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作品名:二重構造 作者:森本晃次

第8回   優香と綾−3
 もう一つの考え方として、強さの問題ではなく、そもそも相手の気持ちを読み取る力の種類が違っている可能性もある。
 例えば、相手の目を見るだけで相手が考えていることが分かってしまうという「本能的」な力だ。それ以外としては、相手の様子や素振りから、自分の想像できる気持ちのパターンに当て嵌めて、その気持ちを計り知るという育ってきた環境とそれによって培われた力によるものだとすれば、「統計的」な力だと言えるのではないだろうか。
 二人の力のかかわりがどのようなものなのか分からないが、スムーズに行っていても、いずれは一触即発の危機を孕んでいる可能性も否定できなかった。
 優香は、綾が持ってきた週刊誌を読んでみたが、あすながどんな発表を学会に残したのか分からなかった。
 そもそも週刊誌というのはゴシップを抜くのには長けているが、研究内容を理解できるまでの人がいるはずもない。
「優香さん、そんなにS研究所の発表が気になりますか?」
 と、綾から言われた。
 さすがに綾には、隠し通せることではないと思い、気持ちを抑えることをしなかったが、それも、腫れ物に触ることのない綾の性格を分かってのことだった。そう思っていたのに、ふいに綾からの指摘は、優香に動揺を与えた。
「そんなことはないわ」
 気持ちを隠しても同じなのに、優香は否定した。綾はそれを見ながら、笑ったかのように見えたが、その表情に余裕のようなものが感じられたのは、どういうことだろう?
 優香は綾の気持ちを読もうとしたが、まったく読むことができない。それだけ動揺しているということなのだろうが、ここまで何も浮かんで来ないということは、動揺によるものであることは明らかで、しかも、自分のこの力が「本能的」な力であることを裏付けているように思えて仕方がなかった。
「優香さんの研究も佳境に入ってきているんですから、今は、人の研究のことを気にしている場合ではないんじゃないですか?」
 優香の研究もタイムマシンの研究に似ていた。突き詰めれば、タイムマシンの研究に行き着くものなのだろうが、今の段階では、タイムパラドックスへの挑戦と言った内容になっていた。
 優香の研究は「無限性」に対しての研究でもあった。
 優香の中で、
「タイムマシンの研究に似ている」
 と思っているのは、自分の研究の発想が、タイムマシンを使った時に起こることの証明から始まっていたからだ。
 学説への入り口は、
「タイムマシンを利用したたとえ話」
 というところで、奇しくもあすなの発想に似ていた。
 おおむね、今発表されている学説の多くは、案外何かを利用した時のたとえ話からスタートしているものではないかと考えている研究者は、あすなや優香だけではなく、結構たくさんいるようだった。
 優香もあすなと同じようにタイムマシンを利用した発想から始まった。しかも途中まで同じだということをお互いに知るはずもないことだった。
 優香の場合は、
「タイムマシンに乗ってどこかの世界に飛び立つと、飛び立った元の世界に、自分はいないのだろうか?」
 という発想までは、あすなと同じだった。
 あすなの場合は、飛び立った元の世界にも自分はいて、歴史を変えないようにしようという力が働くと考えていた。
 しかし、優香は違った。
「飛び立った元の世界には、もうすでに自分はいない」
 という仮説を立ててみた。
「じゃあ、飛び立った人は、その場所に帰ることができるということですか?」
 と綾が聞くと、
「それは分からない。単純に帰ってこれるのであれば、もっと前にタイムマシンに対しての学説が確立されていたはずだわ。でも、飛び立った世界に自分が存在しないと考えた方が、私は自分を納得させることができるような気がするのよ」
「私もそれは同意見ですね」
「飛び立った世界に自分が存在していないということは、自分は消えてしまったのと同じことになるので、失踪と一緒のようなものよね。昔であれば、『蒸発』なんて言葉もあったわ」
「ということは、飛び立った世界のそこから先は、自分はずっと存在していないということになるのよね」
