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作品名:「水をすくう〜少女の闇と光」 作者:小原ききょう

第6回   カムパネルラ


 四年生になるとクラス変えが行われ、沢井さんとは別のクラスになった。その方が余計なことを考えずにすんだので助かった。
 夢に沢井さんは出てきても、現実の沢井さんが近くにいるのはイヤだった。
 夢に見る沢井さんは短い間だったけど私にとってのカムパネルラだったのだ。

 しばらくすると春の遠足のバスの中で隣に座った橋本さんと話すようになった。
 バスのような狭い空間で他の子と隣同士で座るのは好きではない。自分がどんな匂いをしているか気になってしょうがないからだ。
 けれど、橋本さんは何も気にしていない様子だった。
 私たちはバスの中で持ってきたお菓子を互いに交換し合って食べた。私の持ってきたお菓子は商店街で買ったもので、橋本さんは駅前のスーパーで買ったものだ。
「ふーん。水野さん、そんなに本をたくさん、読んでるんだ」
「でも、同じ本ばかり読んでるの」
「私なんか、部屋にある本は小さい頃に買ってもらったまだグリム童話とか、おとぎ話がまだ置いてあるの。読むのは少女漫画や雑誌ぐらい」
「私の部屋には本なんてないの。図書室で借りて読むだけ」
「ふーん」橋本さんは不思議そうな表情をする。
 普通は家に本は少しぐらいはあるものだ。
「水野さんはテレビは何を見ているの?」
 あまり触れて欲しくなかった話題だった。
「ごめん。私の家、テレビがないの」
 正直に言う方がいい。嘘はダメだ。
「私こそ、ごめん。水野さん、私、悪いこと訊いちゃった」
「かまわないよ、本当のことだから」
 テレビがない家はもう私の家くらいだと思う。私なんかと話しても誰も面白くない。
「もうすぐ奈良に着くね。楽しみだね。大きな大仏さん」
 橋本さんは窓の外を眺めながら言った。テレビのことから話をそらすためだと思うと悪い気がした。
「ねえ。バスから降りたら、水野さんのこと。明美ちゃんって呼んでいい?」
 思いがけない言葉だった。
「い、いいよ。だったら、私もこれから橋本さんのことを妙ちゃんって呼ぶ」
 バスを降りるのが楽しみになった。
 そして、バスを降りると鹿だらけだった。鹿が観光客の持ってる鹿せんべいに物欲しそうに近づいているのが見える。
 お弁当までの自由時間、私たちは公園の芝生内を散歩した。
「明美ちゃん、あそこにいる鹿の顔って、面白いね。中田先生の顔みたい」
 中田先生は理科の先生だ。橋本さんの指した鹿がこっちを向いた。言われて見れば確かに似ている。
「ほんとだ。目なんか、そっくり」
 鹿の惚けたような顔を見ているとこっちまで幸せな気持ちになってくる。
 今の私もこの鹿のように惚けた顔をしているのかな?

