この発想は、香月を震撼させた。香月の頭の中には、タイムマシンありきの発想しかなかったのだ。 「タイムパラドックスの発想は、すべて、タイムマシンの存在を肯定することから始まり、タイムマシンの存在を証明することに終わると、俺は思っていたんだ」 と香月が呟くと、 「そうね。私もそうだったわ。タイムマシンを否定することは、私の研究者としての人生を否定することであり、正樹さんを否定することにもなるような気がしたの。正樹さんも私と同じようにタイムマシンの研究に勤しんでいて、志半ばでこの世を去った。さっき、あなたが彼が自殺だって教えてくれた時、最初はショックだったけど、考えてみれば、最初から私も分かっていたような気がする。だから、私はあなたが彼の死を疑ってからのような行動はしない。彼の死を受け入れて、静かに彼の冥福を祈ろうと思っているの。あなたには悪いけど、それが私から言える正樹さんという人のイメージなのよ」 あすなは、そう言って、首を垂れて、泣いているようだった。 「いいんだよ。僕もこうやって君を監禁までして本当は何がしたいのか分からなくなってしまったんだ。でも、もう少し開放するのを待ってくれないかな?」 と言って、あすなに詫びた。 「いいのよ。私もこうやって縛られていると、普段発想できないことをたくさんできるような気がするの。香月さんが悪い人でないということが分かっているだけ、私は安心です。だから、私が発想したことがあれば、あなたに聞いてほしいの。そうでなければ、今みたいに話しかけたりはしないわ」 あすなと香月の間に、確かに心の交流があった。そこに恋愛感情はないと思っているが、愛情の二文字は存在しているような気がする。 恋愛感情のような一方通行ではなく、双方向からの愛情は、お互いを慈しむという感情ではないかと、あすなも香月も感じていた。二人の間に存在する思いは、次第に熱くなっていった。 「私は、タイムマシンの発想で、もう一つ思いついたことがあったんですよ」 「それは?」 「ここに来てからの発想なんだけど、出発点は、やはり同じ、タイムマシンでどこかに飛び出した後の世界に自分はいるか? ということなんですよね」 「はい」 「その時の発想は、存在しないというもので、未来にしか飛び立つことができないというものなんですよ。過去にいけないというのは、さっきの発想と同じで、もう一人の自分が存在するからなんですよね。でも、私の発想は『タイムマシンありき』ですので、未来に到着した自分は、過去からやってくる人を待つという発想だったんですよ。つまりは、私は時間を飛び越えたのはいいんだけど、他の人が追いついてくるまで、どこかで眠っているという発想ですね。ただ、年は取っていない。つまりは、まったく違った人間がいきなりこの世に飛び出したことになる。その時の記憶はまわりの人の意識を変えるのではなく、自分だけが意識を変えるということですね。まわりの人にバレないように、必死になって隠さなければいけない事実を抱えたまま、その事実を墓場まで持っていくことになる。果たしてそれに耐えられるかどうか、私の発想は、『耐えられない』と思うんです。じゃあ、どうすればいいのか?」 あすなも、香月も息を飲んで、重苦しい空気の中にいる自分を感じていた。 「どうすればいいんですか?」 「そこで登場するのが、『玉手箱』というわけです。つまり、浦島太郎が乙姫様から渡された玉手箱、そこを開ければ、白い煙が出てきて、おじいさんになってしまうというお話でしたよね。私は、それは本当のことだと思うんです。そして、その玉手箱こそが、墓場への近道であり、そして、白い煙の正体は、耐えられないと思っていたことを、頭の中から消去するための『記憶消去ガス』のようなものでないかと思うんですよね」 「そんな昔から、タイムマシンの発想が?」 「ええ、中には発想していた人がいたとしても、不思議はないと思うんですよ。逆に言えば、今から数百年経って、文明が爆発的に発達しても、まだタイムマシンは開発されていないかも知れない。この発想もありなんじゃないかってですね」 香月は話を聞いているだけで、自分がまるで異世界に飛び出したかのような錯覚を覚えていた。 ――一体、どういう発想なんだ―― これだけの発想をいきなり聞かされると、もう学会で発表などということは、どうでもいいようにさえ感じられた。 ――まるで、正樹が乗り移ったかのようだ―― と感じた香月だった。 だが、この発想は、優香の発想でもあった。ただし、切り口はまったく違っていた。 「タイムマシンというのは、『パンドラの匣』なんですよ。開けてはいけない箱、つまり、タイムマシンを開発すること自体が『玉手箱』を作っているようなものなんですよ」 「ひょっとして、誰も知らないまま、玉手箱がどこかに存在していたりして?」 「私は十分にありえることだと思うんですよ。だから、浦島太郎というおとぎ話が存在しているんだし、必ず物語の根幹が、実在したもののはずだって思うんですよ」 「どういうことですか?」 「今の時代の人が浦島太郎の話を読むから、それをおとぎ話の世界だと思い、人によっては、未来への系譜のように言う人もいる。でも、あの人たちに未来や過去という発想がないのだとすれば、物語はまったく違う見方をすることもできるんですよ」 「よく分かりません」 「あのお話は、竜宮城から帰ってくる時に、太郎が乙姫様から、箱をお土産にもらったですよね?」 「ええ」 「そして陸に上がってくると、そこには、自分の家もなく、家族は誰もいなかった。そして、自分が知っている人は誰もいない。さらに、自分のことを知っている人も誰もいなかった……」 「……」 「そこで太郎は、途方に暮れて、もらった玉手箱を開けてしまった。すると、そこから白い煙が出てきて、一気に年を取ってしまったというお話ですよね」 「ええ」 「でも、そのお話の中に、太郎が辿り着いた世界が、自分の住んでいたところの未来だとどうして分かるんでしょう? あくまでも玉手箱を開けて、年を取ってしまったことで、皆が勝手に想像した内容ではなかったか?」 「なるほど」 「そう思うと、陸に上がった瞬間に、どうして年を取らなかったのか? と思うんですよね。そうでないと、辻褄が合いませんよね。玉手箱を開けないと、年を取らないというのは、本当のフィクションで、ありえないことだと私は思うんですよ。元々おとぎ話自体、竜宮城や乙姫様の存在も怪しい。何よりも海の底に行くのに、アクアラングもなしに行けるということ自体、変ですよね。そういう意味では、このお話はどこまでが本当なのか、あるいはすべてがウソなのかも知れない。いや、それよりも人間の心理を巧みについた秀逸の作品なのかも知れないとも言えますね」 「どういうことですか?」 「『木を隠すには森の中』っていうじゃないですか。つまりは、一つの本当のことを隠すには、九十九のウソに紛れ込ませればいいんですよ。このお話は、案外そういう『間違い探し』のようなお話なのかも知れないって私は思っています」 これが優香の発想だった。 もっとも、これはタイムマシンに対しての発想ではなく、浦島太郎という個別のお話への発想というだけだった。 しかし、あすなから浦島太郎の話をタイムマシンと絡ませた話の例題に持ってこられると、優香の話の方が、説得力があった。それは浦島太郎の話にだけ限った説だと思っていたが、あすなの発想も、引き込まれてしまうほどの説得力を感じる。 ――どちらも本当のことのようだ―― ひょっとすると、どちらも本当であって、どちらもウソなのかも知れない。つまりは、一つの大きな学説を唱えるための仮説にすぎないのが、この浦島太郎の話で、大きな学説に辿りつくためには、避けて通ることのできないものだと考えるのも決して間違ってはいないような気がしていた。 なぜなら、あすなの発想の中にあった「玉手箱」が、「記憶消去ガス」の一種だという説は、優香の考えを正としても最終的には消去することで、お話を再度考えさせることができるものである。 ――堂々巡りを繰り返す―― この発想は、タイムマシンを考えるに当たって、最初に突き当たる発想だった。 少しだけ発想が進んでも、気が付けば元の位置に戻っていることがある。今までにはそんな意識はなかったのに、タイムマシンの研究を始めたとたん、堂々巡りとは切っても切り離せなくなってしまっていた。だからこそ、止められないというのが、優香の意見だった。 優香の意見を思い出していた香月だったが、彼の頭の中には、 ――あすなも優香もこの話は知らないようだな―― と思っていることがあった。 香月としては「隠し玉」のように暖めておこうかとも思ったが、どうにも話してしまわなければ気持ち悪く感じるのだった。