「その通り。だから、未来であれば、どの世界であっても、タイムマシンで到達することは可能なの。私はそこに、アインシュタインの『相対性理論』を結びつけて考えるわ」
「どういうことなんですか?」
「かなり以前に発表された映画で、宇宙ロケットに乗って飛び立った二人の男性がいるんだけど、その二人は『相対性理論』を理解していて、ロケットで眠っていた時間を一年間として、『相対性理論』では、数百年経っているという会話をしていたのよね」
「ええ」
「それって、タイムマシンの発想と同じなんじゃないかって思うのよ。『相対性理論』の中には、『時間というのは、高速になればなるほど、その中にいる人は時間が経っていない』というものでしょう。だから、表の世界は数百年経っているのに、自分たちは一年しか年を取っていないという発想ね」
「それは、浦島太郎にも言えることですよね」
「その通りよね。アインシュタインの発想は、まだ百年ちょっと前のものなのに、浦島太郎の話は、五百年以上も前の発想でしょう? これってすごいわよね。世の中はまだ武士の時代で、理論なんか分かるはずもないのに、ちゃんと物語として理論を伝えてきたんだから、日本人のすごさを感じるわ」
「でも、それって全部未来に対してのことですよね?」
「そうね。過去に戻るという発想のお話は聞いたことがない。もっとも、おとぎ話には、未来という発想を与えないようにしているような気がするの。浦島太郎にしても、あくまでも最後になって陸に上がると、知らない世界に変わっていたとは言っているけど、未来になっていたとは言っていないわよね。乙姫様よりもらった玉手箱を開けると、おじいさんになってしまったところで終わっているけど、そこが未来だとは言っていない」
「その時代の人に、そんな理屈が分かるはずないですよね」
「そうなのよ。それなのに、その時の物語が五百年経った今でも語り継がれている。つまりは、重要な話だと思っていた人がずっといたということなのよね」
「未来への系譜のようなものと考えればいいのかしら?」
「そうかも知れないわね。五百年前の発想が、やっとここ百年くらいの間に追いついてきた。そう言ってもいいんじゃないかしら?」
「昔の人は、何を考えて、あの話を書いたのかしら?」
「言われていることとして、竜宮城というのは宇宙であり、カメに乗って海の中に入って行ったというのは、ロケットに乗って、高速を体験したと言い換えられないかということなのよね。だから、その時に宇宙人が地球に存在していたというのはありなのかも知れないわ」
「でも、それが本当にロケットだったのかしら? 実はタイムマシンだったと言えなくもないかしら?」
「それもありかも知れないわね。でも、私はもう一つ、疑問に思っていることがあるの」
「それはどういうことなんですか?」
「浦島太郎は、竜宮城から帰ってくると、まったく知らない世界になっていたって言っているでしょう?」
「ええ」
「でも、ここでおかしいと思わない?」
「どうしてですか?」
「だって、知らない世界を数百年も未来の世界だというのであれば、浦島太郎がその世界についた瞬間に、一気に年を取ってしまうんじゃないのかしら? ひょっとすると、ミイラ化してしまうかも知れない。実は、このことはさっき言った昔見た映画の時にも思ったんだけど、高速で動いている間の人間は年を取らないかも知れないけど、そこで普通の世界に戻ったのなら、一気に年を取ると考えた方が自然なんじゃないかって思うのよ。それこそ自然界の摂理であり、年を取らないということは、時間への冒涜ともとれるんじゃないかって思うのよ」
「あっ」
 綾は、小さな声で驚いた。
 これ以上の声を出すと、自分がその驚きに押しつぶされそうに思えたからではないだろうか。
「ということは、タイムマシンの研究で、未来に出ることができたとしても、一気に年を取ってしまう危険性を孕んでいることに誰も気づかないように考えられたのが、SF映画であったり、浦島太郎だったりするのかも知れない。もっとも、そうでないと、物語として成立しないだろうからね」
 と言って、優香は笑った。
 しかし、この笑みは笑顔からではなく、明らかに冷たい失笑だった。
