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作品名:同じ日を繰り返す人々 作者:森本晃次

第11回   飛び出す未来ー1

                 第四章 飛び出す未来

 その日、家に帰ってから、日付が変わる瞬間を刻一刻と迎えていた。デジタル時計を見ているのに、頭の中にはアナログ時計の針が動いていた。秒針が次第に左下から上に上がっていく。三本の針が一つになる瞬間を迎えるのだ。
 いや、迎えたはずだった。時計の針は確かに一直線になったはずなのに、気が付けば、秒針はすでに右下に向かって下がっていくのが見えていた。
――どうして気付かなかったんだろう?
 そう感じたが、確かに時間は何事もなく進んでいた。同じ日を繰り返しているなどという感覚はどこにもなく、三つの針が重なったところを見なかっただけで、他は何も変わりないではないか。
 そう思うと、急に睡魔が襲ってきた。
 それまでは睡魔を感じることもなく、このままずっと夜を徹しても構わないくらいに思えていた。
――よほど緊張していたのかも知れないな――
 あれだけ同じ日を繰り返すことになるという前兆を感じ、人からも言われていたので、自分で感じていたよりも、想像以上に緊張していたに違いなかった。睡魔は緊張から解き放たれた証拠であろう。
 しかし、一抹の不安はあった。
――このまま眠ってしまって、本当に目が覚めるのだろうか?
 今度は、最悪のことを考え始めた。
 それはきっと、
――同じ日を繰り返している時、そこから逃れるには、死を覚悟しなければならない――
 という思いが、今まで同じ日を繰り返してきた人から聞いた話を思い出した時に得られる結論の一つであったのも事実である。
 だが、一度訪れた睡魔に勝つことは、オサムにはできなかった。襲ってきた眠気は指先を痺れさせ、瞼の重さを思い知らされる。
――目が覚めたら死んでいた――
 などという洒落にならないジョークを、なぜかその時思い浮かべた。
――余計なことを考えているから眠くなるのかな?
 と、考えることをやめようかと思ったが、やめると襲ってくるのは不安だけ、そんな状態で起きているのも、辛いだけである。
 結局、睡魔に身を任せるようにするのが一番だと考え、そのまま眠りに就いてしまっていた。
 オサムの夢の中には、ツトムとヨシオが出てきた。
 二人は、同じ日を繰り返している話をしている。場所は喫茶「イリュージョン」ではなく、知らないお店だった。今までオサムもツトムも、喫茶「イリュージョン」でしか会ったことがなかったので、
――僕の知らない二人の世界が、本当に広がっているんだ――
 と感じた。
 ただ、オサムが知らない二人の世界が自分が知っている世界の広さに匹敵するような気がしてきたのは、一日という限られた世界も、何日も続いているであろう世界も、元々同じ大きさのものではないかという思いを抱き始めていた。
 ツトムとヨシオの話は、一見対等に見えたが、後半はヨシオの指示に変わっていた。
 最初、ツトムの話を黙って聞いていたヨシオだったが、彼には彼の考えがある。それを確かめるかのように、ツトムの話を目を瞑って聞いている。
――咀嚼しているようだ――
 腕組みをしながら聞いている姿に、ツトムは相手の反応に関係なく、熱弁を振るっている。それはまるで自分の意見を正しいと信じて疑わない信念のようなものが感じられる。それだけ会話の最初の主導権はツトムが握っていた。
 しかし、聞いている方も負けているわけではない。主導権を相手に握られながらも、決してキャスティングボードを相手に渡さないという意識が感じられるのか、微動だにせず、腕を組んで考えている姿からは、真っ赤なオーラが醸し出されているかのようだ。
――これって本当に夢の中なんだろうか?
 そもそも、夢の中だという意識があること自体が、おかしな感覚だった。
 夢を見ている時、自分が夢を見ているという意識があるわけではなく、目が覚めるにしたがって、
――これは夢だったんだ――
 と感じる。
 しかし、夢の内容は、どんどん意識から消えていく。記憶の奥に封印されてしまったのかどうか、自分でも分からない。
 ツトムが一生懸命に話しているのは、自分が同じ日を繰り返している時間を抜けた時のことだった。
「その時の俺は、同じ日を繰り返していた自分と違う自分になっているんだろうか?」
「もし、そうだとすれば、同じ日を繰り返していたという思いは君の中から消えていることになるよね。でも、そんなことはないんじゃないかって僕は思うんだ。理由に関しては分からないけど、きっと、その理由も君が一緒に持ってきてくれるような気がする」
 それが初めてツトムの疑問に対してヨシオが答えた言葉だった。
――おや?
