「さっきの私の説は、本当の私の説ではありません。本当は最初からまったく正反対の発想だったんです。実は、元々の説を考えたのは、正樹さんだったんだけど、彼が死んでしまってから、私がその説を受け継いだんですね。でも、彼が生きている間は、私は彼の説に反対だった。でも、彼が死んだことで、私の中に彼の魂が入り込んだのか、彼の考えが、最初から自分の考えだったような気がして仕方がないんです」 あすなは、さっき虚空を眺めていた香月のような表情をしていた。それを見て、 ――やはりこの人は正樹さんを心から愛していたんだな―― と感じた。 「僕には、浦島太郎の話が、『二重構造』になっていたことが一番気になっていることなんです」 香月は、またしても浦島太郎の話に話題を戻した。 「二重構造ですか?」 「ええ、まずは現在伝わっている話の中での教訓として、開けてはいけないと言われていた玉手箱を開けてしまったことへの教訓ですね。『約束を違えると、報いを受けることになる』という意味で、おじいさんになってしまったというラストですね」 「ええ、それが一重目だと?」 「はい、この場合の二重構造は、二段階という発想とは違い、一重目のまわりを二重目が覆っているというような考え方ですね。それはまるで階段ピラミッドを上空から見た図を見ているような感じになります」 「要するに、立体感を平面的に見たというイメージですね?」 「ええ、三次元を二次元にして見たわけですね。じゃあ、四次元を三次元としても見ることができるのではないかと思うと、このお話が二重構造だと考えると、少し違って見えてきました」 「一重目を包むようにしている教訓は、昔から伝わっているお話ですよね? つまり、カメを助けるといういいことをすると、最後には、乙姫様とずっと愛し合えるような素敵なハッピーエンドが待っているというような……」 「そうですね。これがこのお話の二重構造なんですが、なぜか明治になって教育という場に持って行こうとすると、せっかくの二重構造を崩してしまっている。しかも、話が中途半端な教訓を残すということを犠牲にしてもですね」 「分かっていなかったんじゃないですか?」 「かも知れません。それとも、教育上、恋愛物語にしてしまうのは、よろしくないと考えたのかも知れません。とにかく、このお話は中途半端な解釈にしてでも、二重構造を表に出したくなかったんでしょう。そこに何か秘密があるように思えてならないんですよ」 香月の様子を見ていると、どうも歯にモノを着せぬ言い方になっているのに気づいた。 「香月さんは、そのことを今になって気づいたんですか?」 今までの話の展開を考えると、香月の話には、結構、 「思い付き」 が多いように思われた。 しかし、このことに関しては、思い付きではないような気がした。 なぜなら、話の展開の中から簡単に思いつくようなことではないような気がしたからだ。それだけ、ここまでの話の中での核心部分に思えてならなかった。 ――この人は、ここまでの話に持ってくることを最初から狙っていたのかも知れない―― と感じた。 しかし、もしそうであるならば、相当頭がキレていなければできないことだった。 あすなは、今とんでもないことが頭の中を駆け抜けた。 ――正樹さんの死への疑惑は、まさかこの浦島太郎の話の中に答えが隠されているのではないか? 元々、香月があすなの前に現れたのは、正樹の死についての疑念を確認したいということだった。 「真実を知りたい」 正樹の死を疑っていたが、彼は、 「正樹さんは生きているのではないか?」 という言葉を一言も発していない。 あすなの中で確かに彼の死について疑念があった。 その疑念がいつしか、 ――あの人は本当に死んだのだろうか? という疑惑に変わっていた。 この展開は、まるで浦島太郎が陸に上がった時、それが未来だったのかどうかの疑念に繋がるものである。 ――あれは完全に私の思い過ごしだったのだろうか? いや、見た夢の中で何度か彼が生きていたという感覚が残っていただけなのではないだろうか。 見た夢のほとんどを忘れてしまうあすなだったので、夢の世界と現実とがごっちゃになって混乱していたのだろう。 そういえば、香月から「二重構造」という言葉を聞いて、 ――どこかで同じ表現を聞いたような気がする―― と感じた。 しかし、それがいつどこでだったのか思い出せないのだ。 だが、さっきの虚空を眺めていた香月の表情を思い出し、今自分が同じ顔になっているのを感じると「二重構造」という言葉を聞いたのが、夢の中だったのを感じていた。 かといって、夢の内容を思い出したわけではない。ただ、その言葉を思い浮かべた時、夢を見たという感覚に行き着いたからである。 香月も、あすなが夢というものを感じいるまさにその時、自分も以前に見た夢を感じていた。 しかし、香月はその「二重構造」の正体が何であったのか分かっているつもりだった。 ――そうだ、優香さんと綾さんの関係だ―― あの二人は、それぞれに表になり裏になりしてきた。