「綾はどう思う?」
 綾に振ってみると、綾には綾で考えていることもあったようだ。
「最初に話は戻るんですが、タイムマシンで自分が飛び立ったところから先にだけ自分が存在しないということは、過去にはいけないということですよね?」
 綾の方が、最初にその話題に触れることなく進んだのに、話をまた前に戻したのだった。
「そうね、私の言いたいことの半分は、タイムマシンを使ってでも、過去にはいけないということ。過去に行ってしまうと、そこにはもう一人の自分がいて、同じ次元の同じ時間に、同じ人間が存在してはいけないというタイムパラドックスに違反することになるのよ」
「でも、タイムパラドックスとは言っているけど、それも、しょせんは学説でしかないのよね?」
「もちろんそうだけど、でも、こういう研究は、過去から培われた理論を尊重しながら行わなければいけないのよね。その中には真っ向から歯向かう意見があることも承知しているけど、この場合、私は完全に承服した上での発想しか思い浮かばないの。ということは、この理論は間違っていないと、私は納得しているのよ」
 優香の言葉には説得力があった。
「実は、私はそこまで優香さんのように、過去の理論に執着する必要はないと思っているの。優香さんには悪いけど……」
 綾は恐縮そうに肩を竦めた。
「そんなことはないわよ。学説にしても理論にしても、自分だけの発想だけでは解決できないこともある。なまじ解決できたとしても、いずれどこかで引っかかってくるような気がしているの。あなたもそう思っているような気がするわ」
 優香は綾の顔を見た。
「さすがに優香さんの言う通りね。でも、私の発想は、もしかすると、優香さんの発想を根底から覆すことになるかも知れませんよ。それでもかまわないんですか?」
「私には私で自信を持っているつもりよ。まずは自分に対して自信を持つことが大切なの。それが研究者としての宿命でもあるし、生き甲斐でもあるのよ」
「でも、優香さんがさっき話してくれた浦島太郎の物語で、陸に上がった瞬間、年を取らないという発想は、私も以前考えたことがあったんですよ。でも結局結論が出ずに、考えることを止めました」
「私も、今までに何度も、この発想に行きついたのよ。でも、何度も発想しているということは……、分かるでしょう?」
「そうですね」
 なるほど、結論が出ないから何度も思い立っては考えているのだ。
 それにしても、何度も同じ発想を思い浮かべるというのは、どういう心境なのだろう?
 綾には想像もつかなかった。綾の場合は、一度浮かんだ発想が、その時に結論を得ることができなければ、二度と考えることはない。つまり一度何かの発想を考えると、二度とそのことについて再考するということはないということだった。
 綾は自分の性格をアッサリしているとは思っていない。どちらかというと、一つのことに集中すると、他のことを忘れてしまうほどで、これは研究者としては、普通なのではないかと思っていた。
 しかし、一つのことに凝り固まってしまうことは綾にはなかった。それは、
――ダメならダメで、自分を納得させることができる術を持っている――
 と思っているからだった。
 研究というのは、ある程度までは深みに嵌り込まなければ、発見できるものも発見できないと思っている。しかし、嵌り込みすぎると抜けられなくなることも分かっている。つまりは、
――引き際――
 というのが大切だった。
 綾は、学生時代からギャンブルをやっていた。
 それは別に金儲けが目的ではなく、自分の中の勝負師としての感性を磨くことが目的だった。麻雀や競馬、パチンコなど、さまざまなギャンブルをやっていた。
 それぞれに深入りすることはなかった。やっているうちに、自分に合っているものが見つかればそれでよかった。しかし、それともう一つ目的があった。
「ギャンブルというのは、止め時が問題なんだよ」
 と、勝負師の人に言われた。
「ギャンブルは、将棋やスポーツなどと違って、ある程度自分で自由にやめることができる。だからこそ、止め時を間違えると、深みに嵌ってしまって、抜けられなくなる。勝ち続けている時もあれば、負け続ける時もある」
「はい」