目の前にいるあすなのことに同情したのか、それとも愛情が生まれたのか、香月としては襲ってくる空気に、まるで、 「自白剤が含まれているようだ」 と思わないではいられなかった。 しかし、この自白剤は苦しいものではない。話をしない間も心地よさに包まれているのだが、それは話してしまうことを前提に考えるから心地よく感じるものだった。小説やドラマなどで言われる自白剤も、自白の瞬間は恍惚の表情をしているが、この時の感覚は、最初から恍惚の感覚だったのだ。 話の中心が浦島太郎の話になった時、香月には、自分が隠し玉を持っている感覚が襲ってきていた。 ――どうして、優香と話をした時、この隠し玉を話したいと思わなかったのだろう? それは、優香の意見だけを聞いても、一つの意見だけでは、この隠し玉を話すまでには至らない何かがあったのだ。そう思うと、香月は隠し玉の本当の意味を知ることになると自覚していた。 「あすなさんは、浦島太郎の話の神髄を分かっておられないようですね?」 「どういうことでしょう?」 「たぶん、あすなさんも、そして私が知っている研究者の方も、研究者というお立場からしか話をしていないんだって思うんですよ。二人とも、浦島太郎のお話の神髄を、陸に上がってから玉手箱を開けるまでに集中してしまっている。その間だけで、話の真偽を確かめているでしょう? でも他の人は違うんです。確かにクライマックスは陸に上がってからのことなんですが、それ以前の話もちゃんと見ていて、全体から考えて、いろいろな意見が出てきているんですよ」 あすなも確かに、 ――言われてみれば、この人の言う通りだわ―― と感じた。 しかし、そう感じてはいても、実際に全体を見渡そうとしても、最初から自分の中で結論めいたものを見出しているので、いまさら初めて話を聞いた時のような新鮮な気持ちになることはできなかった。 香月は続ける。 「浦島太郎のお話というと、まずは浦島太郎が浜辺を歩いていると、そこで一匹のカメが子供たちに苛められているのを見かけた。見るに見かねた浦島太郎が子供たちからカメを助けた。この助けた時のやり方にもいろいろな説があるようなんだけど、ここでは関係ないので。そして、助けたカメがお礼だと言って、浦島太郎を背中に乗せて、海の中にある竜宮城に連れて行ってくれた。そこで、昼夜を問わず飲めや歌えやの、まるでパラダイスとハーレムが一緒になったような世界を味わうことができた」 「ええ」 「でも、太郎はしばらくすると、我に返ったのか、元の世界に戻りたいと言い出した。竜宮城の王女である乙姫様は、浦島太郎に一つの箱を『お土産』として渡した。『決して開けてはいけない』と言ってね」 「そうですね」 「自分の感覚としては二、三日くらいだと思っていた楽しかった日々を思い出に、陸に戻ってくると、その場所には自分が知っている人、自分を知っている人が誰もいなかった。途方に暮れた浦島太郎は、そこで『開けてはいけない』と言われた玉手箱を開けてしまった。すると、白い煙が出てきて、おじいさんになってしまった……。というのが、浦島太郎の伝わっているお話ですよね?」 「ええ、大体その通りだったと思います」 「そこで、皆、浦島太郎が上がった陸は、数百年後の未来で、玉手箱を開けると、おじいさんになったのは、そのせいだと思っているんですよね。だから、どうしても、視点は陸に上がってからに向いてしまう」 「ええ」 「でもね。これはおとぎ話なんですよ。本来なら、子供たちへの教育の一環として教えられているお話なんです。どこかに教訓があるのではないかと思うのが、他の人の考えなんですよ」 「確かにそうですね」 「そうなると、最初に考えられるのは、この話で何が言いたいのかということなんですが、皆さんは、最初まず矛盾を感じています」 「矛盾、ですか?」 「ええ。だってそうでしょう? 浦島太郎は苛められているカメを助けたんですよ。まずはいいことをしたと思うじゃないですか。そしてお礼に竜宮城へ連れていってもらった。でも、戻ってくるとそこは時間が経過していて、最後にはおじいさんになってしまうという残酷なお話に変わってしまっているんですよね。子供の教訓にするようなお話に、ラストは残酷な話になっていいものなんでしょうか?」 「確かに言われてみればそうですよね」 あすなは少し考えてみた。 