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作品名:二重構造 作者:森本晃次

第3回   あすなへの思い−3
 確かに夢の世界と現実の世界では次元の違いに匹敵するほどの違いがあるのかも知れない。
 例えば、以前見た映画で、四次元世界を創造したSFだったのだが、四次元の世界というのは、時間という次元が違うだけで、実際にはすぐそばにいるものだという。本来であれば時間が違うので接点があるはずのないのに、何かの拍子に違う次元の人の声が聞こえることがあるというものだった。
 姿が見えないのに、声だけがするという現象に、主人公はすぐに、「次元の違い」を感じ、どうしてそんなことが起こったのか映画では暈かしていた。
「次元の歪」
 という表現でしか語られていなかったが、ストーリーは、最初から最後までお互いに見えない相手との交流から、相手の世界の矛盾を解決するというものだった。
 こちらの次元の人には決して見えないものが、異次元世界の人には見える。逆に言えば、こちらの世界の人に見えるものが、あちらの世界の人には見えないのだ。
 もっとも、それは異次元を意識しなければ見えてくるものではないので、いきなりたくさんのものが見えてくることになるという、常人であれば、頭が混乱してしまうことだった。よほど「次元の歪」を理解しているか、素直な気持ちで受け入れることができるかでなければ、耐えられないことだろう。そういう意味では、異次元を意識できる人というのは、本当に限られた人しかいないのだ。
 しかも、理解できた人が他の人に他言することはありえない。
 他言してしまうと恐ろしいことが起こるという感覚は、子供の頃に諭された「おとぎ話」で、嫌というほど分かっている。おとぎ話を信じられない人には、異次元の発想など理解できないことでもあるのだ。
 異次元を理解できる人、つまりは異次元を感じることのできる人は、おとぎ話など必要はなかった。おとぎ話を信じられない人には異次元を感じることができないのだから、考えてみれば、おとぎ話の教訓など、まったく無意味だと言ってもいい。
 それでも、昔から受け継がれてきたおとぎ話が本当に正しく伝わっていたのかというのも疑問である。
 伝言ゲームというのを思い出す。
 正しく伝えているつもりでも、そこに何人もの人が絡むと、歪んで伝わってしまう。そこには人それぞれの感じ方があり、理解度も異なってくる。
 一つが違えば、次には二つになる。次第にアリの巣のように穴ぼこがたくさんできてくるのだが、そのうちに地盤が崩れ、大きな一つの穴が出来上がることだろう。
「それこそ、次元の歪」
 と解釈した人もいたようだが、その人も異次元の世界を覗くことができ、覗いてしまうと、それ以降、一切の異次元の話をしなくなった。事情を知らない人は、
「あれだけ異次元の話題ばかりしていた人が急にしなくなったんだ?」
 と疑念を抱くことだろう。
 そのことを本人は誰にも知られてはいけないと思っている。一度垣間見た異次元の世界というのは、この世界とはまったく違ったもので、
「それを口にすると、よくないことが起こる」
 というよりも、
「異次元世界のことは、犯してはならない神聖なものなのだ」
 という感覚に陥らせるに違いない。
 あすなは、自分が異次元世界に興味を抱いた時のことを思い出していた。
――きっとそのうちに、私は異次元世界のことを垣間見ることができるんだ――
 と感じていた。
 その思いに信憑性はなかったが、予感だけは強かった。
 なぜなら、普段であれば、
――異次元世界のことを思い浮かべるということは、怖い発想にしか結びつかないことを意味している――
 と感じていた。
 下手に感じてしまうと、異次元世界に落ち込んでしまって、戻ってくることができないと思ったからだ。
 しかし、それ以上に怖いのは、次元と次元の間にある「溝」に嵌ってしまうことだった。次元と次元の間に溝があると感じたのは、いきなりだった。四次元の世界というのは、テレビドラマやSF小説などでしか想像することができなかったはずなのに、一人で瞑想している時に異次元を感じている時に、