「勝ち続けているからと言って、それを自分の運や実力だと思ってやり続けると、いずれ負け続ける時がやってくる。そんな時、君はどう考えるかね?」
「……」
 答えないでいると、相手は笑みを浮かべて話し始めた。その顔には、
「本当は、分かっているんだろう?」
 と言わんばかりの余裕の笑みが浮かんでいた。
「君はたぶん、『まだ勝っているんだから、マイナスになる前に止めればいい』と思うんじゃないかい? でも、もう一人の自分が囁くんだよ。『少々マイナスになっても、そのうちにまた勝ち続けられる波がやってくる。その時までじっと待てばいい』ってね」
「ええ」
「確かに、波は来るかも知れないけど、その可能性がどれほどのものなのかを考えたりはしない。考えることはできるのかも知れないけど、考えることで、自分が勝負から降りるのが怖くなる。なぜなら、金銭にこだわらないと思っているにも関わらず、失ったものはもったいないと思うものなんだ。だから、決して止めることはしない」
「きっとその場になれば、おっしゃる通りになると思います」
「君はビギナーズラックという言葉があるのを知っているかい?」
「ええ、初心者がなぜか勝ってしまうというオカルトのようなものですよね?」
「そうだね。オカルト、都市伝説の類だね。でも、オカルトというのは、超自然という意味もあるんだよ。自然現象を超越したもの。それを信じるか信じないかということなんだけど、これだって、真実は一つなのさ。だから、僕は実際に起こっていることは否定できないという観点から、ビギナーズラックは信じているんだ」
 その人の言葉には説得力があった。
「ビギナーズラックというのも、引き際の一つと考えることもできるんでしょうか?」
「それも一つの考え方だね。ただ、僕の言いたいのは、現実に起きていることを、オカルトや都市伝説として片づけてしまうのは、やり続けた時に、波が来る可能性を考えるかどうかということにも繋がってくると思うんだ。ビギナーズラックを軽視した人には、波が来る可能性についてなど、考える気持ちの余裕はないと思うよ」
 綾はその話を聞いた時、自分がギャンブルをする意義が分かったような気がした。最初は、
――運というのが実力に結びつくか?
 という発想から始まったものなのだが、それが感性へと変わり、そして、引き際を見極める目を持つことに繋がった。綾が、
――ダメならダメで、自分を納得させることができる術を持っている――
 と感じるようになったのは、この時の勝負師の人の話を聞いて、自分なりに考えた結果だったのだ。
 優香という女性は天才肌である。しかし、綾は天才というよりも自分の努力でのし上がってきたと言ってもいい。しかも、その努力は孤独の中から生まれたもの。そのことを優香には分かっていた。
 しかし、綾には努力だけではなく、天才的な部分も備わっていた。本人は気づいていないかも知れないが、その最たる例として、自分がこれから誰についていくと考えた時、選んだのが優香だということだ。
「先見の明」
 という意味では、類まれなき才能を、綾は発揮している。優香も、綾がいてくれることで、自分の天才的な力を、それ以上に発揮することができている。綾は、自分の力を人に与え、その力をさらに倍増させるという力を持っているのだ。
 それは、他の人にあるような、
「助手が最高なので、主人が引き立つ」
 というのとは少し違っている。
 この場合の助手は、あくまでも「影」としての存在であり、光になろうとして出しゃばってしまうと、主人の力が削がれてしまうことになるのは必至だろう。
 しかし、優香と綾の関係は、そうではなかった。
 綾は決して優香の前で「影」ではない。自分は「光」として輝き続けている。
 しかも、どちらも「光」として輝きながらも、お互いに、その輝きが削がれることはない。
 つまりは、それぞれの『光』の輝きは、力という意味では別物なのだ。
 相手を引き立たせる力を持っていながら、もちろん、自分での光を褪せらせることはない。その力がお互いに誘発させることで、力関係の均衡を保っているのだ。
 それにしても、自分でも十分に表舞台に出て、やっていけるだけの力を持っていながら、どうして綾は優香に固執するのだろう?