しばらく沈黙が続いたが、あすなが何かに気づいたようだ。 「浦島太郎が、何も悪いことをしていないと言われましたけど、果たしてそうでしょうか? というのは、乙姫様からもらった玉手箱。開けてはいけないと言われていたのに開けてしまったというのは、約束違反なんじゃないですか?」 「ええ、その通りなんですよね。でも、そのことになかなか皆気づかない。なぜかというと、玉手箱をもらったのは、竜宮城から帰る時ですよね。その時にはすでに浦島太郎の運命は決まっていたわけでしょう? その後、自分の知らない世界に帰ってきたという残酷な展開になってしまったことで、浦島太郎には、どうしても同情的な目が向いてしまう。でも、あすなさんの言われる通り、確かに『約束違反は悪いこと』なんですよね。だけど、皆そのことに気づかないので、矛盾を感じてしまう」 「ええ」 「じゃあ、どうして、このお話がおとぎ話として、受け継がれるようになったのかというと、実はこのお話には、『続編』が存在しているんです。もっとも、おとぎ話の類は、続編が存在していて、教えられているものとはまったく違ったラストを迎える話も決して少なくはないです。浦島太郎のお話もその一つなんですが、ここからが私のお話の本題というところですね」 「今までは前置きだったんですか?」 「ええ、でも、大切な前置きです。前置きだけで、ほとんどの話になってしまうことも結構あったりしますよ。このお話もそうかも知れませんね」 「浦島太郎のお話は、本当はハッピーエンドだったのでしょうか?」 「ええ、そう受け取る人も多いようです。でも、その前にどうして教えられている話が途中で切れてしまっているかというのが一つの問題になりますよね」 「はい」 「浦島太郎のお話というのは、室町時代に書かれた話が起源になっています。つまりは五百年以上も前のお話ですね。でも、言い伝えられている時は、すべての話が伝えられていたんでしょうが、明治時代になって、教育の一環としておおとぎ話が確立した時、続編と言われる部分は削られて、今皆が知っているようなお話になったんですよ」 「その続編というのは?」 「浦島太郎が上がった陸の世界というのは、七百年後の未来だったというお話なんですよね。そして、どうやら、この浦島太郎というお話は、恋愛物語だったという説があるんですが、浦島太郎が貰った玉手箱の中には太郎の魂が入っていて、それを知らない太郎はそれを開けると、老いない身体になってしまい、そのまま鶴になったというお話です。乙姫様がどうして浦島太郎に玉手箱を渡したのかというと、乙姫様は太郎のことを愛していたようで、もう一度会いたいという思いを込めていたそうなんですよね。だから、乙姫様はカメになって太郎に会いにくる。そして、二人はずっと愛し合ったというお話なんだそうです」 「じゃあ、ハッピーエンドなんですね?」 「そうなんでしょうね」 すると、またあすなは考え込んでしまった。 「待って、じゃあ、せっかくのハッピーエンドなのに、どうして、明治時代の教育改革の時に、この話をハッピーエンドにしなかったのかしら? こんな疑問を残すようなことをして……」 「明治時代の考えとしては、開けてはいけないという玉手箱を開けたということを問題にしたんだそうです。つまりは、これは『いいことをしたから報われる』という教訓ではなく、『約束を守れなかったから、おじいさんになった』ということを教訓にしたお話だったようです」 「だったら、最初にカメを助けた件をつける必要があるのかしら?」 「だって、その話を持ち出さなければ、話が先に進まないでしょう? あくまでもカメを助けたというのは、このお話のプロローグでしかないのよ」 「とっても、中途半端ですわ」 「そうなんですよ。このお話の根幹はそこにあると僕は思っているんですよ。このお話には矛盾している部分が結構ある。続編を考えるとピッタリと噛み合う、まるで勘合符のような話なんですよね」 「ええ、その通りだと思います。でも、具体的には他にどんなところがあるんですか? お話の内容は今聞いたことで分かったんですが、続編は今聞いたばかりなので、自分を納得させるまでには、どうしても行き着きません」 「そうですね、例えば、浦島太郎が陸に上がった時のことなんですが、あすなさんは、最初からあれが『未来の世界』だと分かりました?」 