「溝というものがあるんだ」
 と勝手に想像されたのだ。
 しかも、初めて感じたはずなのに、
――以前から感じていたような気がする――
 という思いの下、違和感を与えないようにしていた。
 溝に嵌ってしまうと、抜けることができない。SF小説などで出てくる宇宙の墓場と言われる「サルガッソー」のようなものや「ブラックホール」などは、その最たる例である。
 ここまで感じてくると、
「異次元の世界が怖いと思っていたのは、実際の異次元を怖がっていたわけではなく、本当はその間に存在している溝に対して恐怖を抱いていたのではないだろうか?」
 と思えてきた。
 どこまでが三次元で、どこからが四次元なのかも分からない中、何が溝と言われても分からない。ただ、SFの発想として、誰かが「サルガッソー」や「ブラックホール」を創造したのは間違いのないことであって、あすなは、今その発想の域に達しようとしていることを、決して喜んでいるわけではない。
――こんな余計なこと、発想なんかしたくない――
 というのが本音であり、
――勝手に自分の頭に浮かんでくるんだ――
 という思いを、自分の性であったり、運命さえも考えるようになっていたのだ。
 しかし、あすなはその域まで達してくると、
――ここまでくれば、自分で納得できる――
 というラインに達するまで、あと少しであることを自覚していた。
 それでもなかなか届かない。ここから先が本当の正念場というべきであろうか。そう思うと、夢を見るのも怖いと思うようになってきたのだ。
――どうせなら、いっそ、異次元の発想など、頭から消えてなくなってほしい――
 と感じるほどで、
――異次元の発想って、どこからだったのかしら?
 と自分の頭の中から引っ張り出したくなってきたのも事実だった。
 男ならまだしも、女性ではなかなかここまで発想しないと思っていたが、それは間違いだった。異次元の発想するようになってから、道を歩いていても、異次元の発想を抱いている人が分かるようになってきた。
「この人は、そうだわ」
 目を見ていれば分かった。
 以前も同じように人を見ると、まずは目に視線が行っているのは変わっているわけではなく、見る角度も変わったわけではないし、感じるものも変わりはない。変わったとすれば、相手が異次元の発想を、今抱いているかということが分かるということだけだった。
 そう思うと逆に、
――相手からも、私が異次元の発想をしている人だって分かるのかしら?
 と思ったが、それなら、どうして話しかけてこないのか考えてみた。
 確かに自分も相手に話しかける気はしないのだが、それはどうしても相手から話しかけられるのを待っているからだった。あすなは、元々人に話しかける方ではなく、相手に話しかけられるのを待っているようで、
――ひょっとすると、異次元を意識している人というのは、自分から誰かに話しかけられるような積極性のない人ではないだろうか?
 と思えてきた。
 そうやって考えてみると、今までにもいくつか異次元のことを感じている人の特徴がいくつか集まってきた。それを組み立てると、一つの仮説が生まれてくるのではないかと思ったが、実際組み立ててみると、意外と組み合わせるのが難しかったりする。
 組み合わせを考える時の一番難しいのは、最後から二番目だった。最後から二番目が組み合わないということは、最後が合うわけはない。それ以前に遡っていくと、そこに法則性があることに気が付いた。
「まるでカエル飛びのようだわ」
 二人の自分がいて、その自分が交互に遡っていく。お互いに平行線であり、交わることはない。つまりは、その存在を知ることはない。この発想が、実はあすなのいまだ知られざる大きな発見に結びついていくわけだが、その最初は夢を見るという発想から結びついてきたことなのだ。
 あすなは、目が覚めた午前三時にカーテンから洩れてくる光を漠然と眺めながら、さっき眠った時、夢を見たような気がした。
 普段であれば、思い出すことはないのだが、その時は思い出すことができた。
「そうだわ、昼間に会ったジャーナリストだと言っていたあの香月という男が夢の中に出てきたんだわ」
――なぜ、あの男が?