 優香はその思いをずっと抱き続けていた。綾を助手だと思いながらも、対等、あるいは時として、自分よりも上に崇め奉るくらいの気持ちになっているのは、優香の中に、綾に対しての恐怖心があるからだった。
 優香はもちろん、綾もそのことは分かっている。
 優香が自分に対して、恐怖心を抱いているのを分かってはいるが、綾はそのことに警戒心を抱くことがなかった。
 それならそれでいいと思っているからだ。
 普通の人なら、自分の立場を脅かす人が現れれば、何とか排除しようと思うだろう。しかも、恐怖心を抱いているのだから、なおさらのことだ。
 しかし、彼女を排除することは、自分のせっかく今まで築いてきた地位や名誉を捨てる結果になるかも知れない。
 ある程度までの地位に昇りつめると、それ以降に限界を感じ始める。そこまでくると、今度はその地位にしがみつくのに必死になる。
 今までのように、上ばかり見て歩んでいくわけにはいかない。今度は下を見なければいけない。
 下を見るということは上を見るよりも怖いことだ。梯子を昇っている時だって同じではないか。上を見ている時は怖くなかったものが、下を見ることで急に恐怖心を煽られてしまう。
 しかも、下からはどんどん人が迫ってくるので、自分は上に昇っていくしかないのだ。そう思うと、下を見ることすら許されなくなる。
「現状維持ほど難しいことはない」
 と言われる。
 どんどん自分の力の衰えと戦いながら、前を見続けなければいけないことは、自分に方向転換も意識させられる。この時一人だと、これほど心細いものはない。上を目指している間に、その時に一緒にいてくれるパートナーを探すことも、今の優香には必要なことだった。
 だからこそ、優香には綾が必要なのだ。怖いと思いながらも、いずれは自分の本当の力になってもらいたいと思っている。それは頭の中での矛盾であり、ジレンマでもあったのだ。
 輝き方の違いには、ある程度目を瞑り、優香は綾を手放すことはできない。そのためには、今まで以上に綾に対して、気を配っておかないといけないような気がした。
 しかし、綾は言わずと知れた百戦錬磨の猛者だと言ってもいい。優香も自分に対して同じような思いを抱いているのも分かっている。ここは分かち合うには、相手に対しての尊敬の念を、表に出すほかはないと思うようになっていた。
 優香は綾に対して尊敬の念はしっかりと持っている。今までは、
――自分が主人だ――
 という意識を持っていることで、表に出さなかったが、今後はその思いを表に出していかなければいけないと思うようになった。
 綾は自分の人生の中で、一度だけ幸せに感じた時があった。その幸せというのは、女としての幸せであり、逆に言えば、女としての幸せを感じたのは、今でもその時一度だけだと思っていた。
 それは、綾がその時付き合っていた男性からプロポーズされた時のことだった。それまでに付き合っていた男性は何人かいたが、綾は心から好きになった人はおろか、
――この人なら信じられる――
 と思える人もいなかったのだ。
 要するに男運が悪かったというべきであろうか。
 綾は、男性に対して見る目はなかった。今まで付き合う男性は、軽いノリで付き合っているだけで、男の言葉を最初は疑ってみても、最終的には信じてしまう綾は、騙すにはこれほど騙しやすい相手はいなかった。
 二股三股は当たり前、それを発見し指摘すると、相手は開き直って、
「俺がお前のような女を真剣に好きになるわけないだろう? お前は俺の付き合っている女の中の一人でしかないんだよ」
 と言ってのける。
 男としては開き直っているわけではないのかも知れない。自分のことを信用してくれるのはいいのだが、それも浮気しても疑わないと思っていたから、
――どうせバレるまでの付き合いだ――
 と、バレた時には最初から別れるつもりでいたのだから、いくらでも言いたいことは言えるというものだ。
 その時の男は捨てセリフとともに綾の前から姿を消した。未練の欠片もなかった男に対し、
「去る者は追わず」
 と思っていた綾の方が、未練タラタラだった。


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