだから、そこかオーラの色が違うというものだ。サラリーマンとは、同じ悲哀が感じられたとしても、種類が違う。堂々としたオーラが感じられるのではないだろうか。
「背中を見れば分かるさ」
 相手がどんな職業なのか分かる人がいて、その人のセリフがいつもそれだった。
「どこが違うんですか?」
「背筋の曲がり方ひとつで、その人の性格って見えてくるものさ。俺にはそれが分かるんだ」
 きっと、その人独特の感性なのだろうが、オサムにはよく分からなかった。あまり自分が分からないと思っている人には関わることをしないオサムにとって、それ以上の質問はまったく意味のないことだったのだ。
 オサムが常連になってから、
「最近、常連が減ってきたんですよね。オサムさんが常連になってくれたのは嬉しいことですよ」
 とアケミは言ってくれた。
「それまではどうだったんです?」
「常連の出入り?」
「ええ」
「減ったり増えたりはあまりなかったですね。だからこそ、常連の多い店ということだったんですけど、オサムさんが常連になった頃、ちょうど近くの大通りにショッピングセンターができたでしょう? それで商店街の人たちは、結構大変になったんですよ」
「急に来なくなったりしたんですか?」
「そういう人もいましたけど、今までは皆暗黙の了解のように、朝ここで話しこむのが日課だったんですけど、皆それぞれ大変でしょう。皆さん、時間が合わなくなったんですよね。どうしても敷居が高いと言うんですか、少しずつ来る回数も減っていく。そうなると、余計に誰にも会わなくなるので、結局、どんどん常連さんが来なくなったという状況ですね」
 なるほど、理にかなった説明だった。オサムにも容易に理解できた。
 常連が少なくなった理由は分かったが、オサムが来るようになって減ってきたというのは、本当に偶然なのだろうか。偶然以外の何物でもないと思っていたが、アケミはそうは思っていないようだった。
「私も、元々この店の常連だったんですけど、そのうちにアルバイトに入るようになったんです。立場が変わると、面白いもので、今まで見えなかったものが見えてくる気がするんですよ。私が常連になった頃も、そういえば、この店でアルバイトをしていた女性から、今と同じように、あなたが来るようになってから、常連さんが減ったと言われたことがあったんです」
「それじゃあ、常連が入れ替わる時期があるということなのかな?」
「そうかも知れませんね。私が常連になってから、そんなに入れ替わりがあったわけではないんですけど、今回は常連さんはほとんど増えていないのに、減った人の方が多いですので、何とも言えない気がするんですが」
 喫茶「イリュージョン」は、名前からして捉えどころのない店だった。店の中にいる時は、常連さんと話をしていて充実しているように思うのだが、店を離れると、店での記憶が希薄になっている。しかし、すぐに店に行きたくなる衝動に駆られ、気が付けば足が向いているというそんな店だった。
 オサムが今までに常連になった店は、大学の時にいくつかあった。常連と言っても、ほとんどが同じ大学の学生で、大学生相手の喫茶店では、喫茶「イリュージョン」の常連とは、まったく違ったおもむきだった。
 オサムは、喫茶「イリュージョン」に来るようになって、この店にいない時でも自分が何となく変わったような気になっていた。
 それは意識していなかったものを意識するようになったからなのかも知れない。
 一番大きいと思うのは、歩いている時に見る信号機の色だった。
 車に乗っている時に見る信号機を意識することはないのだが、歩いている時は、なぜか信号機の赤い色と青い色をどうしても意識してしまう。
 信号機を意識することは今までにもあった。
 あれは、中学の頃だっただろうか? 塾の帰りに木枯らしの吹く、寒い夜だったのを覚えている。肩を縮めて震わせながら小走りに歩いていると、最初は気付かなかったが、急に目の前に信号機が現れてビックリしたのを思い出した。
 別に急に信号機が現れたわけではない。寒さから、身体を小さくしていたので、前のめりに歩いていため、顔より上を意識できないでいたからだった。
 信号機の青い色と赤い色が、こんなにも鮮やかに感じたことはなかった。まばゆいばかりの光に、思わず目を逸らしそうになったくらいで、それは、あたりの暗さから来るものだけではないことは分かっていた。
 信号機を見つめていると、まわりが暗いだけに、吸い込まれそうになってくる。以前はそれを避けようと、無意識に見ていたので、目をカッと見開くことで、集中を妨げていた。しかし、喫茶「イリュージョン」に行くようになってから、信号を意識しても、その明るさに吸い込まれるかも知れないと思いながらも、凝視を止めようとはしなかった。その時自分が、
――一つのことに集中すると、他のことが見えなくなる性格なんだ――
 と、今さらながらに再認識したのだった。
 オサムは、自分が最近、
――二重人格なのではないか?