 確かに意識はしていた。
 今までに会った人の中で、
――二度と会いたくない――
 と感じている人の中で、初めて意識が頭の中に残ってしまった人なのかも知れない。それは彼の存在が、これからの自分に、あるいは、気づかないうちに今も自分に大きな影響を与えていて、運命を感じさせる人なのではないかと思わせた。
 あすなは、自分が今、タイムパラドックスについてものすごい発想を抱いていることに気が付いた。しかし、それは過去にも誰かが思いついたことである気がして仕方がない。
――確かに今思いついた発想は、私が知っている限りではオリジナルのはずなんだわ――
 と思っていたが、よくよく考えると、自分が思いつくくらいなんだから、他の人だって思いついていいはずなのである。
 それなのに、どうして自分なのかを考えてみると、最後のパーツがうまく噛み合うか噛み合わないかというそれだけの違いが、大きく影響しているような気がしていた。
 あすなの発想は、確かに繋がってみると、誰もが思いつきそうに思えることだが、最後に結びつかなければ、それ以上はない。複雑な思いを巡らせることで、遠回りしているにも関わらず、辿り着いた先には、最短距離の道しか見えていない。つまり、辿り着かなければ、途中までいくら想像を巡らせたとしても、まったくの無駄な努力に終わってしまう。この発想に、「後戻り」はないのだ。
 元々の発想は、タイムマシンから始まった。
――タイムマシンに乗って、自分が現在の世界からいなくなると、本当に自分のいた世界に自分がいないのだろうか?
 という発想が出発点だったのだ。
 この発想は今に始まったことではない。たまに気が付いた時に、この発想をしているのだが、何かの結論が産まれたことはない。この発想の行き着く先は、今までの学説や一般論を覆すものになるかも知れないと感じていたほどで、そう簡単に解ける謎ではないはずだった。
 あすなには、
――いなくなっても、その場所には自分がちゃんと残っている――
 という発想があった。
 その時に改めて考えるまでは、
「同じ世界にもう一人の自分は存在することはない」
 という発想から、
「自分はその世界から消えてなくなることになるのだが、自分がいなくなったことで、元いた世界に変化があってはいけないので、まわりの人の記憶から、自分が存在していたという意識を削除する力が働くのだ」
 と考えていた。
 しかし、自分のことを知っている人の記憶から消すにしても、それだけの人が自分に関わっていたのか、それを探すだけでも大変だ。
 また、それよりも、自分のことを知っている人の記憶には、関連性があるはずである。
 それが、時系列を司るだけなのか、それとも、人との関わりに関してなのか、どちらにしても、一人の人の記憶を完全に抹消するには、その時に関わったすべての人に対しての記憶も操作する必要が生じる。
 たった一人の人間の記憶に対しても、これだけの操作をするためには、その人の中の自分だけの記憶だけではなく、もっと大量でデリケートに関わっている部分にまで、辻褄が合うように消さなければいけない。それを考えると、自分一人をその世界から抹消するということがどれほど大変なことなのか、抹消することを考えれば、その人がその世界に留まっているということを正当化する方が、はるかに辻褄を合わせるには簡単ではないだろうか。
 ただ、そうなってしまうと、次元を超えて飛び立った人が戻ってくる世界はないということになってしまう。別の人間として戻ってくるとすれば、今度はまたしても記憶の操作が入ってしまう。そういう意味で、
「タイムトラベルというのは、架空の発想で、タイムマシンが開発されたとしても、実際に自由に時代を行き来することなどできっこないんだ」
 という発想の裏付けになってしまう。
 一般論として、タイムトラベルは架空の発想であり、実際にはできっこないという説は有力であろう。
 あすなも、その発想だった。