 その時だった。
「ねえ、橋本さん、こっちに来て一緒に遊ぼうよ!」
 声のした方にはクラスの女の子たちが手を振っていた。それぞれの手にバトミントンのラケットを持っている。
「ラケットなら、橋本さんの分あるよ」
 私のことは呼ばれていないのが痛いほどわかる。
「ねえ、明美ちゃんも一緒に行こうよ」
 橋本さんが私の手を握った。
 昔にも同じようなことがあった。
 その時の女の子は他の大勢の子に誘われて「明美ちゃんは行かないの?」と訊かれたけれど私は断った。その子は「ごめんね、明美ちゃん、私、向こうに行くわ」と言って他の子の輪の中に入っていった。
「妙ちゃん、ごめん。私はいい」
 私は橋本さんが握った手を振り解こうとした。
「じゃ、私も行かない」
 橋本さんははっきりとそう言った。私の聞き違いなのかな?
「えっ?・・行かないって・・」
 橋本さんは私の方を見て微笑んでいた。
「明美ちゃんが行かないのなら、私も行かない、って言ったの」
 私には理解できなかった・・でも嬉しかった。
「行った方がいいよ。行かないと仲間はずれにされちゃうよ」
 橋本さんは首を横に振った。
「だって、私たち、もう友達でしょ!」
 本当!・・私は思わず飛び上がりそうだった。
「明美ちゃん、それより、鹿さんにおせんべいをあげようよ」
 すごく嬉しかった。嬉しくて涙がどんどん溢れてくる。
「う、うん」
 妙ちゃんは私が泣いているのに気づいていないのかな?知っていて知らないふりをしてくれているのかな?
「さっきの中田先生に似た鹿さん、まだいるかなあ?」
 橋本さんはそう言って目をきょろきょろさせている。
 私はその間に鹿せんべいを買ってきた。
「はい、妙ちゃんの分」私は橋本さんにおせんべいを何枚か渡した。
「明美ちゃん、自分で買うからいいのに、」
「いいの。なんか嬉しかったから、お礼の替わり」
「だったら遠慮なく」と言って橋本さんはおせんべいを受け取って私と一緒に鹿におせんべいをあげた。
「妙ちゃん、中田先生、見つけたよ!」
「ほんとだ。明美ちゃん、でも中田先生じゃなくて中田先生に似た鹿だよ!」
 鹿と私たちの間には小さな小川が横たわっていた。
 川には石が置かれてあって渡れるようになっている。私は一つ目の石の上にポンと飛び移って橋本さんの方に手を差し出した。橋本さんは恐る恐る私の手を掴ぶと石の上に飛び移った。
「明美ちゃん、絶対に私の手を離さないでね」
 橋本さんは怖がりなのか石の上ですくみながらそう言った。
 離さない。友達の手は絶対に離さない。
 小川の石の上を渡りきって反対側の岸に着くと他のクラスの女の子と別の世界に来た気がした。
「ほおら、中田先生、おせんべいをあげるから授業中はあんまり難しい質問はしないでね」
 橋本さんは鹿を中田先生に見立てておせんべいを鹿に食べさせた。
 鹿は平和そうな表情でもしゃもしゃとせんべいを食べている。他の鹿も寄ってきて私はお尻を突かれたので私も橋本さんと同じように「中田先生にしか、おせんべいあげないんだから」と言って追い払った。

 公園周辺を見学した後、お弁当の時間になった。
 お弁当の時間も橋本さんと芝生の上にシートを敷いて一緒に食べた。私のお弁当は貧弱で恥ずかしかったけれど橋本さんは「明美ちゃん、おかずの交換し合いっこしようよ」と言って私のお弁当から卵焼きをつまむと替わりにハンバーグをくれた。おかずにもっとちゃんとしたものを入れてくればよかったと悔やまれる。
 けれど橋本さんはそんなことは何も気にしていない様子で美味しそうに食べている。
 私たちの上を気持ちのいい空がどこまでも続いていた。
「本当の幸い」は銀河鉄道に乗っていかなくても、ここに、すぐそこに、私の手が届くところにあるのだ、と思った。
 東大寺の大仏殿では橋本さんが大仏さんの手の真似をしたりした。
 私も一緒に真似をすると「明美ちゃん、似ていないわ」と笑われ「こうするんだよ」と教えられたりした。
 土産物屋ではお揃いの鹿のマスコットが付いたキーホルダーを買った。私はそれに家の鍵につけた。

 その日の夜、沢井さんはもう夢に出てこなかった。
 かわりに橋本さんと鹿におせんべいをあげている夢を見た。夢の中で私は満面の笑みを浮かべて橋本さんと笑い合っていた。
 夢の中の季節までが冬から春に変わった。
 けれど、その時の私はまだほんの子供だったことに気づいていなかった。

 橋本さんの家に遊びにいくことになった。クラスの女の子の家に行くのは初めてのことだった。きちんとご両親に挨拶をして橋本さんの勉強部屋に入らせてもらった。
 部屋には橋本さんがバスの中で言っていた通り、雑誌や少女漫画で溢れ返っていた。
 学校には持って来れそうにない女の子のアクセサリーがたくさんあった。見たこともないものばかりだ。
 壁には男性アイドル歌手のポスターが何枚か貼られてある。みんな私の知らないアイドルだ。たぶんどんなアイドルであっても私にはわからないだろう。家にはテレビがないのだからわかりっこない。
 橋本さんにいろんな少女漫画を読ませてもらった。
 図書室には漫画は置いていないので物珍しくて夢中になって読んだ。
「妙ちゃん、ごめんね。私、漫画を読むのに夢中になってしまって」私がそう言うと「読んでもらえるのもうれしいから、気にしなくていいよ」と橋本さんは言ってくれた。
 少女漫画ってどうして、みんなこんなに目が大きくてキラキラしているのかな?と呟くと橋本さんは「現実はキラキラしていないからじゃないかな」と答えた。
 そうかもしれない。
 現実はあまりにも少女漫画の描く世界とはかけ離れている。
 しばらくしてお手洗いを貸してもらいに居間の横を通ると橋本さんのご両親が小さな声で話しているのが聞こえた。
 たぶん、私のことだ。昔から何度も聞いた言葉だった。
 それは「あそこに住んでる子」だ。ご両親は私のことを知っていたんだ。