 と思うようになっていた。
 しかし、それが勘違いであることに一か月ほどして気が付いた。その期間が長いのか短いのか分からなかったが、最初はその一か月を長いと感じていたが、次第にあっという間だったように感じるようになっていた。
――俺は二重人格ではなく、躁鬱症だったんだ――
 二重人格と躁鬱症の違いは、躁鬱症というものを考えた時、その違いに気が付いた。
 躁状態と鬱状態は、それぞれ定期的に入れ替わっている。しかも、根本的な性格に変わりはない。ただ、感じ方が両極端なだけだ。
――何をしても、楽しくて仕方がない――
 と感じる躁状態、それに比べて、
――何をしても、うまくいく気がしない。楽しくない――
 そう感じるのが鬱状態。
 オサムは、そのことに一か月ほどで気が付いた。それは、躁鬱が定期的に入れ替わる一クールに過ぎなかった。
 たった、一クールで簡単に分かるはずのものではないはずなのに、それが分かったということは、一か月だと思っている二重人格という自分の性格に気が付くまでの期間、本当はもっと長かったのかも知れない。
 最初に二重人格ではないかと思った時期が、自分の中で曖昧だったことを示している。それも、
――一つのことに集中すると、まわりが見えなくなる性格だから――
 ということを片づけようとした。
 考えてみれば、これほど曖昧で、言い訳に使える性格判断もないのかも知れない。そう思うと、自分の性格をあまりよく思えなくなってきた。
 少なくとも、オサムは最近まで一つのことに集中する性格を悪いことだとは思っていなかった。確かにまわりが見えなくなるのはマイナス要素だが、一つのことに集中できるということは、それを補って余りある性格ではないかと思うのだった。
 自分が躁鬱症だと思うようになったのは、実は信号機が鮮やかに見えるようになったからだ。この現象は中学時代にもあったことで、その時のオサムは、
――俺って躁鬱症なのかも知れない――
 と感じたからだった。
 その時は、確かに躁状態と鬱状態が交互にやってきて、躁鬱症の条件を満たしていたことで、本当に自分が躁鬱症だと感じていた。
 しかし、躁鬱症は恒久的なもので、一度身についてしまうと、なかなか抜けないものだと思っていた。
 もちろん、個人差はあるのだろうが、実際には恒久的なものではないようだった。そのことを知ったのも、大人になってからだった。
 中学時代に感じた躁鬱症。躁状態と鬱状態が交互にやってきている時というのは、自分でも自覚していた。特に鬱状態から抜けて躁状態に変わる時、前兆が分かっていた。しかも、鬱状態から躁状態に抜けるまでには、通常の状態に戻ることはない。鬱からいきなり、躁状態になるのだった。
 だが、躁鬱症に陥っている意識を持っている時でも、通常の状態になっていることを何度も自覚したことがあった。ということは通常の状態になる時というのは、
――躁状態から鬱状態になる時の間――
 だということになる。
 それは考えてみれば、まるで信号機のようではないか。
 信号機も青から赤に移る時は、黄色というニュートラルな状態を経由している。しかし、赤から青に移る時には、黄色というニュートラルな状態を経由することはない。
 つまりは、
――躁鬱症というのは、まるで信号機のようなものではないか――
 と思えたのだ。
 信号機のような躁鬱症の時に、無意識ながらも信号機の鮮やかさを意識するというのもおかしなものだ。だが、意識することが必然だと考えると、おかしいわけではない。そう考えると、
――世の中には、無意識の中にも意識することができるようになるものもあり、意識してしまうと、偶然が必然に変わるという感覚に陥るものなのかも知れない――
 と思えてならなかった。
 中学の時の躁鬱症は、いつの間にかなくなっていた。それまで、自分が躁鬱症であることをあれだけ意識していたのに、いつの間にかなくなってしまったことで、意識から自然に消えていた。
 意識から自然に消えるのは、いつの間にかなくなっているというほど、自然でなければいけない。躁鬱症だったという意識だけは持っているのに、しかも、躁鬱症は恒久的なものだという考えを持っているのに、意識しなくなったことを不自然に感じることはなかったのだ。
 それなのに、最近になってまた躁鬱症を意識するようになった。しかも、最初は自分のことを、
――二重人格なんじゃないか?