「今から思えば、そう思い込んでいましたね。お話を聞いた時から未来の世界だったと教えられたとしか思っていませんでしたから」 「でも、これは僕の記憶では、浦島太郎が辿り着いた世界は、家族はもちろん存在せず、自分を知っている人、自分が知っている人が一人もいないところで、見たことのない世界になっていたというお話だったと思います。でも玉手箱を開いておじいさんになったということで、そこが未来だったと思ったのかも知れません」 「確かに続編では、というよりも作り変えられる前のお話ということかも知れませんが、そちらでは、七百年後ということらしいんですよ。僕たちは、未来だということは感じていても、具体的に七百年後などという具体的な数字はまったく知らないはずですよね」 「ええ」 「思い込みなのか、それとも、未来ということだけは教わったのか、誰もたぶんハッキリとは分からないと思うんですよ。記憶が曖昧なんですね。これは故意に記憶を曖昧にさせる何かがこのお話の中に含まれているのか、何かがあると思っています」 「なるほど、それがこのお話に続編がついていなくても、あまり問題にならなかったところなのかも知れませんね」 「はい、とにかく、今語られている浦島太郎の話は中途半端なんですよ。皆も少しは考えれば分かることなのかも知れないけど、曖昧さが考えようとさせないのかも知れませんね」 「でも、香月さんはどうしてこのお話を私にしたんですか?」 「あすなさんの話を聞いていて、浦島太郎の話をしてみたくなったんです。浦島太郎のお話ができる人がまわりにいなかったこともあって、ずっと抱え込んでいたんですよ。自分のまわりにも研究者の人はいます。そしてその人も独自の考え方を持っている人なんですが、浦島太郎のお話ができるような人ではないんです。お話をすればそれなりに会話は弾むと思うのですが、自分の疑問に思っていることが解消させることはなく、逆に深みに嵌ってしまうような気がしていたんですよ」 「じゃあ、私とは正反対の感じの人なんですか?」 あすなにそう言われて、香月は黙り込んでしまった。 ようやく口を開くまでにどれほどの時間があったのか、時間の感覚がマヒしてしまっている二人には想像がつかなかった。 「正反対というわけではないですね。むしろ似通っているところは結構あると思います。でも、結局は、交わることのない平行線なんじゃないかって思うんですよ」 あすなは、香月が虚空を見つめていることに気が付いた。 ――この人は、その女性が好きなのかも知れないわ―― あすながその時、自分がそう感じたことに、疑問を持っていなかった。 香月は、 「自分のまわりにも研究者はいる」 と言っただけで、その人が女性であるとは一言も言っていない。ただ、黙り込んでしまったあと、虚空を眺めている表情を見ただけだった。それなのに、あすなはそれだけで、相手が女性であると考えた。これではまるで、浦島太郎が上がった陸を、最初から未来だと思い込んでいた感覚と同じではないか。 これこそが人間の性なのかも知れない。 ――先を読む―― ということが相手に対して、気を遣っているかのような錯覚を持つことで、人は、 ――思い込み―― という感情に走ってしまうのだろう。 しかし、この思い込みというのは曖昧なもので、もしそれが真実であったとしても、思い込みである間は、曖昧なものに変わりはない。 少ししてから、香月が口を開いた。 「実は、その人もタイムパラドックスの研究をしていて、あすなさんと同じような発想をしていたんですよ。途中までは同じだったんだけど、途中から少し違ってきました。あすなさんの話を聞いていると、彼女の理論の続きを、あすなさんの説が補ってるような気がするんですよ」 「でも、私の説とは途中から変わってしまっているんでしょう?」 「ええ、でも、最後にあすなさんの考えを『続編』にしてしまうと、最後には辻褄が合ってしまうような気がするんです。彼女の説だけを聞いている時は、その話は非の打ちどころのないものだって思っていたんですが、さっきのあすなさんの話を聞いて、実は彼女の説にはどこか矛盾があるような気がしてきたんですよ。それをあすなさんが補ってくれたという感覚でしょうか?」
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