 前の日にヨシオと話をした時、同じ日を自分が繰り返していたという意識を持っていると言っていたヨシオだったのに、ここではそのことについて曖昧な答えしかしていないことが不思議だった。
 夢の中だから曖昧なのかも知れないが、それよりも、
――ヨシオはツトムに対して余計な先入観をなるべく与えないようにしているのかも知れない―― 
 という思いが強かった。
 そのことから、オサムは一つの仮説を立てていた。
――ツトムは、ヨシオの実験台なのかも知れない――
 という思いだった。
 実際に、ツトムは小説家としての想像力があり、ヨシオは科学者として、想像から創造、つまり、作り出したものに確証を与えることによって、見えていなかったものが、見えてくるようになるのだ。
 そう思っていると、今度はツトムよりも、ヨシオの話の方が主体になっていた。主導権を握られながらも、実は主役の座を渡していなかったヨシオが、ツトムの想像力に信憑性を植え付けているようだった。
 ただ、それでも、肝心な部分は話さない。
 たとえば、前の日に話をした「リセット」という考えや、元に戻るために、日にちが変わった時から過去に戻るために、過去のどこに戻ればいいかということなど、過去に戻るということさえ、一切話をしていなかった。
――ツトムなら、自分で気が付くと思っているのだろうか?
 と思っていたが、
――ではなぜ僕には話をしてくれたんだろう?
 ツトムは実験台だとしても、オサムは何になるんだろう?
 そんなことを考えていると、夢から覚めてくるのを感じていた。
――この夢だけは忘れたくない――
 そう思うと、自分が最近、忘れっぽくなっていることを感じていた。それがいつも夢から覚める時、
――目が覚めるにしたがって、夢の内容を忘れていくんだ――
 と感じたその日に感じることが多いということに、まだ気が付いていなかった。
 夢から覚めてくると、自分がどれだけ熟睡していたのかをいつもは感じていて、
――もう、朝なんだ――
 と思っていると、実際にはまだ夜中であることが多かった。
 しかし、その日は熟睡は感じていたが、朝になったという意識はなかった。
――三時頃じゃないかな?
 と思って時計を見ると、思った通りの三時を時計は示していた。計ったような感覚に、いつもと違う意識があり、
――今もまだ夢の中なんじゃないかな?
 と感じた瞬間、どうやら、またしてもそのまま熟睡してしまったようだった。
――今度目が覚める時は本当に朝なんだ――
 と思ったということを、朝目が覚めた時に感じた。その時の朝の目覚めは、夜中に夢を見たという意識のない目覚めだった。
――やっぱり、夜中に一度本当に目を覚ましたんだ――
 朝の目覚めから思い返す感覚に、その日は間違いがないように思えた。普段であれば、夢の世界と現実世界には結界のような線があり、決して侵してはならない境界を感じているはずだった。それなのに、その日は目覚めの中で、結界を感じることはなかった。ということは現実世界で夢を見ているつもりで、本当に見ていたということになる。だから、夜中に目を覚ましたと感じたのだ。
――目を覚ました時に何を感じたのだろう?
 何かを感じたように思うのだが、思い出すことができない。一度目を覚ましたと言っても、その後は深い眠りに就いてしまったのだ。目を覚ました時は、自分では夢の中にいると思いこんでいたのだ。
――感じたことも、すべてが夢の中――
 と感じたに違いない。
 そう感じる方が納得がいく。要するに解釈する上で、これ以上楽なことはないのである。
 夢を自分で自由に操れるようになれば、同じ日を繰り返すというメカニズムも理解できるようになるのかも知れない。今の段階では、同じ日を繰り返しているということを一番理解しているのはヨシオではないだろうか。しかし、オサムの中でもう一人、横溝という男の存在も無視できない。彼も何かのキャスティングボードを握っているようで仕方がない。
 目が覚めてしまうと、夢の内容はすっかり忘れてしまっていた。しかし、頭の中に意識として残っていることがあった。
――ツトムはヨシオの実験台だったんだ――
 という意識だけである。
 ただ、ツトムがヨシオの実験台であれば、オサムは一体この世界ではどういう位置づけになっているのだろうか? 同じ日を繰り返すことをツトムからもヨシオからも告げられた。ツトムがヨシオの実験台であるということを、ヨシオはオサムに話しながら、ハッキリと言わないまでも、相手に気付かせるように話をしていた。完全に誘導された形になったオサムだったが、一体、ヨシオはツトムを使って何を証明させようとしたのであろうか?
 オサムはその日、確かに昨日(と思われる)と同じような環境にいるような気がして仕方がなかったが、同じ日を繰り返していると言えるほど、同じではなかった。
 中途半端に昨日と同じ感覚なのである。
 元々、昨日と同じ日だという感覚があるのだから、その部分を差し引いたとしても、ここまで中途半端な感覚は、
――明らかに違う日――
 だということを示唆していた。
――そういえば、昨日ってどんな日だったんだっけ?