 という勘違いのおまけまでつけて、意識したのである。
 それは、躁鬱症だったという意識が戻ってきたというわけではなかった。
――躁鬱症が初めてではないような気がする――
 という思いから記憶を遡って、やっと中学時代に戻ることができた。
 それも、信号機の鮮やかさを見たという意識がなければ、戻ることができなかったものである。自分の中で躁鬱症という意識が燻っていたのか、それとも、意識があったわけではなく、記憶を引きづり出すことで思い出せたことなのか、その時はハッキリと分かったわけではなかった。
 信号機を見ていると、今までの記憶がよみがえってくるのを感じた。中学時代、高校時代、ほとんどが点であって、線として繋がっているものではない。
 十何年という歳月が順次思い出されていくのだから、線で繋がっているはずがないというのは当然のことであるが、それにしても今まで思い出したこともないようなことが、まるで走馬灯のように思い出されるというのは、あまり気持ちのいいものではなかった。
――死を間近にした人は、昔のことをいろいろ思い出してくるというが――
 まさか、自分に死が近いなどということは、考えていなかった。
――そんなバカなことを考えるから、本当に死を迎えることになる――
 と思ったからで、意識はしていても、考えないようにしていた。
 意識してしまったことを無理に打ち消そうとすると、そこに無理が生じる。変に無理を生じさせることの方が、よほど意識を現実にしてしまうことに繋がるようで、恐ろしかった。
 それは意識が現実になるわけではなく、むしろ、現実から遡って意識を正当化してしまおうというおかしな感覚があるからなのかも知れない。
 オサムは、しばらくしてからツトムに出会った。それはまったくの偶然だった。だが、ツトムはそうは思っていない。
「俺が君と出会ったのは、必然なのさ。俺もそういえば、以前同じようなことを言われたことがあったっけ。君は、自分が同じ日を繰り返しているかも知れないということを、おぼろげながらに感じているだろう? その思いは間違いであって、間違いではないのさ」
 何とも分かりにくい言い方だったが、その時のツトムの顔を見ていると、よく分からないことでも、整理して考えれば分かってくることのように思えていたから不思議だった。
「俺も、同じ日を繰り返しているということを教えてくれた人がいたんだ。その人がいたから、自分が同じ日を繰り返しているということを自覚できたんだ。でも、正確に言うと、その人に話しを聞いた時はまだ自分は同じ日を繰り返しているわけではなかったんだ。前兆があっただけで、意識してしまったことで、抜けられなくなってしまったと言った方が正解なのかも知れないな」
 ツトムの話はますます分かりにくくなってくる。
「どこから話を聞いていいのか分からないんだけど、同じ日を繰り返している人とこうやって話をするということは、僕は今日という日が一回目なので、ツトムさんの話を聞くのが初めてになるんだけど、ツトムさんは僕とここでこの話を何度もしているということなんですね」
「そういうことなんだろうね、きっと。難しい話になるけど、一言で言えば、自分の前と後ろに鏡を置いたとしよう。その時、鏡には何が写っていると思う?」
 また、ツトムは分からない話を始めた。
「何が写っているって、自分が写し出されているだけじゃないのかい?」
「確かにその通りなんだけど、いいかい? 鏡は前と後ろに置いてあるんだよ。前に写った鏡には、後ろの鏡が写っていることになるんだよ。分かりにくいかも知れないけど、後ろに写っている鏡にも、実は前に写っている君の姿が写し出されているということになるんだよ」
「あっ、そういうことか」
 オサムは目からウロコが落ちたような気がした。
――そういえばそうだ。どうして気付かなかったんだろう?
 と考えたが、次の瞬間、
――待てよ、そういえばこの発想、以前にもしたことがあったような気がしたぞ。その時のことを覚えていないけど、この感覚は初めてではなかったような気がする――
 鏡のことを考えたことは確かに初めてではなかった。思い出してみれば、
――どうして思い出せなかったんだろう?