「明美ちゃん、今度の日曜、電車に乗って隣町まで行ってみようよ」
 隣町はこの町の倍の人口がある。駅前なんかはこの町の駅前と比べ物にならないくらい開けている。
「妙ちゃん、いいの?」
 私は恐る恐る聞いた。橋本さんのご両親が私のことを言っていたのを思い出した。
「いいよ。どうしてそんなこと訊くの?」
 私は首を振った。
「な、何でもない。気にしないで」
 そうだ。別にこうやって二人で遊ぶ分には誰にも文句は言わせない。

 私たちは次の日曜日、駅の切符売り場前で待ち合わせた。お財布には電車賃と貯金箱から出した少しの小銭を入れておいた。
 けれど、私の前に現れたのは橋本さんのご両親だった。
「ちょっと時間いいかな?」と言われ駅前の喫茶店に入った。
 やっぱり、この日が来てしまった。橋本さんはもう来ないだろうと思った。
 ご両親は私を喫茶店の奥の席に座らせたけど、話の内容はだいたいわかっているつもりだった。
「すまない。娘、妙子の将来の為なんだ」
 橋本さんのお父さんは私に深々と頭を下げた。
「娘が遊びに隣町に行くからと言うから誰と行くんだ?と聞いたら、水野さんだって言うじゃないか、それで親としては黙っていられなくてねえ」
 あやふやに話しているが言いたいことは十分にわかる。
 親としては当然のことなのかもしれない。
 橋本さんの家に遊びに行くんじゃなかった、と悔やまれたけれど、この日が来るのも時間の問題だった気がする。
「あ、あの、妙ちゃ、・・橋本さんは?・・」
 妙ちゃん、と言いかけてすぐに訂正する。
「娘なら家にいるよ。少し叱ったものだから」
 叱ったって・・橋本さんは別に悪くないのに。
 悪いのは私の方だ。自分の家のことを忘れて浮かれていたからだ。
 すごく楽しかったから忘れていた。
「うちの家は来てみてわかたっと思うけどそんなに裕福な方じゃないんだ。この先、仕事も上手くいくかどうかわからない・・だから、娘があの家の子とつき合えば、もっと縁起が・・」
 お父さんはどう説明していいのかわからないのだろう。
「ちょっと、あなた、縁起なんて、私たち、そこまでは・・」
 横で黙っていた橋本さんのお母さんが制した。
「しかし、妙子も何もよりによって、あそこの家の・・」
 別にそう言ってもらってもかまわないよ。
 私だって何も好きこのんであの家に生まれてきたわけじゃない。
「とにかくまずいんだよ。娘の教育に悪いんだ」
 お父さんの気持ちが痛いほど伝わってきた。
 私が親なら娘に同じことを言うかもしれない。それほど、私の家は・・
「かまいません。私、気にしてませんから。こういうことに昔から慣れてるんです」
 本当に慣れていた。昔も同じようなことを誰かに言われたことがある。
「すまないねえ。こっちも悪気があって言ってるわけじゃないんだ」
 お父さんは本当にすまなさそうに言っている。
 私は気にしていない。
 ただ、橋本さん・・妙ちゃんといる時、本当に楽しかった。
 思い出がたくさんできてよかった。お揃いのキーホルダーも買った。
 できればもうちょっと一緒に遊びたかったな。
「おじさんのおっしゃりたいこと、よくわかったつもりです。今後、娘さんとは接しません。これからはただのクラスメイトになるつもりです」
 自分でも感心するくらいにすごく言葉が綺麗に出てくる。まるであらかじめ用意していたかのようだ。
 たぶん、自分に言い聞かせるためだからだろう。
 そうだ、もっと自分に言い聞かせよう。その方がきっと楽になれる。
 春の遠足のバスに乗る前に戻るだけのことだ。
 たいしたことじゃない。
 もともと、友達なんていなかったし、必要でもなかった。
 そうだ。私は本を読んでいる時が一番楽しかったはずだ。
 それなのに一人前に友達を欲しがったりするからこういうことになるんだ。
 私は友達なんていらない。妙ちゃんなんか・・
「だから、心配しないでください・・安心して・・」
 けれど私は込み上げてくる涙で言葉が続かなくなった。
 橋本さんのご両親は顔を見合わせていた。これ以上、ここにいるのはつらかった。
「も、もう帰っていいですか?」
 早く家に帰りたかった。はじめから隣町になんて行けるとも思っていなかった。
 家に帰って貯金箱にお金を戻しておこう。
「これ、お侘びのしるしだ。少ないけど、とっといてくれないか」
 お父さんはテーブルの私の方にすっと小さな封筒を差し出した。中身はだいたい想像がついた。
「ごめんなさい。受け取れません」
 私は差し出された封筒を素早く返した。
「ジュース、ごちそうさまでしたっ」
 私はそう言い残すと喫茶店を勢いよく出た。
 外に出ると橋本さんを待っていた時とは違って凍てつくような寒さがどっと体を襲った。