それが、お互いを成長させ、絡み合いながら、二重構造を形成していた。 人から見れば、 ――二重人格―― と見えるかも知れない。 ただ、二重人格というのも、ここでいう「二重構造」の応用だと思えば、本当に悪いものだと言えるだろうか。 香月がここであすなを拉致監禁したのは、本当は自分の意志ではない。 ――なぜこんなことをしたんだろう? 自問自答してみたが、答えは出るものではなかった。 ――何かの力に導かれた? 完全にベタな言い訳である。 しかし、香月にはそう思えて仕方がなかった。 ――俺にも何か二重構造を形成しているものがあるのかな? 今はそれを自問自答するしかなかったが、自分を納得させられる答えが得られたわけではない。 あすなと話をしていると、いろいろなことが分かってきた。 ――ひょっとして、あすなが自分から監禁されるようにこちらを洗脳したのだろうか? もしそうであれば、自分の意志はどこに行ってしまったというのだろう? しかし、ここであすなと話をしていると、その場の「制占有権」は自分にあった。少なくとも監禁しているのは自分である。会話をしていても、あすなを誘導しているのは自分であった。 香月は、実は正樹の死についてある程度までは最初から知っていた。本当は彼の死の真相について一番近い位置にいたにも関わらず、本人はそこから先にはどうしても進めない。 他の人は、まだ彼の死の真相についてどころか、疑念すら抱いていない。 しかし香月は、 ――他の人には先に進むことができる道が用意されているが、自分が通ってしまった近道は、途中で行きどまりだった。迂回して進むにも迂回路はない。元に戻ってやり直すしかないのだ―― と感じていた。 そのことに気づいてしまうと、自分が結界に行きついてしまったことが分かった。 ――結界とは、何にでも存在しているもので、目の前にすると、その壮大さにひるんでしまう―― その感覚はずっと持っていた。しかし、結界がない通り道も存在するということを最近になって香月は知った。 ――結界の存在を知ってしまったために、勝手に存在しないかも知れない結界を、今までに自分で作ってしまったこともあったかも知れない―― とも感じた。 いろいろな発想が香月を襲う。その思いの結果が、 「あすなを拉致監禁する」 という暴挙に出てしまったのかも知れない。 香月は、自分がここであすなを拉致監禁しているのは、浦島太郎でいうところの「一重目」なのではないかと思っている。拉致監禁の前後がどんなものなのか、香月には分かっていないが、全体を見渡して分かっている人がどれほどいるというのだろう? 確かに全体像の中でのテーマとしては、 ――それぞれの研究所で発表する学説―― というものが暗躍したために、起こったことであることは、香月にも分かっている。 香月がこの話に登場してくるのも、元々はジャーナリストとして、 ――学説を取材する―― という命題があったからだ。 「事実は小説よりも奇なり」 という言葉があるが、 「事実は、学説よりも奇なり」 と言った方が、もっと的を得ているような気がしたのは、香月だけではないだろう。 優香の学説も、あすなの学説も、まったく違っているように見えるが、どこかで一緒になっているように思う。その学説が、「二重構造」を形成していて、その「二重目」に、正樹の死の真相が隠されていた。 正樹は、自分が学説の発表に巻き込まれたのを感じた。 あすなも優香もその中にいる。あすなも優香も、お互いに正樹がそれぞれの相手を知っているということは知らなかった。知っているとすれば、綾だけだったのだが、綾は自分が全幅の信頼を置いている香月に対して、優香とあすなのことを話していた。 二重構造の正体が明らかになることもあるだろう。そしてその時には、正樹の死の真相も明らかになる。 あすなと香月が少なくとも、彼の死の真相に関わっているのは明白だった。そのことを最初に予感したのは香月であり、あすなの拉致監禁の火付けになったのは、このことが一番の原因だった。 二重構造の正体が明らかになるには、段階が必要になる。 その第一段階は、翌日の新聞を賑わせた。 「拉致監禁の犯人。被害者を巻き込み自殺。犯人は、香月正樹三十五歳、被害者は西村あすな二十八歳。香月は自称ジャーナリスト、西村さんは、K研究所の研究員」 しかし、この記事には誤報だった。本当は二人は心中だった。香月の胸のペンダントのロケットに貼ってあった写真、それは、幼い頃の優香だった。 二人が心中だと知っている人はいないだろう。いや、知っているとすれば、優香と綾だろうが、その二人はこの事件が発覚する数日前から行方不明になっていた。この場合、どちらが「一重目」だったのか、関係者全員がいなくなってしまった今、永遠の謎になってしまったのだ……。
( 完 )
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