 と思うほど、どう感じたかということはおぼろげなのだが、考えたことがあるというのは、意識の中で次第に明らかになっていくような気がした。
 思い出せないというのは、決して記憶の中に押し込められてしまって、引き出すことができない時だけではない。記憶の浅いところにあっても思い出せない時もあるのだ。そのことをオサムは自分の理屈の中で、
――思い出すというのは、記憶から引き出すだけで終わるわけではない。記憶から意識というテーブルに置き換えて、そしてハッキリと辻褄が合うように感じることができるかということで決まってくるんだ――
 と、感じていた。
 つまりは、記憶の中で燻っていたわけではなく、引き出すのに困難なところにあったわけではないものを、苦もなく意識に持ってきたはいいが、意識の中でハッキリとした形にすることができなかったことで、
――覚えていなかったんだ――
 という思いに駆られることになったのだ。
 オサムは、鏡の話を聞いて、自分が以前に感じた思いを思い出していた。なるほど、ツトムの言いたいことがおぼろげにだが、分かってきたような気がした。
 つまりは、
――永遠に繋がっているものだ――
 というのを表現したかったのだろう。口で簡単に、
「同じ日を繰り返しているんだから、そりゃいつも会ってるようなものさ」
 と言われても、ピンと来るものではない。
 ツトムの方からすれば、それ以外に表現できる言葉はないだろう。何かに喩えて話してみるしか手はないのだ。
 そういう意味では、自分の前と後ろに鏡を置いている感覚は間違いではない。オサムはそのことを思い出していると、以前感じた時、少し違ったイメージを持っていたのも、一緒に思い出した。
――あれは確か……
 鏡に写っているとは言え、一番前を向いている自分、そして、後ろに写し出された後ろ姿の自分くらいまでは何とか確認することはできるが、次第に小さくなっていく自分の姿が、本当に無限に存在しているのかどうか、疑わしい思いがした。
「写っているものが半分ずつになっていくにつれて、どんどん確認できなくなっていくだろう? 鏡に写っている自分もそうなのさ。そして、同じ日を繰り返している自分のことなんだけど、俺は、同じ日を繰り返しながら、繰り返しているという意識を持っているんだ。つまりは、前の日の俺を意識してしまえば、下手な意識が生まれて、本当に同じことを繰り返せなくなくなってしまう。それは時間の神様が許さないんじゃないかって思うんだ。もっとも、同じ日を繰り返すということ自体、本当に許されることなのかって思うくらいなんだけど、前の日と今日とを寸分たがわず同じ日にしてしまわなければいけないと思うと、前の日の自分は死んでいないといけないことになるような気がしているんだ」
 難しい話だったが、落ち着いて聞きながら考えていたオサムは、
「じゃあ、同じ日を繰り返していない人、つまりは普通に先に進んでいる人の過去というのはどうなるんだろう?」
「俺は、その人たちの過去も死んでいるんじゃないかって思ったことがあった。世の中には過去に戻って無数に広がる分岐点を手繰り寄せるように生きているのが時間の中で生きることのように思われているけど、俺は同じ日を繰り返していると思うようになって、過去の自分は誰かによって抹殺されているんじゃないかって思うようになったんだ」
「じゃあ、タイムマシンなんて、本当に発想だけのものになっちゃうね。過去に戻れないんだから」
「同じ日を繰り返しているのは、過去に戻っているという感覚とは違う気がするんだ。一日という単位を一つの人生のように考え、それを永遠に繰り返している。恐ろしいことだけど、考えてみれば、これこそ不老不死なんだよな」
「でも、同じ日を繰り返しているという意識があるんだから、まったくつまらない人生なんじゃないか?」
「それがそうでもないんだ。確かに同じ日を繰り返しているという意識はあるんだけど、一日がリセットされると、その日一日がどんな一日だったのかということが意識の中から消えてしまう。再生不可能になるんだ。ただ、同じ日を繰り返しているという意識があるだけなので、まるで、目隠しをされたまま、一歩間違えれば断崖絶壁に落ちかねない道を歩かされているような感じがしてくるんだ」
「そんなものなんですかね?」
 サラリと言って退けようとしたが、実際に指先は痺れ、喉はカラカラに乾いていた。


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