 月曜日、橋本さんがすぐに私の机に寄ってきた。
「明美ちゃん、ごめんなさい。待ち合わせに行けなくて・・お父さんが急に怒りだして・・」
 橋本さんは悪くないんだよ。
「もう明美ちゃんと会うなって、お父さん、うるさくて・・」
 橋本さんは頭をかきながらぼやいている。
「妙ちゃ・・橋本さん、気にしなくていいよ」
 妙ちゃんと呼ぶと泣きそうだったから、慌てて呼び直す。
「明美ちゃん・・『橋本さん』って・・そんな呼び方・・」
 ごめん。だけど、もう私たちは今日からはただのクラスメイトなんだ。
「明美ちゃん、お父さんに何を言われたの?」
「たいした話じゃないよ」
 そう、たいした話じゃない。
「お父さんに何を言われたのか知らないけど、私、お父さんにちゃんと言うから」
 言えばお父さんがきっと困る。
 私としゃべってることを家の人に秘密にしておくことはできるかもしれない。
学校でだけ話す友達同士も可能かもしれない。でもそんなことをしていたら二人とも傷ついていくのが目に見えている。
「橋本さん、もう私に話しかけないでくれる?」
 私は今度はきっちりと妙ちゃんと呼ばずに橋本さんと呼んだ。
 妙ちゃん、ごめんね、冷たい言い方したりして、今は辛いけど、すぐに私のことなんて忘れるから。
「えっ、どうして?」
 橋本さんは戸惑った表情を浮かべた。
「私、他に友達が出来たの」
 私はまた嘘をついた。
「でも、私とも今まで通りに・・」
 妙ちゃん、そんなわけにはいかないの。
「その子、嫉妬深くて・・」
 私は変な笑顔を作っていた。
 私は一体何を言っているのだろう。嘘に嘘を重ねている。やっぱりあの家の子だからだ。 橋本さんのお父さんの言うとおりなのかもしれない。
「妙ちゃん、ごめんっ!」
 私は耐え切れなくなって教室を飛び出しトイレの個室の中に駆け込んだ。
 中に入ると今まで堪えていたものが一気に涙となって噴きだした。
 楽しかったことを忘れるために私は声を出さずに涙だけを流し続けた。

 私はその時から橋本さんを無視し続けるようにした。
 それから橋本さんが諦めてくれるまで何度「明美ちゃん!」と呼ばれたことだろう。
 それでも私は返事をせず無視した。周りの子も変な目で見ていたけど仕方ない。
(妙ちゃん、本当に、ごめんなさい)
 私は何度も祈るように繰り返し心の中で言い続けた。
 橋本さんのため、そして私がこの世界で生きていくためだ。

 それから一人きりの夏休みを迎えた。去年もそうだったけど今年の夏休みはそれ以上に辛かった。
 夏休みになったら橋本さんとどこかへ遊びに行こうと考えていたからだ。
 私にとっては高望みなんだってわかっていても考えてしまう。
 もう終わったことだと思っていても頭の中にまだ残っているからだろう。
 橋本さんとの思い出を一日も早く忘れるためにちゃんと宿題をこなし勉強も続けた。


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