 昨日という日を思い出そうとすると、意識が錯乱してくるのを感じた。昨日という日をどんな日だったのかというよりも、
――どれが昨日の記憶なんだろう?
 と言った方がいいかも知れない。
 自分の中にある一日という単位の記憶が、時系列で並んでいるはずなのに、すべてが、平行線になっているように思えてきた。
――どの記憶が昨日で、あるいは一昨日で、あるいは一年前で……
 と記憶を紐解いているつもりが、逆に絡ませているのを感じた。それだけ記憶に繋がりがない。つまりは、繋がっているはずの一日の始まりと終わりがハッキリとしないのだ。
 たとえ時系列に並んでいないとしても、一日の始まりと終わりがしっかりと記憶されていれば、そこからどれが昨日なのか、さらにそこから遡ることもできる。つまりは推測要素になるものがしっかりしていれば、一つ一つを消去していくことで、最後に残る「昨日」を捜し当てることができるはずなのだ。
 だが、同じ日を繰り返しているのだとすれば、まったく同じ記憶が時系列の中で一番最新に、そして、消去法でいけば、最後に残るはずなのだが、その意識がない。
――同じ日を繰り返している時というのは、昨日の記憶がなくなっている時なんだろうか?
 もし、昨日の記憶が存在しているとすれば、同じ日を繰り返しているという意識とともに記憶までが存在してしまうと、頭の中が混乱し、
――本当に同じ日を繰り返すことができるのだろうか?
 という意識を抱いてしまう。
 繰り返さなければいけないのに、繰り返せないのは、タブーに当たる。それを敢えてさせるのであれば、リスクは最小限度に留めることになるだろう。それが、
――同じ日を繰り返している時というのは、昨日の記憶がなくなっている時なんだろうか?
 という疑問に対しての答えになるのかも知れない。
 同じ日を繰り返しているということをあまりにも過剰に意識しすぎているのかも知れない。それは自分が感じているよりも、まわりから言われることの方が強い意識を植え付ける。それも一人からなら、
――そんなバカなことはない――
 と一蹴できるのだろうが、同じ時期に二人から言われたのだ。
 二人は示し合わせているというのであれば分からなくもないが、そんなことをして、何の得になるというのか、まったく分からないではないか。
 同じ日を繰り返しているというのを初めて意識した人は、どんな気持ちだったのだろう?
 もし、誰からも教えてもらっていないとするならば、簡単に信じられることではないはずである。
 同じ日を繰り返しているのが事実だとしても、まず最初に自分の頭を疑ってみるのではないだろうか。
――そんなバカなことあるはずない――
 と、思うことで、問題は自分にあるとしか思えないだろう。
 オサムは同じ日を繰り返しているという意識があるが、実際に信用できるほどの確証があるわけではない。明らかに他の人とは感覚が違っているようだ。そう思うと、違う不安が頭を過ぎる。
――他の人は、いずれは元の世界に戻れるようだが、僕の場合は、本当に元に戻れるのだろうか?
 違うパターンに敏感になっているオサムだった。
 ただ、本当に他の人と違うパターンなのかどうかも分からない。オサムの勝手な思い込みだからだ。
 確かに今まで何人かから同じ日を繰り返しているという話を聞かされたが、その内容に関しては、ほとんど聞いていない。聞きたださなかったのが悪いのだろうが、それは話しを聞きながら、自分で勝手に想像を膨らませた部分があったからだ。
 しかも、元々同じ日を繰り返すという発想をオサムは持っていた。
 自分は小説家でもなければ科学者でもない。しかし、子供の頃に見たテレビ番組で、似たような話があったような気がする。オムニバス形式の奇妙なお話をドラマ化したものだが、オサムはその中で同じようなストーリーを見て、恐怖を感じたのを覚えていた。
――そういえば、あの話の結末ってどうなったんだっけ?
 何度も思い出そうとしたが思い出せない。
 オサムは今回、他の人から同じ日を繰り返しているという話を聞かされた時、思い出そうとしたが思い出せなかった。しかも、その時に、
――同じ日を繰り返しているという人には、共通点がある――
 とどうして感じなかったのだろう?
 共通点というのは他でもない、
――同じ日を繰り返すという発想を、意識している人が陥る現象だ――
 ということだ。
 これほどハッキリとした共通点はないではないか。誰もが陥ることではないとすれば、陥る人に共通点があるはずだ。
 しかし、そのことを考えなかったということは、オサムの頭の中に、
――同じ日を繰り返すという現象は、誰もが一度は人生の中で経験することではないのあろうか?
 と感じていたからなのかも知れない。
 それにしても、
――では、誰もが必ず元の世界に帰ってこれるということなのか?