 想像することは自由なので、いくらでも発想は思いついた。しかし、どんなに奇抜と思えるような発想であっても、最後にはどこかで引っかかってしまい、タイムトラベルを架空の発想だとしてしか考えられないという結論に導かれる。そう思わなければ、自分を納得させることができないのだ。
 何かを発想して、それを覆すことなく結論付けるためには、少なくとも自分を納得させなければならない。
「自分一人すら納得させられないのに、偉い先生方を説得できるはずもない」
 と思っていた。
 ただ、自分を納得させることができれば、偉い先生を納得させるまでの道のりは、さほど遠くないとも思っている。
 一つの山を越えれば、そこから見える光景も変わってくるはずなのだろうが、タイムトラベルの発想に関しては、一つの山を越えても、そこから見える光景は、元々見えるはずのものが見えていなかっただけで、変わりのないものだと思えてならなかった。
 あすなは自分を納得させることさえできれば、まわりの人を納得させるまでには、さほど遠いものではないと思っていたが、そうでもなかった。
 あすなの発想としては、時系列の中に表と裏が存在し、定期的に表が裏になり、裏が表になっているという思いを抱いていた。
 そこには、もう一人の自分が存在し、まわりには、表と裏が存在していても、まったく分からない。まわりはおろか、本人にも分かっていないのだ。だが、本当に本人には分かっていないのだろうか?
 表と裏が入れ替わる瞬間に、それまで考えていたことが、自然に乗り移り、元々裏だった自分が、最初から表にいたような感覚になっているだけなのかも知れない。
 では、裏にいる時の自分はどうなのだろうか?
 裏にいる自分は、じっと眠っているという思いにはなれない。裏は裏でいつも何かを考えているのではないかと思うと、
――裏の自分こそ、潜在意識といわれる自分なのかも知れない――
 そう思うと、夢を見るということの説明も付くではないか。
 夢を見ている時の自分は、裏の自分が意識している時間である。表の意識を引き継ぐことはなくとも、表の自分がずっと引き継いでいる気になっていることなどが、裏の自分に回されて、夢となって見てしまう。それは、
――忘れてはいけない――
 ということに繋がるのだろう。
 タイムトラベルで別世界に旅立った自分の意識は、その時に裏の自分に受け継がれている。
――裏の自分がいるから、タイムトラベルができるのではないだろうか?
 と感じていた。
 つまりは、タイムトラベルで別世界に飛び出した自分が戻ってくる場所があるとすれば、裏の自分でしかありえないのだ。
 裏の自分に戻ってきた自分が、果たして表の自分に帰ることができるかということは、あすなにも分からない。あくまでも、
――別の世界や別の次元に飛び出すことができるのか?
 という可能性を解いただけである。
 あすなは中途半端になっているこの発想を、誰にも話していなかった。だが、本当はこの発想、最初に考えたのはあすなではなかったのだ。
 最初に考えたのは、実は正樹だった。正樹は、あすなよりも少し先の発想をしていた。
 以前、正樹があすなに話した内容が、この発想に結びつくものだった。直接的に結びつく発想ではなかったが、あすなの中で燻っていたのだが、ひょっとすると、その燻っていた場所というのが、
「裏のあすな」
 だったのかも知れない。
「あすなは、もう一人の自分の存在を信じるかい?」
「ええ、信じているわよ」
 その時、一瞬訝しそうな表情をした正樹だったが、次の瞬間から、嬉しそうな笑みを浮かべていた。その笑みには
「自分の思った通りだ」
 という満足げな表情を醸し出していて、そんな顔をする時の正樹は、嫌いではなかったあすなだった。
「もう一人の自分を感じたことがあるかい?」
「感じたことはないんだけど、夢で見たような気がするの」
「夢の自分をどう思った?」
「夢って、自分は主人公でありながら、客観的に自分を見ているような気がするの。でも、自分は目だけの存在で、客観的には思えない。でも、もう一人の自分がいることで、それが正当化されるはずなのに、もう一人の自分が出てきた瞬間、なぜか怖い夢に変わってしまうの。しかも、そんな時に限って、夢というのを鮮明に覚えているものなのよ」