 ということでもない限り、同じ日を繰り返している人が増え続けることになる。
――そんなことがあっていいのだろうか?
 そう思ったことで、同じ日を繰り返している人は、限られた人だけだと考える方が自然であり、その人たちには共通点があると考える方が、これまた自然というものではないだろうか。
 オサムはそのことに気付くと、それでも、
――皆必ずいつかはこっちの世界に戻ってこられるんだ――
 と思った。
 根拠は、
――同じ日を繰り返す前に必ず前兆があり、前兆と同時に、向こうの世界の人間がまるで誘うように現れる――
 それは、向こうの世界にいる人間が、一人向こうの世界に引きこむことで、自分がこちらの世界に復帰できると考えたからだ。
 ということは、向こうにいる人間の数は決まっているということになるのだろうか?
 ただ、こちらの世界でも同じようなことが言える。
――世界的に考えると、たとえば一分間に、必ず何人かが生まれ、何人かが死んでいる――
 と思うと、少々の誤差はあっても、短期間であれば、それほど人の数に差はないというものだろう。人口の減少を感じるのは、まとまった期間の間を取るからで、限られた期間であれば、さほど差はないはずだった。
――死んだ人は、どこに行くのだろう?
 そんなことを考えたこともあったが、
――生まれる子はどこから来るのだろう?
 と考えたことはなかった。
 誰かの生まれ変わりだという発想がないわけではないが、それもレアなケースで、なかなか信憑性のある発想ではない。
 そういえば、オサムは子供の頃、同じ日を繰り返しているテレビドラマを見た時、
――同じ日を繰り返すのから逃れるためには、死ななければいけないのではないだろうか――
 と感じたのを思い出した。
 それはテレビ番組のストーリーから感じたことだったような気がするが、なぜか思い出せなかった。
――ひょっとして、あの時、最後まで番組を見なかったのではなかっただろうか?
 記憶がなぜか定かではないが、ここまで曖昧なのは、本当にラストまで番組を見ていなかったからかも知れないという発想も、まんざらでもないと思えてきたのだ。
「死」というものを、子供心に受け入れる気持ちにならなかったことが、その時、記憶を留めておけなかった理由なのかも知れない。自分にとって理解できることでも、理解してしまうと、自分がその後、理解したことによって苦しむことになるというのであれば、受け入れることはできないという思いが、記憶を留めさせることを拒んだに違いないと思うのだ。
 そんな思いは他にもある。
 テレビを見ていて、記憶はしているのだが、その時完全に、他人事のようにしか感じなかったものも少なくはない。
 たとえば親子関係の絆を描いた番組など、涙を誘う番組であっても、その時は感動して涙を流すこともあっただろう。しかし、ほとんどは、他人事だと思って見ているから涙も出るのであって、自分のことのように置き換えてみるとすれば、案外冷静に見てしまうところがオサムにはあった。
 オサムは、自分の親をあまりよくは見ていない。
 子供の頃から厳格な父親に対して、それに逆らうことのできない母親をずっと見続けてきた。
――まるで、昭和の家庭のようではないか――
 昭和の家庭がどんなものなのかハッキリとは知らないが、家族の中で父親が絶対的な力を持っていて、父親に逆らうなどもってのほか、母親は父親の意見に従い、逆らうことは許されない。
 家族は父親のいう通りに行動する。
 家族サービスで、
「日曜日はデパートに行くぞ」
 と、言われて、テレビドラマなどでは、子供たちは嬉しそうに小躍りしている姿が写されたりしていたが、
――そんなのウソっぽい――
 と、オサムはいつも心の中で叫んでいた。
 そして考えることは、
――自分が大人になったら、絶対にあんな親にだけはなるもんか――
 という思いであった。
 家族関係の何が一番幸せなのか、オサムには分からなくなった。大人になった今でも分かっていない。その原因を作ったのは、紛れもなく自分の両親だった。そう思うと、自分の両親を許すことはできない。
 特に父親は、
――自分の意見を押し付けて、何が楽しいんだ――
 と思っていた。
 しかし、最近では少し違う思いもある。
――本心からではなかったのかも知れない。家族を纏めるために仕方なく、厳格な父親を演じていただけなのかも知れない――
 とも感じるようになったが、それでも許すことはできなかった。その一番の理由が、
――僕を迷わせたからだ――
 と感じるからだった。
 考えてみれば、そんな考えは意地を通しているだけの、何の得にもならないことであり、余計な神経を遣うだけ、無駄なことなのに、どうしても我慢できない自分がいる。
 しかし、一方ではそんな自分を情けないと思っている自分がいるのも事実で、もう一人の自分は、意地を張りとおす自分を、他人事としてしか見ていないのだ。
 オサムは、時々、
――自分が誰かの生まれ変わりではないか?
 と感じたことがあった。


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