「じゃあ、もう一人の自分が夢に出てくる時というのは、自分で正当化しているのに、怖い夢だという認識でいるということなの?」
「そうなの。怖い夢ばかりを覚えているんだってずっと思ってきたけど、こうやって考えてみると、怖い夢だから覚えているわけではなく、自分の中で正当化できた夢だから覚えているということなのかも知れないわ」
「でも、正当化できた夢なのに、どうして怖いって感じるんだろうね?」
「そこまでは分からないけど、正当化というのを夢の中の自分が怖がっているということで、ひょっとすると、夢に出てきたもう一人の自分が本当の自分で、夢を見ている自分がもう一人の自分だと感じたんじゃないかって思うのよ」
「というと?」
「本当の自分が、自分の夢の中に入り込んでしまっている。客観的に夢を見ている自分と入れ替わってしまったのだとすれば、見ている夢から抜けられないんじゃないかって感じているのかも知れないわ」
「なるほど、とても興味深い話だと思うよ。実は僕ももう一人の自分という発想は常々持っているんだよ。あすなの話を聞いていると、僕も目からうろこが落ちてしまいそうに思えてきたよ」
 その時は、それで話が終わった。
 その日の夜、あすなは夢を見た。
 その夢は怖い夢だった。いまだに忘れることのできない夢で、ひょっとすると今までに見た夢の中で一番怖い夢だったのかも知れない。
 あすなが歩いている前を正樹が歩いていた。
「正樹さ〜ん」
 と大きな声で叫んでみたが、彼は気づくこともなく、ひたすら歩いている。
 あすなは何とか追いつきたいと思い、早歩きになったが、それでもなかなか追いつくことができない。距離は縮まるどころか、遠ざかっているかのように見えるくらいだ。
 小走りになっても同じだった。どんなに急ごうとも、追いつけるはずはないと次第に思うようになった。
 目線は正樹の後姿にしかないので気づかなかったが、歩いている道は果てしなく一直線の道だった。交差点もなく、曲がる道も存在しない。果てしなく一直線に続いているだけだった。
 あすなは、そのうちに、自分の後ろに視線を感じた。
――誰かしら?
 その時には、自分が夢の中にいるのだということを意識していた。
「夢の中というのは、何でもありだと思われがちだけど、実はそんなことはないんだ。例えば空を飛ぼうと思っても、実際には宙に浮くくらいのことしかできずに、自由に飛び回るなんて不可能なんだ」
 という話を正樹から聞いた。
 それくらいのことはあすなにも分かっていたが敢えて、
「どうしてなの?」
 と聞いてみた。
「だって、夢というのは潜在意識のなせる業だって聞いたことがあるけど、潜在意識というのは、無理なことは無理だって思っている理性のようなものだって僕は思うんだ」
 と言っていた。
 この発想にはあすなも賛成だった。そうでなければ、自分を納得させるなどできっこないからだ。
 夢の中にいると思ったあすなは、後ろを振り返ることをしなかった。
――このまま後ろを振り返ると、夢から覚めてしまうかも知れない――
 と感じたからだ。
 それに、心の声で、
「決して振り返ってはいけない」
 と、まるで、おとぎ話に出てきた浦島太郎の玉手箱や、ソドムの村で言われることのような気がして、振り返ることの恐ろしさを感じた。
 振り返らずとも、あすなには、その視線が誰のものだか想像はついた。しかし、その想像を自分で認めることは怖かった。当然、納得させることもできるはずがない。
――もう一人の正樹さん――
 あすなには、目の前を歩いている正樹と同じ人間には思えなかった。
 確かに外見上は同じ人間なのに、まったく別の人間であるという発想は、恐ろしさしか感じさせない。
――どんなに頭を巡らせても、自分を納得させられるはずなどないんだわ――
 と感じるからだった。


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